彼の呪は密やかに紡がれる

ちよこ

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芦屋道満

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その日、珍しく昼間から晴明は陰陽寮にいた。
別にこれと言った用はなかったが、何となく足が向かっていたのだった。


「珍しいな、お前がいるなんて」

「たまには仕事しないとな」

「仕事って……、巻子読んでるだけだろう。
手伝えよ」

「俺は天文道が専門だ」

「じゃあ何しに来たんだよ。
大体、暦道も親父から習っただろうが」 


「ふん?」


晴明は笑みを称え、また巻子に視線を戻す。
光栄はため息をつき、近くにあった硯を投げつけた。
晴明は身を屈めて避けたが、運悪くそこに男がいた。
兼家である。

硯は兼家の鼻っ柱に直撃していた。
兼家は袍を赤く染め、痛みのあまりに涙を流しながらうずくまっている。 


「光栄、お前人殺しをする気か」

「お前が避けなかったら良い話だろ?」

「うぅ……。
きっと……折れてるぞ……」

「どれ、見せてみろよ」


兼家の顎をつまみ、上に向かせ、懐紙で滂沱のように血が流れる鼻に押し込んだ。


「まぁ、アレだな。
お前がこんな所に来るのが悪い」


晴明はケラケラ笑いながら兼家の両の鼻の穴に懐紙をねじ込んでいく。


「見事にへこんだな。
低い鼻が更に低く見えるぞ?」


光栄もゲラゲラ笑いながら言う。


「……謝る気はないんだな?」


二人は顔を見合わせ、屈託なく笑った。 


「「お前の運がないだけだ」」

「……真似すんなよ」

「お前こそ」


兼家の心配をする所か喧嘩をし始めた二人に、兼家は怒りを通り越してただただため息をつくばかりで制止する気力も萎え、鼻の懐紙をしきりに替えながら収まるのを待っていた。
ようやく兼家がここにいる理由を訊ねられた時には、目の前に小高い赤山が出来ていた。


「実はな……厄介な者が訪ねてきたのだ」

「……厄介な者?」

「妖がらみじゃないのか。
だったら兵衛府に行けよ」

「いや……それがな、小汚ない陰陽師なのだよ」


鼻に血止め薬を塗り込みながら兼家が言う。 


「ふぅん、大方雇えとか言ってるんだろう?
満仲にでも追い払ってもらえよ」

「それが近付けないのだ。
結界のようなものを張っているらしい」


要するに、陰陽師でなければいけない。
晴明は面倒くさそうな表情を隠しもせずに光栄を見た。


「光栄、行ってこいよ。
お前、暇してたろ」

「お前……どの面下げて言ってるんだ?」 

「兼家をこんな無惨な姿にしたのは誰だ?」

「む……」


光栄はバツが悪そうに口をすぼめ、納得しかけたが、ふと思い出した。


「元はと言えばお前が素直に頭をカチ割られてれば良かったんだ!」

「あ? 俺に死ねと?」

「ちちち、ちょっと待て!
相手は晴明を名指しで呼んでるんだ!」


再び火花が散りそうになるのを兼家が間に入って止めた。 


「……何で俺を」


舌打ち混じりに晴明が尋ねた。


「知らぬ。
ただ朱雀門の前に居座っていて、動かぬし、あまりにその陰陽師が臭いので皆辟易してるのだ」


頼む!と兼家が手を併せ、頭を下げた。


「……家にいれば良かったな」


フン、と鼻を鳴らし晴明は気が進まないまま朱雀門に向かうと兼家の言った通り、朱雀門の前に男が座っていた。
かなり離れているのに据えた匂いが漂ってくる。
鼻を摘まみながら男に話しかける。


