魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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明日のためにその一 3

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 ステレは、木剣を構えてテンゲンの前に立つ。手にするのは、打ち合いに使ったのとほぼ同じ、両手剣型の木剣だ。息を整えると、いつものようにこめかみの付近に剣を掲げる。相対するテンゲンは、右手に片手剣、左手に小剣を持ち正面に構える。本来は湾刀を使うが、反った木剣は用意が無かった。両手とも泰然として下げたままだ。

 稽古前の打ち合いは、事前に、互いの剣の速さ・重さを確かめる意味もある。組討ちの後にステレはテンゲンに打ち合いを求めたのだが「いや、今ので十分判り申した」と辞退されてしまった。その上テンゲンは「それより、立会いを致そう。それが一番手っ取り早い」と笑いながら言ったのである。

 ステレは、初めて相対する諸侯国の剣士の太刀筋を読もうとしている。諸侯国の剣は斬るための刀である。二刀で構えても、通常は両手の剣で一度に斬りかかって来る事はない…はずである。人は身体を捻り、足から腰、腕へと動きを伝える事で威力と速度を増すからだ。基本的に左右連続で絶え間なく攻めるか、左の剣は盾の代わりに使うことになる。これは細剣と短剣の二刀を使う王国の剣術でもそうだ。諸手で突きかかる技もあるが、一歩間違えれば捨て身の技になりかねない。確実な状況以外で使う事は無いだろう。テンゲンは恐らくは、小刀で受ける・払うと同時に大刀で斬って来る。
 左右それぞれで護りと攻めが可能で一見して圧倒的優位に見える二刀遣いだが、片手で諸手の一刀を受けるには十分な膂力と鍛錬が必要だ。逆に言えばそこが両手剣で二刀を崩す要点になる。相手が十分に受けられない打ち込みで態勢を崩し、受け即の攻めをさせないのが肝要だ。
 だが……
 ステレは剣を構えたままテンゲンとの間合いを計る。テンゲンは、構え有って構え無し。この男は…<夜明けの雲>と同じだ。こちらの剣を受けさせる事自体が困難なのだ。ただ打ち掛かれば、こちらの剣が触れる前に斬られる。剣の長さは優位にならない。だからこそ、テンゲンに勝てれば、魔人にも勝てる目が出て来る。…そう自分を奮い立たせて見たのだが……

 (まいったね。勝てる気が全然しないや……)

 ステレは思わず笑いそうになってしまった。
 こうして剣を構えて相対すると、より明確に実力差が認識できた。組討ちの時にはわずかに感じた勝ち目が全く見えない。鬼人になってから勝ち目の無い相手と感じた事はそう多くない。テンゲンがこれほどの剣士だったとは…。

 (まぁ、何もせずに参ったと言う訳にもいかないし、反省会は後からたっぷりするわ)

 キリハに言った通り、この二人が頭抜けた剣士であることは初めから判っていた、負けるのは今更だ。割り切ったステレは、そうと悟られぬよう少しずつ息を溜める。必要なのは速さ。<夜明けの雲>と戦う時のように、速く、ただ速く剣を振るう…。やがて気が臨界に達した時、ステレは「やっ!」という気合と共に打ち掛かった。
 間合いへの踏み込みと同時に振り下ろされた剣は、しかし空を切る。返しの太刀を斬り上げるより早く、ステレの手首に右の大刀が突き付けられていた。真剣なら右腕を断たれている。
 (これは…想像以上だ…)
 ステレがぶるりと震えた。<夜明けの雲と>と再戦した時と同じく、十分に速度の乗った打ち込みだったはずだ。あの時<夜明けの雲>の反撃は返し太刀で阻んでいる(彼が全力だったかは怪しいが)。剣の分のリーチがあるとはいえ、テンゲンはまさしく<夜明けの雲>に匹敵する剣士である。この震えは恐怖…そして同量の歓喜である。これほどの剣士と立ち会えるなど、そうそうある機会ではない。悔しさ、恐ろしさを感じているのに、口が笑みの形になるのを止められない。

