魔の森の鬼人の非日常

暁丸

文字の大きさ
72 / 125

とある鬼人の前世(?)8 亡命

しおりを挟む
 クヴァルシルに逃れたグリフの元には、急を聞き王国を脱出した家臣や食客が集結しつつあった。さすがに反逆を問われた王弟に全ての家臣・食客が忠誠を示す訳ではなかったが、主を追ってきたオーウェン、メイガーの郎党の他に、ソルメトロ、イーヒロイス、デルンシェの3人が郎党を連れて合流したのは心強い味方となった。彼らはグリフの支援により王国で名を上げつつあったが、その恩義に感じ王国での栄誉を蹴ってまでグリフの元にやってきたのである。
 集まる家臣と共に、王都経由でクリークス卿戦死、カーラ夫人捕縛のニュースがクヴァルシルにも伝わった。カンフレー家の必死の反撃で討伐軍も大きな損害を受け、討死したクリークス卿の首を取ることもできなかったというのが僅かな慰めではあった。悲報を受け、カンフレー家の家臣は皆涙を流しかつての同僚でもあるクリークスの死を悼んだ。ステレも覚悟はしていたものの、堪えることはできなかった。気丈に振る舞っていても、不意に涙を流して泣き崩れるような不安定な状態がしばらくの間続いていた。家臣もグリフもかける言葉も無く、ただ見守ることしかできなかった。
 だが、逆の見方をすれば、これがステレが涙を見せた最後の姿でもあったのだった。


 グリフは集まった家臣達に無理強いをしなかった。ほとんど着の身着のままで脱出したグリフには、彼らに支払うべき報酬は何も無かった。いかに忠義の士でも、霞を食って生きている訳ではない。グリフは、希望するものは無理をせず王家に帰順するよう伝えている。多くの家臣が、参集したことで義理は果たしたとして、王国に戻る事になった。グリフの元に残ったのは、貴族の次男以下であり、王家への忠誠の証として実家から尻尾切りされたオーウェン達のように帰る場所の無い者たちだった。
 こんな八方ふさがりの状態でも彼らが瓦解しなかったのは、王国から参集した家臣の中にツェンダフ公爵マーキス卿からの密使が混じっていたからである。マーキス卿から、当座の資金となる手形と共に送られた魔法のインクで書かれた密書には、『恐らく近いうちにクヴァルシルには圧力がかかり出国せざるを得なくなる。ツェンダフ領まで来てくれれば匿う準備がある。皇国には中立を保つよう根回しを行っているので、皇国領内を通過してなんとかツェンダフ領まで来て欲しい』といったことが書かれていた。
 このままクヴァルシルにいても、立ち枯れるだけである。グリフはツェンダフ領に向かう事を決めた。皇国を通る道程には反対する声もあった。王太后、キブト王の正妃であったブレス王の生母は、皇国の貴族の娘だった。果たして本当にグリフ達の通過を認めるのだろうか?。だが、ツェンダフ領はクヴァルシルの正反対、王国の南東の端にある。まさか王国領内を突っ切る訳にもいかない。クヴァルシルから船を使って南下し西回りの航路を取る手段もあるが、途中にはアルデ卿の領地、ヴィッテルス領がある。ヴィッテルスは王国最大の港を持ち、軍船も擁していた。海路を取れば拿捕されるのが確実である。マーキス卿の根回しを信用し、皇国に亡命するしかない。そこから先は巨大な皇国を、西の端から東に縦断し、白骨山脈の切れ目を抜けて南下する。とてつもない長旅になる。
 まずは、グリフの元に残ることを決めた家臣や食客を、一つの戦闘集団として再編する必要があった。実家が最も高位である5人の伯爵家の子息が指揮官となり、それ以下の貴族や兵卒が指揮下に付く体制をとった。彼らは貴族の子息であって爵位は持っていないし、食客は家臣ですら無い、直臣を指揮下に着けることには当のオーウェン達が難色を示したが、集まった中には兵を指揮できる士官はほとんどおらず、食客と家臣を別けて編成するのは無駄が多すぎるとグリフが押し切った。そもそも、主力は食客の兵なのである。男爵家の娘であるステレは、郎党毎誰かの指揮下に入るはずであったが、グリフは自分の護衛を務めるように命じた。ステレは騎士を目指していたが、修めたのは護衛剣士の技である。何より、女性を最前線で戦わせるほど困窮していると思われたくは無かった。カンフレー家の家臣も近衛として付くよう命じたが、カンフレー家家臣筆頭のヤンは、『我々の役目は、当主であるステレ様を守ることでございます』と言い切り、グリフの護衛の役目を拒否した。それはもちろん、カンフレー家が優遇されすぎているという非難を避けるための方便ではあるが、半ば彼らの本音でもある。既に、カンフレー男爵家は王国からは消滅している。だが、彼らにとっては、ステレが生きている限りは、カンフレー家はそこにあるのだ。彼らは故郷ではクリークス卿とカーラを護ることができなかった。今またグリフの護衛を命じられるなど絶対に受け入れられない。
 グリフは無礼を赦し、彼らを護衛とすることを撤回した。そして、カンフレーの家臣全員がステレの代わりに前線で戦う事を希望したのである。


