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明日のためにその一 4
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相手を交代し、ステレはオーウェンと剣を合わせる。
カッカッ…と硬い音を響かせ、次第に打ち込む速度が上がってくる。打ち合いながら、ステレは少なからず驚いていた。オーウェンの剣は、昨年カンフレーへ旅立つ前に打ち合った時に比べたら、別人のようだと言ってもいい。それはなんと形容すれば良いのだろう、敢えて言うなら大河の如きテンゲンに対し、大洋の如き深さがある…という表現になる。重い音を響かせるのは、オーウェンの剣をステレが受けた時だけで、ステレの剣は十分に体重を乗せた打ち込みも、飲み込まれるように受けられてしまう。
しばし打ち合った後、ステレはふっと力を抜いて剣を下ろすと肩をすくめた。
「すごいな……」
「…去年の打ち合いで身体の鈍りを感じて、少し本気を出して鍛え直した」
「少し本気…かぁ…」
さらりと言われて、ステレは少々悔しくもある。この男は、ステレには涼しい顔しか見せない。それでいて、いつもステレには届かない領域に居るのだ。最も、オーウェンからすれば、ステレに対する精一杯の『いい恰好しい』なのだから当然なのである。愛しい女性に対する見栄がそれなのはどうなのか?という点については、もう今更なので誰も突っ込まない。
丁度テンゲンとキリハが打ち合いを終える所で、二人はどちらからともなく話を止めて二人を見た。諸侯国の剣士が王国の女剣士をどう見るかに興味があったのだ。
木剣を降ろしたキリハが「ふー」っと息を吐く。一方のテンゲンは、息も乱さずしばらく無言で何事かを考えているようだった。
「キリハ…と呼んでいいかな?儂の事も名呼びで良い」
「は、はい。それはもちろん」
「良い師に付いたようだ」
「ありがとうございます」
達人に、基礎は出来ていると認められ、キリハは安堵の息を吐いた。
テンゲンは、実戦稽古用の木剣を手にすると、キリハに立ち会い稽古を促した。キリハも緊張の面持ちながら愛用の剣に近い木剣を探すと、二・三度振って感触を確かめ、テンゲンと対峙する。
「あの、本当によろしいのでしょうか?」
礼を失するかと思いつつも、つい口に出てしまった。自分はこの4人の中では凡人に過ぎない。準備運動の時点でそれをまざまざと見せつけられた。望んで参加した稽古であるが、諸侯国でも五指には挙げられるであろうテンゲンの稽古を受ける資格が本当にあるのだろうか。
「何、それなりに修練を積んでおるなら仔細ない。正式な弟子ではない故、初歩しか伝授する事はできぬが」
そう言ってから、テンゲンはステレにも聞かせるかのように声を高めた。
「それに、弟子を鍛える事で自分も鍛えることができる。人に教えるためには自らの技を見直さねばならぬ故な。これはなかなかに馬鹿にできぬものでな、機会があれば後進に剣を教えてみるとよい」
ステレもキリハも真摯な顔で頷く。二人とも、周囲に鍛え合う仲間もおらず、数少ない伝手から常に教えを乞う立場だったから、誰かに剣を教えるなど考えもしなかった。
「ではやるぞ。全力でまいれ!」
「はいっ」
頷いたキリハは木剣を半身に構える。実際の得物に合わせて、やや長尺のものである。体格を補うため、キリハは標準よりやや長い細剣を使っている。 テンゲンは、ステレと相対した時とは異なり、右手に片手剣のみ持ち中段に構えた。最も標準的なスタイルを取ったのはキリハに合わせたためだろう。
「ヒュッ」と呼吸と共に気合を発すると、キリハの全身を強化魔力が循環する。中段に構え、間合いの外から機を伺っていたキリハは、テンゲンが右手の剣を上げようとした瞬間を狙いスッと前に出ると共に、潜り込むように姿勢を低くした。これはフェイントで、テンゲンの足許を狙うと見せかけ、迎撃に振り下ろす剣の腕を下から切り上げるつもりだった。だが、そう思った瞬間には既に頭上にテンゲンの剣がピタリと振り下ろされていた。
