魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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戦友、そして…

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 その後、しばらくステレは目覚めなかった。
 ステレが鬼となって甦った後、ステレとオーウェンは会話がめっきり減ったからだろう。
 ステレは戦死したことにされ、名も無き鬼人として新たにグリフに仕えることになった。どこで誰が見ているか分からない、グリフの側近であるオーウェンは、ステレを『胡散臭い鬼人』として見る風を装うしか無かった。

 オーウェンは暗くなった部屋に灯りを灯すと、寝台の脇の椅子にかけ眠るステレの顔を見る。
 眠ったままのステレは、自分の記憶の中を辿っているのだろう。この後、ステレと会話をする時と場所は見当が着く。それに合わせるために、オーウェンも自分の記憶の旅を続ける。


 グリフが、鬼人を家臣待遇で扱ったことが呼び水となったのだろうか。ドルトン率いる獣人の商人が援助を申し出て来た。これで一行の旅は格段に楽になった。そして新しく加わった鬼人は、今まで失われた戦力を補って余りあるものだった。ガランドの残党による襲撃があったが、大した損害も出さずに撃退することができた。
 只人以外を頼り旅を続けるグリフを、ブレス王は非難しているという。だが、3年を経ても屈せず歩み続けるグリフに驚嘆し、未だどちらを支持するかを保留している貴族も多いと聞いた。状況は徐々に好転していた。

 そうして皇国領内を横断した一行は、遂に王国への帰還を果たした。
 そもそも、皇国の領内を移動していたのは、グリフを支持する貴族の最大の大物である、ツェンダフ公爵領に入るためだった。グリフは王国の北西から脱出したが、ツェンダフ公爵領は正反対の南の外れにある。王国内を縦断することが出来ない以上、王国の外=隣国である皇国領を踏破する長旅をするしか無かった。
 出国直後、ブレス王は皇国に逃げ込んだグリフを送還するよう要請していた。王太后…ブレス王の生母が皇国の貴族の出だったから、事は簡単に済むと思っていた。だが、皇国はグリフの亡命を受け入れ、要請を拒否した。『お家騒動の裏で糸を引いているのは皇国』と思われることを危惧したのだ。それ程に、今度の事件は理不尽と周辺国から思われていた。
 とはいえ、亡命は受け入れられたものの、皇国での扱いは「排斥しないが手厚い保護もしない」というものだったから、旅は過酷なものとなっていた。国外を3年も放浪し続けてこられたのは、皇国まで密かに援助を送ってくれたツェンダフ公爵のおかげだ。
 もちろん、公爵にも思惑はある。公爵には娘がいる。グリフが王位に就いたなら、王妃として迎える約束になっていた。

 オーウェンは、ステレが忠誠以上の感情を持ってグリフに仕えていることを知っていた。だが…グリフの隣にステレが立つことはあり得ない。たとえグリフがそう望んだとしてもだ。
 ステレもそんなことは承知していた。それでも、只人でいる間は夢を見ることができた。カンフレー家を再興することを。王の隣に立つ自分を。
 鬼となった今は、それすら絶たれた。

 「俺は…何をしていたんだ…」

 思い返すほどに、自分がステレに何もしてやれなかったと判る。
 誰も彼も、ステレが強靭だと思っていた。鬼となってからは尚更だ。それほどに鬼人の力は圧倒的だった。内面は脆いステレのままだということに、誰も気が付かなかった。オーウェンさえも。


 帰国することは、ブレス王との対決を意味する。グリフが国内に入ったことで、今まで直接手が出せなかったブレス王も、討伐軍を召集した。長期戦はできない、こちらに倍する敵を、一会戦で完全に撃破する必要がある。主戦力である二人は別行動になり、会話するどころでは無くなった。この戦いの間、オーウェンはグリフを守るために本陣に付き、ステレは単独で王都へ潜入することになる。ステレと再会するのは、討伐軍を撃破し王城に入った後になった。

