未来への選択

するめ

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6.曇り空の下、交わる視線

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午後の空は、どこか重たげな曇天だった。
雲の切れ間から時折こぼれる光が、青葉学園のテニスコートを淡く照らしていた。
生ぬるい風が、流伽の頬をそっと撫でていく。

「じゃあ、前衛のときは私が声をかけるから、後ろは任せてね。」

「うん、了解。流れは読めている。あとはタイミングだけ。」

流伽と由香里は、コートの隅で入念に打ち合わせをしていた。
今日の練習試合は、二人にとって初めてのダブルス。
お互いの呼吸を合わせることが、何よりも大切だった。

だが、試合開始前だというのに、テニスコートの周囲にはすでに多くの男子生徒が集まっていた。
そのほとんどが、流伽のファンだろう。
彼女の一挙一動に、視線が集まっていた。

「やっぱ、すごい人気だな……」

健太郎が、コートの外からぽつりとつぶやいた。

「だって、“青葉の女神”だもの。」

美咲が、どこか他人事のように微笑んで答えた。
その言葉に、淳平は小さく息をのんだ。

(女神……)

確かに、今の流伽は、まるで別人のようだった。
スコートからすらりと伸びる脚、アップで軽く跳ねるたびに揺れる髪、額に浮かぶ細やかな汗。
その横顔は、いつもの教室で見せる柔らかな表情とは違い、凛とした緊張感に包まれていた。

(……綺麗だ)

思わず見とれてしまう。
その視線に気づいたのか、流伽がふとこちらを見た。
そして、ほんの少しだけ微笑み、軽くお辞儀をした。

(……ありがとう、ってことかな)

胸の奥が、じんわりと熱くなる。
あのとき、ちゃんと「応援に行く」と言えてよかった――
淳平は、そう思った。

「ジュン、しっかり応援するんだぞ。」

健太郎が、わざとらしく肘でつついてきた。

「う、うん……」

ぎこちなくうなずきながらも、視線は流伽から離せなかった。

その様子を見ていた美咲が、ふと口元を緩めて言った。

「あ、痴漢くん来てるよ。」

「……ははっ」

淳平は苦笑いを浮かべた。
あの“部室進入事件”の直後は、さすがにひと悶着あった。
けれど、幸いにも着替えは終わっていたこと、そして流伽と由香里の冷静な対応もあって、誤解はすぐに解けたのだった。

(……それでも、あれは本当に焦ったな)

頬をさすりながら、淳平はそっと息を吐いた。
けれど今は、そんな過去の失敗も、少しだけ笑い話にできる気がしていた。

曇り空の下、風がまたひとつ、流伽の髪を揺らした。
その姿を見つめながら、淳平は心の中でそっとつぶやいた。

(……頑張れ、白石さん)

******

午後の曇り空の下、青葉学園のテニスコートには、試合を待ちわびる熱気が立ち込めていた。
まずは男子テニス部の試合から始まった。

「きゃー!巧くん!」

「藤野 巧」が放った強烈なサーブがコートを切り裂くように決まり、観客席から黄色い歓声が上がる。
その華やかな空気の中、隣のコートでは、流伽と由香里のダブルスペアが静かに立っていた。

この試合は1セットマッチ。
先に6ゲームを取った方が勝ちとなる。

第1ゲーム、由香里のサーブから始まった。
相手のラケットをすり抜けるようなサービスエースで、15-0。

「ナイス!ゆかちゃん!」

流伽が声をかける。
続くサーブも、相手が返球するも、流伽がネット際で鋭くボレーを決めた。30-0。
その後も着実にポイントを重ね、40-15で第1ゲームを先取した。

「すごい……」

観客席の端で見守る淳平は、握った手のひらが汗でぐっしょりと濡れているのに気づいた。
サッカーとはまた違う、張り詰めた空気。
ラリーの一球一球に、息を呑む。
気づけば、テニスの世界に引き込まれていた。

第2ゲーム。
今度は相手のサーブ。
流伽が前衛で鋭く反応し、リターンをカット。
観客から歓声が上がる。

(……かっこいい)

その姿に、淳平は胸を打たれた。
けれど、試合はそこから一転する。
相手ペアが徐々にペースを掴み、2ゲーム、3ゲームと連取されてしまう。

「流れが変わったな……」

そんな中、男子の試合を勝利で終えた巧が、流伽のもとへと歩み寄った。
観客の視線が一斉に彼らに注がれる。

「流伽なら大丈夫。自信を持って。」

巧は、流伽の両手をそっと握り、真っ直ぐに言った。

「うん。」

流伽は短くうなずいた。
そのやりとりを見ていた淳平の胸に、言葉にできないざわめきが広がる。

(……やっぱり、あの二人って)

「やっぱり、あの二人付き合ってるのかな?」

「美男美女だもん……」

近くの女子たちの会話が、淳平の耳に刺さる。
けれど、そのとき――

「白石さんなら、大丈夫。」

隣にいた美咲が、そっと声をかけてくれた。
その一言に、淳平ははっと我に返る。

(……そうだ。今は、応援しなきゃ)

