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「見捨てて良いよ」と彼は言った
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(2022.04.12改稿)
「いいよ、貰っとく」
今まで家臣になろうとしなかった鬼人は、そう言って笑うと、爵位を受け取った。
だが、望み通り爵位を受け取ったというのに、王子の表情は暗い。鬼人はちょっと困ったように笑うと、騎士のように跪き、いつもと全く違う声音と口調で口上を上げた。
「王国の為、この命尽き果てるまで魔族を討ち払って御覧に入れます。この地の安寧は殿下の忠実な臣たるこの辺境伯にお任せあれ」
だが、王子の表情は暗く沈んだままだった。
王子は、鬼人がなぜわざわざ騎士を真似た口上をしたのかを知っていた。これは決意の表れなのだ。鬼人は言葉通り、王子の死後もこの地で戦い続けるだろう。それは100年か150年か、只人には想像もできない時間を戦い続け、この地で死ぬつもりなのだ。
王子は首を振る。そんな事は許せない。許していい訳が無い。
「人は変わり、そして忘れる。皆が君を忘れたのなら、君は約束に縛られることは無いよ」
鬼人は目を見開いた。今まで、ただ王国のために動いてきた男の言葉とは思えなかった。
「王国を見捨てても良いなんて、王家の一人としては失格かな。だけど君も大切な友人なんだ。君を頼り、君に全てを押し付ける自分の力の無さが悔しいよ。でも忘れないでくれ、君は王国の辺境伯じゃない。私の辺境伯だ。私は君を絶対に忘れない。だけど、私が死んで王国の民も君を忘れたなら、君は私との約束に縛られる必要は無い。王国を見捨てて良いよ」
長く平和だった王国は、ある時から魔族が跳梁跋扈するようになった。魔族は守護の兵も騎士も嘲笑うように命を刈り取り、食らい、家々を焼いた。そして、どうにか魔族を殺し、あるいは撃退しても、しばらくすると別の魔族がまたどこからともなく現れて、同じことを繰り返すのだ。村は焼け、民は疲弊し、商人が去り、王国はあっという間に荒廃した。
王国を守るべく、王子は自ら小隊を率いて魔族の痕跡を探し、遡り北へ北へと追跡を続けて行った。そうして、苦心の末にようやく王国を蹂躙した魔族出現の元凶を突き止めたのである。
北の山脈の奥、岩肌が切り開かれた広場の、列柱が並ぶ神殿のような意匠の真ん中に、黒い穴が開いていた。試しに木の棒を突き入れてみたが、差し込んだ部分は消滅してしまう。こちらから穴の向こうに行くことはできないらしい。
やむなく、周囲の岩を集め、穴の前に積み上げて塞いで見たが、翌朝気が付くと、塞いだ岩は見事な意匠の両開きの扉に変形していた。
彼らを出迎えた何者かは、洒落っ気が強いのか、はたまた彼らの実力を見下しているのか。いずれにしろ、穴を封じることは不可能だと判った。出現を防ぐことが出来ないのなら、出現した直後に倒す他無い。
「あたしがここに残るよ」
小隊の一人、鬼人の女がそう言った。
「湧いてくる魔族は、ここであたしが食い止める。あたしがあなたの国を守るよ、ずっとね」
この地は岩がちの急斜面、多くの兵を支えるための糧秣を得ることはできない。かといって、荒廃した王国に森と谷を越えて麓から補給を続ける余裕は無い。人数は少ない方が良い。穴から出て来る魔族を打ち倒すには、只人の軍なら最低でも中隊以上が必要だが、鬼人なら一人でもどうにかなる。
彼女の仲間たち。王子の小隊のメンバーは皆彼女と同様一騎当千だが、単純な力なら彼女が随一だった。それに、彼らには皆、王子の家臣でもある。皆城に戻って役目がある。荒廃した王国を立て直す、国を富ませる、兵を鍛え民を安んじる、魔法を発展させる。そして…王の妻となり支える。
鬼人は戦うことしかできない。だからこれは自分の役目だ。それに鬼人は只人より長命だ。自分一人で100年以上闘える。
