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鬼人の剣 1
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不破鋼の剣を携えたドルトンは、砥ぎ師カラガリの工房を訪れていた。
この国で研ぎ専門の職人は珍しい。ドルトンがステレに送った呑月候の太刀を入手した時に『諸侯国様式の剣は砥ぎも特殊』と聞いたドルトンは、諸侯国様式の剣を研げる職人を探し、カラガリを見い出した。
カラガリは元は鍛冶師だったが、クヴァルシルに修行に出た際に諸侯国の剣とその砥ぎの美しさに魅せられて弟子入りし、砥ぎ師に転向した変わり種である。王国の剣は頑丈である事が重視され、研ぎも実用一点張りである。カラガリはそれだけでなく、剣の地金を引き立てる砥ぎができる職人として、一部の貴族から重用されている。
今はドルトンから魔の森の砥石の供給を受けており、魔金属の剣を砥ぐ研究も進めている。戦乱が途絶えて200年、長く魔金属の剣は世に出回らなくなっており、今や砥げる職人がほとんどいなくなっている。魔の森から持ち帰った大量の魔金属の剣を砥ぎ直す事が予想されたから、技術の確立と継承が急務となっていた。
「邪魔するぞ」
「お、久しいな旦那」
丁度自分の仕事を一段落させららしいカラガリは、前掛けを外すとドルトンを応接用のテーブルに誘った。
カラガリは、筋骨たくましい中年の男だ。出資者であるドルトンを『旦那』とは呼ぶが、それ以外は敬語も使おうとしない。ドルトンは別段気にしない、職人は腕が全てだと思っている。特にクヴァルシルの職人なら、コミュニケーションを取る事自体が困難な職人すらいる。カラガリは随分マシな方なのだ。
「魔剣の砥ぎはもう少し待ってくれよ。研ぎ自体は目途が立ちそうだが、何しろ砥ぎあがった状態の魔剣をほとんど見ていない、100年前と同様に砥げているか判断が付かん」
「いや、今日は別口…という訳でも無いか……。優先仕事で魔剣の砥ぎを引き受けて欲しい。料金は特急で出す」
「旦那の頼みなら、何を置いてもやらせてもらうが、モノはなんだ?」
「最近打たれた物で、形は諸侯国の古式の直刀だ。諸侯国の砥ぎ師も匙を投げた代物だそうだ」
「なんだと?」
ドルトンは包みを解いて剣を取り出した。拵も何もない、ただの金属の棒にしか見えない剣をカラガリに手渡す。
「真っ黒だが…焼身じゃねぇな。…こいつは不破鋼か」
「その通り。しかも魔力を纏えぬ不破鋼に魔法を多重付与した剣だ」
「これはまた…すげぇ物を見つけて来たな。どこのだ?」
「何も聞くな」
「訳ありか…まぁいい」
「砥げるか?」
「さて……」
カラガリは、作業場から魔法の砥石の欠片を持ってくると、刃に押し当てて何度か擦り付けてみた。波紋のような干渉波が視覚できるが、刀の表面に目立った傷もつかない。だがそれでも地肌の表面に微妙な変化はあった。カラガリは光にかざして斜めから表面の変化をじっくりと見極めた。それから随分と長い事思案していたカラガリは不満そうに言った。
「このまま刃を付けるなら二十日だ。だが、俺が『砥ぐ』んなら四十日要る」
「なぜお前が砥ぐと倍かかる?」
魔の森の魔法の砥石で二十日というだけで、とんでもない作業だと判る。それでも砥げる見込みが立つだけマシとも言える。だが、ドルトンが認める技量の砥ぎ師が、なぜ四十日もかかると言い出したのだ?。
「魔法は判らんから鍛治仕事だけだが…こいつを作った鍛冶は、金属を合わせて打ち上げる技術はとんでもねぇ技量だ。だがそれ以外は並みでしかねぇ。こんな不細工なものが刃と言えるか。板の端を斜めに削いだ刃付けしかしてねぇぞ。これをこのまま刃付けするなら二十日だ。刃先を砥ぐだけでもそれくらいかかるくらい硬い。が、俺はそんな仕事はできん。俺が仕事をするなら、俺が納得のいく砥ぎをする」
確かにこの剣は最低限の加工すらされていない。鎚跡すら残っている。刃先だけを砥いでも、まるで鉈のような剣になってしまうだろう。だが、今は時間が惜しい。無骨ではあっても剣の形はしている。なぜこのまま刃を付けるだけではダメだというのだ。何より斬る事のできる『剣』にすることが第一なのだ。
