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各々の道
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それは月のない五月雨の夜。
トン、トン、と鞠をつく音が聞こえる。
鞠を手に遊んでいるのは、まだあどけなさの残る少年。
「……暇だなぁ」
しとしとと降る雨を眺めながらコロ、と鞠を転がした。
高欄にぶつかる直前、猫が飛び付く。
「……ふふ、お前は良いなぁ、いつでも楽しそうで」
無邪気に鞠とじゃれる猫を見て、嬉しそうに笑う。
「……主上、もうお休みになられてはいかがですか?
もう八つ半(午前3時)になります」
「それが少しばかり昼寝をしすぎてしまって、ちっとも眠くないんだ」
矛盾を感じる発言に晴明は首を傾げる。
「……今日は御公務が忙しかったと伺っておりますが……?」
「兼家は私が寝ようと寝まいと構わず捲し立てて喋っているのだから笑える。
晴明、あの男は本当に面白いね」
帝はまたフフ、と笑った。
「……あいつらしいですね」
「でもそのお陰で今暇なんだけどなぁ……」
「じゃあその責任を息子達にとらせてはいかがですか?
丁度息子が皆おります」
意味ありげな笑みを浮かべる晴明に心をくすぐられたのか、若い帝は目をキラキラと輝かせた。
「晴明、君、何か面白い事を思い付いたんだね?」
「主上は御存知ですか?
近頃内裏で妖が出ると言う噂を」
「うん、聞いた。
何でもこんな具合の夜に出るそうだね」
「……そう、月明かりもなく、この雨では星の光すら届きません。
こんな夜は必ず何か忍び寄るものです」
「うん、それで?」
帝は躍る心の内を隠しきれないのか、そわそわしながら晴明の次の句を待っている。
「息子にそれぞれ度胸試しをさせるのです。
気の小さい兼家の息子ですからさぞかし良い反応を示してくれると思いますよ」
「それは名案だね!
暇潰しには丁度良い。
早速行こう!」
少し駆け出した所でふと気付いたように帝が振り返った。
「晴明、妖は本当に出るのかな?」
「出なくとも、いくらでも驚かす方法はあります。
まぁ、その必要はないでしょうが」
ふぅん、と一際嬉しそうな笑みを称え、再び駆け出した。
「肝試し、するよ!」
息子がいる部屋を探し出した帝はにっこりと笑いながら言った。
上機嫌で突然現れた帝を呆けたように見るのは、道隆、道兼、道長の三人だった。
「肝試し……でございますか?」
状況が飲み込めず、鸚鵡返しをする道隆に帝は大きく頷く。
「うん、肝試し。
君達、私が眠れなくなった責任をとってくれ」
「それは面白そうですね。
どんな事をするのですか?」
あからさまに顔をしかめる二人を尻目に道長が一歩前に進み出て、尋ねた。
「簡単さ。
人のいない所に一人で行く」
「そんな事をして妖にとり憑かれでもしたらどうするのです?」
怯えきった表情で今度は道兼が尋ねた。
「大丈夫、晴明がいる」
その朗らかな声に誘われるように御簾向こうで話を聞いていた晴明が顔を出す。
どうにかしてこの突飛もない申し出を断ろうとしていた二人が更に顔を歪めたのは気のせいではないだろう。
「あ、そう、私の言う事が聞けないんだね?」
口を尖らせながら言う帝に、少しうんざりしながらも二人は承諾を口にした。
「よし、決まりだね。
では道隆は豊楽院(ぶらくいん)、道兼は仁寿殿(じじゅうでん)の塗籠(ぬりごめ)、道長は大極殿に行って、何か証を残して帰ってきてくれ」
それはどこも人気がなく、灯りもない場所だった。
道隆、道兼の顔が歪む。
「……本当に行かねばなりませんか?」
「いいから行っておいでよ」
クスクス笑いながら道隆の背中を押した。
続いて道兼も渋々背中を丸めながらも言われた先に向かった。
「あの二人の情けない顔、予想以上だね!
後をつけて脅かしてやろうかな?」
「それには及ばないでしょう。
きっと彼等は勝手に腰を抜かしてくれますよ」
晴明は紙を三枚、吹いた。
それはみるみる人の形になり──。
「……何だい、コレ?
