魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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とある鬼人の前世(?)13 皇国を行く

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 グリフ一行は、白骨山脈の峠から眼下に広がる平原を見ていた。地平の彼方には祖国グラスヘイムがあるはずだ。
 皇国は王国の北に位置し、東西に伸びる白骨山脈の稜線を国境としていた。だが、皇国領は王国の東で白骨山脈を越えて南に広がっている。今でこそ両国の関係は良好だが、何百年か前には王国と皇国が激しく戦い、その結果が国境として今に残っているのだ。今では、山脈に源を発し、大陸を南北に流れるオーダ河が国境となっており、その東側が皇国領である。ただし、オーダ河東岸が全て皇国領という訳ではなく、その南にはオーダ河を越えて王国の領土が飛び出していた。そここそがグリフ達の目的地であるツェンダフ領である。
 彼らは今までは、山脈を見上げてその向こうにある祖国に想いを馳せていた。これからは、指呼の間である。だが、祖国が近づくに連れて危険も増す。王国人と出会う確率も増えて来るはずである。彼らの行動は、王国に筒抜けとなりかねない…。


 皇国に亡命したグリフ達は、大陸を東進し皇都に入った。そして都の貴族各家に分散して逗留を命じられ、個別に尋問を受ける事になった。それらをまとめ、精査するのに時間が掛かったのだろう。グリフが皇国丞相カリオンと公式に対面したのは、入国してから数月も経った後だった。噂に聞く皇主の能力が真実だとすれば、今回の対応には皇主の聖断は入っていないということだろう。
 カリオンは型通りにグリフ一行を労り、皇国内の自由な移動を認めた。が、それだけである。皇国としては、ブレス王の傲慢とも言える態度に腹は立てたものの、兄弟どちらか一方に過剰に肩入れすることは避けたかった。またグリフとしても、皇国を後ろ盾としてブレスと争うなどできるはずも無かった。内戦に外国勢力を引き入れたりするのは愚策中の愚策である。ただカリオンは、マーキス卿の密使との繋ぎには便宜を図る事を、遠回しに約束してくれた。グリフ達に最大限配慮してくれたと言って良いだろう。

 そうして出発したグリフ達は、今度は皇国貴族の招待に悩まされる事になった。もちろん、ただの善意だけではなく、王国への干渉の口実、あるいは運よくグリフが復権を果たした際のために一枚噛んで置こうという心づもり、ごく一部には、ブレス王につてのある貴族が、家臣に誘いをかけ結束を崩壊させようとしようとしていた。無碍に断ることもできずに逗留したが、それでもグリフは最低限の物しか受け取らなかった。やがてグリフが靡かない事が知れ渡ると、そういった貴族の誘いも減ってくる。

 だが貴族の招待に悩むなど、まだ贅沢な話だったのだ。グリフは、誰にも借りを作らず、独立独歩で祖国を目指すことがいかに困難か、直ぐに思い知る事になった。

 彼らの旅が思うように進まない理由はいくつかある。
 馬をほとんど使うことができず、徒歩の旅であること。
 これは馬を飼う余裕が無いためだった。馬を飼うことができるのが騎士、すなわち貴族となる。馬はそれほど金が掛かる。どうにか荷駄を運ぶラバを確保できているが、それ以外はグリフ以下皆徒歩で行軍を続けていた。
 宿場を使うことができないこと。
 王国はグリフに賞金を懸けていた。報奨につられてか、度々刺客が襲って来る。宿場でもお構いなし襲われた事があり、以降は宿場を避け野営をしながらの旅である。そんな一行には遍歴商人も寄り付かない。木の陰に天幕を張り、川の水で体を拭い、焚火の火で暖を取る。野営の設営と撤去に時間が掛かり、なかなか行程を稼ぐ事ができない。体調を崩す者が出始めても、屋根の下で寝る事すらできない。
 そんな旅が続いて、気付けば王国を出てもう三年目に入ろうとしていた。皇国の冬は厳しく、何人もの家臣が異国の土となった。それでも一歩ずつ歩みを進め、苦労の末に白骨山脈を越え一行は南下を始めている。良い事ばかりではない。祖国が近づいて来ると同時に、刺客の頻度も増える事になる。中々証拠を掴めず手出しできなかった王城が、ツェンダフ公爵の援助の証拠を掴みつつあるという。祖国を目の前に、グリフの旅は正念場を迎えようとしていた。



 設営が進む野営地で、グリフは一人離れた岩場を見ていた。その前には、オーウェンが仁王立ちして人を近づけないようにしている。岩陰ではステレが体を拭いて身支度をしているはずである。
 男所帯で一人、女性としての節度を守っているかに見えるステレだが、グリフはステレが既に純潔を捨てている事を知っている。ステレは何も言わないが、グリフ程部下に気を配る主は居ない。どれほど内密に事を進めても、隠し通せるものでは無かった。

 ステレはオーウェンと協力し、行動のおかしくなりそうな兵を見つけては声をかけていた。相手が罪悪感を感じないよう、関係が後を引かないよう、「自分がしたくなったから手近な男を誘った」ように見えるよう心掛けた。カーラの持たせてくれた薬箱には、避妊の魔法薬、潤滑用の軟膏、遮音の護符等一式が揃っていたから、ステレは母親に半ば呆れながらも何とか娼婦役をこなすことが出来た。一人では何ほどの効果も出ないかもしれないと考えていたステレだが、毎日続けて行くと以外にも兵の間のギラ付くような欲望は減っていった。
 毎日兵と寝て、抱かれることもあったが、そうでないことも多かった。ただ隣で一緒に居て欲しい。手を握っていて欲しい。そう言われるのだ。ステレの胸で泣き続けた兵も居た。だが、それだけで男は翌朝笑顔で先の見えない行軍を続けるのだ。しばらくしてステレはようやく、自分の拙い芝居がバレていたことに気づいた。それはそうだ。彼らの大半は、ステレをオーウェンの女だと思っていたし、うかつに手を出せば怖い家臣達に袋叩きになりかねないと思っていたのだから。だが、オーウェンも、カンフレー家の家臣も、ステレの行動に何も言わない。つまりは、ステレはおかしくなった訳でも、男狂いになった訳でもなく、単に自分のできることを全力でしているだけなのだ。女一人にそこまでさせて平気な男はグリフの下にはいなかった。
 だが、人の口に戸は立てられない。例えそれが味方であっても。そして、噂が流れれば尾鰭が付く。意図的な物も。
 ステレは「戦場で欲情し誰にでも股を開く女」、「グリフの一行全員と一人で相手する淫売」という悪評が立つことになった。恐らくは、王都がグリフ一行を貶めようと流した噂であろう。予想していたことだから、決心して以降、ステレはグリフと距離を取るように心がけていた。絶対に二人きりにはならないよう、常に自分の居場所が明確になるよう努めた。

 主グリフを心から愛するステレは、だからこそグリフが自分を抱いたなどという噂だけは、絶対に流す訳にはいかなかった。

 その思いにグリフも応えた。
 グリフもステレを意図的に遠ざけたのである。
 それがステレの心に報いる、ただ一つの事だと知っていたから。
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