魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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とある鬼人の前世(?)6 母として貴族として将として

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 山道には、先行した家臣と領民が協力して、所々に防衛用の障壁を作っていた。
 隘路に杭を打ち、近くの雑木を切って縛り、道を塞ぎ、葉を落とした枝を逆茂木として突き出してある。
 屋敷を脱出した兵は、一つ目の障壁を通り過ぎ2つ目の障壁まで下がった。ここで休息し、第一の障壁を支えきれなくなった兵が下がって来たら、代わりにここで食い止めるのだ。
 そうして交代しながら障壁を盾に時間を稼ぐつもりだったが、思う通りには行かなかった。業を煮やした王国兵が、損害に構わず力押しの飽和攻撃を始めたのだ。
 更に悪いことに、指揮官がカンフレーを侮って後方に残して来た輜重が苦労の末にようやく到着し、王国兵が大量の弩を持ち出して来た。味方まで巻き込むような矢の雨で、障壁に隠れるカンフレー側も迂闊に攻撃ができない。
 一部の傭兵は障壁に正面から突っ込む愚を避け、山の斜面を伝って障壁を迂回しようとし出している。障壁は想定より短時間で突破されそうだった。

 「いやー、まいったね。戦場慣れしてるのか、頭オカシイのか。この平和な世に、ここまで損害気にしない指揮官が居るとは思わなかった」

 障壁を支えきれず下がって来たクリークス卿は、妻の姿を見つけるとぼやいた。横ではステレが言葉も無く息を切らせている。感情が爆発して、かなり派手な立ち回りをしてしまっていた。
 相当の敵兵を倒しているはずだが、屍を乗り越えて後から後から押し寄せて来る。
 だが、それより問題な事が起きている事に気がついた。クリークス卿は、渋い表情のカーラの横に立つ男を胡乱な目で見る。

 「で、なんでオーウェン殿はまだこんな所に?」

 先行したグリフに付いているはずのオーウェンが、その後ろで領民の避難を指揮するカーラと共に居たのだ。

 「殿下が、私たちを置いて先には行けないって頑張ってるんですって」
 「あちゃー」

 クリークス卿が天を仰ぐ。

 「部下想いなのも考えも…」
 「居たぞ、男爵夫人だ。殺せっ!」

 不敬ギリギリな呟きをかき消すように、山の斜面から複数の傭兵が叫びながら飛び降りて来た。この暗がりの中、急斜面を抜けてくるとは大したものだ。

 ステレは反応が遅れた。だが、オーウェンが剣を抜くより早く、振り返ったカーラが棍を一閃させると、二人の敵兵が膝から崩れ落ちた。二人とも首が不自然な形に曲がっている。もう二人は額の真ん中に投剣を受けて倒れている。クリークス卿の着けているポーチには、短い鉄棒を尖らせた投剣がぎっしりと詰まっていた。オーウェンが唖然としている間に、続く何人かも、姿を見せた瞬間にクリークス卿が投剣を打込んで倒した。暗がりの中でも恐ろしい程の腕前だ。

 「あらあら、いよいよ持って最終決戦かしら?」

 当主が狙われたことで、周りの兵が集まって来た。指揮をしていた古参兵のヤンが頭を下げる。

 「奥様、旦那様、力及ばず申し訳ございません」
 「いいえ、皆こそ私たちの我儘に付き合ってくれてありがとう。最悪こうなるだろうとは予測がついていたから、いざとなったら夜逃げするつもりだったけど……陛下の死は、ちょっと予想外だったわね。逃げる訳に行かなくなっちゃったわ」

 『予測がついていた』という言葉が、ステレの胸に刺さる。

 「母様、あの使者が言った通り、私のせいでカンフレー家は謀反に問われたのでしょか?」

 だがカーラは首を振った。

 「ステレ。あなたは何も悪くないの。言った通り、これは私の我儘のせいなのよ。だから自分を責めないで。娘が自由に生きることこそが父母の望みなのですから」
 「でもっ」
 「どっちかというとね、僕たち夫婦が王城の高位貴族にえらく嫌われてたのさ。殿下とステレはその巻き添えを食ったって所だね」
 クリークス卿が補足する。