王子はどうにか翻意させようとした。小隊の中で鬼人だけは彼の家臣ではなく、友人であり仲間だった。王国のために負う義務など何一つ無い。彼女はただ友人である自分のために戦ってくれると言っているのだ。国を治める王族の一人として、家臣でも無い友人一人に重荷を負わせることなどできない。だが、『他に手段は無いよ、ココで食いつないで行くのは只人には無理だろ?』そう言われれば折れるしかなかった。
王子は、敢えて鬼人に自分の臣下となるよう願った。そうして彼女を王国の辺境伯に任じた。更に、征北将軍に任じて自らの剣を節刀として授与した。魔族撲滅の総指揮官としての権限を与えられた王子は、自分が出せる最大の栄誉を鬼人に与えた。
だが、配下は居ない。兵を率いない将軍。一人ぼっちの辺境伯。ただの肩書を渡したに過ぎない。そしてこの地では肩書などに一片のパン以下の価値も無い。それは王子の自己満足に過ぎないと王子自身が知っていた。
だがそれでいい。それで充分だ。本当は、何も要らなかった。
惚れた男のためなのだ。
王子の小隊は、荒廃した王国を立て直すために、山を降り前を向いて進んで行く。振り返らないのは決意の証。
一人、何度も何度も振り返る女司祭を、鬼人は優しい目で見送った。
(腕っぷし以外は、何もかもあんたの方が上なんだよ。前を見て胸を張りな。王子様を頼むよ)
聞いている者は居ないが、声に出さずに呟く。
そして自分に言い聞かせるために、敢えて声に出す。
「さて、あたしはあたしの仕事をしようかね」
鬼人は戦い続けた。
鬼人に斬られ、消滅する魔族も居るが、途中で降参して穴に戻る魔族も居た。
負けた魔族は魔法の武具を残したり、魔力の籠った石を落としたりした。
魔族は一度に一人しか現れない。その魔族が、死ぬか戻るかしないと次の魔族は現れない。そして、一度現れると、次に現れるまでは間が空くと判った。
その間に鬼人は広場に小屋を建て、周囲の森から獲物を狩り、木の実を集め、食料とした。忘れた頃に、王都からの補給品を青息吐息の運搬人が運んで来るが、とても足りるものではなかった。森で取れるのは筋だらけの獣の肉や渋だらけの木の実だったが、鬼人は気にしない。とりあえず鍋に放り込んで煮れば何でも食べられる。命あるものを喰らえば自分の命となる。それが鬼人だった。
やがて鬼人を打ち負かす強力な魔族が現れた。
腰の後ろで手を組んだまま、足技だけで鬼人をあしらい、彼女を蹴り倒した。
血を流し地に伏し、鬼人は自分の役目が終わると悟ったが、魔族は驚くべきことを言った。
「修行が足りん、やり直すのである!」
死を覚悟した鬼人は呆気に取られた後、半ばヤケクソに言った
「ここでは生きていくだけで精一杯だ、修行する暇などないわよ」
言い返されるとは思っていなかったのであろうか。魔族の男は周りを見渡し、しばらく思案していた。
「……ふむ、道理である」
魔族はそう言うと、何事かの魔法を使った。たちまち、青白い顔をした男女が幾人も地面から生えてきた。
「塵と泥より作られ、命を吹き込まれた原初のヒトである」
神話で語られる人類の創生を目の当たりにして、鬼人は驚愕した。魔族の男は、それはそれは良いドヤ顔で鬼人を見下ろしている。
「あたしにどうしろって言うの?」
「戦士の本分を果たすのである。戦士とはすなわち殺すために生きるものである。ヒトが生活を支えるゆえ、自分の時間は殺しの技を磨くためのみに費やし、そして吾輩と戦うのである」
「あたしを殺さないのかい?」
「吾輩が求めるのは戦いであって命ではないのである。吾輩が死ぬか戻らぬ限り、次の奴に門の順番は回らぬのである。吾輩は人を喰ったりはせぬし、話の通じる吾輩と戦い続けるのは、お主にも得であると思うが?」
そう言われれば、鬼人に選択肢は無かった。
魔族の男は人間の姿になり、鬼人の執事のようなことをやり始めた。「あんたがここの主になりゃいいじゃないか」と言ってみたが「時々人間が来る以上、お主が主である方が問題が少ないのである。それに、吾輩が生み出したヒトは吾輩の命令しか聞かない。故に吾輩は彼らに命令する役職に就くのが道理である」と却下された。
