オトナになれないみづきと凜霞の4日間逃亡生活

らんでる

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第6章 帰郷

三原

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「はるばる遠くから、よくいらっしゃいました。主人から話は聞いておりますので、お先に遠慮なくお上がりください」 

 玄関の扉が開いて浴衣を着た白髪の女性が出迎えに現れ、みづきと凜霞は案内されるがままに家に上がり、客間に通される。 

 8畳程度の畳の床には大きめな木目の座卓が鎮座して、座布団が対面するように四枚敷かれている。 
 2人は並んで置かれた座布団の上に座って再び手をつなぎ、緊張した面持ちで目配せをしながら三原が来るのをじっと待つ。 

 静寂の空間には仄かに線香の香りが漂っている。 

 仏壇にはモノクロの写真が飾られ、色鮮やかな和菓子が添えられている。 
 古めかしい木製の壁掛け時計は絶えることなく針を回し続けている。 
 障子の隙間からは小さいけれども凝った造りの松の庭園が垣間見えている。 

 慣れない和の空間では、チッ、チッと僅かに障る時計の音が刻を告げている。 

 もしもその音がなかったら、一瞬で10年の歳月が通り過ぎたと言われたら信じてしまうくらいに、世間から隔離されて時間が止まったかような感覚を覚える。 

 とはいえほんの数分のことだったと思う。 

 閉じていた襖が再び開き、落ち着いた柄の浴衣を着た白髪交じりの痩せた男性が、ノートパソコンを携えて部屋へと足を踏み入れてきた。 

「やあ、待たせたね」 
「三原先生。突然押しかけてしまい、申し訳ありません」 
「こんにちは……です」 

 三原は穏やかな表情で軽く会釈してから、机を挟んで2人の反対側の座布団に腰を降ろし、胡座を組む。みづきはぺこりと、凜霞は深々と、それぞれが頭を下げる。 

「君のほうが麗香れいかさんの娘さん、凜霞りんかさんだね。本当によく似ているよ。そちらの方はお友達かな」 
「はい、凜霞といいます。こちらはみづき先輩。私の友人で、今日は一緒に来て頂きました」 
「そうか、友人もいるんだね。今はどこに住んでいるのかな」 
「私に家はありません。今も入院中で、訳あって抜け出て来ました」 

 穏やかな三原の表情が、一瞬だけ厳しい目つきになる。 

「まだ入院中だとは思わなかった。確か、心臓移植の手続きも行われていたはずだったが」 
「私には……。薬の注射や点滴はありましたが、手術の話は出たこともありません」 
「ふむ。病院も父親も、何も説明をしていないのか」 
「実は、その件についても質問があります。先生は、私の父親についても何かご存じではありませんか」 
「……父のことも知らないのだね」 

 三原は考え込むように俯いて、凜霞から視線を外す。 

 襖が開いて先程の白髪の女性、三原婦人が入室し、湯呑みを各人の前に置いて和菓子の乗った木の盆を机に置き、会釈をして無言で退室する。 

 時を刻む時計の音だけが部屋を支配している。 

 三原はお茶を一口飲み、一呼吸した後で落ち着いた口調で話を再開した。 

「もちろん、知っていることは説明する。だけどその前に、まずは今日ここに来た経緯について伺おうか」 
「はい。経緯というか……私は物心ついたときには今の病院にいて、1度も両親に会ったことがないのです。そして、私の持ち物と言える物は熊のぬいぐるみ位でした」 
「そうか……それは万が一にと思って用意した物だったのだが、無駄ではなかったようだね」 
「ということは、これを作ったのは先生なのでしょうか」 

