金魚の記憶

ましら佳

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3.

80.白椿

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桃は祖父の遺した書籍や、デスクの資料をあれこれと引っ張り出していた。
私室の他に、祖父の遺品を納めた場所があり、そこは桃の仕事部屋でもあった。

大学で使う書籍や資料等もあって、増えるたびにレオンが本棚を作って増設してくれるので、もうデータ化も書籍類を減らす努力もやめた。
レオンのアトリエは散らかっているようで優雅だけど、ここは混沌としてなんと乱暴なのだろうと呆れる。

日本とスウェーデンの出版社から連絡があったのだが、祖父が亡くなっていた事を知ったと随分慌てていた。
桃としては、翻訳の話がそこまで具体的に進んでいたのが驚きで、正直に、故人の話であるし自分ではわからないと言うと、今度はスウェーデンの教育庁から封書が届いた。
どうやら、日本とスウェーデンの教育機関と学術系出版社で共同事業となったらしい。
かつてない両国の相互学術的協力関係でもあるので、ぜひ話を進めたいとの内容。
桃が大学に在籍している研究者だからこうなると断りづらい。
アンタも学術関係、教育関係で食ってるんでしょうと言われれば、その通り。

よって桃は、現在、祖父の仕事を中途半端に引き継いでしまった形になっていた。

自分でも驚くのだが、わからない事が多い。
祖父の頭の中というのは、自分には未知の次元の事でいっぱいだった。
日本語とスウェーデン語。
そして時たま現れる、英語とドイツ語の資料の引用まである。
文化の違う言語によってどう訳すかという、注釈付き。
いくつかの情報と選択肢を提供して、さあ、君ならどうする、と問われているようだった。
無視したい、と思ったが、いわゆる文献を漁るのが好きな桃は、この注釈や備考やちょっとした感想にこそ、書き手の一番言いたい事が含まれている事もよく知っていた。
まるで、桃が引き継ぐ事が分かっていて課題を用意したかのよう。
しかも、祖父が求めているのは、AかBかの選択肢問題の答えではない。
新たなる答えのCである。
それには、一つづつ検証と精査をしろと言う事。
そして、それが出来るのは、祖父なき今、きっと現時点で自分しかいない。
よって、知らないふりはできない事になった。

「・・・ああもう・・・。どれがどれだ・・・」

几帳面に障子紙でまとめられてメモが書かれた資料と、下書きや、手帳を照らし合わせる。
困り果てる桃を見ているのが面白いのか、レオンがその場に付き合って図鑑を見たり寺院の写真集を眺めたりしていた。

「ベニ、桜の時期もいいけど、紅葉の時期もきれいだね」
「そうね。銀杏いちょうもきれいよ。ちょっと臭いんだけど」
「ああ、銀杏《ギンコ》!葉っぱのお茶が健康にいいんだよね」
「・・・・ええ?聞いた事ないけど・・・。ギンナンの実は美味しいけど、葉っぱなんて・・・あんなの飲めるの?」

健康食品の類だろうか。
一体何に効くんだろう、と桃は不思議に思った。

「夏は?海もいいよね」
「海もいいんだけど・・・。すごく暑いのよねえ・・・。私、日本で学生の頃も働いていた頃も、夏はいつも熱中症で倒れてたしね・・・」
「ベニ、日本の会社で働いていたの?」
「・・・そうなのよ。私だってOLさんやってたんですからね。・・・2年くらいだけど」

レオンが桃にコーヒーの入ったマグカップを手渡した。
タヌキのデザインのカップはレオンも気に入って愛用している。
レオンは大事そうにクッキーの入った瓶を開けてつまんでいた。

「・・・無くなって来た・・・」

悲しそうに眺めているのに、桃が笑った。

「また焼いておかなきゃね。誰かがすぐ食べちゃうからすぐ無くなるわねえ」
「・・・1個じゃ足りないからね。3個は食べるとして、それが一日4回だとして・・・3日で無くなる計算だよね」

スウェーデンならではのコーヒーブレイクであるフィーカは、大抵、皆何か甘いものをつまむ習慣がある。
スパイスの効いたビスケットや、シナモンロールや果物のジャムの入った小さなパン、チョコレートマフィンあたりが人気。
冬になると、アルコールもだが、より砂糖の消費も増えるから、冬を越えるたびに体重が増加しているのが怖い。

