魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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とある鬼人の前世(?)5 崩壊する故郷

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 カンフレー屋敷を目指す馬車の中で、グリフは無言で俯いたままだった。カーラにもメイガーにも、それが落胆や不安からではなく、怒りを抑えているのだと判った。

 カーラは、王家ではなくキブト王個人に惚れ込んで忠誠を誓った。だが、それは今の王を蔑ろにするものではない。敬愛する王の息子なのだから。決して不仲ではなかった彼の息子達が、決定的に決裂することだけは避けたかった。

 「殿下、この度の事変、おそらくは陛下だけでなく側近の方々のご意向が強く出ていると思います。陛下は、殿下をお疑いになるようなことは今まで無かったはず」

 カーラがそう告げると、しばらく思考の海に潜っていたグリフが、ようやく顔を上げた。

 「…円卓か?」
 「はい」
 「その円卓とて一枚岩では無いね。カンフレーを討伐できる私兵を出せるとすれば…アルデ卿あたりかな」
 「おそらくは」
 「だとしたら、私はどうやらカンフレーのついでということかな」

 円卓の貴族が揃ってカンフレー家を敵視している訳でも無かったが、特にアルデ卿は、機会があれば取り潰そうとしていたのも事実だ。そしてアルデ卿は、キブト王に対しても敵視と言って良い視線を向けていた。性格が似ているグリフをもまた嫌っている。グリフはそれをどこまで知っていただろうか。

 「おっしゃる通りです。殿下はどうにか命をお繋ぎになり、陛下との和解の道をお探し下さい。我らは、我らなりの矜持で好き勝手に生きておりました。それを理由に討伐されようとも矜持のうちですので、お気遣い無く。円卓の貴族の思惑に乗る必要はございません」

 カーラには、自分たちの奔放にグリフを巻き込んでしまったという想いがある。

 「たとえ誘導したのがアルデ卿であるとて、命を下したのは陛下だ。もし、私の支援を受けていたという理由だけで、一言の言葉も許さず罰するというなら、私は到底陛下を許す事はできぬ」
 「殿下…」
 「すまぬ、これも性分だ」

 カーラは引き下がったが、(この方も危うい…)そう思わざるを得なかった。情が深すぎるのだ。ブレス王の下で働くならそれもいいだろう。だが、王となるなら話は別だ。相当優秀な補佐を付けなければ、全てを救おうとして結局全てを失うだろう。


 後に残ったステレ達は、川に架かる橋を壊しながら後退する。
 視界に入った追手は、大半が騎兵だ。歩兵なら登れる土手も、馬では登れないことが多い。時間稼ぎとしては有効だった、だが、ステレ達も道具と言えるのは剣しかない。木造橋には火をかけたが、敵は人数が多い。砂をかけて消火されてしまう。石橋を完全に壊すのは困難だ。
 途中で、先行したカーラから連絡を受けた者たちが、斧や金テコ、掛矢を集めて駆けつけてくれたのでだいぶマシにはなったが、それでも谷川にかかる最大のショレン橋を落とすのは無理だった。馬車も通れるこの規模の橋を壊すのは困難だし、何より落とした後始末が大変だ。再架橋するのには何年も…下手をしたら何十年も待たなければならない。敷板を剥がして谷底に廃棄するつもりだったが、準備をしているうちに敵兵が迫ってきた。

 「ここには火をかけないのか?」
 「さすがにこの大きさの橋を焼き落としたら、再建に何年かかるか判ったものじゃないわ。それに、足止めは1日できればいいのよ。殿下を逃がすならそれで充分」

 囮として使うつもりだったグリフの馬車は、車輪を壊して橋の入口の閉鎖に使った。ついでに捕らえていたマズル卿を人質として出してみたものの、僅かに躊躇させただけで構わず攻撃してきた。哀れなマズル卿は、味方の矢に射られて死んでしまった。
 どうにか敷板の7割がたを剥がし、投げ捨てたところでステレ達も後退した。装備を捨てなければ登るのが困難な谷だし、迂回路も無い。敷板を張り直して通れるようにするには、周りの木を切って並べるか、谷底から敷板を拾い上げてこなければならないだろう。どちらにしろ短時間では不可能だ。馬を捨てる気ならば、橋桁を渡ってこれないこともないが、重装備のまま徒歩でカンフレー屋敷にたどり着くのは困難だ。こちらの約100人は完全に遊兵にすることが出来たと言って良い。

