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オマケ 1
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「奥様、どうだい、中々のものが揃ってるよ」
そう声を掛けた屋台の親父は、振り向いたその二人連れを見てしばし固まってしまった。
初老の女性は、隣を並んで歩く青年と軽く腕を組んでいた。全身暗い色合いの地味な衣服に、頭巾を付けて髪を隠している。一方の青年は、整った顔立ちをし、茶と緑を主とした上等な服を身に付け、小剣を下げている。
この二人の関係は何だろう。この女性をどう呼ぶべきだろうか……
ご夫婦→年齢差夫婦でも、普通は男の方が年上
女主人と護衛→普通腕は組まない
姉弟→さすがに年代差がありすぎる
未亡人と若い燕→身分によっては無礼討ちされるわ!
親父は、一番無難な選択肢を選んだ。
「…ご、ご婦人、どうかな。そちらの…む、息子さんも……」
装飾品を売る屋台の親父にそう言われ、女性は引きつった笑顔で首を振った。青年は、平静を装っているが、頬の端がふるふると痙攣している。必死に笑いをこらえているに違いない。
確かに、二人とも只人だったらそう見られても仕方なかったかもしれない。だが、二人は只人では無い。女性は鬼人族であり、青年は森人族である。そして実際は森人の青年の方が遥かに年上なのだ。
長命で知られる森人の男は、齢数百を数えながら、しかしまだ青年といっていい見た目だった。実際の所、森人が幾つまで生きるのか明確な記録は残っていない。森人もはぐらかして教えてくれない。だが、500年を下回る事は無い…と言われている。一説には1000年以上だとも。
一方の鬼人の女は、百数十歳に過ぎない。森人より遥かに年下である。だが、概ね200年と少々とされる寿命の鬼人にとって、百数十歳は只人で言えば初老の年齢である。
屋台の親父も、さすがに「若い燕」と言う訳にもいかず、当たり障りのない「息子さん」と言ったのだろう。だが、どちらかと言えば、「ご夫婦」が正解には近かった。実際の所、二人は男女の関係なのだから。
「いや、全然似て無いでしょ、僕たち」
市から少し離れた所で、森人が口を開いた。笑いを堪えているのが端々で判る。
「祖母と孫と言われなかっただけ、感謝しなきゃならないね」
鬼人が仏頂面で答える。なんでこんな目に遭わなにゃならんのだ…と思っている。
「あなたが辺境伯の恰好をしておけば、貴婦人と護衛に見えると思ったんですけどねぇ」
「貴族の婦人が、護衛一人だけ連れて街中を歩くもんかい。だいたい、護衛と腕組んで歩くとか無いわ!」
鬼人の防具は年式相応に傷んでいたため、補修に出さざるを得なかった。その間だけということで、森人に薦められ、鬼人は着慣れぬドレス姿で街に出たのだ。森人は偽装のためだと言うが、鬼人に絡む森人の行動は、どう見ても護衛のそれではない。鬼人が気づくアラにこの男が気づかない訳が無いから、絶対わざとやったに違い無い。
「だから、馬車を仕立てましょうって言ったじゃないですか。金はそこそこありますし」
「金はあって困るもんじゃないんだから、無駄遣いは禁止!。歩くのも修練の一つだよ。サボって足腰が萎えて、あんたに介護されて余生を過ごすなんて、まっぴらごめんだよ」
森人は肩をすくめる。彼女が孤独に費やした時間を埋め合わせるため、事あるごとに甘やかそうとして見たが、鬼人はどうあっても譲る気は無いらしい。そして森人はそれでも構わないのだ。自分も彼女も思うままに生きる。そのために二人は一緒に居るのだから。
宿に戻った二人は、中庭に設えられた酒場で食事を取っていた。
給仕の女にエールを注文した鬼人が、ピクリと眉を動かした。剣士風の男が、不自然に視線をそらしたのに気付いたのだ。森人も視線を追うと、カウンター席に背中を向けて座ってエールを呑む男が居た。
当の剣士は、冷や汗をかきながらどうやったらこの場を切り抜けられるか、必死で考えていた。ここに居るはずの無い、黒いドレスの女……忘れもしない、辺境伯…鬼人の姿がそこにあったのだ。
今の一瞬で気づかれただろうか…。そう考えていたら、後ろから声を掛けられ、剣士はギクリとする。
「あれ?なんか懐かしい顔があるね」
