魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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鬼人の目覚め

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 翌朝、ドルトンの元にステレが目覚めたとの知らせがあった。

 ドルトンは寝台から起き上がると、頭を振って眠気を払う。朝の早い商人にしては珍しいことだった。昨夜のオーウェンの言葉がどうにも気になって仕方が無かったのだ。
 ステレは只人との付き合いを避け魔の森に引き籠もった、そのまま森で死ぬつもりだったらしい。それは、すべてを失なった絶望からではなかったのか。だが、オーウェンはそれを「只人でなくなったことを恥たからでは」というのだ。
 ステレは、相手が只人だろうが獣人だろうが森人だろうが、態度を変えたことは一度としてない。彼女にとって、人種などは取るに足りないもののはずだ。確かに鬼人になったことで王の側に仕えることは難しくなった。だがそれを『恥』だなどと、ステレ本人が思うはずがない。その力をもって主を王位につけたのだから。
 オーウェンに問いただそうにも、当の本人が「いや、うむ…」とつぶやくと長考に入ってしまった。確たる根拠があった訳ではないらしい。
 酒が入っていたのに、部屋に戻ったあともそれが気になって寝付けず、ようやく眠りに落ちた途端に起こされた。とはいえ、徹夜仕事も多いドルトンである、身支度もそこそこに上着を引っ掛けると、ステレの眠る客間に向かった。

 一方、館の主であるオーウェンにも、一歩早く知らせが届いていた。だが、寝台から飛び起きて部屋を出ようとしたオーウェンは、家令に止められて押し問答の真っ最中だった。

 「旦那様、そのようなお姿で女性の寝室に飛び込むおつもりですか!」

 (アレは、そういう礼儀と無縁のヤツだ)

 うんざりして、そう叫びそうになったオーウェンは、喉まで出かかったその叫びを飲み込んだ。ステレの立場を悪くするだけだと気付いたのだ。
 諦めて突貫作業で身支度を始めた主人を見た家令は、低い声で畳み掛ける。

 「お客様がどう感じるかだけが問題ではございません、周りの者が旦那様の礼儀をどう感じるかが問題なのです。どうかご自重ください」
 「あぁ判っている」

 家令の指摘は正しい。それは判っている。それでもオーウェンは、それを堅苦しく息苦しく感じている自分に気付いた。

 (慣れていたと思ったのだがな)

 伯爵家に生まれ、侯爵として王の側で働き、事細かな礼儀作法に慣れていたつもりだった。どこまでも大雑把で自由な彼女にだいぶ毒されたかと、他人のせいにして苦笑するオーウェンだった。


 ドルトンが到着すると、ちょうどトネリが部屋から出てきた。
 トネリは真っ先に駆けつけて、ステレの精神に触れていた。トネリの見るところ、どうにか平衡を取り戻しており、壊れる危険は減っているという。次いで、詰めていた商会の侍女が、ステレの様子を報告した。ステレは明け方、ごく普通に目を覚ますと、侍女達があっけに取られてる間に、着せられていた寝間着を全て脱ぎ捨て、そのまま部屋を出ようとして止められたという。何をしているのか問い詰めたら、ようやく意識がはっきりしたステレがいうには、厠に行こうとしたのだという。
 ドルトンはちょっとだけ、遠い目をしてから、気を取り直した。相変わらずというか、いつものステレだ。
 ドアをノックすると、わずかに開いたドアから詰めている侍女がこちらを確認し、何事か告げている。何事かのやり取りのあと、侍女は躊躇しながらドルトンを招き入れた。

 「あ、ドルトンおはよう。ココどこかと思ったら、オーウェンの屋敷なんだって?なんで私そんなところで寝てんの?」

 なるほど、侍女が躊躇する訳だ。ステレは寝間着のまま寝台の上に胡座をかいて、パンがゆを美味しそうに啜っている。
 唖然としていたドルトンだったが、徹頭徹尾いつもと変わらない様子のステレに、表情がわずかに緩んだ。ついさっきまで意識不明だったようにはとても見えない。