「陰陽寮の人手は間に合ってる。
迷惑だから帰れ」

「アンタが晴明か?」


顔を上げた男は身なりはみすぼらしく、薄汚れていたが、若かった。
声の通りもいい。


「あぁ、俺を名指しなんだっけか。
用件は何だ、忙しいから簡潔に言え」

「勝負を申し込みに来た」


あまりに簡潔にまとめられた用件に晴明は顎に指を滑らせた。


「断る。
言ったろ?
一々力試しにやって来る奴の相手をするほど俺は暇じゃない」


そう言い、足元の土器をおもむろに踏み砕くとパン、と何かが破裂する音がした。 


「あっ!」

「こんな子供騙しの術を使うヤツは特にな。
オイ、そこの。
もう中に入れるぞ。
つまみ出すなりすれば良い」


晴明は周りを取り囲んでいた検非違使の一人に話しかけ戻ろうとすると、にっこりと笑う帝が目に入った。
この笑顔を浮かべた時の次の句は大抵突拍子もない。 


「良いんじゃない?
たまにはこういう者の相手もしてあげなよ」

「…………」

「ね?」


晴明は難しい顔で少し考えていたが、男に向き直り、言った。


「……お前、名は?」

「芦屋道満。
播磨国から来た」 

「道満か。
まず湯浴みをしてこい。
臭くて、兼家みたいに鼻が曲がりそうだ」

「なっ……、この鼻は誰のせいだと思ってるんだ」

「主上も早く戻ってください。
こんな所まで出てくるなんて何を考えてるんですか」

「あまりに暇だったからさ。
勝負には私も立ち会わせてくれるよね?」


帝はハハッと笑いながら戻っていった。 


「兼家、お前といると必ず何かに巻き込まれる。
お前は俺にとって疫病神だな」


段々と赤く腫れ上がってきた鼻をねじる。


「ーッ!!!!」


痛みに歪む顔を見て、晴明は笑い声を上げた。
その様子を座ったまま固まって見ていた道満に気付き、手を差し出した。


「何してる?
早く水を被ってこいよ」 

「……汚れるぞ」

「俺も昔そんな格好だった。
そこまで異臭はしなかったがな。
後で清涼殿に来いよ?
言い出したのはお前だ」


道満を立たせ、中に促すとさっさと行ってしまった。
道満は中に入れるとは思っても見なかったのか、少し戸惑いながらそろりと大内裏に足を踏み入れた。 


「なぁ……、本当にアイツが安倍晴明なのか?」


傍にいた兼家に話しかけた。

見た限り、容姿こそ他に類は見ないが噂にのぼるほど高名な陰陽師とは思えない。
むしろ、気だるげに開かれた目や態度は簡単な印さえ組めるかどうかも怪しく思えた。


「……んん?
あれが晴明でなかったらなんなのだ?」


兼家は恐る恐る鼻を触りながら上の空で返事をした。
話している内にもどんどん鼻は腫れ上がり、まるで天狗の鼻のようになっていた。


「こら、貴様なんかが気安く話しかけて良いお方ではないぞ!!」

「……アンタ、偉いのか。
そんな鼻してるのに」

「……鼻は余計だな。
一応右大臣をやってる」


兼家が異様な顔でニッと笑う。 


「へぇ……、アンタ凄いヤツなんだな」

「ふふん、だろう?
もっと言ってくれても構わないぞ」

「……アンタ馬鹿だろう」

「貴様ッ!黙って聞いていれば!」

「痛い痛い!
良いじゃんか、絶対本人気にしてないぜ?」


その言葉通り、兼家は扇で顔を覆いながら鼻歌混じりで清涼殿へと向かっていた。 

道満もそのまま宿直とのいが使う部屋に通され、身だしなみを整えさせられ、清涼殿に連れていかれた。


「まともな格好をすればまぁまぁ見れる容貌してるじゃないか」


シワのないまっさらな直衣のうしがむず痒いのか、肩を揺すったり襟元を触ったりしている。
顔は不機嫌そのものだった。


「それで?
晴明と勝負をしたいんだったね。
君、陰陽師なんだろう?
そうするとやっぱり陰陽術で競うのか?」


帝が早口で捲し立てる。 


「勿論。
そのためにわざわざ京くんだりまで来たんだからな」


帝に向かって敬う気配すら見せない道満に、普段人に対しての態度が横柄な晴明もさすがに眉を潜めた。


「……お前、口の利き方を考えろよ?」

「アンタだってそうじゃないか」

「アハハッ、良い良い。
じゃあ早速やってもらおうかな」


帝は脇息にもたれ掛かり、扇を広げ、緩やかに扇いだ。 


「なんかそう言われるとやりづらいな……」

「じゃあ帰れ」

「何でだよ!
俺はアンタを従えるまで故郷に帰らないって決めたんだ!」

「……人の迷惑を考えろよ。
お前みたいなガキに負けるほど俺はもうろくしてない」

「ハッ、なめんなよ?
卜占ぼくせんなら絶対負けないからな」 