「そ、そうかな、気のせいじゃないか?」
剣士はぎこちなく顔を逸らした
かつて、王家の「使者」として鬼人と剣を交え、勝ち目が無いという実力差を思い知らされ、その上「今度会ったら皆殺し」と脅しまで受けていたのだ。鬼人が北の王国に向かったのを見ていたから、自分は西の王国に逃げたのだが、まさかそこで再会するとは思ってもいなかった。
「まぁいいや、こっち来なよ」
そう言って、渋る剣士を自分達の席に強引に座らせると、剣士のためにつまみを追加で注文する。
やたらと自分を怖れる風の剣士の態度を訝しんだ鬼人は、しばらく記憶を辿った末にようやく脅しをかけていた事を思い出した。あれは面倒な追撃を避けるためだったし、今更のこの男を斬ってもなんの意味も無い。
「あーーー……以前、似たような男を見た覚えがあったけど、確かにそいつは貴族だったし、こんな所に居るはずないか~」
「随分棒読みですね」
わざとらしく『人違いだった』アピールをする鬼人に、横から森人がツッコミを入れるが今更だ。
「で、何やってんの。こんな所で?」
「初対面って設定、どこ行ったんだよ」
「そうだよ、あんたとあたしは初対面。訳ありそうな剣士が居たから気になって声をかけただけだ」
強引にも程がある理屈に剣士は呆れたが、とりあえず殺す気が無い事だけは判った。剣士はようやく肩の力を抜いた。
「なんだか、随分雰囲気違うな?」
「おや、あんたも私を誰かと勘違いかい?」
「それはもういいって」
「……あぁ、アレですか」
森人は鬼人と再会したときの口調を思い出した。
「この人は、こっちが地ですよ。あっちの口調も中々良かったんですが、一度笑ってしまってせいで、もうしてくれなくなりました。一生の不覚…」
「余計な事は言わんでいい!」
剣士は少なからず驚いていた。最初に見た物静かな貴婦人、その後に見た冷徹な女剣士、どちらとも違う。今の彼女は、人生を楽しむ女丈夫に見える。隣の男が鬼人を変えたのだろうか。この男は鬼人のなんなのだろう。そんな視線に鬼人は気が付いた。
「あぁ、こいつ?王城の相談役やってた森人。聞いた事無い?」
「げ!賢人かよ」
賢王の時代から仕える、賢人と称される森人が居るとは聞いていたが、実際に目にした事は無かった。鬼人も賢王の時代に仕えていたというから、旧知の仲なのだろう。
「で、王国貴族がこんな所で何やってんの?」
衝撃的な事が多すぎて剣士は正直混乱していたが、鬼人は徹底的にマイペースだった。どうやら答えないと開放されないらしい。剣士は溜息をつく。
「仕事探しだよ」
「どうしてまた」
「どうしたもこうしたも、山奥で死ぬまで剣術勝負させられそうだったから、何もかも放り出して王国から逃げたんだよ。だから俺はもう貴族じゃねぇよ、見りゃ判るだろ」
「おやまぁ……気の毒に」
「誰のせいだと思ってるんだよ…」
「知らないよ、あたしらは初対面だろ?」
「こいつは…」
見た目通りと言うべきか、鬼人は軽口にも年季が入っている。言い返そうとして、剣士は口ごたえは諦める事にした。反論が無かったのに拍子抜けしたのか、鬼人はほんの僅かだけ真顔になった。
「実際、あんたは只人にしちゃなかなかの腕だったし、剣の腕でのし上がるつもりでいたんだろ?、なら、いずれ声がかかったろうさ」
「……まぁな」
それは剣士も認めざるを得なかった。今の王国には腕の立つ剣士は少ない。爵位が低い事もあって、鬼人の一言が無くても貧乏くじを引かされる可能性は高かった。剣士は、辺境伯領の実態を知ったからこそ逃げる事ができたとも言えるのだ。
だがそうなると、鬼人の懸念が現実味を帯びて来る。
「あんたが逃げたって事は、あの魔族の執事は門の向こうに帰っちまったのかね…」
「いや、城じゃそこの賢人が残した資料見て、例の執事を引き留めるのが最重要と、慌てて部隊を編成して送り込んだそうだ。中隊を3回ぐらい全滅させられて、その後はとうとう近衛を送り込んだら、途中で逃げちまったらしい。おかげで、王家の側近貴族が随分入れ替わったとか」
「まぁ、家柄自慢するしか能が無いあの連中じゃその程度でしょうね。ところで、どこ情報です?それ」