「この剣は、そもそも刃毀れや切れ味の鈍りを心配する代物ではない。刃を付ければ斬れる、そういう剣だぞ」
「そういう問題じゃねぇんだよ、この剣はそもそも刃の付け方がおかしいんだ。それを修正するのは砥ぎ師の仕事だ。最高の素材で作られた剣に最高の刃を付けんで砥ぎ師が名乗れるか!」
「……鍛治がこの形に打ったのに、それを変える必要があるのか?」
「おう、剣の形には鍛治の意図が出る。それをいじるのは、もちろん打った鍛治に非礼だからやらん。だが、コイツにはそれが無い。コイツは今は剣の形をした鉄板だ。何も考えないで打ったか、こう打つしかできなかったのかどちらかだ。だから砥ぎ師の俺が尻拭いして、剣にしてやらなきゃならんのだ」
ドルトンはため息をついた。この男がこう言い出したら、いくらパトロンのドルトンが言っても絶対聞き分けない。だからこそ、この男に砥いで欲しい。
「ぜひお前に『砥いで』欲しいが、四十日は待てん…」
悔しさが声に滲んでいた。
カラガリは天井を見上げ、そして自分も溜息をついた。これ以上ドルトンに頼るのは矜持に係るが、ここはやむを得ないだろう。
「……追加で出資してもらえるか?」
「うん?」
「旦那のおかで工房に余裕ができてな。魔剣の砥ぎ直しを研究するのに、碾臼を参考に水車で回わる砥石を作って試している」
クヴァルシルでは、とにかく作業を機械化しよう風潮が強かった。それは、職人や芸術家と同じくらい機械技術者が多いためであり、それらの機械は彼ら技術者の『作品』だからだ。動かす端から自壊して笑いと涙を誘う機械がある一方で、実用水準に達する機械も増えている。事実、一部の鍛冶師は水車動力の自動ハンマーを試したりもしている。その地で修行したカラガリは、伝統的な技だけでなくそういった機械の使用にも忌避感を持たなかった。王国にも足踏みや手回しの回転砥石があるが、カラガリは水車で回転する砥石を実用化しようとしていた。
「もちろん、回るだけの砥石じゃ手での砥ぎの補助にしか使えん。が、回転砥石を作ったのはクヴァルシルの技術者でな、意気投合して自動で砥ぐ回転砥石の研究を始めた」
「ほう」
「今、うちの工房に試作機を据え付けて試験を続けている。短剣から両手剣まで、決めた角度、決めた回数を砥ぐ、砥石の減りの分まで自動で補正できる真の自動砥ぎ機械だ。だが資金が足りねぇ。この剣を砥ぐには一台じゃおっつかん。換えの機械を作って、機械の改良と砥ぎを並行してやらにゃ間に合わん」
「それを使えば砥げるか?」
「職人が交代しながらの荒砥ぎの時間を、機械にかけっぱなしで砥げば半減できるかもしれん。仕上げを譲る気はねぇが、上手くいけば三十日くらいには縮められるだろう」
「十日縮むか……機械を見せてもらえるか?」
「おう、来てくれ」
一般的な足踏み式の回転砥石は砥石が縦に回転するものだが、新型の砥ぎ機は円盤の砥石がロクロのように水平に回転するようになっているようだった。回転する砥石の上に据えられた剣が、剣を取り付けた腕木ごと自動で動き、砥石に押し当てられている。砥石を回す歯車の他に、小さな歯車が無数に並び、これらが剣を保持する腕木の位置を調整しているようだった。
装置には作業服の男が付きっ切りになっており、時々機械を止めては剣の位置や取り付け角度を計測し、手許の記録紙と見比べている。意図した砥ぎ具合になっているか確認しているのだろう。
「おう、先生。俺の出資者が機械を見学したいそうだ。いいかい?」
「えぇ、かまいませんよ」
作業服の男は書類を挟んだ板を置くと、立ち上がってドルトンに恭しく頭を下げた。育ちのよさそうな若い男で、度の強い眼鏡をかけている。機械いじりはそこそこ裕福でなければ始める事も難しいから、貴族とは言わないまでも、商人か裕福な農家かの出身なのかもしれない。この国の上流階級には未だに獣人に眉を顰める者もいるが、さすがに来るもの拒まずのクヴァルシルの人間だけあって、獣人の商人だとて全く意識した様子は無かった。
「私は、カラガリ親方と共同で砥ぎ機の開発をしている、シアールヌイと申します」
「商人のドルトンだ。なんでも、画期的な機械を開発しているとか?」