 「さて、皆済まないけど、殿下を説得する間、もう少しだけ敵を食い止めてね」
 「承知しました」

 ヤンに率いられ、兵たちは障壁に向かって駆けて行った。クリークスとステレも後を追う。一部の兵は斜面からの迂回を防ぐために斜めに登って行った。
 それを頼もし気に見送ると、カーラは峠道の途中で待つグリフの元へ赴いた。


 グリフは山道の真ん中で、剣の柄に手をかけて立っていた。脇では匙を投げたらしいメイガーが腕組みしてじっとグリフを睨み付けている。

 「殿下、先行してお逃げ下さいと申し上げたはず」
 「そなた達を置いて逃げて、主君の資格などあろうはずが無い」

 そう言い切るグリフに、カーラはこめかみに手を当てて俯く。
 グリフはもう少し現実的な思考の出来る男だったはずだ。今のグリフは怒りと混乱とその他の感情が爆発して、自分の思考に酔ってしまっている。この非常時に面倒くさいったらありゃしない。
 カーラは淑女の慎ましやかさや礼儀をブン投げた。もう殆ど子供を躾ける母親の口調になる。

 「…いいですか、殿下。この際ですからはっきりと申し上げますが、殿下の命と我々の命は重さがまるで違います。我々がそう認識しているのですから、殿下がいくら否定されても全く意味はありません。この場で優先すべきは殿下の命であり、そのために投げ捨てるのがカンフレーの命です。皆が助かる都合の良い道などありません。
 殿下が『全てを救え』とお命じになれば、家臣はそれに従うでしょう、ですが結果は全滅するだけです。何も得ることはできません。我々もそうして家臣の命を投げ捨てながら、ここまで持ちこたえて後退できたのです。お分かりですか、殿下。選択して下さい、何を為すべきか。今の殿下は、我々が捨てた命を無駄にし、我々の邪魔をしようとしてます」

 面と向かってそう糾弾されたグリフは鼻白み、それでも何か言おうと口を開きかけた。だが、カーラは反論させる気は無かった。議論している暇など無いのだ。

 「余計な手間かけさせず、とっとと逃げろって言ってるんだよ。グダグダ駄々こねて現場に迷惑かけるな!」

 ドスの効いた声と目で啖呵を切られて、グリフは硬直した。オーウェンとメイガーは呆然と目を見開いている。

 一瞬で表情を元に戻したカーラは、「失礼いたしました」と頭を下げた。
 あまりの変貌にショックを受けたグリフは、ようやく冷静な思考が戻って来た。少なくとも『どっちが素だ?』という質問をしないくらいの分別は戻っていた。 

 「自ら王道を歩まれようとする志は御立派ですが、殿下は超人でもなければキブト陛下でもありません。部下にできることを部下にお任せ下さい」

 重ねて、グリフの美点を指摘した。言い方はマイルドだが、それは『凡人は凡人らしくしろ』という、酷い指摘でもある。だが、今のグリフにはその指摘が何よりも嬉しかった。それこそが自分の生き方だったはずと思いだしたのだ。 

 「すまぬカーラ夫人、先王陛下に叱られた気分だ。そなたの助言に従おう」
 「畏れ多い事です」

 キブト王に喩えての感謝は、カーラにとっても最大の賛辞だった。グリフは自分を取り戻した、後はグリフ次第だ。

 と、騒めきと共にクリークスとステレを先頭に兵が早足で戻って来た。

 「敵は再編の為に一旦下がったよ、諦める気は無さそうだから、すぐ次が来る。急いで」

 カーラは頷くと、ステレを手招きした。

 「じゃステレ、ちょっとこっち来なさい」
 「え?はい…」
 「はいこれ」

 カーラは、飾りの着いた細剣をステレに手渡す。屋敷を出るときにクリークス卿から渡された剣だった。訳も分からぬまま、ステレは両手で剣を受け取った。

 「この剣はカンフレー家当主の証です。という訳で、ただ今よりステレがカンフレー家当主です。殿下、お認めいただけますか?」

 グリフは溜息を付いて首を振る。カーラの覚悟を悟ってしまったのだ。

 「王弟グリフの名において承認しよう」

 カーラは微笑んで謝意を示した。

 「さ、殿下をお守りして峠を越えなさい。皆も当主を支えて上げて。安全と判るまで戻って来てはダメよ」
 「え?え?え?だ、だって、女は爵位を継げないって」
 「カンフレー男爵じゃ無いわよ、カンフレー家の当主。我が家は男女問わず直系継承です。あなたはカーラ・サルハ・ダス・カンフレーのただ一人の娘。カンフレー家はあなたと共にあるのです」