「名前は言えねぇが、剣で付き合いのあった貴族からだよ。いきなり城に呼び出されて辺境伯領を任されそうになったそうだ。俺が王都を出る時に、『陞爵の話があっても絶対受けるんじゃねぇぞ』と手紙送っておいたから、必死になって断ったそうだ。随分恩義に感じてくれて、その後もちょくちょく情報交換している」
「その情報、剣術遣いの間に回覧されてそうですね」
森人はクスクス笑った。
賢王から僅か2代で、王家の威光もずいぶん落ちてしまったようだった。
「実際、剣士だけじゃどうにもならんと、魔法使いも含めた精鋭の小隊を送り込もうとしたのに、賢人のあんたも出奔しちまったんで、恥を忍んで他国に援助を求めようなんて話まで出てるそうだ」
「そんな事したら、国が傾きかねないデカイ借り作っちまうだろに。あれの厄介な所は、あの執事を倒したって終わりじゃ無くて、その後も沸き続ける魔族が尽きるまで、延々戦い続けなきゃいけないって事なんだから」
「他人事みたいに言うなぁ」
「他人事だもん」
「そろそろ実情が洩れ始めてて、批判も出初めているらしいぞ。一抜けしたあんたらも身バレしたらヤバいだろ」
「今更どうという事も無いわよ。爵位剥奪の勅命書も、領地引き渡し書類の控えだってちゃんと持ってるしね」
「そんな理屈が通じる相手かねぇ」
「まぁ確かに…逆恨みしそうだけどね。でも、あたしだってあと何十年かで戦えなくなる歳なんだから、少し早めに引退しただけだよ。その先の事まで責任負えないって」
「確かに、魔族の寿命についていけるのは森人くらいしか居ないだろうが、終わりの無い戦いを望む森人の剣士なんて居るのかね?」
水を向けられた森人だが、それには答えずしばらく何事かを考えているようだった。
「思うにですが…あの地に、あの魔族に対抗できる辺境伯なり兵力なりを常駐させようというのが、そもそもの間違いだと思いますよ」
「え?」
「麓から定期的に通えばいいんですよ」
「いやだって、魔族を放っておく訳にはいかないだろ」
「普通の魔族ならそうですが、その魔族の執事なら別です。彼は試合以外であなたを害そうとしたことがありましたか?」
「……いや。少しでも馴れ馴れしくしようとすると本気の蹴りが飛んできたけど、それ以外は何も。怪我が酷いときは手当すらしてくれたよ」
森人は黙って頷く。どうやら考えていた通りだった。
「彼はあなたのために屋敷を建て、作物の栽培をし、麓で必需品の買い出しまでしていました。楽しい勝負のためなら、どんな手間でも厭わないんですよ。互角の相手だったあなたが居なくなったのにまだ居残っているのは、おそらく長命種故の気の長さからでしょう。だからもういっそ、彼を辺境伯にしてしまえば良いと思いますよ。むやみに人を襲わず話が通じる彼が居るかぎり、それ以外の凶悪な魔族は出現しないのですから、実質彼があの地を護っているのと同じです。後は、彼が納得する報酬を王が提供し続ければ良いのです。話を聞く限りは、定期的に腕の立つ剣士か精鋭の小隊を送り込んで試合をするって事になるでしょうが、出来る限り間隔を空けてもらう事ができれば、あそこに兵を常駐させ続けるよりは負担はだいぶマシでしょうし、一度の試合ならやってみようという剣士も居るでしょう」
剣士と鬼人は、ぽかんとしたまま顔を見合わせ、どちらからとも無く言った。
「その発想は無かったわ……」
よほどツボにハマったのか、剣士は王都の貴族に手紙を送る際に、この話を冗談交じりに書いて送った。その話が王城まで伝わり、魔族の執事は王国初の魔族の辺境伯になってしまった……というのは、もうしばらく先の話になる。
鬼人の初代辺境伯に続く、魔族の二代目辺境伯という異例というか無茶苦茶な人事は、魔族対策のための戦時予算に発狂しかけた宰相と財務相が、王を半ば脅迫して実現したそうである。
そう声を掛けた屋台の親父は、振り向いたその二人連れを見てしばし固まってしまった。
初老の女性は、隣を並んで歩く青年と軽く腕を組んでいた。全身暗い色合いの地味な衣服に、頭巾を付けて髪を隠している。一方の青年は、整った顔立ちをし、茶と緑を主とした上等な服を身に付け、小剣を下げている。
この二人の関係は何だろう。この女性をどう呼ぶべきだろうか……
ご夫婦→年齢差夫婦でも、普通は男の方が年上
女主人と護衛→普通腕は組まない
姉弟→さすがに年代差がありすぎる
未亡人と若い燕→身分によっては無礼討ちされるわ!