「参りました……」
そう言うと、最初の位置に戻ってまた構えを取る。
(剣の構えを変えたのは誘いだった…)
「虚と実を見極めよ」…家令にそう言われた事を思い出したキリハは、実…隙を見極めようと気を凝らし、間合いを計る。だが、ここぞと見極めた瞬間に打ち込んでも、テンゲンに斬り付ける瞬間には、頭の上にピタリと剣が止まっていた。
何度か完敗した後、構えを取らずキリハは考える
隙を見極めて打込んだつもりだったが、テンゲンほどの剣士がそう易々と隙を見せるはずがない。全てがそう見せかけた誘いだったのだろうか?。しかし、キリハには隙とそう見せかけた誘いが、確かに違って見えた。ステレは既に護衛を必要としてはいなかったが、キリハは屋敷で無為に過ごしている訳ではなかった。タテマエ上は護衛なのでステレと剣を合わせる事はなかったが、ステレに願って時々虚実を交えた殺気を飛ばしてもらう修行をしていた。おもしろがったステレが変化球も交えてきたので、玉虫色の殺気を見極める精度も上がったと感じている。
恐らくはテンゲンは稽古のために、隙と誘いを使い分けている。キリハはそれを見極めたはずだった。だが、隙を衝いてもテンゲンは何も言わず、無言で頭上に剣が突き付けられていた。キリハは身体強化も含め、速度を活かす剣技を修めている。その速度すら全く通じないとなれば、キリハが隙と思って打込んだのも全て誘いだったのか…と思えて来る。堂々巡りでキリハには何が正しいのか判らなくなってきた。
「申し訳ございません、しばらく考えさせていただけないでしょうか」
「そうするが良かろう。他者の立会いも見ると良い」
全く良い所を見せる事が出来なかったにもかかわらず、テンゲンはやはり何も言うつもりは無いようだった。
(結局はその程度と思われているという事か…)
判っていても悔しい物は悔しい。唇を噛んだキリハがそう考えた事が判ったのだろうか、テンゲンは首を振る。
「ふむ、考え違いはいかんな」
「え?」
「確かに技の差は如何ともしがたい。今、百度立ち会っても百度とも儂が勝つ」
あまりな言い様に、キリハは一瞬目の前が真っ暗になりそうだった。「だが…」とテンゲンは続ける。
「キリハが儂から一本取れる剣士なら、儂は師になる必要などない。今の稽古で、儂は「誘い」と「隙」を使い分けた。キリハは、一本目以後は誘いには乗らずきちんと隙を突いておる。それでも剣が届かぬのが儂とキリハの差で、それを埋めるためにこれから修練をする。だから今はそれで良い」
「…っ!」
どうか聞き間違いでありませんように。
目の前にいる、遥か高みの領域に居る剣士が、自分を褒めてくれたのだ。キリハは滲みそうになる涙を必死に堪えた。
キリハは目の前で盗賊に両親を殺され、奴隷に売られる寸前にドルトンに救われた。自分の未来を選んでいいと言われた時、あえて困難な護衛剣士の道を選んだのは、同じ目に遭う隊商や旅人を救うため……ではない。盗賊を殺すためである。いつかそう遠くない日、両親と同じように切り刻まれて死ぬ日まで、一人でも多く盗賊を殺す事だけがキリハの生き甲斐だった。そのための…ただ敵を殺すために必死に身に着けた剣は、ステレの護衛をしこの家の家令の技を見た事で、僅かに変わった。
憧れてしまった。単純に言えば、家令がほんの僅かだけ見せた護衛としての技の片鱗を「カッコ良い」と思ってしまったのだ。自分も護衛の技を、自分の剣を誇れるようになりたい。そう思えるようになったのだ。そして家令に「虚と実を見極めろ」とアドバイスを受けた事がこの評価に繋がったのだとしたら、これ程嬉しい事は無い。
「儂は口下手故褒めるのは得意ではないが、駄目な場合は口に出す。それ以外は言わぬから、気にせず精進せよ」
「ご指導ありがとうございます」