 そしてそれはテンゲンも同じようだった。無表情でステレの右腕でぴたりと剣を止めた態勢から、徐々に口の端が上がって来る。

 「某の想像以上でござった」
 「え?」

 剣を止めたままのテンゲンがぽつりと漏らした意外な言葉に、ステレは思わす聞き返す。

 「この剣はステレ殿の首を断つつもりでござった」

 そう言うと、ゆるりと剣を下げ自然体に戻った。
 咄嗟に腕への攻撃へ切り替えたと言っているのだ…とステレは気づいた。ステレの剣の太刀行きの速さからそれが叶わなかったのだ。

 「魔人の技前はステレ殿を上回るのでござろう?」
 「……今のままの私の腕では負けるでしょうね」
 「比べて某の技前はいかほどでござろうか?」

  ステレは僅かに躊躇した。
 正直、<夜明けの雲>の底は見えていない。そして彼は拳士だが(この際魔法使いだということは脇に置いておく)、テンゲンは剣士である。直接の比較は困難だ。それに、テンゲンは魔人との勝負を望んでいる。変な先入観は命取りになりかねない。

 「最初に勝負した時、その時私は魔銀の剣でしたが…今の立会いと同じように全力の打ち込みを躱しざまに拳で胸を撃ち抜かれました。ただ魔人は『不完全な打ち込みになった』と言っていました」

 ステレの遠まわしな言い回しを聞くと、テンゲンは暫く思案していた。
 共にステレの速度が想像以上で不十分な反撃となった。テンゲンは剣でステレの腕を断ったが、魔人は素手でステレの胸を捉えたたという。ならば速さ踏み込み共、魔人の技は……

 「楽しい…実に楽しい…。王国までやって来た甲斐があり申した」

 そう言って笑うテンゲンの顔は、一瞬だけ凶悪と言っていい笑顔になった。
 (あー、この人も間違いなく、諸侯国の剣士だ)ステレは、改めてテンゲンという剣士の恐ろしさを噛みしめる。名誉の剣を差し出し、命を失う事すら他人事のように凪いだ心で語ったテンゲンとは別人である。
 恐らく、二度目はステレの速さに合わせて来る、今度こそ剣を合わせずに一蹴されるかもしれない。だからこそ、どうにかしてこの剣士に食いついていかなければならない。
 しかし、最初の位置に戻ろうとするステレをテンゲンが押しとどめた。

 「どうでござろう、まずは皆で互いの技前を確認してからに致しませぬか」

 そう言って、キリハを見る。

 「それは…ありがたい話ですが…」

 ステレもキリハを見る。キリハは、ステレをテンゲンの立ち合いに衝撃を受けたところで、テンゲンの以外な申し出に完全に固まっていた。彼女はある意味唯一の一般人である。ここまでの域にあるテンゲンがキリハを気に掛けてくれるのはありがたいが、逆にステレやオーウェンとの立ち合いより彼女を優先するのは何故だろうか。

 「楽しくて、我を忘れて打ち合ってしまいそうだからな」
 「侯爵は判っておられる」

 ステレの疑問を察したオーウェンが苦笑ぎみに言うと、テンゲンも同じく苦笑で返す。

 「真剣での立ち合いを所望しそうになり申した」

 要するに、やりすぎないように……沸き立つ血を押さえるために、間が必要だと言っているのだ。なんというか…『脳筋』としか言いようが無い。というか、それが瞬時に理解できるオーウェンも『脳筋』のお仲間か。

 「其方を出汁に使うようで申し訳無いが、代わりに某も一つ手の内…というか、宴会芸をお見せいたそう」

 テンゲンはキリハとステレを交互に見やりながら言った。

 「宴会芸……ですか?」

 突然、立会いに全くそぐわない事を言われ、ステレは困惑した表情でキリハと顔を見合わせた。
 だが、テンゲンは初めから困惑させるつもりで『宴会芸』と言ったようだった。悪い笑顔で笑っている。

 「左様、それなり修練を積んで物にしたのでござるが、実戦ではとんと使い道が無い技でござる。それでも、某の手の内を明かすには良い技でござる故」
 「はぁ…?」

 テンゲンは再びステレと相対した。ステレも腑に落ちない表情のまま間合いを取り剣を構える。

 「全力で」

 そう言うと、テンゲンは身体強化の魔力を循環させる。それは静かで滔々としながら、全てを押し流す威力を感じさせる大河のような魔力の流れだ。

 (何が宴会芸だっ)