「せいぜい中研ぎまでです。決められた回数を決められた角度で砥石に当てる。できるのはそれだけです。事前に角度を決めるのは職人ですし、調子を見ながら角度を変えるような事もできません。それでもこの機械で大雑把な作業をを片付ける事ができれば、細かい技を振るう余裕が生まれると思っています」
「なるほど」
ドルトンは技術者の言葉に好感を覚えた。この男は、大言壮語で出資を取り付けようとする、山師紛いの技術者ではないようだ。
「特殊な剣を砥ぎたいが、カラガリの見立てでは機械を最大で三十日以上回しっぱなしにしなければならんという。この機械はそれに耐えられるかね?」
「無理ですね。あまり長く動かすと、遊び…ガタが大きくなってきます。砥ぎで角度が狂うのは致命的です。できればもう一台の機械を用意し、数日ごとにと交代しながら使うのが良いでしょう。その間に片方の機械を調整します」
二人とももう一台の装置が必要という点で一致しているようだ。カラガリの見立ては間違いでは無いという事になる。となると、後は時間だ。資金面の心配は度外視している。
「この機械をもう1台用意するのに、時間はどれくらいかかる?」
「可動部は交換用の予備部品を作っていますので、部品の七割は揃っています。足りない部品…主にガワですが…を作って装置を組み上げればそれほどかかりません。もう一台を動かすだけなら数日で可能かと。ただ他に交換用の部品を十分に用意する必要があります。こちらは精度が要りますから、多少の時間が必要です」
「…判った。資金を出そう」
ドルトンの決断に、カラガリとシアールヌイは、安堵の表情で視線を交わす。
「代わりに、一日でも早く仕上がるように進めてくれ」
「ったってなぁ、砥石に任せて放っておくだけだから、急ぎようがねぇよ。錆び止めや切れ味持続の付与はいらんだろうから研ぎのみだが…コイツは荒砥で刃付けするだけで十五日は見た方がいいぞ」
「十五日か…」
ドルトンは頭の中で他の作業の日数との摺合わせをする。砥ぐだけでなく、拵も作らねばならない。木工職人、彫金師、革細工師…と考えていて、ふと森人の工匠を思い出した。
「……魔の森で、魔力を溜め込んだ樫の木を手に入れた。見た目は木だが鋼並みの強度がある。それを加工するのに、森人の工匠は軟化のまじないで魔力を送り込んでから削っていた。外部発動魔法がほとんど使えなくても、まじない自体は通っていたらから、魔法使いでなくてもできると思う。この剣には通用しないか?」
「……なるほど、やってみるか…」
そういうとカラガリは剣に向かって念を送るようなポーズでぶつぶつと何かつぶやいている。さすがに外部発動の魔法は使えないが、職人なので低位ながら身体強化は使える。魔金属の剣を扱うために現物を見せてもらい、纏う魔力もある程度は感知できるまでになっていた。
一方、シアールヌイはドルトンの話の方に食いついて来た。
「その、鋼の強度がある木というのはどういうものでしょうか?機械の設計は軽量化と強度の綱引きでして、もし入手できるのでしたら、是非とも試してみたく…」
「あぁ、判った。端材で良ければ今度持ってくる」
「ありがとうございますっ!」
理知的な男に見えたが、やっぱりこの男もクヴァルシルの職人らしい。有無を言わせぬ勢いに、ドルトンも試供品を約束せざるを得なかった。
カラガリはだいぶ念入りにまじないを送り込んだ後で、砥石の小片で剣の表面をこすっていた。
「くそっ、さすが複合付与だ。全部は除外しきれねぇ。……だが、だいぶ砥石がかかるようになるぞ。機械にかけっぱなしで片面五日、両面で十日だ。鞘作らなきゃならねぇだろうから、中研ぎ前に寸法確認に来な」
「助かる、私は他の職人を回らねばならん、出資の件は店員を寄越すから打ち合わせてくれ。では頼んだぞ」
それだけ言うと、ドルトンは木工師と彫金師の工房に向かうためカラガリの工房を出て行った。
荒砥ぎ二十日から半減までこぎ着ける事ができた。他の職人の日程を急ぎ抑えておかなければならない。
「毎度毎度慌ただしいこった」
そう言いながらもカラガリの胸は期待に高鳴る。
(この前代未聞の魔剣を仕上げる。俺にしかできん仕事だ)そう自負していた。
