魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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二つの商会

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 ステレの腕にしがみついて「お楽しみ」をおねだりしながら引きずられて商会に戻ったウタは、ステレが自室に逃げ込むと、瞬時に表情を改めた。その足で、大至急で支配人室のモンドに面会を求める。

 「早速ちょっかいかけられたか」
 「はい」

 ウタが入室するなりモンドが言った。
 モンドは急な面会の理由を察していたようだった。ウタは商会を出でからの出来事を一通り報告した。

 「どっちだと思う?」
 「タイミングが良すぎです。恐らくはステレ様目当てかと」

 ドルトンはエイレンに進出するにあたり、相当の配慮をした。只人の老舗のトレハン商会が旧市街の一等地にあったからだ。ドルトンは城壁と城壁の間の新市街に目立たぬ店舗を探し、支店を開く前には自らがトレハンの許に出向いて挨拶もしている。トレハンは鷹揚さを見せ、表向き両者は友好的に付き合うこととなった。にもかかわらず、トレハンはわざわざドルトン商会の間近に事務所を間借りし、人員を配置していた。警戒しているのは明らかだった。
 商会員にはそれとなく引き抜きの誘いがあったが、商会員は獣人も只人も全てドルトンの身内である。報酬で店員を取り込むのが不可能と知ると、今度は店員がチンピラやら取引やらを装った連中に度々接触されるようになっていた。
 今回も、声をかけられたのはウタだ。だが、ここ最近の情勢の変化から、今回はステレが目的だった可能性が高いと判断している。

 それはある意味因果とも言える。ステレが手に入れた魔金属の武具を、ドルトンが王都に持ち込んだことが発端だったのだ。表沙汰にせず持主への返還を進めているものの、やはり人の口に戸は立てられない。商人の間で、ドルトン商会が魔金属の武具を大量に入手したと情報が流れ始めている。その希少品の出所を推測するうちに「魔金属の武器は魔の森で発掘された。ドルトン商会は魔の森に狩人を送っている」という噂が出始めているのだ。ドルトンが以前から魔の森の特産品を扱っていることが信憑性を増している。
 噂が出て以降は、商会を監視する目が増え始めている。その『狩人』の正体を探ろうとしているのは明らかだった。つまりは、トレハンの狙いは見事に当たっていた訳である。

 「できれば、関わらずに逃げて欲しかったが…」
 「私もお願いしてみましたが、ダメでした。それはもう楽しそうに路地に誘い込んで、ボコボコにしてましたよ」

 ウタの脳裏に、人間を振り回す姿と楽し気な「ヒャッハー」という叫び声が甦る。

 「まぁ、やむを得ないか。そういう方だしな」
 「連中は、ステレ様が魔の森の住人と確信したと思います。何しろ武器を持った相手を一人で一方的に蹂躙してました。……僭越ですが、ステレ様が目を着けられていると、事前にお伝えしておいた方が良かったのでは?」
 「そう聞いて、おとなしくしてくれる方だったらねぇ…」
 「……おっしゃる通りでした」

 二人は同時に溜息をついた。

 「…とはいえ、森から人が来たと、どこで漏れたかな?」
 「砦の兵はこちら側です。街の守衛かもしくは…」
 「森からの道中も監視されていたか」
 「恐らくは」
 「マメだねぇ」

 感心したように言いながらモンドは笑った。人件費もバカにならないだろうに。それだけこの国で魔金属の武具に魅力があるということでもあるのだが。

 「こちらの結束は盤石ですから、外からの監視に力を入れているのでしょう」
 「まぁ、ここにお迎えすると決めた時に、いずれは隠し切れなくなるのは判っていたが。街に出かけた初日とはねえ」
 「ステレ様が機転を利かせてくれたので、魔法を見せて脅しました。少しは控えてくれるかとは思いますが」
 「まぁ、相手は只人の商会だから、こちらから事を構えるのは得策ではないね。出方待ちをするしか無いか」

 魔金属の武具はステレから引き渡しを依頼されただけだし、元々は魔人に挑んだ剣士が残して行ったものだ。いくら魔の森を探しても、これ以上は出てこないだろう。だが、いくらドルトンがそう説明しても、納得する者はいないだろう。欲というのはそういうものだ。だからこそ、ドルトンたちにはどうしようも無いのだ。
 動かない事態を強引に動かそうと、トレハンが『裏の連中』を使って潰しに来ても、獣人達が遅れを取ることは無いとモンドも信じている。だが、この国では只人に対して獣人はどうしてもハンデがある。こちらから仕掛けるのはできる限り避けたい。権力に脅威と見なされたら、獣人の生活は簡単に潰されてしまうからだ。確かにドルトンは王家へのツテがあるが、王とて貴族全てを意のままに押さえつけられる訳では無い、この国で生きるには、侮られず脅威と見なされずという、微妙な力加減が必要なのだ。