滲む目を隠すように頭を下げた。キリハにとっても、今日は記念すべき一歩を刻んだ日となった。
中々どうして、剣の師としても一流と思えるテンゲンに、ステレも頭を下げたい気分になったが、感謝の気持ちを見せるなら、まず自分の剣を見せる事だろう。
「じゃ、こっちも闘るかい?」
「えぇ」
テンゲンとキリハの稽古を見物していた二人も、実戦稽古用の木剣を手にした。今度は、テンゲンとキリハが興味深そうに二人を見学している。
ステレは、テンゲンと相対した時と同じ両手剣型。だが、オーウェンは得意とする長剣と短剣の組み合わせではない。両手とも小剣を手にした。
「変えたの?」
「魔人を斬ろうと、いろいろ工夫していてな」
そう言うと、以前と変わらず右の剣を中段に、左をやや下げて構えた。オーウェンの剣はその性格と同じく、とにかく基本に忠実である。ただし、その速度、力、正確さが恐ろしく高レベルで纏まっている。
ステレは慎重に間合いを測る。右を小剣に変えたことで、オーウェンの間合いはやや狭まった。…と考えるのは早計だ。何しろ、他ならぬ<夜明けの雲>が、無手で長柄を上回る間合いを持っているのだから。オーウェンが小剣に変えたのは、その魔人対策である。つまりは取り回しも含めて、何より速さを必要としたのだ。
(と、いう事は…)
ステレは、長剣の間合いで打込んだ。オーウェンの左剣がくるりと翻り、ステレの豪剣をいなす。切り返しの太刀もするりと躱された。構わずステレを剣を振り続けるが、なんとオーウェンは下がらずに強引に間合いを詰めて来た。両手の小剣が速度を上げ、ステレを切り刻もうと振るわれる。受けに回れば不利と悟ったステレは、受け毎押し切ろうと、剣に力を籠めた。小剣の間合いは両手剣にはやや不利となるが、鬼人の剛力で振るわれる刃の威力は衰えない。だが、その暴風のような刃の嵐を、オーウェンは片っ端から躱し、受け止め、受け流した。
剣圧で自分十分の間合いに押し返せなかったステレは、仕切り直しのために一気に後ろに下がって間合いを取ると、溜めていた息を吐きだす。
「くっそー、強いなコンチクショウ!」
ステレが呆れ混じりの悪態をつく。今のは、繰り出されるステレの剣を、体捌きと拳の打ち払いで凌ぎ切った<夜明けの雲の>動きに似ている。違うのは、素手で剣を受ける事はできないから、夜明けの雲はステレの間合いギリギリの位置を保っていたが、オーウェンは自分充分の間合いに踏み込んで来た点だ。
「いや、さすがステレだ。この手数なら押し切れるかと思っていたのだが、結果的に受けに回らねば凌ぎ切れない所があった」
「でも私は3回死んでるよ」
「2回だな。最後のは浅い、かと言ってあれ以上踏み込めばステレ有利の相討ちだった」
「え??」
何の事か判らず、思わず疑問を口にしたキリハに、横で見ていたテンゲンが答えてくれた。
「今の立会いで侯爵は受けに徹していたが、ステレ殿の剣を受けてなお十分な威力の反撃を繰り出せた機会が二度あったという事よ」
呆然と二人を見る。キリハにはまったく判らなかった。
「見る事も稽古になる。そう心得て見るが良い」
「はい……」
目指す先は、遥か高く遠い。そう気を引き締める事しかできなかった。
ステレは木剣を肩に担ぐと、「うーん」と唸りながら今の立会いを振り返った。
「手数で押し切るのがオーウェンの対魔人戦法って訳か」
「ステレが、先の先で魔人の後の先を封じようとしたと聞いたからな、自分なりに先手を取り続けるにはどうすべきか考えていた。」
オーウェンが魔人対策で小剣の二刀流に変えたと聞いた時、ステレはオーウェンが魔人の速度に対抗するために剣を変えたと気づいた。確かに今のオーウェンの剣の速さと手数は魔法樫の木剣で戦ったステレに匹敵する。だが、ステレは結局は魔人に敗れた。匹敵するだけでは魔人に勝てない。
「私と互角の動きじゃ、まだ勝てないよ」
「…俺の剣は魔人と比べてどうだった?」