 凜霞はポーチの中から手の平サイズのクマのぬいぐるみを取り出す。 

「懐かしいな。いや、それを作ったのは僕ではなく、紛れもなく麗霞さんだよ。鍵と写真を仕込むように指示したのが僕だ」 
「ありがとうございます。私には友達と言える人もなく、病棟には次々と誰かが転院し、そして間もなく息を引き取って行きました。だから、私にとってはこのぬいぐるみがたった1人の家族のようなものでした。先生はどうしてこの子に連絡先を仕込もうとしたのでしょうか」 
「君が生まれた病院がどうなっているのか、知っているね。あの日、君の転院先もわからないままに、僕達は突然退職を言い渡された。もしかしたら君が何も知らずに放り出されるかもしれないという予感はあったんだ」 
「私を心配してくださったのですね……。ありがとうございます」 
「いや、これは単なる医師としての責任のようなものだ、気にしなくていい。むしろ、あの程度でよく探し出してくれたね」 
「それは私ではなくみづき先輩、そしてここ数日で巡り合わせた皆さんのおかげです」 
「そうか、やっといい巡り合わせがあったんだね。安心したよ。……では、経緯は聞かせてもらえたし、いよいよ本題へと話を移そうか」 
「わかりました。……お願いします。教えていただけませんか。私の両親のことを」 

 三原は頷き、ノートパソコンを机の上に載せて電源を入れる。 
 それは和の空間にそぐわない乾いた音を立てて、暗く淀んだディスプレイに光と紋様を写し出す。 

「これが僕が君に伝えたかったもの。そして恐らく君が知りたかったものだ」 

 三原はノートパソコンを横に半回転して、こちらにディスプレイが見えるように置き直した。 

 その画面には、凜霞と瓜二つの人。 

 瞳の色は僅かに蒼味を残しているが、黒目、黒髪の女性――麗霞が少しだけ緊張した笑みを浮かべて映し出されていた。 
 そしてその映像は動き出し、画面を見つめている凜霞へと語りかけ始めた。 

 ――凜霞ちゃん? 初めまして、かな。私が貴方のお母さん、麗香です。生まれたときから私にそっくりだから、私に似てくれたかな? そうだったら、いいな。 

 そして麗香は悲しそうな表情を浮かべる。 

 ――まず始めに、貴方にごめんなさいって言わせてください。一つ目は、貴方を丈夫に産んであげられなかったこと。そしてもう一つ。私はお母さんなのに、貴方に何もしてあげられないこと。大きくなった貴方と会いたかった、お話ししたかったです。でも、それが叶うことはなさそうです。 

 麗香は再び穏やかな表情になり、画面の先にいるであろう、大きくなった凜霞に向けて語りかけ続ける。 

 ――私は体の具合が悪くて、学校に通っているより病院に入院している方が多かったかもしれません。それでもそれなりには生きて、恋をして、貴方をおなかに宿すことができました。貴方が私の中にいるってわかったときは本当に嬉しかった。私の代わりに、もっともっと幸せに生きてくれればいいなって。 

 麗香は再び悲しい表情を浮かべ、それでも画面の先を見つめて語り続ける。 

 ――でも、先生からは心臓に病気があるって言われて、生まれてすぐに手術を受けることになりました。貴方は頑張ってそれを乗り越えて、懸命に育ってくれました。 

 そして麗香は真剣で憂いのある笑顔に変わる。彼女には大きくなった凜霞がきっと見えているに違いない。そう思えるくらいに瞳は画面の先の凜霞を覗き込んでいた。 

 ――これだけは忘れないで。お母さんは、貴方のことを愛しています。これからも、ずっと。私の元に産まれて来てくれて、ありがとう。あなたと出会えて幸せでした。あなただけの幸せが見つかることを祈っています。貴方のお母さん、麗香より。 