 カーラはたすきに懸けていたカバンを外してステレの首にかけた。

 「それとこれを。あなたの助けになるわ。使い方は中の紙に書いてある。使わないに越したことは無いけど、どうしょうも無いときは躊躇しないように」
 「奥様はどうなさるのです?」
 「連中、引く気は無いようだし、ここで食い止めるわ」
 「馬鹿な、奥様、どうか我らにお命じ下さい」

 ヤンを筆頭に、家臣が皆必死の懇願をした。だがカーラは首を縦には振らない。

 「ダメよ。誰も居なくなっちゃったら当主が困るでしょ?私達二人ならどうにでもなるわ。隠居より現当主のために尽くしなさい」

 そう言われては涙ながらに引き下がるしか無かった。一部の家臣は不忠と不義の板挟みにあって、男泣きに泣いている。

 「母様っ、父様っ」

 涙のにじむ目で両親に縋ろうとしたステレをカーラが優しく抱きしめた。

 「泣いてはだめよ、ステレ。これがあなたの望んだ道。死が別つまで殿下を支えなさい」

 カーラに代わってクリークス卿もステレを抱きしめると、ステレの身体をグリフの方に押しやった。

 「そして、何もしてあげられない母親だったけど、せめてあなたが目指した騎士の生きる様を見せてあげるわ」

 そう言うカーラは、既に母親でもカンフレー夫人でもなく、一人の武人になっていた。

 「殿下、殿はカーラ・カンフレーとクリークス・カンフレーが務めます。このまま山を越え、クヴァルシルへお入りください」
 「カーラ夫人、無駄に命を落とすことは無い。どうか生きて再び私を叱咤してくれ」
 「ありがたき仰せですが、ここで食い止めねば追いつかれて皆殺されます。我が忠誠はキブト陛下に捧げました。キブト陛下と共に参りますことをお許し下さい。今代のカンフレーは最後まで殿下と共に有ります。お早く」

 先程の一喝が効いているのか、グリフはオーウェンとメイガー、生き残りの家臣と共に素直に山道を進みだした。

 「ヤン、ステレを頼みます」
 「一命に代えて」
 「母様っ父様っ」
 「クリークス、奥様を頼んだぞ」

 十数年ぶりにその名を呼ぶと、ヤンはステレを担ぎ上げて走り出した。


 見つめる暗がりの先で、松明の明かりが動いている。障壁をどかし、戦死した兵を片付け、隊列を編成しなおし、もう間もなく押し寄せて来るだろう。
 敵は何人残って居るだろうか?
 そんなことは些細なな問題だから考えない。2対50だろうが2対100だろうが大差は無い。
 人の気配を感じて振り向くと、皆が逃げた峠道からぞろぞろと年配の男達が現れた。武装したままの家臣も居れば、野良着の農民も混じっている。皆思い思いの武器を手にしている。

 「逃げろ、と命じたはずよ?」
 「私らも跡目を譲ってきましたよ。隠居同士、楽しくパーティと行きましょうや」

 男の一人が楽しげに答える。
 カーラは黙って肩をすくめた。彼らは皆隠居するにはまだ早い歳だ。もっともっと後継者を鍛え上げてから引退し、穏やかな余生を過ごして欲しかった。
 だが、それを言ったら自分もそうだ。彼らを責めるのも憐れむの全部自分に返ってくる。
 それに、二人で残った敵を食い止めるのはさすがに骨だと思っていた所だ。彼らと一緒なら、なんとか戦いにはなるだろう。口には出さず心の中で感謝する。

 「奴ら、もう勝った気でいるみたいだね」

 クリークスがいつもの通り、のんびりと呟いた。

 「では、カンフレーに手を出したらどうなるか、きっちり教育してやろうじゃないの」
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