無表情のヒトは、喋りも食べもせず、魔族の魔力を受けてただひたすら働くようだった。原初のヒトはそういうものだったと魔族は言った。魂が入って初めて、肉の身体を持ち物を食らう「人」になるのだという。
何にしろ、彼らが休み無く働くおかげで、いつの間にやら広場の小屋は石の立派な屋敷になった。山の斜面には石垣で区切られた段々畑が広がり、麦や豆や芋が蒔かれている。この国ではあまり見ない縦型風車が石臼を回し、麦を粉にする。鬼人は久しぶりに焼き立てのパンを食べることができた。
補給品の中には紙やペンがあったので、鬼人は出来事を手紙に纏めて王国に報告した。勝てなくても、この魔族を満足させていれば、どうにかここで暮らし魔族の出現を食い止め続けることができるのだ。魔族もヒトも物を食べない。一人では食べるに余る収穫や、魔族の落とした魔法の武具なども、王家に送ることにした。言伝を作って魔族に渡すと、ヒトが麓の貴族に運んでくれた。
そして、剣を振り工夫を重ね、魔族の男と勝負を繰り返した。男に手を使わせるようになったのは、もう何年経ったか忘れた頃だった。
一方、最初はわずかに届いた支援も、やがて先細るように途絶えた。
王子は、王家の私費からどうにか補給を送り続けた。国費をもって辺境伯を支援しようとしたが、議会が「予算も兵も送る余裕はありません」と言えば、従うしかない。そもそも、そんな余裕が無いからこそ、鬼人はあの地に一人残ったのだから。そして、ただ一人で王国を護る鬼人の存在が人々に知られる事も無かった。国内に魔族の湧き出る門があり、そこを守る辺境伯が鬼人だなど、公にすることは許されなかったのだ。王国復興の象徴として、魔族の撲滅は王子の功績とされた。それが王国のため民のために必要な事ならば、心を殺し王子は諾々と従う。王を継ぎ、善政を続け『賢王』と呼ばれても、それは変わらなかった。復興のため、王は王国の歯車の一つになる。他ならぬ王自身がそう定めたのだ。それが、なんの役にも立たない爵位だけを笑顔で受け取り、一人戦い続ける鬼人の心に応える唯一つの道だと、王は信じていたから。
長い年月持てる力を全て復興に注ぎこみ、ようやく蓄えを次代に残せるようになった時、王は自分の命がもう残り少ない事を知った。老いだけではない。王国復興のために、鬼人を役目から解放するために。全てを捧げて働き続けた日々が、王の心と身体を摩滅し尽くしていた。床に伏した王は枕元に呼び寄せた息子にすべてを話し、自分亡きあとは辺境伯の役目を解き、領には兵力を配置するよう後事を託して崩御した。王国中興の祖と称される賢王の在位は、辺境に封じた鬼人を思い自分の力の無さを後悔する日々でもあった。魔族の襲来が絶え豊かさを取り戻した王国と、鬼人から届いた『どうにか食うに困らなくなった。元気でやっている』という手紙が、王の心の最後の慰めだった。
後を継いだ王は、愚かというほどでは無かったが、平穏な王国に慣れきっていた。『鬼人とは言え、ただ一人の剣士に阻止できるなら、魔族を過度に怖れる必要はない』…それが直接魔族を目にした事の無い王の結論だった。いくら復興が進んだとはいえ、常備の兵を維持するには莫大な金が掛かる。今は余分な兵力は削減し、王国の発展に回すべきである。幸い鬼人の寿命はまだ残っていると推察されたから、その間は王国の富国強兵に努め、鬼人の力尽きた時は万全な兵力を整えて魔族に備える。王と議会はそう一致し、辺境伯領に兵を送る方針は先送りされた。
だが、王子の言った通り、人は変わり忘れる。鬼人の記憶だけでなく、あれほど王国を荒廃させた魔族の脅威でさえも……。平和な世で強兵政策は毎年先送りされ、辺境伯領への支援は山の麓の貴族にろくな説明もないまま委任された。結果、早々に支援は途絶えることになる。次の王は兄弟で王位を争う有様で、魔族や鬼人の話さえ伝わることはなかった。