「うーん……近い間合いでの体捌きはかなり近いと思う」
「なら良かった。他に比較対象が無いから、攻めはステレと同じ手数と速さを。守りはその責めを捌いたという魔人の体捌きを目標にしていたからな」
「あ、そのために両手とも小剣にしたんだ」
「魔人と同じ動きができるなら、武器を持つ分だけ俺の方が強いだろ?」
そういうオーウェンに、二の句が継げずに呆れた目で見てしまったのは、許されるだろう。そういえば、この男も頭蓋骨内にいい感じに筋肉が詰まって居るのだった。
『類は友を呼ぶ』というべきか、『破れ鍋に綴蓋』というべきか…。
「まぁ、ステレを難なく倒せぬようでは魔人には歯が立たないだろうし、しばらく相手をしてくれ。魔人に近い動きなら、ステレにとっても稽古相手としてはこれ以上ないだろう?」
「そうね。でも、魔人の基本はあくまで後の先なのよね……。そっちの対策はテンゲン様に剣が届くように頑張るか…」
「俺も代わりをやれるぞ」
そう言って両手の剣を構える。
「代わり?」
そう言いながらステレが剣を掲げると、オーウェンはすっと両の剣を下げた。だが、稽古を止めた訳ではない。オーウェンの廻りに、罠の鋼線が幻視できる。触れれば確実に反撃をうける、完全なカウンター狙い。<夜明けの雲>の戦法の再現だ。先ほどのテンゲンとの対峙と同じく、こちらも斬り込める隙が見つからない。
「うわ、こっちもできるの…」
更に呆れたように言うステレに、オーウェンがニヤリと笑う。ステレを驚かせようと、さっきの立会いでは隠していたに違いない。いったいどれだけの修練を詰め込んだら、この短期間でこれ程の技を会得できるのだ…。
(鬼を好きになってくれた男は、鬼以上の剣の鬼でした。本当にありがとうございます)
なんだか判らない存在にとりあえず感謝しながら、ステレは気合と共に斬り込んだ。
カッカッ…と硬い音を響かせ、次第に打ち込む速度が上がってくる。打ち合いながら、ステレは少なからず驚いていた。オーウェンの剣は、昨年カンフレーへ旅立つ前に打ち合った時に比べたら、別人のようだと言ってもいい。それはなんと形容すれば良いのだろう、敢えて言うなら大河の如きテンゲンに対し、大洋の如き深さがある…という表現になる。重い音を響かせるのは、オーウェンの剣をステレが受けた時だけで、ステレの剣は十分に体重を乗せた打ち込みも、飲み込まれるように受けられてしまう。
しばし打ち合った後、ステレはふっと力を抜いて剣を下ろすと肩をすくめた。
「すごいな……」
「…去年の打ち合いで身体の鈍りを感じて、少し本気を出して鍛え直した」
「少し本気…かぁ…」
さらりと言われて、ステレは少々悔しくもある。この男は、ステレには涼しい顔しか見せない。それでいて、いつもステレには届かない領域に居るのだ。最も、オーウェンからすれば、ステレに対する精一杯の『いい恰好しい』なのだから当然なのである。愛しい女性に対する見栄がそれなのはどうなのか?という点については、もう今更なので誰も突っ込まない。
丁度テンゲンとキリハが打ち合いを終える所で、二人はどちらからともなく話を止めて二人を見た。諸侯国の剣士が王国の女剣士をどう見るかに興味があったのだ。
木剣を降ろしたキリハが「ふー」っと息を吐く。一方のテンゲンは、息も乱さずしばらく無言で何事かを考えているようだった。
「キリハ…と呼んでいいかな?儂の事も名呼びで良い」
「は、はい。それはもちろん」
「良い師に付いたようだ」
「ありがとうございます」
達人に、基礎は出来ていると認められ、キリハは安堵の息を吐いた。
テンゲンは、実戦稽古用の木剣を手にすると、キリハに立ち会い稽古を促した。キリハも緊張の面持ちながら愛用の剣に近い木剣を探すと、二・三度振って感触を確かめ、テンゲンと対峙する。
「あの、本当によろしいのでしょうか?」
