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1.小説家もカフェにいる
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あの日を思い出しながら、俺は目の前の八神さんを観察するようにじっと眺める。
サラサラの黒い髪に柔らかい印象の垂れた目元。華奢な体格のせいか実際の年齢よりもだいぶ若く見え、笑った顔は少年のようだ。普段から黒いスーツを着ている事も手伝って、自身の肌の青白さが際立っているが、それが逆に良い感じの儚さを演出している。……ホント。黙っていれば相当なイケメンなのに、中身が幼稚園児以下なのが実にもったいない。これが宝の持ち腐れ……いや、俗に言う残念なイケメンというやつか。
はぁ、と深い溜息をつくと、チョコレートを口に含んだ八神さんが「どうしたの?」とでも言いたげに首を傾げて俺を見た。俺はもう一度口から溜息を吐き出した。
「いいですか? そのマグボトル今日中に返してくださいよ? 絶対今日中ですからね? ついでに夕飯も食べてって下さい。来ないと姉が怒りますからね!?」
そう強く念押しして、俺は八神さんの様子を報告しに実家である喫茶店へと向かった。と言っても、狭い階段をちょっと下りるだけなんだけど。
アンティーク調の茶色いドアを開くと、カランと乾いたベルの音が鳴った。入った瞬間、珈琲の芳ばしい香りが鼻孔をくすぐる。温かみのあるオレンジがかった照明に照らされているのは、木製で作られたカウンターにテーブル。店内には落ち着いたジャズがゆったりと流れていた。
喫茶カサブランカ。
言わずもがなうちの店である。休日のお昼過ぎでピークは過ぎたのだろう。店内には空席が目立っていた。……まぁ、いつもの光景といえばそうなのだが。
「おかえり賢斗」
白いワイシャツに黒いリボンタイ、腰に巻いたショートエプロンにスキニー。ふんわりと巻いた長い髪をひとつにまとめ、カウンターでコーヒー豆を挽いていた姉は、俺の姿を捉えるとパッと口を開いた。
「八神さんの様子はどうだった?」
俺はそのままカウンター席に座る。
「残念ながら予想通りぶっ倒れてた。最後にご飯食べたの三日前だって。ほら、姉ちゃんが作った肉じゃが」
「あー……やっぱり間に合わなかったかぁ。ここ最近忙しくて八神さんの様子見に行けてなかったからなぁ……」
「俺もテストでそれどころじゃなかったし。つーかご飯食べない理由が本の続きが読みたかったからとかありえないよな、マジで」
まるでペットや幼稚園児を相手にしているような会話だが、驚くべきことに相手は二十八歳の大人である。
「マグボトル今日中に返せって口実で夕食誘ってきたから。もう少ししたら来ると思うよ」
「八神さんが来るの? わぁ、じゃあたくさん夕食作らなくちゃね!」
姉は嬉しそうに笑ってコーヒーミルのハンドルをくるくると回しはじめた。……うっわ、分かりやす。
うきうきと八神さんのために晩御飯のメニューを考え出した姉に、思わず「……あんなダメ人間のどこがいいんだか」とため息混じりの不満がこぼれた。その瞬間、姉の顔がボンッと沸騰した。
「ななな、何言ってんのよ! わ、私は別に! 私はただ、近くに住んでる人が倒れたりしたら困るからっ! ほんと、それだけでっ!」
真っ赤になって言い訳を並べる姉は家族の贔屓目なしに可愛い部類に入るのだと思う。事実、姉は昔からモテていた。なのに、なんであんなダメ男なんか……。
「あーうん。わかったわかった」
俺は小さく溜息をついた。本人からはっきり聞いたことはないが、姉は八神さんのことが気になっているんだと思う。残念なことに、異性として。一応言っておくが俺にシスコンの気はない。ただ、姉の男の趣味と将来は非常に心配している。非常に。
「あああああああああああっ!!!!」
他愛ない会話をしていると、突然店の奥で叫び声が聞こえてきて俺たちは一斉に振り向いた。視線は、一番奥のテーブルで頭を抱えている一人の男性に注がれる。
赤いノートパソコンを開いたまま、ボサボサの頭を両手でがっちりと抱えてこの世の終わりとでも言った禍々しいオーラを放っている男性。うちの常連客の一人だ。
芳賀恭二郎。一年のほとんどをこの席で過ごしている、ちょっと変わった小説家である。
ボサボサの髪に無精髭を生やし、よれよれのTシャツにスウェット、履き古したサンダルに死んだ魚のような光のない目。街を歩いていたら大半の人は避けて通るだろう、ひどい有様のこの男。
無名かと思えば本の方はかなり売れていて、なんと映画やドラマにもなっているらしい。顔に似合わず恋愛小説や青春小説を書いているようなのだが、俺は読んだことがない。
「……なぜだ……なぜなんだ愛理……ああ……俺の愛理……なんで……」
うわ言のようにブツブツと呟くその姿はホラー映画さながらだ。締め切りが近いのだろうか。いつも以上に追い詰められている気がする。
「ああああダメだ!! 気になってまったく仕事に集中出来ないどうしよう!!」
頭を抱えたままガタリと音を立てて立ち上がり、芳賀さんはまた叫ぶ。ぐるんと首を回して俺のぽかんとした間抜け面を捕えると、獲物を見つけたとばかりにニタリと口角を上げた。
……あ、ヤベェ。