「いいよ、貰っとく」
今まで家臣になろうとしなかった鬼人は、そう言って笑うと、爵位を受け取った。
だが、望み通り爵位を受け取ったというのに、王子の表情は暗い。鬼人はちょっと困ったように笑うと、騎士のように跪き、いつもと全く違う声音と口調で口上を上げた。
「王国の為、この命尽き果てるまで魔族を討ち払って御覧に入れます。この地の安寧は殿下の忠実な臣たるこの辺境伯にお任せあれ」
だが、王子の表情は暗く沈んだままだった。
王子は、鬼人がなぜわざわざ騎士を真似た口上をしたのかを知っていた。これは決意の表れなのだ。鬼人は言葉通り、王子の死後もこの地で戦い続けるだろう。それは100年か150年か、只人には想像もできない時間を戦い続け、この地で死ぬつもりなのだ。
王子は首を振る。そんな事は許せない。許していい訳が無い。
「人は変わり、そして忘れる。皆が君を忘れたのなら、君は約束に縛られることは無いよ」
鬼人は目を見開いた。今まで、ただ王国のために動いてきた男の言葉とは思えなかった。
「王国を見捨てても良いなんて、王家の一人としては失格かな。だけど君も大切な友人なんだ。君を頼り、君に全てを押し付ける自分の力の無さが悔しいよ。でも忘れないでくれ、君は王国の辺境伯じゃない。私の辺境伯だ。私は君を絶対に忘れない。だけど、私が死んで王国の民も君を忘れたなら、君は私との約束に縛られる必要は無い。王国を見捨てて良いよ」
長く平和だった王国は、ある時から魔族が跳梁跋扈するようになった。魔族は守護の兵も騎士も嘲笑うように命を刈り取り、食らい、家々を焼いた。そして、どうにか魔族を殺し、あるいは撃退しても、しばらくすると別の魔族がまたどこからともなく現れて、同じことを繰り返すのだ。村は焼け、民は疲弊し、商人が去り、王国はあっという間に荒廃した。
王国を守るべく、王子は自ら小隊を率いて魔族の痕跡を探し、遡り北へ北へと追跡を続けて行った。そうして、苦心の末にようやく王国を蹂躙した魔族出現の元凶を突き止めたのである。
北の山脈の奥、岩肌が切り開かれた広場の、列柱が並ぶ神殿のような意匠の真ん中に、黒い穴が開いていた。試しに木の棒を突き入れてみたが、差し込んだ部分は消滅してしまう。こちらから穴の向こうに行くことはできないらしい。
やむなく、周囲の岩を集め、穴の前に積み上げて塞いで見たが、翌朝気が付くと、塞いだ岩は見事な意匠の両開きの扉に変形していた。
彼らを出迎えた何者かは、洒落っ気が強いのか、はたまた彼らの実力を見下しているのか。いずれにしろ、穴を封じることは不可能だと判った。出現を防ぐことが出来ないのなら、出現した直後に倒す他無い。
「あたしがここに残るよ」
小隊の一人、鬼人の女がそう言った。
「湧いてくる魔族は、ここであたしが食い止める。あたしがあなたの国を守るよ、ずっとね」
この地は岩がちの急斜面、多くの兵を支えるための糧秣を得ることはできない。かといって、荒廃した王国に森と谷を越えて麓から補給を続ける余裕は無い。人数は少ない方が良い。穴から出て来る魔族を打ち倒すには、只人の軍なら最低でも中隊以上が必要だが、鬼人なら一人でもどうにかなる。
彼女の仲間たち。王子の小隊のメンバーは皆彼女と同様一騎当千だが、単純な力なら彼女が随一だった。それに、彼らには皆、王子の家臣でもある。皆城に戻って役目がある。荒廃した王国を立て直す、国を富ませる、兵を鍛え民を安んじる、魔法を発展させる。そして…王の妻となり支える。
鬼人は戦うことしかできない。だからこれは自分の役目だ。それに鬼人は只人より長命だ。自分一人で100年以上闘える。
王子はどうにか翻意させようとした。小隊の中で鬼人だけは彼の家臣ではなく、友人であり仲間だった。王国のために負う義務など何一つ無い。彼女はただ友人である自分のために戦ってくれると言っているのだ。国を治める王族の一人として、家臣でも無い友人一人に重荷を負わせることなどできない。だが、『他に手段は無いよ、ココで食いつないで行くのは只人には無理だろ?』そう言われれば折れるしかなかった。