礼を失するかと思いつつも、つい口に出てしまった。自分はこの4人の中では凡人に過ぎない。準備運動の時点でそれをまざまざと見せつけられた。望んで参加した稽古であるが、諸侯国でも五指には挙げられるであろうテンゲンの稽古を受ける資格が本当にあるのだろうか。
「何、それなりに修練を積んでおるなら仔細ない。正式な弟子ではない故、初歩しか伝授する事はできぬが」
そう言ってから、テンゲンはステレにも聞かせるかのように声を高めた。
「それに、弟子を鍛える事で自分も鍛えることができる。人に教えるためには自らの技を見直さねばならぬ故な。これはなかなかに馬鹿にできぬものでな、機会があれば後進に剣を教えてみるとよい」
ステレもキリハも真摯な顔で頷く。二人とも、周囲に鍛え合う仲間もおらず、数少ない伝手から常に教えを乞う立場だったから、誰かに剣を教えるなど考えもしなかった。
「ではやるぞ。全力でまいれ!」
「はいっ」
頷いたキリハは木剣を半身に構える。実際の得物に合わせて、やや長尺のものである。体格を補うため、キリハは標準よりやや長い細剣を使っている。 テンゲンは、ステレと相対した時とは異なり、右手に片手剣のみ持ち中段に構えた。最も標準的なスタイルを取ったのはキリハに合わせたためだろう。
「ヒュッ」と呼吸と共に気合を発すると、キリハの全身を強化魔力が循環する。中段に構え、間合いの外から機を伺っていたキリハは、テンゲンが右手の剣を上げようとした瞬間を狙いスッと前に出ると共に、潜り込むように姿勢を低くした。これはフェイントで、テンゲンの足許を狙うと見せかけ、迎撃に振り下ろす剣の腕を下から切り上げるつもりだった。だが、そう思った瞬間には既に頭上にテンゲンの剣がピタリと振り下ろされていた。
「参りました……」
そう言うと、最初の位置に戻ってまた構えを取る。
(剣の構えを変えたのは誘いだった…)
「虚と実を見極めよ」…家令にそう言われた事を思い出したキリハは、実…隙を見極めようと気を凝らし、間合いを計る。だが、ここぞと見極めた瞬間に打ち込んでも、テンゲンに斬り付ける瞬間には、頭の上にピタリと剣が止まっていた。
何度か完敗した後、構えを取らずキリハは考える
隙を見極めて打込んだつもりだったが、テンゲンほどの剣士がそう易々と隙を見せるはずがない。全てがそう見せかけた誘いだったのだろうか?。しかし、キリハには隙とそう見せかけた誘いが、確かに違って見えた。ステレは既に護衛を必要としてはいなかったが、キリハは屋敷で無為に過ごしている訳ではなかった。タテマエ上は護衛なのでステレと剣を合わせる事はなかったが、ステレに願って時々虚実を交えた殺気を飛ばしてもらう修行をしていた。おもしろがったステレが変化球も交えてきたので、玉虫色の殺気を見極める精度も上がったと感じている。
恐らくはテンゲンは稽古のために、隙と誘いを使い分けている。キリハはそれを見極めたはずだった。だが、隙を衝いてもテンゲンは何も言わず、無言で頭上に剣が突き付けられていた。キリハは身体強化も含め、速度を活かす剣技を修めている。その速度すら全く通じないとなれば、キリハが隙と思って打込んだのも全て誘いだったのか…と思えて来る。堂々巡りでキリハには何が正しいのか判らなくなってきた。
「申し訳ございません、しばらく考えさせていただけないでしょうか」
「そうするが良かろう。他者の立会いも見ると良い」
全く良い所を見せる事が出来なかったにもかかわらず、テンゲンはやはり何も言うつもりは無いようだった。
(結局はその程度と思われているという事か…)
判っていても悔しい物は悔しい。唇を噛んだキリハがそう考えた事が判ったのだろうか、テンゲンは首を振る。
「ふむ、考え違いはいかんな」
「え?」
「確かに技の差は如何ともしがたい。今、百度立ち会っても百度とも儂が勝つ」
あまりな言い様に、キリハは一瞬目の前が真っ暗になりそうだった。「だが…」とテンゲンは続ける。