思った時には遅かった。
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あの日を思い出しながら、俺は目の前の八神さんを観察するようにじっと眺める。
サラサラの黒い髪に柔らかい印象の垂れた目元。華奢な体格のせいか実際の年齢よりもだいぶ若く見え、笑った顔は少年のようだ。普段から黒いスーツを着ている事も手伝って、自身の肌の青白さが際立っているが、それが逆に良い感じの儚さを演出している。……ホント。黙っていれば相当なイケメンなのに、中身が幼稚園児以下なのが実にもったいない。これが宝の持ち腐れ……いや、俗に言う残念なイケメンというやつか。
はぁ、と深い溜息をつくと、チョコレートを口に含んだ八神さんが「どうしたの?」とでも言いたげに首を傾げて俺を見た。俺はもう一度口から溜息を吐き出した。
「いいですか? そのマグボトル今日中に返してくださいよ? 絶対今日中ですからね? ついでに夕飯も食べてって下さい。来ないと姉が怒りますからね!?」
そう強く念押しして、俺は八神さんの様子を報告しに実家である喫茶店へと向かった。と言っても、狭い階段をちょっと下りるだけなんだけど。
アンティーク調の茶色いドアを開くと、カランと乾いたベルの音が鳴った。入った瞬間、珈琲の芳ばしい香りが鼻孔をくすぐる。温かみのあるオレンジがかった照明に照らされているのは、木製で作られたカウンターにテーブル。店内には落ち着いたジャズがゆったりと流れていた。
喫茶カサブランカ。
言わずもがなうちの店である。休日のお昼過ぎでピークは過ぎたのだろう。店内には空席が目立っていた。……まぁ、いつもの光景といえばそうなのだが。
「おかえり賢斗」
白いワイシャツに黒いリボンタイ、腰に巻いたショートエプロンにスキニー。ふんわりと巻いた長い髪をひとつにまとめ、カウンターでコーヒー豆を挽いていた姉は、俺の姿を捉えるとパッと口を開いた。
「八神さんの様子はどうだった?」
俺はそのままカウンター席に座る。
「残念ながら予想通りぶっ倒れてた。最後にご飯食べたの三日前だって。ほら、姉ちゃんが作った肉じゃが」
「あー……やっぱり間に合わなかったかぁ。ここ最近忙しくて八神さんの様子見に行けてなかったからなぁ……」
「俺もテストでそれどころじゃなかったし。つーかご飯食べない理由が本の続きが読みたかったからとかありえないよな、マジで」
まるでペットや幼稚園児を相手にしているような会話だが、驚くべきことに相手は二十八歳の大人である。
「マグボトル今日中に返せって口実で夕食誘ってきたから。もう少ししたら来ると思うよ」
「八神さんが来るの? わぁ、じゃあたくさん夕食作らなくちゃね!」
姉は嬉しそうに笑ってコーヒーミルのハンドルをくるくると回しはじめた。……うっわ、分かりやす。
うきうきと八神さんのために晩御飯のメニューを考え出した姉に、思わず「……あんなダメ人間のどこがいいんだか」とため息混じりの不満がこぼれた。その瞬間、姉の顔がボンッと沸騰した。
「ななな、何言ってんのよ! わ、私は別に! 私はただ、近くに住んでる人が倒れたりしたら困るからっ! ほんと、それだけでっ!」
真っ赤になって言い訳を並べる姉は家族の贔屓目なしに可愛い部類に入るのだと思う。事実、姉は昔からモテていた。なのに、なんであんなダメ男なんか……。
「あーうん。わかったわかった」
俺は小さく溜息をついた。本人からはっきり聞いたことはないが、姉は八神さんのことが気になっているんだと思う。残念なことに、異性として。一応言っておくが俺にシスコンの気はない。ただ、姉の男の趣味と将来は非常に心配している。非常に。
「あああああああああああっ!!!!」
他愛ない会話をしていると、突然店の奥で叫び声が聞こえてきて俺たちは一斉に振り向いた。視線は、一番奥のテーブルで頭を抱えている一人の男性に注がれる。
赤いノートパソコンを開いたまま、ボサボサの頭を両手でがっちりと抱えてこの世の終わりとでも言った禍々しいオーラを放っている男性。うちの常連客の一人だ。
芳賀恭二郎。一年のほとんどをこの席で過ごしている、ちょっと変わった小説家である。
ボサボサの髪に無精髭を生やし、よれよれのTシャツにスウェット、履き古したサンダルに死んだ魚のような光のない目。街を歩いていたら大半の人は避けて通るだろう、ひどい有様のこの男。
無名かと思えば本の方はかなり売れていて、なんと映画やドラマにもなっているらしい。顔に似合わず恋愛小説や青春小説を書いているようなのだが、俺は読んだことがない。
「……なぜだ……なぜなんだ愛理……ああ……俺の愛理……なんで……」
うわ言のようにブツブツと呟くその姿はホラー映画さながらだ。締め切りが近いのだろうか。いつも以上に追い詰められている気がする。
「ああああダメだ!! 気になってまったく仕事に集中出来ないどうしよう!!」
頭を抱えたままガタリと音を立てて立ち上がり、芳賀さんはまた叫ぶ。ぐるんと首を回して俺のぽかんとした間抜け面を捕えると、獲物を見つけたとばかりにニタリと口角を上げた。
……あ、ヤベェ。
思った時には遅かった。
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