 開け放たれた城門に奇妙な気配を感じてオーウェンが登って見ると、ステレがのんきにうたた寝していたのだ。

 そこまで記憶を辿ったオーウェンは、立ち上がると眠るステレの肩を揺すった。

 「ステレ」

 オーウェンはその時と同じようにステレに声をかける。

 「ステレ、おい、起きろ」
 「…ん?…おぅ、オーウェンか、遅かったな」
 「遅かったなじゃ無い。敵陣のど真ん中で居眠りとかどういうつもりだ」
 「門が閉じられないように確保してたんだ、殺気が近づけば目が覚めるよ。それより、お前が生きているなら殿下はご無事だろうな。戦況はどうなった?」
 「ダハルマ卿を討ち取った。討伐軍はあの方が居なければ烏合の衆だ、簡単に降伏したよ」
 「そうか…惜しいな」
 「あぁ」

 オーウェンもうなずく。討伐軍の指揮官ダハルマ卿は、王国騎士を体現したような人物だった。こんな内戦で討死などせず、多くの貴族の模範となってほしかった。だが、だからこそ彼が降伏を選ぶ可能性が低いことは予想していた。

 「王は家族と共に城を脱出した、今は皇国領事の屋敷にいる。引き渡すよう使者を送ったが交渉は難航しているらしい。我々は今は王城の掌握の途中だ。日和見貴族はなびき始めているから、殿下が次代の王となられるだろう」
 「そうか……勝ったか。……なら、私の役目も終わりだな…」
 「何を言う、これからも殿下のお側で支えて行けばいいではないか」
 「戦争が無くなれば、鬼の居場所は無いよ」

 入城したときのやり取りをそのまま繰り返す。
 オーウェンはこのとき、これ以上ステレを説得することができなかった。
 城を完全に掌握し、危険を排除し、グリフを入城させなければならない。指揮官としてやらなければならないことが山ほどあった。
 この後も、変わらずステレが居ると思い込んでいた。
 
 『過去は変えられない』
 自分の理性が囁く。
 (そんなことは判っている)

 「なら…」
 「ん?」
 「なら、俺の側に居てくれ」
 「………はい?」

 ステレは間の抜けたような返事をした
 オーウェンは寝台に腰かけると、ステレを正面から抱きしめた。

 「居場所が無いというなら、俺の隣に居てくれ」
 「ちょ、おま、何言ってるんだ…」
 「あの時、言えばよかったとずっと後悔していた。だから今言う」
 「いや待て、馬鹿言うな、お前は伯爵家の息子だろうが。ちゃんと貴族の嫁を貰うんだろ」
 「お前も男爵家の娘だ」

 ステレが言葉に詰まった。オーウェンが冗談で言っている訳ではなく、本気だということが判ったのだ。だが……どうして受け入れられる。鬼人が側に居られないという点においては、王弟だろうが伯爵の息子だろうが変わりは無いというのに。
 『貴族は家のために結婚しなければならない』
 それこそ、自分の好きに生きたかったステレが反発した理由の一つだ。一人娘のステレは家を捨てることができなかった、だから、貴族の娘のまま我を通そうとした。しかしその結果はどうだ、何一つ思った通りにできず、自分の周りの人間を片っ端から不幸にしただけだった。
 一度死んだステレは、そんなしがらみからは自由になった。だが皮肉なことに、オーウェンに応えるには、只人の貴族でなければ無理なのだ。爵位を捨てるか、無理を押し通そうとして自分と同じようになるか、オーウェンにそんな道を進ませる訳には行かない。

 「……家は無くなったし、私はあの日、あの朽ちた教会で死んだんだよ。私はもう人じゃない。鬼だ」

 オーウェンの心に『私には何もない』というステレの呟きが甦る。そんなことは無いのだ、オーウェンにとっては。

 「お前の名は?」
 「え?……私?……私はステレ・カンフレーだ…」
 「なら、それで十分だ」

 びくっと、ステレの身体が一瞬固くなる。

 「あの旅を共にした者には……いや、俺にとって、お前は鬼だろうが只人だろうがステレ・カンフレーだ」

 オーウェンの声は、わずかに震えている。感情を切り離せる男が、どんな強敵を前にしても怖じ気たことのないオーウェンが…。

 「すまん、ステレ。俺は、お前がどんな思いをしているか全く気づいていなかった。いや、気づいているつもりになっていただけだった。今度は俺に支えさせてくれ。俺の隣に居てくれ」