「また微妙な……」

「晴明、卜占とは?」

「あぁ、人の心を視たり、これから起こる事を予知したりするものです。
曖昧過ぎて勝負にはなりません。
これだから尻の青い奴は……」


吐き捨てるように言う晴明に道満は顔をしかめる。


「だったら隠された物を言い当てたらどうだ?
人の心の内を視られるのなら簡単だろう?
これならイカサマも出来ん」


さも名案だ、と言わんばかりに兼家が声を張り上げた。 


「……だそうだが、そんなので良いのか?」


道満はこくりと頷く。


「それなら結果は明らかだ。
俺が勝ったら弟子になって貰うからな」

「……どこからその自信が来るんだ」

「そうと決まれば早速持ってこさせよう。
確か丁度良い具合に伊予から長持が送られて来ていたはずだ」


兼家は嬉しそうに、近くにいた男に耳打ちした。
しばらくすると一尺(30cm)程の大きさの長持が運ばれてきた。 


「どれ、私が先に中を確認しようかな」


カタ、と蓋を開け、帝が中を覗いた。


「ふぅん……なかなかの品だね。
で、どうやって中身を見るんだい?」


「ただ、そこに置いておいてくだされば良いのです」


帝は言われた通り、昼御座(ひるのおまし)の中央に置き、覆うように綾をふわりと掛け、その上に頬杖をついた。


「これで何者も中身は入れ換えられないね」 


ハハハッと道満の笑い声が響き渡った。


「オイ晴明、アンタは俺の弟子決定だな」

「ふぅん……、ではお前は中に何が入っているかわかったんだな?」

「当たり前だ!
大柑子だいこうじ(みかん)が十六個入ってる!」


綾を指差して道満は粒の揃った歯を見せて笑うと帝が驚いたように目を丸くした。


「……それで良いんだな?」

「何だ?
当たってるから揺さぶりを掛けるつもりか?」

「うん?」


晴明が微笑を称えながら口許に指を当てる。


「同じ答えと言うのは芸がないな。
……鼠が十六匹、といった所か」


晴明はフ、とため息をもらした。


「ハ、所詮京の陰陽師はそんなものか!
噂が独り歩きしてるという事だな」


道満の笑いが止まらない。 
心配そうな帝を前に晴明はゆったりと身を構えている。


「さ、早く開けてください」

「本当に良いのか?」

「どうぞ?」

「じれったいな!
俺が開けてやる!」


道満はどすどすと床を踏み鳴らし、綾を剥ぎ取った。
長持の姿が露になり、中身を見た道満の顔が一変し歯を噛み締めた。


「……開けないのか?」


扇で口許を隠し、晴明が問う。


「汚ねぇぞ、晴明」

「何の事だ?
良いから開けろよ」

「クソッ……いつの間に……」


一際強く歯を噛み締め、ゆっくりと蓋を開けた。 

途端に中からは









次々と勢い良く飛び出してきた。
その数はおよそ十六匹。
最後の一匹が道満の足の親指をかじる。


「いってぇえ!!」


晴明の扇が更に深く顔を覆う。


「……これは……一体……?」


空になった長持を覗き込みながら帝が不思議そうに呟いた。 


「鼠が出てきたと言うのは、そういう事だったんでしょう」

「……卑怯者」

「何がだ?
俺は長持には手を触れてないぞ?
ですよね、主上?」

「……まぁ、そうだね。
じゃあこれは晴明の勝ちと言う事になるんだね?」

「ふざけんな!
こんなイカサマ通るもんか!」


道満は長持をひっくり返し、中に入っていたはずの大柑子を探す。 


「……何か見つかったか?」


フフ、と笑いをもらす晴明に道満は歪めていた顔を緩め、諦めたように口を開いた。


「……どうやった?
手を触れない術なんか俺は聞いた事もない。
普通じゃ有り得ない」

「じゃあ普通じゃないんだろう。
大柑子が鼠に食われただけかもしれないしな」


晴明は帝に一礼し、そのまま陰陽寮には戻らず、屋敷に帰っていった。


「アハハッ……道満だったね?
晴明に一杯食わされたみたいだね。
私が見た時は確かにあの中には大柑子が入っていたよ」

「じゃあ俺の勝ちか?」

「……でも出てきたのは鼠だったからねぇ。
また勝負すれば良いんじゃないかな?」

「主上……自分が楽しみたいだけでしょう?」


兼家が少し呆れたように呟いた。


「そんなの、当たり前だろう?」


帝はニッと笑い、兼家の鼻を一叩きしてどこかへと去っていった。
道満も何やらブツブツ言いながら清涼殿を後にし、兼家は一人悶絶していた。
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