「キリハが儂から一本取れる剣士なら、儂は師になる必要などない。今の稽古で、儂は「誘い」と「隙」を使い分けた。キリハは、一本目以後は誘いには乗らずきちんと隙を突いておる。それでも剣が届かぬのが儂とキリハの差で、それを埋めるためにこれから修練をする。だから今はそれで良い」
「…っ!」
どうか聞き間違いでありませんように。
目の前にいる、遥か高みの領域に居る剣士が、自分を褒めてくれたのだ。キリハは滲みそうになる涙を必死に堪えた。
キリハは目の前で盗賊に両親を殺され、奴隷に売られる寸前にドルトンに救われた。自分の未来を選んでいいと言われた時、あえて困難な護衛剣士の道を選んだのは、同じ目に遭う隊商や旅人を救うため……ではない。盗賊を殺すためである。いつかそう遠くない日、両親と同じように切り刻まれて死ぬ日まで、一人でも多く盗賊を殺す事だけがキリハの生き甲斐だった。そのための…ただ敵を殺すために必死に身に着けた剣は、ステレの護衛をしこの家の家令の技を見た事で、僅かに変わった。
憧れてしまった。単純に言えば、家令がほんの僅かだけ見せた護衛としての技の片鱗を「カッコ良い」と思ってしまったのだ。自分も護衛の技を、自分の剣を誇れるようになりたい。そう思えるようになったのだ。そして家令に「虚と実を見極めろ」とアドバイスを受けた事がこの評価に繋がったのだとしたら、これ程嬉しい事は無い。
「儂は口下手故褒めるのは得意ではないが、駄目な場合は口に出す。それ以外は言わぬから、気にせず精進せよ」
「ご指導ありがとうございます」
滲む目を隠すように頭を下げた。キリハにとっても、今日は記念すべき一歩を刻んだ日となった。
中々どうして、剣の師としても一流と思えるテンゲンに、ステレも頭を下げたい気分になったが、感謝の気持ちを見せるなら、まず自分の剣を見せる事だろう。
「じゃ、こっちも闘るかい?」
「えぇ」
テンゲンとキリハの稽古を見物していた二人も、実戦稽古用の木剣を手にした。今度は、テンゲンとキリハが興味深そうに二人を見学している。
ステレは、テンゲンと相対した時と同じ両手剣型。だが、オーウェンは得意とする長剣と短剣の組み合わせではない。両手とも小剣を手にした。
「変えたの?」
「魔人を斬ろうと、いろいろ工夫していてな」
そう言うと、以前と変わらず右の剣を中段に、左をやや下げて構えた。オーウェンの剣はその性格と同じく、とにかく基本に忠実である。ただし、その速度、力、正確さが恐ろしく高レベルで纏まっている。
ステレは慎重に間合いを測る。右を小剣に変えたことで、オーウェンの間合いはやや狭まった。…と考えるのは早計だ。何しろ、他ならぬ<夜明けの雲>が、無手で長柄を上回る間合いを持っているのだから。オーウェンが小剣に変えたのは、その魔人対策である。つまりは取り回しも含めて、何より速さを必要としたのだ。
(と、いう事は…)
ステレは、長剣の間合いで打込んだ。オーウェンの左剣がくるりと翻り、ステレの豪剣をいなす。切り返しの太刀もするりと躱された。構わずステレを剣を振り続けるが、なんとオーウェンは下がらずに強引に間合いを詰めて来た。両手の小剣が速度を上げ、ステレを切り刻もうと振るわれる。受けに回れば不利と悟ったステレは、受け毎押し切ろうと、剣に力を籠めた。小剣の間合いは両手剣にはやや不利となるが、鬼人の剛力で振るわれる刃の威力は衰えない。だが、その暴風のような刃の嵐を、オーウェンは片っ端から躱し、受け止め、受け流した。
剣圧で自分十分の間合いに押し返せなかったステレは、仕切り直しのために一気に後ろに下がって間合いを取ると、溜めていた息を吐きだす。
「くっそー、強いなコンチクショウ!」
ステレが呆れ混じりの悪態をつく。今のは、繰り出されるステレの剣を、体捌きと拳の打ち払いで凌ぎ切った<夜明けの雲の>動きに似ている。違うのは、素手で剣を受ける事はできないから、夜明けの雲はステレの間合いギリギリの位置を保っていたが、オーウェンは自分充分の間合いに踏み込んで来た点だ。