 山道をしばらく登ると、先行したはずのグリフ達の馬車が停まっていた。聞けば、既に屋敷が包囲され攻撃を受けているという。ステレ達と合流して一気に突破する為に待っていたのだ。隊列を組み直し、前衛を騎兵が務める。ステレは護衛として馬車の後部ステップに立った。
 全速で進むと、屋敷は一部から煙が上がり始めていた。こちらに気付いた包囲兵の一部が迎撃態勢を整える前に、カンフレー家の騎兵とオーウェンが突入して血路を切り開く。敵は外から援兵が駆けつけるとは予想もして居なかったようだ。こちらに気付いた屋敷の兵が繰り出し、門の前の敵兵を追い払った隙に馬車は飛び込んだ。騎兵と屋敷の兵が共同して敵兵を追い散らし、戻ってくると固く門を閉じる。

 馬車が車寄せに停まり、踏み台が設置されるのももどかしく、カーラが飛び出して来る。

 「やあ、お帰り。カーラが帰ってくるまでは持たせようと思ったけど、中々厳しいねぇ」

 妻と娘を出迎えたクリークス卿が、緊張感のかけらもない声で言った。
 カーラの後ろ、馬車から降りたグリフの姿を認めると、クリークス卿は恭しく跪く。

 「カンフレー男爵、世話になる」
 「これは殿下、カンフレーへようこそ。現在取り込み中ゆえ、大したおもてなしもできませぬ、ご容赦ください」
 「緊急時ゆえ、礼儀無用。…ところでクリークス卿、カンフレー家取り潰しを告げる使者は来たか?」
 「は?いえ、東の谷から武装した一団が上がってくるとの知らせを受け物見を出したところ、口上も無く攻撃されたと報告を受けています」
 「やはりそうか」

 予想通り、最初から奇襲同然に討伐するつもりだったようだ。こうなれば、皆殺しが前提の襲撃と思ったほうが良い。

 「ここもあまり長くは持ちそうにありませんよ」

 メイガーが言いづらい事を本人の前で堂々と言う。
 だが実際、堅牢な城塞でもなければ、多くの守備兵がいる訳でもない。単に斜面に立っているという地の利でどうにか持ちこたえているだけなのだ。

 「敵はいかほどか?」
 「200ほどですが、輜重がほとんどなく重装の兵ばかりです。一息にこちらを潰すつもりのようですな」
 「他に100が北谷を上がって来ています。ショレン橋を落としたので当面合流する心配は無いけど、北谷を下りて落ち伸びるのは無理ね」

 カーラが追加情報として報告する。

 「合わせると大隊規模だね。半分は傭兵を入れるとしても、この時期にこれだけの兵を出せるのは、やはり公爵家か?」
 「円卓はウチを目の敵にしてましたからね」

 結婚のときの騒ぎを思い出したのか、クリークス卿もカーラも苦笑している。

 「で、カーラは殿下をどうするつもりでお連れしたの?」
 「西の峠道を抜けてクヴァルシルに逃れてもらうつもりよ。ついでに領民もしばらく山に潜んでもらいましょう。口封じに皆殺しにされかねないわ」

 それはクリークス卿の想定と同様だった。

 「まぁ、それしか無いか。軍が上がって来るって聞いて皆には声をかけたから、持てるだけ荷物を持って屋敷の裏に集まってるよ。今は先見隊を出して道を確認中。問題なければ殿下をお送りしよう。ステレは殿下に付いて。次に領民達、女子供と年寄からね。カーラが指揮をお願い。道を知っている者を必ずつけること。体力がある若い衆は、兵の指示に従って障壁作りを手伝って。僕は足止めしながら下がるよ」

 日が傾いている。夜の山道で馬は使えない。徒歩で山道を登る逃避行が始まった。
 オーウェンは加勢する為に屋敷に残ろうとしたが、クリークス卿は「ここはカンフレーの戦場です」と言い切り、断固として許さなかった。

 「殿下をお守りしてください。もし殿下が動けなくなったら、卿が背負ってでも前に進むのです」

 そう言いながら、山歩きと野営の道具の入った背負袋をオーウェンに手渡す。

 「互いに己の役目を果たしましょう」

 そう言われたオーウェンは、恥じたように顔を下げると、グリフを追って山道を行く。カンフレー男爵は、平民出の穏やかな学者肌の人物と聞いていたが、とんでもない。自分以上に立派な騎士ではないか。唇を噛みしめて歩を速めた。


 「水は多目に持ちなさい、皆、言いたいことがたくさんあるだろうが、全ては命あってこそだ。皆の言い分は生き残ってから聞く。さぁ行きなさい」
 「旦那様もどうかご無事で」