王子は、敢えて鬼人に自分の臣下となるよう願った。そうして彼女を王国の辺境伯に任じた。更に、征北将軍に任じて自らの剣を節刀として授与した。魔族撲滅の総指揮官としての権限を与えられた王子は、自分が出せる最大の栄誉を鬼人に与えた。
だが、配下は居ない。兵を率いない将軍。一人ぼっちの辺境伯。ただの肩書を渡したに過ぎない。そしてこの地では肩書などに一片のパン以下の価値も無い。それは王子の自己満足に過ぎないと王子自身が知っていた。
だがそれでいい。それで充分だ。本当は、何も要らなかった。
惚れた男のためなのだ。
王子の小隊は、荒廃した王国を立て直すために、山を降り前を向いて進んで行く。振り返らないのは決意の証。
一人、何度も何度も振り返る女司祭を、鬼人は優しい目で見送った。
(腕っぷし以外は、何もかもあんたの方が上なんだよ。前を見て胸を張りな。王子様を頼むよ)
聞いている者は居ないが、声に出さずに呟く。
そして自分に言い聞かせるために、敢えて声に出す。
「さて、あたしはあたしの仕事をしようかね」
鬼人は戦い続けた。
鬼人に斬られ、消滅する魔族も居るが、途中で降参して穴に戻る魔族も居た。
負けた魔族は魔法の武具を残したり、魔力の籠った石を落としたりした。
魔族は一度に一人しか現れない。その魔族が、死ぬか戻るかしないと次の魔族は現れない。そして、一度現れると、次に現れるまでは間が空くと判った。
その間に鬼人は広場に小屋を建て、周囲の森から獲物を狩り、木の実を集め、食料とした。忘れた頃に、王都からの補給品を青息吐息の運搬人が運んで来るが、とても足りるものではなかった。森で取れるのは筋だらけの獣の肉や渋だらけの木の実だったが、鬼人は気にしない。とりあえず鍋に放り込んで煮れば何でも食べられる。命あるものを喰らえば自分の命となる。それが鬼人だった。
やがて鬼人を打ち負かす強力な魔族が現れた。
腰の後ろで手を組んだまま、足技だけで鬼人をあしらい、彼女を蹴り倒した。
血を流し地に伏し、鬼人は自分の役目が終わると悟ったが、魔族は驚くべきことを言った。
「修行が足りん、やり直すのである!」
死を覚悟した鬼人は呆気に取られた後、半ばヤケクソに言った
「ここでは生きていくだけで精一杯だ、修行する暇などないわよ」
言い返されるとは思っていなかったのであろうか。魔族の男は周りを見渡し、しばらく思案していた。
「……ふむ、道理である」
魔族はそう言うと、何事かの魔法を使った。たちまち、青白い顔をした男女が幾人も地面から生えてきた。
「塵と泥より作られ、命を吹き込まれた原初のヒトである」
神話で語られる人類の創生を目の当たりにして、鬼人は驚愕した。魔族の男は、それはそれは良いドヤ顔で鬼人を見下ろしている。
「あたしにどうしろって言うの?」
「戦士の本分を果たすのである。戦士とはすなわち殺すために生きるものである。ヒトが生活を支えるゆえ、自分の時間は殺しの技を磨くためのみに費やし、そして吾輩と戦うのである」
「あたしを殺さないのかい?」
「吾輩が求めるのは戦いであって命ではないのである。吾輩が死ぬか戻らぬ限り、次の奴に門の順番は回らぬのである。吾輩は人を喰ったりはせぬし、話の通じる吾輩と戦い続けるのは、お主にも得であると思うが?」
そう言われれば、鬼人に選択肢は無かった。
魔族の男は人間の姿になり、鬼人の執事のようなことをやり始めた。「あんたがここの主になりゃいいじゃないか」と言ってみたが「時々人間が来る以上、お主が主である方が問題が少ないのである。それに、吾輩が生み出したヒトは吾輩の命令しか聞かない。故に吾輩は彼らに命令する役職に就くのが道理である」と却下された。