道隆と道兼、それに道長、君もいるよ」
まるで本人と見間違う程の“それ”を帝が不思議そうにつつく。
道長もまた同様に。
突然、道隆の形をした“それ”が声を上げた。
『ひぃっ!
何やら不気味な声が聞こえるぞ……。
恐ろしや……。
全くあの帝は何を考えてるやら……さすが狂帝の皇子だ……』
“それ”はブツブツと呟きながら身を縮め、その場で足を進める。
「父を狂帝とは……また酷いなぁ。
晴明、これは本人が言っている事なのかな?」
「……まぁ、そうですね」
晴明にとっても予想もしなかった言葉なのか、苦笑しながら答えた。
「これはこれは、迂闊な事は口に出来ませんね。
では、私も行って参ります」
道長は気後れした風でもなく、ゆったりと部屋を出ていった。
“それ”も同じようにそろりと歩を進める。
「……しかし凄いなぁ。
真に目の前にいるみたいだ」
「主上のもお作りしましょうか?」
「いや、いい。
私はあまり自分の姿が好きではないからね」
そう言う帝の容貌は、誰もが目を奪われる程美しい。
血の通い道がわかりそうな程白い肌に、スッと流れるような眼尻、小さく整った鼻に紅梅のような唇。
それでも好まないというのは父そっくりの面差しだからだろうか。
「おや、晴明、道兼がなにやら震え出したぞ?」
『……うわッ、何だ何だ!?
おい、誰か、誰かいないか!
あそこの石畳に何かいるぞ!!
誰かッ!』
道兼の“それ”が、袍が乱れるのも構わずバタバタと床を踏み鳴らす。
その顔は怯えきり、青ざめていた。
その内どこかに身を潜めたのか、ゼイゼイと喉を鳴らしながら呟き始めた。
『……命あってこそ帝にお仕え出来るのだ……。
ここで妖に憑かれでもしたら、元も子もない。
……引き返そう……』
道兼の“それ”は辺りをキョロキョロと見渡しながら、ゆっくり足を踏み出した。
横を見れば、どうやら道隆の“それ”も引き返してきているらしい。
道長の“それ”はと言うと、いつも通りの風体でただ、歩いていた。
「フフフ……同じ兄弟だというのに随分違うのだなぁ。
実に面白い」
帝は胡座をかき、楽しげに顎に手を当てながら笑った。
「人の本質を垣間見るのは真に楽しいですね。
塗り固めたうわべとは全く違う」
晴明もまた、楽しそうに口角を上げて見ていた。
「それにしても道長は大したものだね。
少しも畏れずに歩いている」
「そうですね……、あの中で一番頼りなく見えるんですが」
「……その内兄を追い越すかもしれないね。
まぁ私は一番道兼が好きだが。
今見ても彼は嘘偽りなく私に仕えてくれているらしい」
その呟きに晴明は、ただ少しの笑みを浮かべたのみだった。
彼にしては酷く曖昧な。
「……あぁ、どうやら二人とも帰ってきたようですよ?」
話題を変えるように晴明が言うと、最初は何も聞こえなかったが、次第に騒々しい足音が二つ近付いてきた。
「主上ッ!
やはり無茶です!
妖に命をとられてしまいます!」
「うわッ!!
何だコレはッ!!?」
二人は部屋に入ってくるなり、自分そっくりの“それ”を見て腰を抜かした。
“それ”も同じように地べたにへたりこむ。
「ハハハッ!
傑作だね、また一つ、楽しみを見つけた!」
帝は扇を叩きながら大口を開けて笑っている。
二人は青かった顔を赤らめながら、俯いてしまった。
「……残るは一人ですね」
晴明も袖で顔を隠しながら視線を移し、平静を装って言った。
既に道隆と道兼の“それ”は紙へと姿を戻している。
残る一つはしゃがみこみ、何かを削り取る仕草をしていた。
「……道長は何をしてるんだろうね」
「それは帰ってきてからの楽しみにしておきましょうか」
晴明が軽く指を鳴らすと、ひらりと紙に舞い戻った。
後ろから視線を感じ、晴明は苦笑しながら手を差し出す。
「……大丈夫か?
