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七章 イチの一生
我が儘
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イチの目の前から、紗英はふと消えた。そこには誰もいなかったように、いつもと変わらぬ草原が広がる。しかし、よくよく見れば、紗英のいた場所の草は、踏まれ寝ていた。
「あれは、私の……子孫、なのだな。どうか、幸せに」
イチは絞るように声にすると、手を合わせ、紗英の自由な未来をしばし、切に祈る。
そして、目を開いたイチは、いつしか陽の登り始めた海を、眩しそうに見つめた。いつか、勘助が好きだといった朝日だ。真っ赤に染まる空が、きらきらと金色に光る海が、好きだと笑顔を見せてくれた。
屈託のない笑顔を。
時折見せる、男子の力強さを。
会えない母を想う優しさを。
尽くしてくれた忠誠を。
口付けの際の熱い吐息を。
躰をぶつかり合わせて得た安心感を。
未だ蜜壷に残るあの感覚を。
心を撫でて知った互いの想いを。
走馬灯のように思い出す。
イチは、とうとう声にした。
「勘助……愛しておる」
言いたくても言えなかった言葉だ。互いに別れが辛くなると、言い出せなかった言の葉だ。きっと、勘助も同じ……そう、想えば疾うに諦めたはずの自由が欲しくなった。
「勘助……っ、勘助」
どうして化身などに生まれてきた。どうして贄などに生まれてきた。どうして、当たり前に出逢うことが出来なかった。どうして、どうして。
たくさんの疑問符を飲み込む。言葉にならない。勘助の声は、二度と還らない。だだ、ただ、運命を深く呪った。気がつけばイチの目からは、大粒の涙が流れ落ちた。
イチはこの後、四十六歳で病に倒れるまで、がんがら崖の洞窟の中で化身としての責務を全うした。
夫の平太郎とは子を成す時だけ、共寝しただけで、他は洞窟内に一人で籠り、一人きりで過ごすことを好んだ。
それは、己の犠牲となって海の泡となった勘助と共に生きたいと願ったイチの、最初で最期の、我が儘であった。
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