親父は、一番無難な選択肢を選んだ。
「…ご、ご婦人、どうかな。そちらの…む、息子さんも……」
装飾品を売る屋台の親父にそう言われ、女性は引きつった笑顔で首を振った。青年は、平静を装っているが、頬の端がふるふると痙攣している。必死に笑いをこらえているに違いない。
確かに、二人とも只人だったらそう見られても仕方なかったかもしれない。だが、二人は只人では無い。女性は鬼人族であり、青年は森人族である。そして実際は森人の青年の方が遥かに年上なのだ。
長命で知られる森人の男は、齢数百を数えながら、しかしまだ青年といっていい見た目だった。実際の所、森人が幾つまで生きるのか明確な記録は残っていない。森人もはぐらかして教えてくれない。だが、500年を下回る事は無い…と言われている。一説には1000年以上だとも。
一方の鬼人の女は、百数十歳に過ぎない。森人より遥かに年下である。だが、概ね200年と少々とされる寿命の鬼人にとって、百数十歳は只人で言えば初老の年齢である。
屋台の親父も、さすがに「若い燕」と言う訳にもいかず、当たり障りのない「息子さん」と言ったのだろう。だが、どちらかと言えば、「ご夫婦」が正解には近かった。実際の所、二人は男女の関係なのだから。
「いや、全然似て無いでしょ、僕たち」
市から少し離れた所で、森人が口を開いた。笑いを堪えているのが端々で判る。
「祖母と孫と言われなかっただけ、感謝しなきゃならないね」
鬼人が仏頂面で答える。なんでこんな目に遭わなにゃならんのだ…と思っている。
「あなたが辺境伯の恰好をしておけば、貴婦人と護衛に見えると思ったんですけどねぇ」
「貴族の婦人が、護衛一人だけ連れて街中を歩くもんかい。だいたい、護衛と腕組んで歩くとか無いわ!」
鬼人の防具は年式相応に傷んでいたため、補修に出さざるを得なかった。その間だけということで、森人に薦められ、鬼人は着慣れぬドレス姿で街に出たのだ。森人は偽装のためだと言うが、鬼人に絡む森人の行動は、どう見ても護衛のそれではない。鬼人が気づくアラにこの男が気づかない訳が無いから、絶対わざとやったに違い無い。
「だから、馬車を仕立てましょうって言ったじゃないですか。金はそこそこありますし」
「金はあって困るもんじゃないんだから、無駄遣いは禁止!。歩くのも修練の一つだよ。サボって足腰が萎えて、あんたに介護されて余生を過ごすなんて、まっぴらごめんだよ」
森人は肩をすくめる。彼女が孤独に費やした時間を埋め合わせるため、事あるごとに甘やかそうとして見たが、鬼人はどうあっても譲る気は無いらしい。そして森人はそれでも構わないのだ。自分も彼女も思うままに生きる。そのために二人は一緒に居るのだから。
宿に戻った二人は、中庭に設えられた酒場で食事を取っていた。
給仕の女にエールを注文した鬼人が、ピクリと眉を動かした。剣士風の男が、不自然に視線をそらしたのに気付いたのだ。森人も視線を追うと、カウンター席に背中を向けて座ってエールを呑む男が居た。
当の剣士は、冷や汗をかきながらどうやったらこの場を切り抜けられるか、必死で考えていた。ここに居るはずの無い、黒いドレスの女……忘れもしない、辺境伯…鬼人の姿がそこにあったのだ。
今の一瞬で気づかれただろうか…。そう考えていたら、後ろから声を掛けられ、剣士はギクリとする。
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「まぁいいや、こっち来なよ」
そう言って、渋る剣士を自分達の席に強引に座らせると、剣士のためにつまみを追加で注文する。