お前等は父親そっくりだな」
道隆は声もなく、ただ差し出された手を握る。
「ぎゃっ!!」
道隆が踏み潰された蟇のような声をあげた。
実際、必死に振り払おうとする道隆の手にはぬめぬめとした蟇がいた。
「さっき良からぬ事を口にした罰だ。
可愛いだろう、俺の大事な蟇だ」
ぴょんと蟇は晴明の袍に潜り込んで消え、帝は腹を抱えて笑っていた。
「道兼、良かったなぁ、蟇を掴まされなくて。
口は災いのもととはこう言う事なんだね」
帝は目尻の涙を掬いながら道兼の肩を叩いた。
ただ頷く事しか出来ない道兼をよそに笑顔で道長が帰ってきた。
「おや、兄上どうされました?
なにやら青い顔をしておいでですが……」
「おぉ道長、おかえり。
大極殿には行ってきたんだろう?
証は何を持ってきたんだ?」
「ここにございます」
道長は袖から木屑を取り出した。
「これは……?
ただの木屑に見えるけど……」
帝はそれを手に取り眺めたが、何の変哲もない、ただの木片に見えた。
「失礼して、主上が即位された時に座っておられた高御座の南にあります柱を少しばかり削らせて頂きました」
「お前何してるんだ、神聖な間を」
「ですが兄上、主上は証を持ってこいと仰ったではないですか」
道長は悪びれもせず言い、首を傾げた。
「構わないよ。
どうせボロなんだ、ちょっとくらい削ったってわからないさ」
「……では式神を使いに出して確認してみましょうか?」
「ん?それには及ばないよ。
私が行ってくる。
三人供楽しかったよ、ありがとう」
ニコッと笑い木屑を袖に入れ、一人、大極殿に向かった。
「……結局何だったのだ……?」
「ただの暇潰しだよ。
何の意味もない他愛ない遊びだ」
「はぁ……」
晴明が去ろうとした時、いつもの様に肩にぴったりとついていた猫が道長にすり寄った。
道長には見えないのか、首筋辺りをしきりに擦っている。
「ふぅん……、道長、そいつの餌やり宜しくな」
「……何の事ですか?」
「それだ」
フッと晴明が息を吹いた。
「お……これは猫……ですか?」
「お前の側の方が楽しいと思ったんだろ」
晴明は口角を上げ、自らも大極殿に向かった。
承明門、建礼門、応天門それらを抜け、朝堂院に入ると、大極殿に繋がる龍尾道に腰掛ける帝を見つけた。
帝は晴明を見つけるなりふわりと笑う。
肩は五月雨のために濡れていた。
「道長の言っていた事は真だったようだよ。
ぴったり一致した」
「そうですか。
それよりも御召し物が濡れていますよ」
「別に寒くないから大丈夫だよ。
しかし今宵は面白かったなぁ。
これで私がここに来るまでに妖でも出れば更に面白かったんだけど」
「そもそも内裏にそうそう容易く出るはずはないんです。
我等が仕事をしていないと言う事になりますからね」
「じゃあ外には沢山いるのか?」
「それはもう。
人より多いかも知れませんね」
「それは見てみたいものだね。
私は気安く外に出る事は叶わないし、きっと遭遇する事はないんだろうなぁ」
プラプラと足を揺らしながら遠くを見つめる。
その先は真暗闇で、唯一の明かりは鼻先をやっと照らすほどの手燭の灯りのみだった。
「ねぇ晴明、帝とは窮屈なものだとは思わないか?」
「他の皇族が憤慨しますよ。
選ばれた一人しかなれないんですから」
その言葉に帝は口角を下げ、静かにため息をつく。
「でもただの飾り物じゃないか。
昼寝をしていても廟議は進むし、私の発言は関白である頼忠が考えたものだ。
そこに私の意思はない。
それなのにあれこれ制約がありすぎるとは思わないか?」
「……もし、そのしがらみがないとすれば主上は何をしたいですか?」
晴明の問いに帝は迷う素振りも見せず、答えた。
「自由に街を歩いて、好きなように和歌を詠んで過ごしたいな。
堅苦しい政治の話はもう飽きた」
「そうですか」
「うん、早く自由になりたい。
晴明が羨ましいよ。
君はいつも楽しそうだ」
「俺も縛られるのは好きじゃないんです」
晴明は笑い、帝もつられて笑った。
誰もが羨む唯一の地位にいながらそれを恵まれてるとも思わない。
天子ではなく、ただ一人の人間になりたいと願う。
世の中には上を目指す事を生き甲斐としている者で溢れているのに。
そんな変わった若い男を晴明はあたたかな眼差しで見つめていた。
トン、トン、と鞠をつく音が聞こえる。
鞠を手に遊んでいるのは、まだあどけなさの残る少年。
「……暇だなぁ」
しとしとと降る雨を眺めながらコロ、と鞠を転がした。
高欄にぶつかる直前、猫が飛び付く。
「……ふふ、お前は良いなぁ、いつでも楽しそうで」
無邪気に鞠とじゃれる猫を見て、嬉しそうに笑う。
「……主上、もうお休みになられてはいかがですか?