「いや、さすがステレだ。この手数なら押し切れるかと思っていたのだが、結果的に受けに回らねば凌ぎ切れない所があった」
「でも私は3回死んでるよ」
「2回だな。最後のは浅い、かと言ってあれ以上踏み込めばステレ有利の相討ちだった」
「え??」
何の事か判らず、思わず疑問を口にしたキリハに、横で見ていたテンゲンが答えてくれた。
「今の立会いで侯爵は受けに徹していたが、ステレ殿の剣を受けてなお十分な威力の反撃を繰り出せた機会が二度あったという事よ」
呆然と二人を見る。キリハにはまったく判らなかった。
「見る事も稽古になる。そう心得て見るが良い」
「はい……」
目指す先は、遥か高く遠い。そう気を引き締める事しかできなかった。
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「手数で押し切るのがオーウェンの対魔人戦法って訳か」
「ステレが、先の先で魔人の後の先を封じようとしたと聞いたからな、自分なりに先手を取り続けるにはどうすべきか考えていた。」
オーウェンが魔人対策で小剣の二刀流に変えたと聞いた時、ステレはオーウェンが魔人の速度に対抗するために剣を変えたと気づいた。確かに今のオーウェンの剣の速さと手数は魔法樫の木剣で戦ったステレに匹敵する。だが、ステレは結局は魔人に敗れた。匹敵するだけでは魔人に勝てない。
「私と互角の動きじゃ、まだ勝てないよ」
「…俺の剣は魔人と比べてどうだった?」
「うーん……近い間合いでの体捌きはかなり近いと思う」
「なら良かった。他に比較対象が無いから、攻めはステレと同じ手数と速さを。守りはその責めを捌いたという魔人の体捌きを目標にしていたからな」
「あ、そのために両手とも小剣にしたんだ」
「魔人と同じ動きができるなら、武器を持つ分だけ俺の方が強いだろ?」
そういうオーウェンに、二の句が継げずに呆れた目で見てしまったのは、許されるだろう。そういえば、この男も頭蓋骨内にいい感じに筋肉が詰まって居るのだった。
『類は友を呼ぶ』というべきか、『破れ鍋に綴蓋』というべきか…。
「まぁ、ステレを難なく倒せぬようでは魔人には歯が立たないだろうし、しばらく相手をしてくれ。魔人に近い動きなら、ステレにとっても稽古相手としてはこれ以上ないだろう?」
「そうね。でも、魔人の基本はあくまで後の先なのよね……。そっちの対策はテンゲン様に剣が届くように頑張るか…」
「俺も代わりをやれるぞ」
そう言って両手の剣を構える。
「代わり?」
そう言いながらステレが剣を掲げると、オーウェンはすっと両の剣を下げた。だが、稽古を止めた訳ではない。オーウェンの廻りに、罠の鋼線が幻視できる。触れれば確実に反撃をうける、完全なカウンター狙い。<夜明けの雲>の戦法の再現だ。先ほどのテンゲンとの対峙と同じく、こちらも斬り込める隙が見つからない。
「うわ、こっちもできるの…」
更に呆れたように言うステレに、オーウェンがニヤリと笑う。ステレを驚かせようと、さっきの立会いでは隠していたに違いない。いったいどれだけの修練を詰め込んだら、この短期間でこれ程の技を会得できるのだ…。
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誰も欲しがらない。
単体では意味不明。
説明文を読んだだけで溜め息が出る。
だが、條は集める。
強くなりたいからじゃない。
ゴミを眺めるのが、ちょっと楽しいから。
逃げ回るうちに勘違いされ、過剰に評価され、なぜか世界は救われていく。
これは――
「役に立たなかった人生」を否定しない物語。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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