魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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鬼人、山を下りる1

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 「どうでしょう、ステレ様。この際、冬の間は下山して剣の師を探してみては?」

 ステレの山小屋の中、ドルトンとステレは差し向かいで杯を干している。さすがに気温が下がり、日が傾く頃からはテーブルセットを室内に取り込んでいる。商会員の一人が、梁から下げた空の燭台に魔法の灯りを灯してくれた。ロウソクよりは格段に明るい光が二人を照らす。
 下山を勧められたステレは胡散臭げにドルトンを見た。
 ドルトンは何に付けステレの安全第一に動いている。最近は減ったが、以前は機会がある度に山を下りるように言って来たものだった。ステレにその気が全くないことが判り、やがてはドルトンも諦めたのだ。

 「食料の備蓄が思わしくありません」

 ステレの表情に気づいたドルトンが言う。
 ステレの表情が(そっちかぁ)になった。

 獲物の肉をきちんと処理して、燻製にする作業はステレにはまだちょっと手に余る。例年はステレは塩蔵肉を作っておいて、商会員の手を借りて燻製に仕上げていたのだ。今年はそんな暇も無く、それどころか蓄えを食いつぶしてしまった。例年以上の獲物を狩るところからやらなければならない。商会員の人手があるから狩の獲物は増えるが、増えた人手も食事は食べねばならない。蓄えとして増えるのは、その差分でしかないのだ。
 ドルトンと商会員が今まで数日しか滞在しなかったのはそのためだ。彼らは手持ちの食糧で森を越え、食べた分として持ち込んた余分な食材を残して行く。今回は滞在を引き延ばして狩をしてみたが、やはり収支は思わしくない。
 元々獣人は草原の民なのだ。ここまで深い森は得意とは言えない。森人ならば良い知恵が出るかもしれないが、調べることがあるとのことで、残念ながらノル・ヴァルレンは同行していない。

 実を言えば、食料の確保はできなくもないのだ。だが、ステレが山を降りる道筋は作っておいた方が良い。ドルトンはそう考えていた。剣の修行と食料不足は格好の口実と言える。ある意味ステレに「下界に慣れて欲しい」のだ。
 修業によってステレが剣の腕を上げ、魔人に迫るものになればなるほど命の危険が増す。叶うなら、今の関係をダラダラ続けるのが最善なのだが、二人ともそんな関係を続けることに満足できる訳が無い。遠からず真剣勝負をする時が必ず来る。
 ドルトンの見るところ、魔人は自分の満足のために、一人の剣士に剣以外の全てを捨てさせ、長くない只人の寿命の大半を無駄に使わせたことを後悔している。そしてステレも、関わる者皆を不幸にしてきた自分を疎ましく思っている。互いに『死にたがり』同士の勝負など、バッドエンドの道筋以外に無い。
 ステレには街に知己を得て、山を降りで普通の暮らしをして欲しい。もはや内戦が終結し、数年が経過しているのだ。今回の機会は、今まで山に引き籠っていたステレを下山させる、恰好の口実だ。

 「うーん」

 ドルトンは急かさず返事を待つ。
 確かにステレにもドルトンが今回の事態に便乗して下山を勧めているのは判るが、選択肢は少ないことは理解できている。それに、山を降りて師を探し剣の修行をするというのは、機会があればやろうと思っていたことだ。

 「山を降りて暮らせるだけのお金持ってないわよ。あと謝礼金も出せない」

 下山するのを前提として、とりあえず最大の問題を口にしてみた。
 背に腹は代えられないとは言うが、食料の不足する山を降りたとして、街に豊富にある食料を買う金が無ければ状況は何も変わらない。むしろ狩りができない分悪化するだけだ。むろん、ドルトンはステレ一人を養うくらいは訳ないし、魔の森で得た利益も還元したいという思いもある。だがステレからすれば、剣を貰ったうえに暮らしの世話にまでなるわけにはいかない。<夜明けの雲>の提案を蹴ったのと同じ理由で、ただ援助を受けるだけなのはステレには承服できないのだ。

 「御心配なく。前回持っていけなかった物資が残っています、それを売りましょう。おそらくは、今回は弟子入りを認めてもらうので精一杯でしょうし」

 既に想定済みだったので、あっさりと答える。ある程度の見積もしてある。その後の狩りで毛皮も少々追加がある。春になるまでステレの食費を見るくらいはなんとかなるだろう。幸い気候が安定していたので、物価も安定している。

 「…王都には行かないわよ?」
 「承知しております。事後報告でもなんとかなるかと」

 王都から逃げて来たステレが王都に近づこうとしないのは当然のことだ。だが、王都に行かないということは、魔の森で入手した物資を勝手に処分することになってしまう。ステレはそれを心配したのだが、実を言えば、王妃からの依頼を受けた時点で、ドルトンにはある程度の費用の支援があるし、かなりの裁量権も認められていた。贅沢しないステレの面倒を見る分には、使う必要が無かっただけだ。