 話は終わり…と思ったが、ウタはまだ報告することがあるのか動かない。モンドは訝し気に目で続きを促す。

 「……私には抑えきれませんでした。次は別の者にしてください」
 「………ご苦労だったね」

 モンドにはそれしか言えなかった。



 同じ頃、トレハンの商会でも、今日の顛末が報告がされていた。

 「森番らしい人物を見つけたって?」

 主人のトレハンは、やや小太りの中年男性だった。若い頃は頻繁に外国にも出たが、今はもう自分では行商に出なくなって久しい。体力もだいぶ落ちてしまっていた。だが、それは人を使う地位を手に入れたからだ。と割り切っている。トレハンは主に、白骨山脈からの木材、石材を流通する商人として、確固たる地位を築いていた。
 トレハンに報告をしているのは、ステレの言った『最後まで顔も見せずに隠れていた気配』の元だった。トレハンはこの街の顔役に協力を求めたが、獣人とのいざこざを嫌ってあまり協力的な返事を引き出せなかった。やむなく、裏のツテでエイレンに呼び寄せた男で<鴉>と呼ばれている。その名に反して、地味ではあるが明るい色の組み合わせの衣服を纏い、帽子をかぶった商人風の風体だった。もちろん、街に溶け込むために作った姿だ。

 「獣人の客だと名乗っていた。デカイ眼鏡で顔を隠してやがったから、人相はよく判らん。だが、ちらりと見えた顔は獣人ではない、恐らくは只人か森人の若い男だ。商会の女は「ストール」と呼んでいたから、偽名じゃなければ只人の可能性が高いが、どちらとも言えん。素手でこちらの8人を軽くあしらうくらいに腕が立つ」

 「そいつが獣人の森番だという根拠は?」

 (あの非常識な暴れっぷりを直に見たら、疑う気もなくなるだろうに)とは思ったが、実際に目にしていないトレハンにそう言っても信じまい。それに、商人には理詰めで説明する方が良いと承知している。

 「依頼を受けてから商会の出入りは監視していた。人数は把握している。その後、商会長が魔の森に行って帰って来たら、人数が一人増えていた。商会から出た形跡は無いから、砦の兵や便乗者ではない。腕の立つ、員数外の商会関係者。しかも護衛に魔法使いを付けるほどの重要人物。そいつが、連中が森に会いに行ってる相手だと考えて良いと思うがね」
 「ふむ」

 <鴉>の分析を吟味したトレハンは「いいだろう」と呟いた。

 「押さえるかい?」
 「いや、引き続き正体を探ってくれるだけでいい」
 「えらく慎重だな。力づくをしないなら、俺たちを雇う必要など無かったろうに」
 「実際、力づくになりそうだったのだよ。獣人共がどうやって魔の森の産物を手に入れているのか、何人かに報酬を約束して釣ってみたがダメだった。だから『聞き上手』の君達においでを願ったのだ。だが、森番が見つかったというのなら話は別だ」

 口外できないが、魔金属の武具については、得意先の貴族から「他にもあるかも知れない、あるなら是非入手したい」と強く望まれているのだ。商売の大きなコネである貴族の寵を蔑ろにもできない。本当に魔の森から入手したのか、確証が欲しかった。

 「信じがたいが、魔の森で暮らしている獣人の森番が実在するという噂は、本当のようだ」
 「なら、尚更森を出ている今が絶好の機会ではないのか?」
 「そいつは獣人の客と名乗ったのだろう?店員同様、取引を持ち掛けても引き抜ける可能性は低いだろう。そうなると手荒な方法になるが……、森は王の直轄地だ、森番が何者か判らないうちは、迂闊に手を出せんよ」

 今の所、王家は魔の森について何の発表もしていない。だが、ドルトンたちが砦を経由して活動している以上は、なんらかの許可の上で森に出入りしている可能性が高い。そこから利益をもぎ取ろうというのだ、事は慎重に運ぶ必要がある。

 「そもそも、8人がかりで軽くあしらわれてる有様で、森番を確実に押さえられるのかね?」
 「街の中だから、なるべくおとなしい連中を使ったんだよ。ウチの中でも気の荒いのは、人相だけで入城を断れるような奴らが揃っているんでね」

 <鴉>はトレハンの皮肉を、穏やかな声で返す。言葉は穏やかで、どこか言い訳じみた言い方だ。だが、トレハンの背中にぞくりと悪寒が走る。<鴉>の目は、取り繕ったり媚びたりはしていなかった。汗ばむ手を握り、声が震えぬようにするために、それなりの努力が必要だった。

 「そいつらなら、万が一獣人達と正面からやり合うことになっても問題ないと?」
 「そのつもりで呼んだんだろう?」

 (今の所はこの男が手札では最強だが……獣人の手札に勝てると信用して良いものだろうか?)

 トレハンは心の中で算盤を弾く。

 (王の直轄地に出入りの商人から、利権を奪い取る……。当たれば利は巨大だが、博打としてはどうにも不利な要素が多すぎる。だが、あの方のご要望では勝負を下りる訳にもいかん。どうにか勝ち筋を増やしたいところだが…さて)

 「まずは森番の素性を確かめるのを第一にしよう。なに、森番が魔の森に戻るならかえって好都合だよ。……街中はいざ知らす、魔の森の中なら何が起きても不思議では無いだろうしね」
 「おいおい、まさか…」
 「森番にできることが<鴉>の群には不可能かな?」

 危険だが、勝率を上げるためには<鴉>を焚き付けておいた方が良い……と、トレハンは判断した。ただし、加減が大事だ。雇い主の立場を主張しつつ、ヘソを曲げない程度にしないと矛先がこちらに向きかねない。
 さっきより威圧の増した<鴉>の剣呑な視線を素知らぬ振りで受け流しながら、トレハンは全身に鳥肌が立っていることを悟られないよう、更に努力をしなければならなかった。
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