「先生は砥ぎ機の組み立てと調整を頼む、しばらく寝る間も無いぞ」
「あぁ、任せてくれ」
この日以降、工房では二十日以上デスマーチが続くが、カラガリもシアールヌイも疲れを気に掛ける事もなく、魔金属の剣の仕上げに没頭していった。
この国で研ぎ専門の職人は珍しい。ドルトンがステレに送った呑月候の太刀を入手した時に『諸侯国様式の剣は砥ぎも特殊』と聞いたドルトンは、諸侯国様式の剣を研げる職人を探し、カラガリを見い出した。
カラガリは元は鍛冶師だったが、クヴァルシルに修行に出た際に諸侯国の剣とその砥ぎの美しさに魅せられて弟子入りし、砥ぎ師に転向した変わり種である。王国の剣は頑丈である事が重視され、研ぎも実用一点張りである。カラガリはそれだけでなく、剣の地金を引き立てる砥ぎができる職人として、一部の貴族から重用されている。
今はドルトンから魔の森の砥石の供給を受けており、魔金属の剣を砥ぐ研究も進めている。戦乱が途絶えて200年、長く魔金属の剣は世に出回らなくなっており、今や砥げる職人がほとんどいなくなっている。魔の森から持ち帰った大量の魔金属の剣を砥ぎ直す事が予想されたから、技術の確立と継承が急務となっていた。
「邪魔するぞ」
「お、久しいな旦那」
丁度自分の仕事を一段落させららしいカラガリは、前掛けを外すとドルトンを応接用のテーブルに誘った。
カラガリは、筋骨たくましい中年の男だ。出資者であるドルトンを『旦那』とは呼ぶが、それ以外は敬語も使おうとしない。ドルトンは別段気にしない、職人は腕が全てだと思っている。特にクヴァルシルの職人なら、コミュニケーションを取る事自体が困難な職人すらいる。カラガリは随分マシな方なのだ。
「魔剣の砥ぎはもう少し待ってくれよ。研ぎ自体は目途が立ちそうだが、何しろ砥ぎあがった状態の魔剣をほとんど見ていない、100年前と同様に砥げているか判断が付かん」
「いや、今日は別口…という訳でも無いか……。優先仕事で魔剣の砥ぎを引き受けて欲しい。料金は特急で出す」
「旦那の頼みなら、何を置いてもやらせてもらうが、モノはなんだ?」
「最近打たれた物で、形は諸侯国の古式の直刀だ。諸侯国の砥ぎ師も匙を投げた代物だそうだ」
「なんだと?」
ドルトンは包みを解いて剣を取り出した。拵も何もない、ただの金属の棒にしか見えない剣をカラガリに手渡す。
「真っ黒だが…焼身じゃねぇな。…こいつは不破鋼か」
「その通り。しかも魔力を纏えぬ不破鋼に魔法を多重付与した剣だ」
「これはまた…すげぇ物を見つけて来たな。どこのだ?」
「何も聞くな」
「訳ありか…まぁいい」
「砥げるか?」
「さて……」
カラガリは、作業場から魔法の砥石の欠片を持ってくると、刃に押し当てて何度か擦り付けてみた。波紋のような干渉波が視覚できるが、刀の表面に目立った傷もつかない。だがそれでも地肌の表面に微妙な変化はあった。カラガリは光にかざして斜めから表面の変化をじっくりと見極めた。それから随分と長い事思案していたカラガリは不満そうに言った。
「このまま刃を付けるなら二十日だ。だが、俺が『砥ぐ』んなら四十日要る」
「なぜお前が砥ぐと倍かかる?」
魔の森の魔法の砥石で二十日というだけで、とんでもない作業だと判る。それでも砥げる見込みが立つだけマシとも言える。だが、ドルトンが認める技量の砥ぎ師が、なぜ四十日もかかると言い出したのだ?。
「魔法は判らんから鍛治仕事だけだが…こいつを作った鍛冶は、金属を合わせて打ち上げる技術はとんでもねぇ技量だ。だがそれ以外は並みでしかねぇ。こんな不細工なものが刃と言えるか。板の端を斜めに削いだ刃付けしかしてねぇぞ。これをこのまま刃付けするなら二十日だ。刃先を砥ぐだけでもそれくらいかかるくらい硬い。が、俺はそんな仕事はできん。俺が仕事をするなら、俺が納得のいく砥ぎをする」
確かにこの剣は最低限の加工すらされていない。鎚跡すら残っている。刃先だけを砥いでも、まるで鉈のような剣になってしまうだろう。だが、今は時間が惜しい。無骨ではあっても剣の形はしている。なぜこのまま刃を付けるだけではダメだというのだ。何より斬る事のできる『剣』にすることが第一なのだ。