 「おはようございます、ステレ様。お食事中に押しかけて申し訳ございません」

 つとめて、いつもと変わらないように挨拶を返す。

 「いーのいーの、私がいくら取り繕っても、お嬢様(仮)以上になれないのは、嫌というほど判ったしね」
 「お加減はもうよろしいので?」
 「身体中あちこち痛いわ。寝すぎかしらね?」

 言いながら、首と背骨を左右にぐりぐりと捻って見せる。

 「あ、で、さっきの話だけど、なんでオーウェンの屋敷で寝てるの?」

 ドルトンは言葉に詰まった。ステレは両親の死を忘れることで平衡を保っていた。アルカレルにより突きつけられた現実で意識を失ったステレは、過去のやり直しで再び忘れて目覚めたのではないのか。

 「シュライサー様に……」

 言いよどむドルトンを見たステレは、自ら切り出した。

 「”自分が母さんを処刑した”。そう告げられて……意識が飛んだらしいところまでは覚えてるんだけどね」
 「思い出されたのですか!」
 「漠然とはね。でもだめ、まだ全部受け入れられない」
 「さ、左様ですか…」

 ステレが本当に大丈夫かは判らない。だが、ステレが聞きたいのは意識を失って後のことだ。それならば話しても大勢に影響はないであろう…とドルトンは判断した。

 「ステレ様は意識を失った後、無意識のまま暴れました。それをシュライサー様が取り押さえ、トネリが眠らせました。そのあとしばらくシュライサー様の屋敷で過ごされています。私は王都で知らせを受け、ステレ様が安全に養生できる場所を探していたところ、侯爵が自分の屋敷に運び込むようにと」

 今までの出来事を話している間に、ステレの表情はどんどん渋いものになっていく。

 「なんてこと……私そんなにあちこちに迷惑かけまくっていたの?」

 こめかみを抑えると、『たはー』と息を吐いてうつむいた。

 「誰も迷惑と思っておりませんよ。お気になさらず、まずは体力を取り戻すことに専念してください」
 「気にしないというのは無理だけど、まぁ確かにそうね。これ以上迷惑かける前に出ていけるようにならないと」

 そう言いながら、ステレがもしゃもしゃとパン粥をかきこんでいると、ドアがノックされた。
 ドアを開けた侍女は、またしても何事かやり取りをしていたが、諦めたようにドアを開けた。入ってきたのは屋敷の主、オーウェンであった。

 部屋に入ってきたオーウェンは、上から下まできっちりと貴族の正装を身に着けているが、表情は少し険しかった。大方、家の者に小言を言われて、渋々身だしなみをして来たのだろう…とドルトンは予測した。でなければ、真っ先に駆けつけているはずだ。

 二人は、しばらく無言のまま。ただ見つめあっていた。
 ただ、ステレは口いっぱいにパン粥を含んでいたので、いささか締まらない状態ではあったのだが。我に返ったステレは、慌ててごっくんと口の中のものを飲み込んだ。
 そんなステレの姿をだまって見ているオーウェンの表情からは先程の険が取れ、穏やかなものになっている。

 「ステレ…」
 「オーウェン…卿…」

 ステレは手にした椀を侍女に渡すと、寝台を降りて跪いて礼をした。

 「侯爵、この度は…」
 「よせステレ」

 厳しい声が、ステレの挨拶を途中で遮った。
 
 「俺とお前の間に礼儀は不要だ」

 ステレが顔を上げると、一瞬前とはうって変わって、恐ろしく不機嫌な顔をしている。最終的には家令の言い分を受け入れたものの、ステレの他人行儀な態度を見たら怒りがぶり返してきたのだ。
 そんこと知ったこっちゃないステレは、わずかに肩をすくめて立ち上がると正面からオーウェンを見た。

 「私平民だもん、侯爵様相手にそういう訳にもいかないでしょよ」
 「ならせめて淑女のにしとけ…と言いたいところだが、似合わんからやらんでいい。というかそもそも、寝間着で礼をしてもサマにならんぞ」
 「着替えて無いうちに入ってきてそれ言う?」
 「だから、俺とお前の間に礼儀は無用だ」
 「……いや、その理屈はおかしい」

 仏頂面でやりあっていた二人は、どちらからともなく笑みを浮かべた。

 「オーウェン、久しぶりね。心配かけたようでごめんなさい」
 「……あぁ、無事でよかった、ステレ」
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