 そこまで聞いて、ステレは一応は納得した。
 正直、ステレは剣以外はポンコツと言って良く、経済観念は酷いものとしか言いようが無い。ドルトンが「大丈夫」というなら、費用面の問題は信用するしかない。

 「あと、<夜明けの雲>に連絡取っておいた方がいいかしら?」
 「それはまぁ、そうでしょうね」
 「でも、こっちから連絡取る方法無いのよね。あいつの家(?)まで片道半日かかるしなぁ」

 このところ足繁く通っている<夜明けの雲>だが、別段約束をしている訳ではない。実際、今日はステレとは行き違いだった。今のところの二人は、そういう緩い関係のままだ。出発までに来訪が無いようなら、連絡を取る手段がない。

 「ここの小屋の戸口に張り紙しておこうかしら?。『私は、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。私はどこまでも君の友達です』って」

 どこぞの物語の一説らしい文言を引っ張り出して、意地悪そうにキシシと笑う。ステレも元の調子を取り戻したららしい。

 「やめましようよ、たぶん魔人殿はマジ泣きしますよ、それ」

 溜息をつきながら諫めてみる。確かに魔人からステレを引き離したいが、彼にとってステレが待ち続けた剣士だというのも判る。あまり無碍な扱いもしたくない。
 (魔人殿に深入りしすぎたか)ドルトンに自嘲めいた思いがよぎる。

 ステレは、頭の後ろで手を組むと天井を見上げた。

 「この森に来て、その日暮らしの生活をして、それを死ぬまで繰り返していくと思っていたんだけどね。魔人と勝負するための修行で山を降りることになるとはね」

 今の状況を愉しんでいるのだろうか、疎んじでいるのだろうか、しみじみと語る声音からは判断できない。

 「アイツに会ってからはペースを乱されっぱなしだわ。私の平穏な日常はどこに行っちゃったのかしら」

 ドルトンはフルフルと首を振った。

 「………ステレ様、魔の森での平穏な日常という時点で既に矛盾してます」

 只人なら毎日が非常識な生活を、平穏な日常と言い切ってしまう鬼人の肉体と精神に、今更ながら感嘆する。

 「…ま、それはそれとして…あとは、剣の師かぁ」
 「山を降り次第、指南を引き受けてくれそうな剣士を探してみますが…」
 「両手剣を使う剣士で、鬼人に教えてくれそうな使い手なんているのかしらね?」

 一時期、王国では両手剣が剣技の主流になっていた。甲冑の改良と魔法により防御力が各段に向上したことで、戦場での主流が片手剣と盾を持つスタイルから、攻撃重視の両手剣主体に移ったのだ。しかし、戦乱の時代が終わったことで、今の主流は小剣か細剣を使うスタイルに移り、戦場使いの両手剣は少数派になってしまった。しかも、両手剣の剣技の主流は、ステレの求める「速く斬る」ことを追及する剣技とは全く違うスタイルなのだ。

 「いっそステレ様の正体を明かすことはできませんか?」

 鬼人の正体が、元只人の貴族であれば、引き受けてくれる剣士もいるのでは?そう考えたドルトンだったが、ステレはあっさりと首を振った。

 「…只人だった頃の私の評判、知ってるんでしょ?それに、実を言うと、剣術指南がらみだと私結構札付きでね。むしろ明かさない方がマシなくらいだと思うわよ」

 先行きが不安になるようなことを言いだす。
 確かにドルトンが知る市井でのステレの噂は芳しいものではなかった。例えそれが事実からかけ離れた風聞だとしても。
 それに加えて、まだやらかしていたことがあるらしい。

 「…そうね、ダメで元々ならもういっそのこと……」

 しばらく天井を見上げながら、何事か考えていたステレは、意を決したように言った。 

 「……探して欲しい人がいるんだけど」
 「なんですと?」

 ステレの意外な申し出に驚いた。世捨て人になっていたステレが、遭いたい人物がいるというのか?山を下りて頼みとできる人物だろうか?

 「そんなに驚くことないじゃない。剣の師のことよ」
 「あ、はぁ、なるほど。どなたかお心当たりが?」
 「確か、引退して故郷に帰ったと聞いたから、王都じゃ無いはず、、、、」

 ステレが話し始めたその人物の名を聞いたドルトンの顔から、みるみる血の気が引いていく。

 「ステレ様……いったい何をなさるおつもりですか?」
 「何って、剣を教えてもらうだけよ」

 何事も無いことのように言う。
 驚愕した表情でステレを見つめるドルトンだが、魔法の灯りに照らされたステレの顔から、その内心を推し量ることはとうとうできなかった。
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