「この剣は、そもそも刃毀れや切れ味の鈍りを心配する代物ではない。刃を付ければ斬れる、そういう剣だぞ」
「そういう問題じゃねぇんだよ、この剣はそもそも刃の付け方がおかしいんだ。それを修正するのは砥ぎ師の仕事だ。最高の素材で作られた剣に最高の刃を付けんで砥ぎ師が名乗れるか!」
「……鍛治がこの形に打ったのに、それを変える必要があるのか?」
「おう、剣の形には鍛治の意図が出る。それをいじるのは、もちろん打った鍛治に非礼だからやらん。だが、コイツにはそれが無い。コイツは今は剣の形をした鉄板だ。何も考えないで打ったか、こう打つしかできなかったのかどちらかだ。だから砥ぎ師の俺が尻拭いして、剣にしてやらなきゃならんのだ」
ドルトンはため息をついた。この男がこう言い出したら、いくらパトロンのドルトンが言っても絶対聞き分けない。だからこそ、この男に砥いで欲しい。
「ぜひお前に『砥いで』欲しいが、四十日は待てん…」
悔しさが声に滲んでいた。
カラガリは天井を見上げ、そして自分も溜息をついた。これ以上ドルトンに頼るのは矜持に係るが、ここはやむを得ないだろう。
「……追加で出資してもらえるか?」
「うん?」
「旦那のおかで工房に余裕ができてな。魔剣の砥ぎ直しを研究するのに、碾臼を参考に水車で回わる砥石を作って試している」
クヴァルシルでは、とにかく作業を機械化しよう風潮が強かった。それは、職人や芸術家と同じくらい機械技術者が多いためであり、それらの機械は彼ら技術者の『作品』だからだ。動かす端から自壊して笑いと涙を誘う機械がある一方で、実用水準に達する機械も増えている。事実、一部の鍛冶師は水車動力の自動ハンマーを試したりもしている。その地で修行したカラガリは、伝統的な技だけでなくそういった機械の使用にも忌避感を持たなかった。王国にも足踏みや手回しの回転砥石があるが、カラガリは水車で回転する砥石を実用化しようとしていた。
「もちろん、回るだけの砥石じゃ手での砥ぎの補助にしか使えん。が、回転砥石を作ったのはクヴァルシルの技術者でな、意気投合して自動で砥ぐ回転砥石の研究を始めた」
「ほう」
「今、うちの工房に試作機を据え付けて試験を続けている。短剣から両手剣まで、決めた角度、決めた回数を砥ぐ、砥石の減りの分まで自動で補正できる真の自動砥ぎ機械だ。だが資金が足りねぇ。この剣を砥ぐには一台じゃおっつかん。換えの機械を作って、機械の改良と砥ぎを並行してやらにゃ間に合わん」
「それを使えば砥げるか?」
「職人が交代しながらの荒砥ぎの時間を、機械にかけっぱなしで砥げば半減できるかもしれん。仕上げを譲る気はねぇが、上手くいけば三十日くらいには縮められるだろう」
「十日縮むか……機械を見せてもらえるか?」
「おう、来てくれ」
一般的な足踏み式の回転砥石は砥石が縦に回転するものだが、新型の砥ぎ機は円盤の砥石がロクロのように水平に回転するようになっているようだった。回転する砥石の上に据えられた剣が、剣を取り付けた腕木ごと自動で動き、砥石に押し当てられている。砥石を回す歯車の他に、小さな歯車が無数に並び、これらが剣を保持する腕木の位置を調整しているようだった。
装置には作業服の男が付きっ切りになっており、時々機械を止めては剣の位置や取り付け角度を計測し、手許の記録紙と見比べている。意図した砥ぎ具合になっているか確認しているのだろう。
「おう、先生。俺の出資者が機械を見学したいそうだ。いいかい?」
「えぇ、かまいませんよ」
作業服の男は書類を挟んだ板を置くと、立ち上がってドルトンに恭しく頭を下げた。育ちのよさそうな若い男で、度の強い眼鏡をかけている。機械いじりはそこそこ裕福でなければ始める事も難しいから、貴族とは言わないまでも、商人か裕福な農家かの出身なのかもしれない。この国の上流階級には未だに獣人に眉を顰める者もいるが、さすがに来るもの拒まずのクヴァルシルの人間だけあって、獣人の商人だとて全く意識した様子は無かった。
「私は、カラガリ親方と共同で砥ぎ機の開発をしている、シアールヌイと申します」
「商人のドルトンだ。なんでも、画期的な機械を開発しているとか?」