もう八つ半(午前3時)になります」
「それが少しばかり昼寝をしすぎてしまって、ちっとも眠くないんだ」
矛盾を感じる発言に晴明は首を傾げる。
「……今日は御公務が忙しかったと伺っておりますが……?」
「兼家は私が寝ようと寝まいと構わず捲し立てて喋っているのだから笑える。
晴明、あの男は本当に面白いね」
帝はまたフフ、と笑った。
「……あいつらしいですね」
「でもそのお陰で今暇なんだけどなぁ……」
「じゃあその責任を息子達にとらせてはいかがですか?
丁度息子が皆おります」
意味ありげな笑みを浮かべる晴明に心をくすぐられたのか、若い帝は目をキラキラと輝かせた。
「晴明、君、何か面白い事を思い付いたんだね?」
「主上は御存知ですか?
近頃内裏で妖が出ると言う噂を」
「うん、聞いた。
何でもこんな具合の夜に出るそうだね」
「……そう、月明かりもなく、この雨では星の光すら届きません。
こんな夜は必ず何か忍び寄るものです」
「うん、それで?」
帝は躍る心の内を隠しきれないのか、そわそわしながら晴明の次の句を待っている。
「息子にそれぞれ度胸試しをさせるのです。
気の小さい兼家の息子ですからさぞかし良い反応を示してくれると思いますよ」
「それは名案だね!
暇潰しには丁度良い。
早速行こう!」
少し駆け出した所でふと気付いたように帝が振り返った。
「晴明、妖は本当に出るのかな?」
「出なくとも、いくらでも驚かす方法はあります。
まぁ、その必要はないでしょうが」
ふぅん、と一際嬉しそうな笑みを称え、再び駆け出した。
「肝試し、するよ!」
息子がいる部屋を探し出した帝はにっこりと笑いながら言った。
上機嫌で突然現れた帝を呆けたように見るのは、道隆、道兼、道長の三人だった。
「肝試し……でございますか?」
状況が飲み込めず、鸚鵡返しをする道隆に帝は大きく頷く。
「うん、肝試し。
君達、私が眠れなくなった責任をとってくれ」
「それは面白そうですね。
どんな事をするのですか?」
あからさまに顔をしかめる二人を尻目に道長が一歩前に進み出て、尋ねた。
「簡単さ。
人のいない所に一人で行く」
「そんな事をして妖にとり憑かれでもしたらどうするのです?」
怯えきった表情で今度は道兼が尋ねた。
「大丈夫、晴明がいる」
その朗らかな声に誘われるように御簾向こうで話を聞いていた晴明が顔を出す。
どうにかしてこの突飛もない申し出を断ろうとしていた二人が更に顔を歪めたのは気のせいではないだろう。
「あ、そう、私の言う事が聞けないんだね?」
口を尖らせながら言う帝に、少しうんざりしながらも二人は承諾を口にした。
「よし、決まりだね。
では道隆は豊楽院(ぶらくいん)、道兼は仁寿殿(じじゅうでん)の塗籠(ぬりごめ)、道長は大極殿に行って、何か証を残して帰ってきてくれ」
それはどこも人気がなく、灯りもない場所だった。
道隆、道兼の顔が歪む。
「……本当に行かねばなりませんか?」
「いいから行っておいでよ」
クスクス笑いながら道隆の背中を押した。
続いて道兼も渋々背中を丸めながらも言われた先に向かった。
「あの二人の情けない顔、予想以上だね!
後をつけて脅かしてやろうかな?」
「それには及ばないでしょう。
きっと彼等は勝手に腰を抜かしてくれますよ」
晴明は紙を三枚、吹いた。
それはみるみる人の形になり──。
「……何だい、コレ?
道隆と道兼、それに道長、君もいるよ」
まるで本人と見間違う程の“それ”を帝が不思議そうにつつく。
道長もまた同様に。
突然、道隆の形をした“それ”が声を上げた。
『ひぃっ!
