魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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逢えない理由1

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 ステレが、王妃の掌の上でこねくり廻されていたことに気付いて悶絶する数日前。
 魔の森を囲む外輪山、その東側の峰。王国で言うドウェル山地の稜線で、数人の男が森の様子を伺っていた。男達は、全員が茶と黒のまだらの服を身に纏い、同じ柄の覆面まで身に着けている。

 「どこだって?」

 頭目とおぼしき男の一人が言った。

 「あの森の真ん中に伸びる峰の中腹だ。昨日の日暮れ前に煙が上がっているのが見えた」
 「森のど真ん中か…」
 「どうする?」
 「さて…」

 どうする?とは、どのルートで行くのか?という意味だ。
 いずれにしろ、男達はステレの山小屋に向かうつもりだが、外輪山を周り白骨山脈の主峰を縦断して向かうか、ここから真っすぐ小屋に向かうか。コースは二通りある。
 前者は距離が長く時間がかかるが、魔獣に遭遇する危険は低く割合に安全だ。後者はその逆となる。それに、この外輪山は、内側…魔の森に面している側が軒並み崖になっている。だからこそ、砦がある山地の切れ目以外から魔の森の魔獣が溢れ出ることが無いのだが、万が一の場合には脱出ルートに苦労することになる。

 「真っすぐ行きゃいいじゃねぇか」
 「魔獣に狙われながらか?」
 「森番はここに住んでるんだろ?魔獣にビビるようじゃ、森番を抑えるなんざ諦めた方がいいな」
 「何っ」
 「よさねぇか。…現実問題、日数は短い方が良い。煙を出す訳にも行かんからな。森を突っ切るしか無いだろう」

 言い争いを始めた二人を一喝した頭目の一言で、最短距離踏破に決した。彼らは極秘の任務で森に来ている。立ち入りの規制され無人のはずの魔の森で火を焚くなど論外だった。幸い、凍える心配の無い季節にはなったが、食事や獣除けを考えれば火が使えないのは痛い。

 「降りるのは問題無いとして、戻れるのか?」
 「あそこの岩の割れ目なら足掛かりになりそうだ」

 男の一人が崖にできた亀裂を指さす。<山羊>と呼ばれる登攀の手練れだ。漆喰で塗りこめられた壁でも、爪がかかれば登れると豪語している。

 「あそこから、そこの右の木を足掛かりにその上の亀裂」

 メンバーの実力を測り、想定される登坂ルートをざっと指し示す。何しろ周りが全部崖で木も少なく丸見えになる。目立つロープなど残して行けないから、戻る際はフリークライミングになる可能性が高い。

 「今のルートなら、頭たちならなんとかなるだろ」
 「よし、行くぞ」

 頭目が飛び降りた。
 立ち木に掴まり、勢いを殺し素早く着地する。部下たちも躊躇なく続いた。
 彼らは頭目の<鴉>以下、<熊>、<狐>、<蛇>、<山羊>の5人。トレハンの依頼を受け、魔の森で直接『森番』から『お話を伺う』ために派遣された。
 今回の人員は、エイレンで簡単に蹴散らされた下っ端ではない。いわば『一軍』である。

 「王都で妙な動きがあるそうだし。急がねばならんか…」

 5人は、目立たぬよう立木に目印を残しつつ、真っすぐに山小屋のある尾根を目指す。
 ステレがエイレンでコケにした連中が、今度はメンツを揃えて魔の森にまで入って来た事に、まだ森の獣以外は気づいていなかった。




 珍しく、ステレが起きたのは、日が昇ってしばらく経ってからだった。

 「深酒が過ぎたわ」

 両手でこめかみをグリグリ抑えながら小屋から出て来たステレは、泉の水で顔を洗うと眩しそうに眼を細めて空を見上げた。

 「お強いですな」

 テルザーは、早々に沈没したせいか、二日酔いにはなっていないようだった。ステレ以上に呑んだはずのドルトンは、いつも通り平気な顔をしている。
 ステレは、首筋や背中の筋をゴキゴキ伸ばし始めた。

 「ステレ様、朝食が済みましたら準備を始めましょう。今から出発すれば、夏には王都に着きます。準備に時間をかけても恐らくは叙爵の式典に参加できると思いますが」
 「…それはちょっと困る」
 「?ステレ様?」

 ほとんど無意識のように下山を拒否したステレは、訝し下なドルトンの言葉にハッとなった。

 「あ……とにかくそれは駄目。王都に行くのは秋にしましょう」
 「ステレ様の叙爵がいつ公表されるのか。陛下に謁見できるのはいつになるか、全く予想がつきません。できれば早いうちに下山して準備を整えた方がよろしいかと思いますが…」

 ドルトンは奇妙な違和感を感じていた。
 王への正式な謁見となると、申し入れてから月単位での日数がかかるのも珍しくない。それにステレもさすがに山歩きの恰好で参加する訳にも行かない。正装の準備を考えたら、早めに動くのに越した事はない。仮にも貴族だったステレがそれを知らぬ訳でもないだろうに…。
 それにステレはかなり意固地ではあるが、ことグリフ王に対して恥をかかせるようなことは絶対にしない。

 「何故にそれほど拒まれますか…」

 そう問われて、ステレは腕を組んで眉間に皺を寄せたまま天を見上げていた。
 そう、ステレはドルトンの言うことはよく理解できる。だが、ステレにもそれなりの事情があるのだ。それを明かせば、ドルトンも納得してくれるだろう。それに、家族同然のこの男に嘘や隠し事はしたくない。だが、ドルトンは言うなれば『男親』である。「アレ」を言わなければならないのか…と思うと、『生きた大雑把』のステレでも、さすがに躊躇する。
 ここにチェシャが居てくれれば………まぁ、結局はドルトンの耳には入れねばならないか…。