 慌ててステレも身体強化を発動させる。のんびりした雰囲気は一気に消し飛び、テンゲンと対照的な全てを焼き尽くす炎のような闘気が沸き上がった。いったい何をするのだ。身体強化全開の宴会芸など、聞いた事も無いが、諸侯国はこれが普通なのか。
 テンゲンはゆっくりと左右の剣を中段に上げ、円相の構えを取る。期を窺いながら間合いが詰まると、そこから右の大刀を上段に構え、小刀の切先が外に逸れた。明らかな誘いだがステレはその瞬間、一足一刀のやや外から気合と共に全力で斬り込んだ。ガッと木剣が打ち合わされる音が響き、ステレは自分の脳天に木剣が突き付けられているのに気付いた。ステレの剣は、やや半身になったテンゲンをかすめる位置にとどまっていた。

 「これは、切り落とし…まさか、両手で打込んだのに片手で…」

 切り落としは、相手が振り下ろす剣に合わせ斜め上方から自らの剣を当て、相手の剣を逸らすと同時に相手を斬る剣技である。相手の打ち込みに、後の先で剣を正確に当てなければならない。速さ、正確さ、力強さが揃わなければできない技だ。成功すれば攻防一体の恐るべき技だが、実戦で狙って出す剣士などそうそう居ない。しかも、ステレは両手剣の構えから、身体強化込みで全力で打込んだ。その剣をテンゲンは片手の打ち込みで切って落としたのである。

 「剣術は詰まるところ、速さと正確さ…が某の持論でござる。ステレ殿の力は某を上回っており申すが、一点に一瞬だけなら某の力でもステレ殿を上回る事が出来申す。速さと正確さで力の剣を落とし申した」

 「これだけの技が宴会芸とは…嫌味に聞こえますよ」

 オーウェンが、腕組みをしたまま言う。それはステレも声を大にして言いたい事だった。
 だが、テンゲンは僅かに目を泳がせた。

 「いや…はは……我らは馬上での斬り合いが主故、片手でも落とせるように磨いたのでござるが…これをやると馬か自分の足が斬られてしまうので、切り落としは徒歩でしか使えぬと気づき申した。どうもいけませんな、技を極める事が目的になって、肝心な事を見落としており申した」

 照れるように言うテンゲンに、ステレもオーウェンも思わず吹き出してしまった。

 「なので、こうして稽古での立ち合いでしかできない宴会芸でござる」

 もちろん、これは場を和ませようとしたテンゲンなりの諧謔だろう。諸侯国では馬上戦が主といえ、街中や屋内での戦闘も普通に発生するのだから。

 「テンゲン様は、両手剣も?」
 「いやぁまぁ、そこそこには……」

 謙遜するようなそぶりのテンゲンだが、ステレは(絶対嘘だ、組討ちから長柄まで全部達人の域に違いない……)と判断した。切り落としはやはり両手剣の技である。片手でできるという事は、当然両手剣でもできるに違いない。

 「師弟ではござらぬから、伝授は致しかねます故…」
 「よく判りました。えぇ、技を盗ませてもらいますよ…」
 「ところで、そちらの護衛はよろしいのでござるか?」

 テンゲンに言われて「あ」という顔でキリハを見ると、顔面蒼白になっていた。

 「すんません、やっぱり私は場違いな気がして来たんですが…」

 ギクシャクと右手を上げながらキリハが情けない声を出した。ついさっき固めた覚悟がどこかに家出してしまったらしい。どこをどう鍛えたらこんな事ができるのか理解できない。ここは一般人が居て良い場所ではない。切実にそう思えた。

 「覚悟を決めたんでしょ、あんたも『こっち側』になれば良いんだよ」
 「いや、これ絶対無理ですよ」
 「死なない程度には加減するでござる」

 泣き事を言うキリハに、テンゲンがダメ押しの一言を放った。

 「良かったね、加減してくれるって」
 「えぇぇええ~~~!」

 加減?何それ美味しいの?としか思えない稽古の末にキリハが冥府の川を遠泳しそうになり、ステレが諸侯国の剣の修練では文字通り『死ぬ』と『死なない』の二通りの概念しかなく、『死なないの範囲は恐ろしく広い』…と知るのは、後日の話である。
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