何やら不気味な声が聞こえるぞ……。
恐ろしや……。
全くあの帝は何を考えてるやら……さすが狂帝の皇子だ……』
“それ”はブツブツと呟きながら身を縮め、その場で足を進める。
「父を狂帝とは……また酷いなぁ。
晴明、これは本人が言っている事なのかな?」
「……まぁ、そうですね」
晴明にとっても予想もしなかった言葉なのか、苦笑しながら答えた。
「これはこれは、迂闊な事は口に出来ませんね。
では、私も行って参ります」
道長は気後れした風でもなく、ゆったりと部屋を出ていった。
“それ”も同じようにそろりと歩を進める。
「……しかし凄いなぁ。
真に目の前にいるみたいだ」
「主上のもお作りしましょうか?」
「いや、いい。
私はあまり自分の姿が好きではないからね」
そう言う帝の容貌は、誰もが目を奪われる程美しい。
血の通い道がわかりそうな程白い肌に、スッと流れるような眼尻、小さく整った鼻に紅梅のような唇。
それでも好まないというのは父そっくりの面差しだからだろうか。
「おや、晴明、道兼がなにやら震え出したぞ?」
『……うわッ、何だ何だ!?
おい、誰か、誰かいないか!
あそこの石畳に何かいるぞ!!
誰かッ!』
道兼の“それ”が、袍が乱れるのも構わずバタバタと床を踏み鳴らす。
その顔は怯えきり、青ざめていた。
その内どこかに身を潜めたのか、ゼイゼイと喉を鳴らしながら呟き始めた。
『……命あってこそ帝にお仕え出来るのだ……。
ここで妖に憑かれでもしたら、元も子もない。
……引き返そう……』
道兼の“それ”は辺りをキョロキョロと見渡しながら、ゆっくり足を踏み出した。
横を見れば、どうやら道隆の“それ”も引き返してきているらしい。
道長の“それ”はと言うと、いつも通りの風体でただ、歩いていた。
「フフフ……同じ兄弟だというのに随分違うのだなぁ。
実に面白い」
帝は胡座をかき、楽しげに顎に手を当てながら笑った。
「人の本質を垣間見るのは真に楽しいですね。
塗り固めたうわべとは全く違う」
晴明もまた、楽しそうに口角を上げて見ていた。
「それにしても道長は大したものだね。
少しも畏れずに歩いている」
「そうですね……、あの中で一番頼りなく見えるんですが」
「……その内兄を追い越すかもしれないね。
まぁ私は一番道兼が好きだが。
今見ても彼は嘘偽りなく私に仕えてくれているらしい」
その呟きに晴明は、ただ少しの笑みを浮かべたのみだった。
彼にしては酷く曖昧な。
「……あぁ、どうやら二人とも帰ってきたようですよ?」
話題を変えるように晴明が言うと、最初は何も聞こえなかったが、次第に騒々しい足音が二つ近付いてきた。
「主上ッ!
やはり無茶です!
妖に命をとられてしまいます!」
「うわッ!!
何だコレはッ!!?」
二人は部屋に入ってくるなり、自分そっくりの“それ”を見て腰を抜かした。
“それ”も同じように地べたにへたりこむ。
「ハハハッ!
傑作だね、また一つ、楽しみを見つけた!」
帝は扇を叩きながら大口を開けて笑っている。
二人は青かった顔を赤らめながら、俯いてしまった。
「……残るは一人ですね」
晴明も袖で顔を隠しながら視線を移し、平静を装って言った。
既に道隆と道兼の“それ”は紙へと姿を戻している。
残る一つはしゃがみこみ、何かを削り取る仕草をしていた。
「……道長は何をしてるんだろうね」
「それは帰ってきてからの楽しみにしておきましょうか」
晴明が軽く指を鳴らすと、ひらりと紙に舞い戻った。
後ろから視線を感じ、晴明は苦笑しながら手を差し出す。
「……大丈夫か?