 「あーーーー」

 唸りながら諦めたステレは、小屋の中へドルトンを誘った。

 「ごめん、小屋の中でいいかしら」
 「はい……」

 ただならぬ雰囲気を感じたドルトンは誰も小屋に近づかぬよう命じると、ステレに着いて小屋に入った。
 ステレはここでも決心が揺らいだようで、落ち着きなさげにあちこちに視線を動かしている。しばらくそうしてから、ようやく小さな小さな声で呟いた。

 「………じょうきなのよ」

 恐ろしく小さな声だったが、獣人の鋭敏な耳は、ステレの小さな呟きも聞き逃さなかった。

 「な……まさ…か…」

 思いもよらぬ告白に、ドルトンは声が出ない。ステレはバツが悪そうな顔で横を見ていた。

 「鬼人が全部そうかは判らないけど、私は初夏なのよ……」
 「なんと……」

 初夏が近づくと、ステレがドルトン達を遠ざけていた理由。それは、初夏にステレは発情期に入るのだった。

 「……あ、いや…」

 ややあって首を振り、ドルトンは衝撃から立ち直った。
 実を言えば、ドルトン達獣人も子作りは年に何度かのシーズンに行われる。だからステレの気持ちは判る。だが、発情期といえど見境なく発情する訳ではない。獣人も獣ではなく「人」である以上、気持ちが伴わなければ「そういこと」にはならない。抑えがきかずに所かまわず致す訳では無いのだ。事実、獣人が決まった時期に一斉に休暇を取るなどという事は起きない。鬼人も「人」である以上、抑えられる範囲なのではないだろうか…

 「ステレ様の他に鬼人はおりませんし、そう心配されることも……」

 そこまで言って、ドルトンの脳裏を恐るべき推測がよぎった。

 「……ステレ様、まさかと思いますが……」
 「……そうなのよねぇ…」

 今度はドルトンが天を仰ぐ番だった。
 ステレが王都から離れた理由。
 ステレが王都に向かうのを躊躇する理由。
 ステレがグリフ王と逢わない理由。
 ステレが元只人だからそうなのか。それは判らないが、ステレが発情する相手は同族ではなくグリフ王なのだ。

 ステレは、周期が変わったことを最初はそれほど重大なことだとは考えていなかった。
 なにしろ(月の物が年の物になって楽で良いわ)などと思ったくらいだ。だが、ふっと心がグリフ王に向いた瞬間全身を衝撃が駆け抜け、恐るべき事実に気づいた。麻薬のように抑えが効かなくなるのだ。言葉を選ばす言えば、『我を忘れて王を掻っ攫って、無理矢理致してしまいそうになる』のだ。王を思うだけですらそうなのに、実際にグリフを見てしまえば、聞いてしまえば、嗅いでしまえば……。
 鬼人は伝承で語られる食人鬼ではなかった、だが、(別な意味で)我を忘れて人を食う鬼ではあった。ステレにできるのは、グリフから逃げることだけだった。
 王都から遠くはなれたこの森に一人でいてさえ、初夏は時に抑えきれない衝動に襲われる。自分で慰めたことも一度や二度ではない。そしてそのあと、自己嫌悪で一杯になるのだ。初夏はステレにとって憂鬱な季節だった。

 「あなたたちが初夏に森に来ないようにお願いしていたのはそういう訳。自分で言うのもなんだけど、そりゃもう見苦しいんだから。まさか、王都でサカリのついた鬼人の声を響かせる訳にはいかないでしょう?だから降りるのは秋になってから」
 「そ、それは確かに…他人には……」

 「あ」、とドルトンは自分の失態に気づき、慌てて膝をついて謝罪した。とんでもない話を男の自分にさせてしまった。

 「そのようなご事情とは露知らず、立ち入った事を…」
 「よしてよ、鬼人の事情なんか知らないんだから仕方ないわ。もう隠し事が無くなって清々した気分よ。だから気にしないで。年甲斐もなく恥ずかしがったのは、貴族の娘をやってた期間が随分長かったせいかな」
 
 ステレはそう言うが、ドルトンとしてはなんとか万事がうまく収まる手を考えて失態を挽回するしかない。

 「どうにか抑えることはできないのでしょうか?」
 「前回は、例の木剣を削るのに集中して、どうにか乗り切ったんだけどね。最も、寝食忘れて気絶しそうになったくらい集中してたからだけど」

 わざと軽く言ってみたが、ドルトンは深刻そうな表情を変えない。

 「ご事情は承知しました。しばらくお時間をください」

 ドルトンはそう言って肩を落としたまま自分達の天幕に戻って行った。
 天幕に戻ると、心配げなテルザーが声をかけてきたが、さすがに事情を話す訳にはいかない。

 「申し訳ございません、この件についは、何もお聞きにならないで下さい。どうにか下山をご納得いただけるよう申し上げるつもりです」

 天幕の中で、ドルトンは食事も取らず、何か手は無いかと必死で考えていた。
 確かに発情期のステレを人前には出したくない。かといって、下山を伸ばせば王都に付くのは秋になり、謁見は年明けになる可能性が高くなる。ステレの叙爵は、おそらく秋前には発表されるはずだ。叙爵の式にも出席できず、謁見を遅らせれば、どうにかステレに向いている貴族の心象を悪化させる可能性がある。できれば避けたい。

 「ステレ様の話では、状況によっては、発情を抑えることもできるということか……ステレ様の悪評を立てず、式典に間に合わせるには…」

 ドルトンはほぼ一日、天幕の中で考えていた。
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