無表情のヒトは、喋りも食べもせず、魔族の魔力を受けてただひたすら働くようだった。原初のヒトはそういうものだったと魔族は言った。魂が入って初めて、肉の身体を持ち物を食らう「人」になるのだという。
何にしろ、彼らが休み無く働くおかげで、いつの間にやら広場の小屋は石の立派な屋敷になった。山の斜面には石垣で区切られた段々畑が広がり、麦や豆や芋が蒔かれている。この国ではあまり見ない縦型風車が石臼を回し、麦を粉にする。鬼人は久しぶりに焼き立てのパンを食べることができた。
補給品の中には紙やペンがあったので、鬼人は出来事を手紙に纏めて王国に報告した。勝てなくても、この魔族を満足させていれば、どうにかここで暮らし魔族の出現を食い止め続けることができるのだ。魔族もヒトも物を食べない。一人では食べるに余る収穫や、魔族の落とした魔法の武具なども、王家に送ることにした。言伝を作って魔族に渡すと、ヒトが麓の貴族に運んでくれた。
そして、剣を振り工夫を重ね、魔族の男と勝負を繰り返した。男に手を使わせるようになったのは、もう何年経ったか忘れた頃だった。
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王子は、王家の私費からどうにか補給を送り続けた。国費をもって辺境伯を支援しようとしたが、議会が「予算も兵も送る余裕はありません」と言えば、従うしかない。そもそも、そんな余裕が無いからこそ、鬼人はあの地に一人残ったのだから。そして、ただ一人で王国を護る鬼人の存在が人々に知られる事も無かった。国内に魔族の湧き出る門があり、そこを守る辺境伯が鬼人だなど、公にすることは許されなかったのだ。王国復興の象徴として、魔族の撲滅は王子の功績とされた。それが王国のため民のために必要な事ならば、心を殺し王子は諾々と従う。王を継ぎ、善政を続け『賢王』と呼ばれても、それは変わらなかった。復興のため、王は王国の歯車の一つになる。他ならぬ王自身がそう定めたのだ。それが、なんの役にも立たない爵位だけを笑顔で受け取り、一人戦い続ける鬼人の心に応える唯一つの道だと、王は信じていたから。
長い年月持てる力を全て復興に注ぎこみ、ようやく蓄えを次代に残せるようになった時、王は自分の命がもう残り少ない事を知った。老いだけではない。王国復興のために、鬼人を役目から解放するために。全てを捧げて働き続けた日々が、王の心と身体を摩滅し尽くしていた。床に伏した王は枕元に呼び寄せた息子にすべてを話し、自分亡きあとは辺境伯の役目を解き、領には兵力を配置するよう後事を託して崩御した。王国中興の祖と称される賢王の在位は、辺境に封じた鬼人を思い自分の力の無さを後悔する日々でもあった。魔族の襲来が絶え豊かさを取り戻した王国と、鬼人から届いた『どうにか食うに困らなくなった。元気でやっている』という手紙が、王の心の最後の慰めだった。
後を継いだ王は、愚かというほどでは無かったが、平穏な王国に慣れきっていた。『鬼人とは言え、ただ一人の剣士に阻止できるなら、魔族を過度に怖れる必要はない』…それが直接魔族を目にした事の無い王の結論だった。いくら復興が進んだとはいえ、常備の兵を維持するには莫大な金が掛かる。今は余分な兵力は削減し、王国の発展に回すべきである。幸い鬼人の寿命はまだ残っていると推察されたから、その間は王国の富国強兵に努め、鬼人の力尽きた時は万全な兵力を整えて魔族に備える。王と議会はそう一致し、辺境伯領に兵を送る方針は先送りされた。
だが、王子の言った通り、人は変わり忘れる。鬼人の記憶だけでなく、あれほど王国を荒廃させた魔族の脅威でさえも……。平和な世で強兵政策は毎年先送りされ、辺境伯領への支援は山の麓の貴族にろくな説明もないまま委任された。結果、早々に支援は途絶えることになる。次の王は兄弟で王位を争う有様で、魔族や鬼人の話さえ伝わることはなかった。
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