お前等は父親そっくりだな」
道隆は声もなく、ただ差し出された手を握る。
「ぎゃっ!!」
道隆が踏み潰された蟇のような声をあげた。
実際、必死に振り払おうとする道隆の手にはぬめぬめとした蟇がいた。
「さっき良からぬ事を口にした罰だ。
可愛いだろう、俺の大事な蟇だ」
ぴょんと蟇は晴明の袍に潜り込んで消え、帝は腹を抱えて笑っていた。
「道兼、良かったなぁ、蟇を掴まされなくて。
口は災いのもととはこう言う事なんだね」
帝は目尻の涙を掬いながら道兼の肩を叩いた。
ただ頷く事しか出来ない道兼をよそに笑顔で道長が帰ってきた。
「おや、兄上どうされました?
なにやら青い顔をしておいでですが……」
「おぉ道長、おかえり。
大極殿には行ってきたんだろう?
証は何を持ってきたんだ?」
「ここにございます」
道長は袖から木屑を取り出した。
「これは……?
ただの木屑に見えるけど……」
帝はそれを手に取り眺めたが、何の変哲もない、ただの木片に見えた。
「失礼して、主上が即位された時に座っておられた高御座の南にあります柱を少しばかり削らせて頂きました」
「お前何してるんだ、神聖な間を」
「ですが兄上、主上は証を持ってこいと仰ったではないですか」
道長は悪びれもせず言い、首を傾げた。
「構わないよ。
どうせボロなんだ、ちょっとくらい削ったってわからないさ」
「……では式神を使いに出して確認してみましょうか?」
「ん?それには及ばないよ。
私が行ってくる。
三人供楽しかったよ、ありがとう」
ニコッと笑い木屑を袖に入れ、一人、大極殿に向かった。
「……結局何だったのだ……?」
「ただの暇潰しだよ。
何の意味もない他愛ない遊びだ」
「はぁ……」
晴明が去ろうとした時、いつもの様に肩にぴったりとついていた猫が道長にすり寄った。
道長には見えないのか、首筋辺りをしきりに擦っている。
「ふぅん……、道長、そいつの餌やり宜しくな」
「……何の事ですか?」
「それだ」
フッと晴明が息を吹いた。
「お……これは猫……ですか?」
「お前の側の方が楽しいと思ったんだろ」
晴明は口角を上げ、自らも大極殿に向かった。
承明門、建礼門、応天門それらを抜け、朝堂院に入ると、大極殿に繋がる龍尾道に腰掛ける帝を見つけた。
帝は晴明を見つけるなりふわりと笑う。
肩は五月雨のために濡れていた。
「道長の言っていた事は真だったようだよ。
ぴったり一致した」
「そうですか。
それよりも御召し物が濡れていますよ」
「別に寒くないから大丈夫だよ。
しかし今宵は面白かったなぁ。
これで私がここに来るまでに妖でも出れば更に面白かったんだけど」
「そもそも内裏にそうそう容易く出るはずはないんです。
我等が仕事をしていないと言う事になりますからね」
「じゃあ外には沢山いるのか?」
「それはもう。
人より多いかも知れませんね」
「それは見てみたいものだね。
私は気安く外に出る事は叶わないし、きっと遭遇する事はないんだろうなぁ」
プラプラと足を揺らしながら遠くを見つめる。
その先は真暗闇で、唯一の明かりは鼻先をやっと照らすほどの手燭の灯りのみだった。
「ねぇ晴明、帝とは窮屈なものだとは思わないか?」
「他の皇族が憤慨しますよ。
選ばれた一人しかなれないんですから」
その言葉に帝は口角を下げ、静かにため息をつく。
「でもただの飾り物じゃないか。
昼寝をしていても廟議は進むし、私の発言は関白である頼忠が考えたものだ。
そこに私の意思はない。
それなのにあれこれ制約がありすぎるとは思わないか?」
「……もし、そのしがらみがないとすれば主上は何をしたいですか?」
晴明の問いに帝は迷う素振りも見せず、答えた。
「自由に街を歩いて、好きなように和歌を詠んで過ごしたいな。
堅苦しい政治の話はもう飽きた」
「そうですか」
「うん、早く自由になりたい。
晴明が羨ましいよ。
君はいつも楽しそうだ」
「俺も縛られるのは好きじゃないんです」
晴明は笑い、帝もつられて笑った。
誰もが羨む唯一の地位にいながらそれを恵まれてるとも思わない。
天子ではなく、ただ一人の人間になりたいと願う。
世の中には上を目指す事を生き甲斐としている者で溢れているのに。
そんな変わった若い男を晴明はあたたかな眼差しで見つめていた。
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