やたらと自分を怖れる風の剣士の態度を訝しんだ鬼人は、しばらく記憶を辿った末にようやく脅しをかけていた事を思い出した。あれは面倒な追撃を避けるためだったし、今更のこの男を斬ってもなんの意味も無い。
「あーーー……以前、似たような男を見た覚えがあったけど、確かにそいつは貴族だったし、こんな所に居るはずないか~」
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「で、何やってんの。こんな所で?」
「初対面って設定、どこ行ったんだよ」
「そうだよ、あんたとあたしは初対面。訳ありそうな剣士が居たから気になって声をかけただけだ」
強引にも程がある理屈に剣士は呆れたが、とりあえず殺す気が無い事だけは判った。剣士はようやく肩の力を抜いた。
「なんだか、随分雰囲気違うな?」
「おや、あんたも私を誰かと勘違いかい?」
「それはもういいって」
「……あぁ、アレですか」
森人は鬼人と再会したときの口調を思い出した。
「この人は、こっちが地ですよ。あっちの口調も中々良かったんですが、一度笑ってしまってせいで、もうしてくれなくなりました。一生の不覚…」
「余計な事は言わんでいい!」
剣士は少なからず驚いていた。最初に見た物静かな貴婦人、その後に見た冷徹な女剣士、どちらとも違う。今の彼女は、人生を楽しむ女丈夫に見える。隣の男が鬼人を変えたのだろうか。この男は鬼人のなんなのだろう。そんな視線に鬼人は気が付いた。
「あぁ、こいつ?王城の相談役やってた森人。聞いた事無い?」
「げ!賢人かよ」
賢王の時代から仕える、賢人と称される森人が居るとは聞いていたが、実際に目にした事は無かった。鬼人も賢王の時代に仕えていたというから、旧知の仲なのだろう。
「で、王国貴族がこんな所で何やってんの?」
衝撃的な事が多すぎて剣士は正直混乱していたが、鬼人は徹底的にマイペースだった。どうやら答えないと開放されないらしい。剣士は溜息をつく。
「仕事探しだよ」
「どうしてまた」
「どうしたもこうしたも、山奥で死ぬまで剣術勝負させられそうだったから、何もかも放り出して王国から逃げたんだよ。だから俺はもう貴族じゃねぇよ、見りゃ判るだろ」
「おやまぁ……気の毒に」
「誰のせいだと思ってるんだよ…」
「知らないよ、あたしらは初対面だろ?」
「こいつは…」
見た目通りと言うべきか、鬼人は軽口にも年季が入っている。言い返そうとして、剣士は口ごたえは諦める事にした。反論が無かったのに拍子抜けしたのか、鬼人はほんの僅かだけ真顔になった。
「実際、あんたは只人にしちゃなかなかの腕だったし、剣の腕でのし上がるつもりでいたんだろ?、なら、いずれ声がかかったろうさ」
「……まぁな」
それは剣士も認めざるを得なかった。今の王国には腕の立つ剣士は少ない。爵位が低い事もあって、鬼人の一言が無くても貧乏くじを引かされる可能性は高かった。剣士は、辺境伯領の実態を知ったからこそ逃げる事ができたとも言えるのだ。
だがそうなると、鬼人の懸念が現実味を帯びて来る。
「あんたが逃げたって事は、あの魔族の執事は門の向こうに帰っちまったのかね…」
「いや、城じゃそこの賢人が残した資料見て、例の執事を引き留めるのが最重要と、慌てて部隊を編成して送り込んだそうだ。中隊を3回ぐらい全滅させられて、その後はとうとう近衛を送り込んだら、途中で逃げちまったらしい。おかげで、王家の側近貴族が随分入れ替わったとか」
「まぁ、家柄自慢するしか能が無いあの連中じゃその程度でしょうね。ところで、どこ情報です?それ」
「名前は言えねぇが、剣で付き合いのあった貴族からだよ。いきなり城に呼び出されて辺境伯領を任されそうになったそうだ。俺が王都を出る時に、『陞爵の話があっても絶対受けるんじゃねぇぞ』と手紙送っておいたから、必死になって断ったそうだ。随分恩義に感じてくれて、その後もちょくちょく情報交換している」