 抱かれるままだったステレは、そっとオーウェンの腰に手を回した。
 かつてのステレは、必死に鍛えてはいたが男に比べたら一回り以上華奢だった。鬼人となったステレは上背も身体の厚みもオーウェンと大差ない。しかも密度が高い肉体は鋼のようで、実際に体重はオーウェンより重いほどなのだ。それでも、おずおずと自分の腰に回された手が、オーウェンにはかつてのステレのように、とてもか細い力に思えた。

 「……こんな筋肉女が良いなんて、変わった趣味だな……でも、ありがとう、すごく嬉しいよ…。ありが…とう戦友…、そし…て……」

 耳許でそこまで言って、ステレは再び意識を失った。

 ステレは何と言おうとしたのだろうか…
 ステレは夢うつつだった。オーウェンの言ったことも、自分の言ったことも覚えていないのかもしれない。そして…

 過去は変えられない。

 オーウェンはステレを寝台にそっと横たえて、毛布をかける。

 「……笑ってもいいぞ?」

 オーウェンが部屋の入り口のドアを振り返ると自嘲気味に笑った。
音もなくドアが開いて、ドルトンが部屋に入って来る。

 「肝心な時に何もしてやれず、意識朦朧で記憶が混濁しているときに告白するなどと、男の…騎士のやることではないな」

 だが、ドルトンにはとても笑う気にはなれない。オーウェンの言葉には真実があるとドルトンにも判る。

 「いったい、いつからです?」

 王家への取次として長く世話になってきたドルトンだが、魔の森や鬼人の報告を渡しても、オーウェンはステレに対して『戦友』以上の感情を見せたことが無かった。

 「陛下は太子時代、私費で王国のために役立つであろう人材を集めておられた。そこで出会ってその時からだ」
 「では、出会ってからずっとですか…ステレ様は全くお気づきには……」
 「女一人に個室を与える余裕は無くてな。陛下に『お前なら信頼できる』と相部屋にされた。ステレはステレで『全く問題ありません』などと言うし。ずっと『こいつは妹だ』と自分に言い聞かせて来たよ。それに…」
 「…それに?」
 「ステレは陛下を一途に想っていた……」

 ドルトンは、非礼だということも忘れてめ息をついた。呆れ果てる程の堅物としか言いようが無い。ドルトンも全く気付かなかったのだから、ステレが気付くはずもない。
 (それにしても、陛下も酷なことをなさる)とドルトンは正直に思った。規律にうるさく、全てを自分で把握しないと気がすまない兄王ブレスとは正反対で、グリフ王は、部下を信頼し任せたら後は疑いもしない。器がデカイといえば聞こえがいいが、悪く言うと大雑把なのだ。

 「この先は、場所を改めてよう」
 「もうよろしいのですか?」
 「私がステレと会話したのは今のが最後だ。だからもうしばらくは起きないと思う。後はやり直しを終えるまで待つしかない」

 入城した後、ステレは人目を避けて引き籠ってしまい、会う機会が無くなった。
 ブレス王は皇国へ亡命することになり、グリフ王は仇を討てぬことをステレに詫たが、ステレはそんな王に謝意を表しただけだったという。そんな話も人づてに聞いた。
 そして、王とツェンダフ公爵家令嬢の婚約お披露目の舞踏会に現れたステレは、王に暇乞いをすると翌日には王都から姿を消してしまった。その場にオーウェンも同席していたが、ただ遠くから見送るしか無かった。

 オーウェンは呼び鈴を引いて使用人を呼ぶと、何事か言付けた。

 「食事は?」
 「いえ、まだ…」
 「軽いものを書斎に運ばせよう」

 交代の使用人が来るとオーウェンは部屋を出た。後を追って出たドルトンは、前を歩くオーウェンの背中から、決意がにじみ出ていることに気づいたのだった。
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