気持ちを切り替え、再びコートに視線を向けた。

試合は5-4。青葉学園がリードして、いよいよ第10ゲームへ。
このゲームを取れば、勝利が決まる。

だが、相手も粘る。
40-40。
デュース。
ここからは、2ポイント連取で勝敗が決まる。

「流伽のサーブだ……」

淳平は、手に汗を握りながら見つめていた。
1球目、相手のリターンを由香里が鋭くスマッシュ。

「ナイス、ゆかちゃん!」

「流伽、力が落ちてきてる。気をつけて……」

由香里が小声でささやく。
1セットマッチとはいえ、すでに1時間近く戦っている。
サッカーならとっくに試合終了の時間だ。

(がんばれ……)

淳平は、心の中で何度もつぶやいた。
けれど、気づけば声に出していた。

「白石さん!がんばれ!」

その声は、周囲の歓声にかき消された。
それでも、淳平は無我夢中で叫んだ。

「流伽ぁ!がんばれぇ!」

その瞬間、流伽の耳がぴくりと動いた。
そして、顔を上げる。
観客席の方をちらりと見て、目を見開いた。

(……今、名前で呼んでくれた)

その事実が、流伽の胸に火を灯した。
表情が一変する。
目に宿る光が、鋭く、強くなる。

最後のサーブ。
ボールを高くトスし、ラケットを振り抜く。
スコートがふわりと舞い、引き締まった太ももが一瞬だけ露わになる。
ボールは一直線にコートの角を突き刺し、見事なサービスエースとなった。

「ゲームセット!」

「やったぁ!」

後輩たちが歓声を上げ、流伽と由香里の元へ駆け寄る。
ふたりは笑顔でハイタッチを交わし、肩を抱き合った。

観客席では、淳平がようやく息を吐いた。

「……いま、“流伽”って言ったよな?」

健太郎が、にやりと笑って言った。

「うん、言った。」

「僕が?……うそ……」

「本当だよ。」

美咲がくすくすと笑いながらうなずく。
淳平はとぼけてみせたが、頬は真っ赤に染まっていた。

******

試合が終わってしばらくの間、テニスコートの周囲にはまだギャラリーが残っていた。
勝利の余韻に浸るように、後輩たちが流伽と由香里に声をかけ、写真を撮ったり、感想を伝えたりしていた。

やがて、夕暮れが校庭を包み始めると、ひとり、またひとりと人影が減っていった。

淳平は、校門の前で静かに立っていた。
流伽に「待ってて」と言われたのだ。
その言葉を、何度も心の中で繰り返していた。

「俺ら、先に帰るからな。」

健太郎が声をかけてきた。
美咲も隣で軽く手を振る。

「うん、気をつけて。」

ふたりは並んで歩き出し、校門の角を曲がる直前、ふと手をつないだ。
その瞬間を、淳平は見逃さなかった。

(……やっぱり、そういう関係だったんだ)

胸の奥に、少しだけざらついた感情が広がる。
けれど、それを責める気にはなれなかった。
むしろ、どこか納得している自分がいた。

そのとき――

「ごめん、待たせちゃった!」

制服に着替えた流伽が、少し息を切らしながら駆け寄ってきた。
試合中の鋭い眼差しとは打って変わって、今はいつもの柔らかな笑顔だった。

「大丈夫。さっきまで健太郎たちと話してたから。」

淳平は、できるだけ自然な笑顔で答えた。
流伽に気を遣わせたくなかった。

「そっか……よかった。」

ふたりは並んで歩き出した。
校門の外には、夕暮れの風が吹いていた。
街灯がぽつぽつと灯り始め、世界が少しずつ夜の色に染まっていく。

「ねえ、私……どうだった?」

流伽が、ふいに問いかけた。
その声には、少しだけ不安が混じっていた。

「すっごく格好良かったよ。」

淳平は、迷いなく答えた。

「試合中の白石さん、すごく真剣で、きらめいてて……
 あんな表情、初めて見た。テニスって、すごいスポーツなんだなって思った。」

流伽は、ふっと笑った。
その笑顔は、どこか照れくさそうで、けれど嬉しそうだった。

「ねえ、淳平君……さっき、私のこと、“流伽”って呼んだよね?」

「えっ……あ、あれは……とっさに……ごめん……」

淳平は思わず目をそらした。
顔がじんわりと熱くなる。

けれど、流伽は首を横に振って、頬を染めながら言った。

「ううん。嬉しかった。ずっと、そう呼んでほしかったから。」

その言葉に、淳平の胸が跳ねた。

「……あれで、勝てたんだ。」

流伽の目が、まっすぐに淳平を見つめていた。
その瞳には、嘘のない想いが宿っていた。

(……この気持ちに、ちゃんと向き合わなきゃ)

淳平の心は、静かに、けれど確かに動き出していた。
夕暮れの風が、ふたりの間をやさしく通り抜けていった。
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