「その情報、剣術遣いの間に回覧されてそうですね」
森人はクスクス笑った。
賢王から僅か2代で、王家の威光もずいぶん落ちてしまったようだった。
「実際、剣士だけじゃどうにもならんと、魔法使いも含めた精鋭の小隊を送り込もうとしたのに、賢人のあんたも出奔しちまったんで、恥を忍んで他国に援助を求めようなんて話まで出てるそうだ」
「そんな事したら、国が傾きかねないデカイ借り作っちまうだろに。あれの厄介な所は、あの執事を倒したって終わりじゃ無くて、その後も沸き続ける魔族が尽きるまで、延々戦い続けなきゃいけないって事なんだから」
「他人事みたいに言うなぁ」
「他人事だもん」
「そろそろ実情が洩れ始めてて、批判も出初めているらしいぞ。一抜けしたあんたらも身バレしたらヤバいだろ」
「今更どうという事も無いわよ。爵位剥奪の勅命書も、領地引き渡し書類の控えだってちゃんと持ってるしね」
「そんな理屈が通じる相手かねぇ」
「まぁ確かに…逆恨みしそうだけどね。でも、あたしだってあと何十年かで戦えなくなる歳なんだから、少し早めに引退しただけだよ。その先の事まで責任負えないって」
「確かに、魔族の寿命についていけるのは森人くらいしか居ないだろうが、終わりの無い戦いを望む森人の剣士なんて居るのかね?」
水を向けられた森人だが、それには答えずしばらく何事かを考えているようだった。
「思うにですが…あの地に、あの魔族に対抗できる辺境伯なり兵力なりを常駐させようというのが、そもそもの間違いだと思いますよ」
「え?」
「麓から定期的に通えばいいんですよ」
「いやだって、魔族を放っておく訳にはいかないだろ」
「普通の魔族ならそうですが、その魔族の執事なら別です。彼は試合以外であなたを害そうとしたことがありましたか?」
「……いや。少しでも馴れ馴れしくしようとすると本気の蹴りが飛んできたけど、それ以外は何も。怪我が酷いときは手当すらしてくれたよ」
森人は黙って頷く。どうやら考えていた通りだった。
「彼はあなたのために屋敷を建て、作物の栽培をし、麓で必需品の買い出しまでしていました。楽しい勝負のためなら、どんな手間でも厭わないんですよ。互角の相手だったあなたが居なくなったのにまだ居残っているのは、おそらく長命種故の気の長さからでしょう。だからもういっそ、彼を辺境伯にしてしまえば良いと思いますよ。むやみに人を襲わず話が通じる彼が居るかぎり、それ以外の凶悪な魔族は出現しないのですから、実質彼があの地を護っているのと同じです。後は、彼が納得する報酬を王が提供し続ければ良いのです。話を聞く限りは、定期的に腕の立つ剣士か精鋭の小隊を送り込んで試合をするって事になるでしょうが、出来る限り間隔を空けてもらう事ができれば、あそこに兵を常駐させ続けるよりは負担はだいぶマシでしょうし、一度の試合ならやってみようという剣士も居るでしょう」
剣士と鬼人は、ぽかんとしたまま顔を見合わせ、どちらからとも無く言った。
「その発想は無かったわ……」
よほどツボにハマったのか、剣士は王都の貴族に手紙を送る際に、この話を冗談交じりに書いて送った。その話が王城まで伝わり、魔族の執事は王国初の魔族の辺境伯になってしまった……というのは、もうしばらく先の話になる。
鬼人の初代辺境伯に続く、魔族の二代目辺境伯という異例というか無茶苦茶な人事は、魔族対策のための戦時予算に発狂しかけた宰相と財務相が、王を半ば脅迫して実現したそうである。
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