レオンが後ろから桃を抱いた。
桃はあったかいと微笑んだ。
レオンは体温が高いからこたつのように温かい。
今年こそコタツを買うぞと思って何年も経ってしまっていた。

「日本行ってみたいなあ。アジアは行ったことないんだよね」
「ヨーロッパ人にはまずはタイとかやっぱりエキゾチックだと思うけど・・・」
「タイもいいよね。ボートに乗って観光できるとか最高だよね。・・・日本で本物のタヌキも見たいし。温泉に入ってる猿も見たいなあ」
「とすると冬よね。・・・タヌキ、夏はホッソホソなの」

桃は笑いながら祖父の資料をあれこれ眺めていると、引き出しの奥から、革張りのカバーの付けられた古い小さな野帳が出て来た。

「へえ、きれいだね。変わった模様」
「印伝っていう技法でね。革に漆でこういう小さいお花みたいな模様をつけるの。印伝ってお財布とか小物入れで見たことあるけど。おじいちゃんのイニシャル入りだから、オーダーかな。・・・防水効果があるから野外で使うの持ち物にも都合いいのかな」

スケッチや、メモや不思議な計算式だった。

「このスケッチ、上手だなあ。・・・黒っぽいけど、これ薄いところ青いよね。これ何で描いたんだろう?」
「多分、青墨ね。煤で作ったものに藍っていう植物から取ったものを入れた染料でね」

写真が何枚か挟まっていた。
几帳面にアルバムに貼っている習慣のある祖父だったから、こうやって挟んでいるなんて珍しい。
レオンが写真を覗き込んだ。

「・・・最近データばっかりだけど、こういう写真ってやっぱりなんていうか、いいよね。説得力あるっていうか。・・・これ日本のお寺?」
「そうね。これ法隆寺、こっちが平安神宮。金閣寺・・・修学旅行みたいね」

やっぱりこういう場所巡るよね、と思わず笑ってしまった。

「これはどこかなあ・・・白川郷かな?こっちはどっかの遺跡・・・?」

まだ日本に来て日が浅い頃の祖父の時代。
きっと見るもの全て珍しかった事だろう。

「これおじいさん?・・・いい男だねー。それに、すごいいい笑顔」
「楽しかったんでしょうね」

若かりし頃の祖父が写っていた。

昔の写真は日付が入っているのが便利。
退色してはいたがなんとか読めた。

「80年代って、多分日本ってまだ外国人て珍しかったよね。スウェーデンって何って感じだったんじゃないかな。おじいさん、大変なこともあったろうね」
「・・・そうね。まだ日本てなんとなく、欧米の外国人と言えばアメリカ人くらいの認識だったろうからね」
「じゃあ、スウェーデン人、アメリカ人のあのノリじゃないからとっつきにくいと思われたろうね」

スウェーデン人は、感情表現が日本人に近いのではないかと思う。
どこか引っ込み思案で、優しくて、ちょっとよそよそしい。

「・・・うわ、すごい大きな仏像!すごい!」
「これは鎌倉。私も同じ場所で修学旅行でクラス写真撮ったの。・・・おじいちゃん、すごい観光客お上りさんっぷり・・・」

羨ましそうにレオンが写真を眺めていた。

「これはどこ?お寺の庭園かな?きれいだね」

有名なお寺の庭園と言うと、京都あたりの龍安寺とか建仁寺とかだろうか。

「この花なんだろ?バラかな?白い花」

桃はお寺にバラは無いでしょ、と写真をじっと見た。

「・・・やっぱりバラとは違うっぽい・・・」

でも、観た覚えがある。

「これ、多分椿カメリアだと思う」

似たものが実家の庭にも咲いていた。

純白の椿は、バラのように華やかな花ではないけれど、不思議な存在感があって、春になると咲くのを楽しみにしていた。
可愛らしい野鳥が蜜を吸いに来たのをそっと眺めていて、真似して自分もよく蜜を吸っていて、おばあちゃんにまるで鳥だの蟻だのだと言われて笑われたものだ。


椿は庭木としても好まれるから、寺社や学校に植えてある事もよくあるけど。

だが、写真のここは・・・。

「・・・お寺じゃないと思う」

桃は、記憶の中の風景から合致したものをもう一度精査して呟いた。
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