「せいぜい中研ぎまでです。決められた回数を決められた角度で砥石に当てる。できるのはそれだけです。事前に角度を決めるのは職人ですし、調子を見ながら角度を変えるような事もできません。それでもこの機械で大雑把な作業をを片付ける事ができれば、細かい技を振るう余裕が生まれると思っています」
「なるほど」
ドルトンは技術者の言葉に好感を覚えた。この男は、大言壮語で出資を取り付けようとする、山師紛いの技術者ではないようだ。
「特殊な剣を砥ぎたいが、カラガリの見立てでは機械を最大で三十日以上回しっぱなしにしなければならんという。この機械はそれに耐えられるかね?」
「無理ですね。あまり長く動かすと、遊び…ガタが大きくなってきます。砥ぎで角度が狂うのは致命的です。できればもう一台の機械を用意し、数日ごとにと交代しながら使うのが良いでしょう。その間に片方の機械を調整します」
二人とももう一台の装置が必要という点で一致しているようだ。カラガリの見立ては間違いでは無いという事になる。となると、後は時間だ。資金面の心配は度外視している。
「この機械をもう1台用意するのに、時間はどれくらいかかる?」
「可動部は交換用の予備部品を作っていますので、部品の七割は揃っています。足りない部品…主にガワですが…を作って装置を組み上げればそれほどかかりません。もう一台を動かすだけなら数日で可能かと。ただ他に交換用の部品を十分に用意する必要があります。こちらは精度が要りますから、多少の時間が必要です」
「…判った。資金を出そう」
ドルトンの決断に、カラガリとシアールヌイは、安堵の表情で視線を交わす。
「代わりに、一日でも早く仕上がるように進めてくれ」
「ったってなぁ、砥石に任せて放っておくだけだから、急ぎようがねぇよ。錆び止めや切れ味持続の付与はいらんだろうから研ぎのみだが…コイツは荒砥で刃付けするだけで十五日は見た方がいいぞ」
「十五日か…」
ドルトンは頭の中で他の作業の日数との摺合わせをする。砥ぐだけでなく、拵も作らねばならない。木工職人、彫金師、革細工師…と考えていて、ふと森人の工匠を思い出した。
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「……なるほど、やってみるか…」
そういうとカラガリは剣に向かって念を送るようなポーズでぶつぶつと何かつぶやいている。さすがに外部発動の魔法は使えないが、職人なので低位ながら身体強化は使える。魔金属の剣を扱うために現物を見せてもらい、纏う魔力もある程度は感知できるまでになっていた。
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「あぁ、判った。端材で良ければ今度持ってくる」
「ありがとうございますっ!」
理知的な男に見えたが、やっぱりこの男もクヴァルシルの職人らしい。有無を言わせぬ勢いに、ドルトンも試供品を約束せざるを得なかった。
カラガリはだいぶ念入りにまじないを送り込んだ後で、砥石の小片で剣の表面をこすっていた。
「くそっ、さすが複合付与だ。全部は除外しきれねぇ。……だが、だいぶ砥石がかかるようになるぞ。機械にかけっぱなしで片面五日、両面で十日だ。鞘作らなきゃならねぇだろうから、中研ぎ前に寸法確認に来な」
「助かる、私は他の職人を回らねばならん、出資の件は店員を寄越すから打ち合わせてくれ。では頼んだぞ」
それだけ言うと、ドルトンは木工師と彫金師の工房に向かうためカラガリの工房を出て行った。
荒砥ぎ二十日から半減までこぎ着ける事ができた。他の職人の日程を急ぎ抑えておかなければならない。
「毎度毎度慌ただしいこった」
そう言いながらもカラガリの胸は期待に高鳴る。
(この前代未聞の魔剣を仕上げる。俺にしかできん仕事だ)そう自負していた。
「先生は砥ぎ機の組み立てと調整を頼む、しばらく寝る間も無いぞ」
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彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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