 ここで映像が途切れ、画面は淀んだ暗黒だけを映している。 

「これを私に残して半年もしないうちに麗霞さんは息を引き取って、君だけが病院に残された。そしてその先はさっき言った通りだ」 
「お母さん、私を愛してくれていたのですね」 
「ああ。麗霞さんは最後まで君のことを気にかけていたよ。僕が保証する」 
「先生のお陰で私は事実を知ることが出来ました。母の分までお礼を申し上げます」 
「むしろ、ここまでたどり着いてくれてありがとう。これで僕の唯一の心残りもなくなった……ああ、そうだ。もう一つ、質問があったね」 
「父の件、ですが」 
「ああ。もし転居をしていないのなら、父親は君の実家に住んでいるだろう。君は1回も退院していないのだから、実家と言えるかどうかはわからないが……。それはともかく、住所は残してあるからそれを教えよう」 
「ありがとうございます。それでは、今から尋ねてみます」 
「もう、行くのか」 
「はい。私には時間がありません。今日中に病院に戻らなければいけませんから。いつか、必ず改めてお礼に参りたいと思います」 
「そうか。どうか元気で……とは言い難いようだが、無事でいて欲しい。僕がまだ健在なうちに、君に出会えてよかった」 

 凜霞はお礼を申し上げてから三原宅をあとにして、再び強い日差しの元に足を踏み出した。 

  

 遠い車の走行音、蝉の声、子ども達の元気な叫び声。 
 雑踏から漏れ出てくる忙しない音を聞く。 

 すると、隔絶した空間で止まりかけていた時の流れが再び流れ始めるという、言いようもない感覚を覚える。 

 三原宅を訪れる前よりも太陽が一層に輝かしく感じられて、その眩しさに狼狽して目を細める。 
 手をかざして額に当てて眩しさを避けながら、すぐ近くに小さな公園があることに気づいて木陰にあるベンチへと歩み寄っていく。 
 とりあえず直射日光に炙られることを回避できたことに安堵しながら、腰を掛けてゆっくりと息をつき、ぼんやりと公園に目を向ける。 

 そこでは大人に見守られながら、健康な子どもたちが叫び声を上げながら戯れている。 

 それがなぜか、とても眩しく感じられ、逃げるように目を逸らす。 
 やがて行き場を失った視線は地に落ちて、背を丸めて俯いてしまう。 

『お前はここに居るべきではない』 

 外の世界――この小さな公園の中でさえ私の存在は異質で、何も言われていないはずなのに、そこにいる見知らぬ人々から宣告を受けた錯覚さえ感じる。 

 私は病院から出るべきではなかった……のかな。 



 手に、突然、何かが触れた感触があった。 
 その違和感に驚き、反射的に手を逃がす。 

 手元に視線を向けると、ためらうように差し出されたみづきの手があった。 
 いつの間にかみづきが並んでそばに座っていて、私のことをじっと見上げていた。 

 ――みづき先輩は、ずっと私に寄り添っていてくれた。 

 一呼吸して、みづき先輩の手を握り返す。 
 その手はとても温かい。というよりも、自らの手が真冬のように凍りついていたことに気づく。 

 かじかむ手を寄せてみづきの手を包み込み、温めて溶かしていく。 
 ほんのりと、冷え固まっていた手が柔らかさを取り戻したような気がした。 

 しかし、手が力を取り戻していくにつれて、むしろ体のほうがずっと冷え切って、震えていたことに気づく。 

 みづき先輩の手を離し、その腕を背中に回す。 
 みづき先輩は一瞬震えて小さな声を上げたが、逃れようとは決してしなかった。 

 抱き寄せると、みづき先輩の身体は簡単に折れてしまいそうなほどに華奢で頼りない。 
 しかしそれにも構わずに両腕に力を入れてきつく抱きしめ、みづき先輩の柔らかな髪の毛に頬を埋めて深く息を吸う。 

 仄かに甘く爽やかな、みづき先輩の香り。 

 みづき先輩の苦しそうな息遣いが漏れ、耳元には震える吐息がかかる。 
 私はみづき先輩の首元に顔をうずめ、汗ばんだ肌に吸い付くように口を付けながら、その匂いで鼻孔の奥を満たしていく。 

 みづき先輩はかすかに私の名をつぶやき、一瞬逃れようと身動きはしたものの、それでも私はきつく抱き締めることをやめようとしなかった。 

 みづき先輩は、それ以上抵抗することなく私の全てを受け入れてくれた。
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