 マーキス卿の予想通り、程なくクヴァルシルには王国からの圧力がかかった。来るものを拒まずを国是とする公国も、治安維持以上の兵力は持っていない。軍事力をちらつかせての送還要請を正面から拒絶することはできなかった。クヴァルシルは、やむなく皇国に急使を送り判断を求めた。そして皇国の対応は、ブレス王を驚かせることになった。
 皇国は衛星国であるクヴァルシルに露骨な圧力をかけた点について王国を非難し、グリフ一行の皇国入りを認めたのである。マーキス卿の根回しが功を奏したと言えるが、それ以上にブレス王の行動が無理筋過ぎたと言える。なんの落ち度も無く臣籍降下した弟を、大隊規模の兵を動員して追討するなど、近年の王国では起こりえない騒動だった。それが例え王の本意ではなく、アルデ卿の暴走だったと言っても詮無いことである。国王生母の出身地である皇国としては、王国のお家騒動を皇国が裏から操っていたなどと勘繰られたく無いし、まるで当然のようにクヴァルシルに圧力を掛けてグリフを捕らえようとした王国を見過ごす訳にはいかなかった。
 ブレス王は、とにかく規律に厳しい人柄だったから、皇国にも正式に使者を送ってはいた。だが、何より王権の威を重視する王だった。それが悪い方向に発揮されてしまったと言える。皇国は、ブレス王を名指しで非難するような真似はさすがにしなかったが。傍目にも皇国の心証を悪化させた事は否めなかった。

 そしてもう一つ。クヴァルシルへのグリフ送還の圧力と共にもたらされたもの。
 それは、カーラ夫人が王都で処刑されたという情報だった。そのニュースを聞いた瞬間、ステレは無言のまま失神した。そして、長い昏睡の後ようやく目を覚ますと、両親の事をまるで忘れたかのように振る舞い始めた。カーラの死に号泣していた家臣を始め、周囲は『健気にも涙も見せずに気丈に振る舞う男爵家令嬢』と考え、家臣はもはや涙を拭い、ステレのために尽くそうと思いを新たにしていた。だが、彼らはクリークス卿戦死の報を聞いたステレの、不安定な精神状態を思い起こすべきだった。ステレの心はそこまで頑健にはできていない事をを思い起こすべきだった。

 実際、この時点でステレは壊れ始めていたのである。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

男女比1対5000世界で俺はどうすれバインダー…

アルファカッター
ファンタジー
ひょんな事から男女比1対5000の世界に移動した学生の忠野タケル。 そこで生活していく内に色々なトラブルや問題に巻き込まれながら生活していくものがたりである!

俺だけ“使えないスキル”を大量に入手できる世界

小林一咲
ファンタジー
戦う気なし。出世欲なし。 あるのは「まぁいっか」とゴミスキルだけ。 過労死した社畜ゲーマー・晴日 條(はるひ しょう)は、異世界でとんでもないユニークスキルを授かる。 ――使えないスキルしか出ないガチャ。 誰も欲しがらない。 単体では意味不明。 説明文を読んだだけで溜め息が出る。 だが、條は集める。 強くなりたいからじゃない。 ゴミを眺めるのが、ちょっと楽しいから。 逃げ回るうちに勘違いされ、過剰に評価され、なぜか世界は救われていく。 これは―― 「役に立たなかった人生」を否定しない物語。 ゴミスキル万歳。 俺は今日も、何もしない。

修復スキルで無限魔法!?

lion
ファンタジー
死んで転生、よくある話。でももらったスキルがいまいち微妙……。それなら工夫してなんとかするしかないじゃない!

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

攻撃魔法を使えないヒーラーの俺が、回復魔法で最強でした。 -俺は何度でも救うとそう決めた-【[完]】

水無月いい人(minazuki)
ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】 【一次選考通過作品】 ---  とある剣と魔法の世界で、  ある男女の間に赤ん坊が生まれた。  名をアスフィ・シーネット。  才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。  だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。  攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。 彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。  --------- もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります! #ヒラ俺 この度ついに完結しました。 1年以上書き続けた作品です。 途中迷走してました……。 今までありがとうございました! --- 追記:2025/09/20 再編、あるいは続編を書くか迷ってます。 もし気になる方は、 コメント頂けるとするかもしれないです。

処理中です...