 そんな声と共に、領民達は山道を登って行く。その中に、身長ほどの長さの棒を持つ妻を見つけたクリークス卿は、呼び止めると腰の細剣を外して手渡した。

 「これ、お願いね」
 「クリークス…」

 微笑むクリークス卿から剣を受け取ると、カーラは道を進む領民を追って歩き出した。山道を行くというのにスカート姿のままだが、彼女は「淑女はどんな場所でも歩調を乱さぬものです」と行って、普段からどんな悪路でも平気でスカート姿で歩いている。

 「さて、それじゃまぁ、適当に相手しつつ下がりますか」

 妻を見送ったクリークス卿は、上着を脱ぎ捨てると大量のポーチの付いた重そうなサスペンダーを身に着けた。それから、壁に飾られていた二振りの小剣を手にすると、腰の左右に下げる。
 と、クリークス卿が振り返りもせずに言った。

 「どうして殿下をお守りしないかなぁ」
 「ここはカンフレーの戦場ですから。お手伝いいたします、父様」
 「やれやれ…」

 苦笑してそれだけ言うと、クリークス卿は足早に部屋を出た。台所に入ると、包丁やらカトラリーをありったけバスケットに放り込んで持ち出す。前庭に出ると、敵兵が門を越えようとしている。クリークス卿はバスケットから取り出した包丁を投げつけた。顔面に包丁の刺さった敵兵が悲鳴も上げずに塀の後ろに落ちる。

 「敵は重装備だよ、剣を折らないように狙い所には気をつけてね」
 「はいっ」

 初めて見る父親の戦う姿に、ステレは力を得ると、塀を越えようとする敵を下から槍で突き立て始める。そんな娘の姿を頼もしく思いつつ、クリークス卿の表情はあまり良くない。

 「あー、こりゃ持たないねぇ…」

 守備側が少なすぎる。塀を越えた敵を倒す間に、手薄になった箇所からどんどん侵入されてしまう。
 クリークス卿は、目につく敵に片っ端からフォークやナイフを投げつける。怯んだ敵を、味方はどうにか倒していた。元より、屋敷での防戦は山道で迎撃する準備をする時間を稼ぐためだ。ここはもう捨てても良い。

 「皆、下がるよ。負傷者は残さずにね」

 屋敷のあちこちから火の手が上がり始めた。クリークス卿の指示に従い、カンフレーの家臣が下がり始めた。
 ステレも、周りに動けない味方が居ないか確認しながら後退しようとした時、屋敷の厩からいななきが聞こえた。はっとしたステレは厩に向かって駆け出す。誰かが解き放たないと、馬は逃げようが無い。だが、ステレが扉に近づくと、火の回った厩から馬が走り出て来た。気づいた誰かが逃がしてくれたようだ。後退を伝えようとしたが、馬を追い立てながら出て来たのは、兵ではなく先に山道を行ったはずの厩番だった。

 「カロイ、どうしてっ」
 「屋敷に火の手が上がったのが見えたんで、コイツらが気になって戻ったんでさ。焼け死んだら可哀想だ、間に合って良かった」

 カロイが灰と煤で汚れた顔でそう笑った。
 カロイは家臣ではない。農作業の合間に馬の世話を委託しているだけの領民だ。こんな危険な場所に戻る必要などなかったのだ。

 風が変わったのか、煙が流れてくる。
 涙目で咳き込んだステレは、カロイに早く逃げるよう言おうとして愕然とした。
 目を離したほんの一瞬、その間にカロイの胸から、輝く鉄の穂先が飛び出している。カロイは不思議そうな顔でそれを見た。

 「え?あれ?」
 「このっ」

 槍を抜く間に、ステレが踏み込んで王国兵の喉元に剣を突き入れる。噴水のように血を噴き上げて王国兵は倒れた。
 倒れた兵に目もくれず、ステレはカロイを抱き起そうとした。

 「カロイっ、カロイっ」
 「あ…おじょ…」

 そこまで言うと、カロイは口から大量の血を吐いた。途端に身体から、かくんと力が抜ける。
 涙があふれてくる。
 こんなこと、シギンになんと言って伝えたらいいのだ。自分は皆を護る騎士になりたかったのに。そんな自分の一言がこんな事態を招くなどと…。

 「ステレ、行くよ」

 いつの間にか後ろに立っていたクリークス卿が、普段と変わらぬ優しい声で言う。
 だが同時に、異論を許さぬ厳しさも含んでいた。カロイはここに置いて行くしかない。他の戦死した家臣同様。

 「泣いている間にもっと死ぬ」
 「……はいっ」

 涙を拭ってステレは駈け出す。もう誰も殺させぬと誓いながら。
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