邪神〜忘れられぬ君に〜

新川はじめ

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第三章

疫神

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 カイリは、疫神えきしんの横に浮かぶ黒い球体に意識を奪われていた。

(あの球体の中身は……もしかして、あの中に小花こはるが!?)


 疫神はカイリを瞳に映すと、「くくっ」と嬉しそうに笑った。

「カイリ、君ってわかりやすい。この中に小花がいるのか気になってしょうがないって顔してる」

「その中に小花がいるのか!?」
「……さあ」
 疫神は首を傾げて微笑んだ。


「かわいそうなカイリ。君が一番かわいそう。訳もわからず巻き込まれて大変だね」

 他人事のように笑う疫神を目の前に、カイリの額に青筋が立った。

「全部、お前が仕組んだことだろ!? よく笑っていられるな!!」

「カイリ、挑発に乗ってはいけません。多分あの中に小花はいない……いないから黒く隠しているのです。中にいるのは多分……」

「正解。さっさとみんなに注目してもらおう」

 薄く笑う疫神の隣で、真っ黒な球体がゆっくりと膨らんでいく。人々は大きな球体に目を奪われ、自然とこちらに視線が集まる。そんな彼らを見て疫神は顔を歪めた。


「カイリ。人間っていうのはね、恩を仇で返すのが大の得意なんだよ。今まで助けてもらったことなんて、すっかり忘れてね。玄清げんせい、君はなんて言われてたっけ。ずいぶんひどかったよね。一華いちかはどんなふうに言われるのかな。人殺し? 病気を振り撒いて名医の座を手に入れた? あはははは」

「何が楽しい。でたらめを言って一華を傷つけるのは許さない」

「でたらめとか本当とか、世間は真実なんかに興味はないんだよ。興味があるのは人の影の部分、転落した人生、惨めに苦しんでる姿。しかも光と影の差が激しいほど卑しいやつらの喜びは高まるんだ」


 疫神は視線を地面の方へと向ける。


「この講堂の近くにいる術師を何人か生かしておいたら、あっという間に噂は広まるよ。一度立った噂はね、尾ヒレがついてやがて真実のように語られる。そして人はその噂に騙されるんだ。それがどれほど恐ろしいものか……玄清が一番よく知ってるでしょ? 経験者、だからね」

「私は一華を信じてる」
「ふうん、余裕だね…………そろそろ起きて、一華」

 その言葉と同時に、巨大に膨れ上がった球体が弾けた。

 ふわりと浮かぶ一華が薄目を開ける。ハッと我に返った彼女は、切りつけたはずの自分の首元を慌てて触り、今の状況を理解しようと必死で周り確認し始めた。


「後ろ……向いてごらん」


 ビクッと固まる一華。背後に疫神、そして玄清たちがいることを悟ったのだろう。体が震えだす。

「早く」

 ガタガダと体を震わせ、目を伏せたまま一華はゆっくりと振り返った。


「一華!! ケガは大丈夫なのか!? どこも痛くないか?」
「どうしてあの森にいたんだ!? お前と疫神に何があったっていうんだ!?」

 玄清や士英が声をかけても、一華は伏せた顔を上げることができずにいる。


「いち――」
「ごめんなさい!! みんな……ごめんなさい」
 清流せいりゅうの声を遮るように、一華は謝罪の言葉を口にした。

「私が言いつけを破って静寂森じじゃくもりに入ったから……許してください……お願いだから、もう私につきまとわないで……」

「つきまとう……? 前にも言ったよね、僕は君に感謝してるんだ。お礼をするのは当然でしょ?」
 
「私は何も頼んでない……何もあなたに望んでない……感謝されるようなことは何もしてない……」

 一華は両手を顔に押し当てたまま、声を殺して泣き続けている。

 何もしてない……?
 一華と疫神は仲間ではないのか?


「遠慮しないで。あの時、白夢草はくむそうに癒されて眠ってしまった君の中で、未来を見たんだ! だから僕の森に入った君を殺さなかったし、願いも叶えたあげた。誰よりも多くの患者を診てきたね。君より病気に詳しいやつなんている? 白夢草を見つけた君に世の人々が感謝してる。今じゃ、君を知らないやつはいない。そうでしょ?」

 疫神は、耳を塞ぐ一華を捲し立てる。


「そもそも、なんで一華は名医になろうとしたのか……士英と清流はわかるよね?」

「それは……」

「玄清、君のためだよ。君の名誉を取り戻すため、君を悪く言ったやつらを見返すため。士英や清流みたいに力のなかった一華にとって、有名になる道はこれしかなかったんだ。二人の天才に置いていかれる恐怖、あの時の一華は必死になってもがいてた。お前たちが一華を追い詰めた。特に玄清!! お前のせいだ!! 聞こえてる? さっきから黙ってどうしたの? 口がきけなくなった?」

 なぜか疫神はやたらと玄清を煽り、敵意を剥き出しにしている。

「一華は、お前が何もしなくても天才と呼ばれる逸材だ」

「そうだね。白夢草なんかなくても、生まれ持った調合の才能と頭の良さで、十分名医と呼ばれたかもしれない。でも、それだけで天才として頂点に躍り出ることはできたかな」


 ……待ってくれ。

 確認しなくちゃいけないことがあるだろ?

 取り残されたようにぽつんと立ちすくむカイリは、膨れ上がる疑問をついに口にした。



「一華様……あなたは『先読みの力』をお持ちなのですか!?」

 呼吸を乱し、激しく胸を起伏させるカイリの問いに、一華は首を横に振った。

「たまに夢が正夢になっただけで、そんな力……私にはない。正夢になったのも、清流に関係することだけ……」

「私や三堂みどうに何か恨みでも?」

 一華は先ほどよりも強く首を横に振る。

「じゃあ、なんで俺を……」


「嘘だよ、カイリ。一華は君の存在を邪魔だと思ってた」

「違う! 私はそんなこと思ってない」
「一華……?」

 一華は清流の目を見て『信じて』と苦しそうな表情で訴える。


「じゃあ何が真実なのか。一華、お前の口から説明してくれるか? 全部話すんだ。私たちはどんな話でも聞く」

 玄清の言葉にキツく目を閉じた一華は、ついに覚悟を決め口を開いた。
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