魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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鬼人の剣 5

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 警戒した四人は動かない。<熊>は頭目<鴉>に次ぐ腕利きだった。他の三人は正面からの戦闘よりは奇襲を得意とする。真正面で当たれば随一の力だった。その<熊>を一方的に倒した森番は、恐るべき強敵と言える。三人は頭目の判断を待った。闘うか…それとも引くのか。
 無論<鴉>は引く気は無い。しかし、無闇に斬り掛からないだけの分別はあった。
 (いったい、コイツは何者だ…)
 知らずに闘うにはリスクが高すぎる。あの体格で<熊>と互角の力比べができるなど、常人とは思えない。エイレンで見せた力は、あれでも抑えていたということか…。

 その正体はすぐに明らかとなった。四人がすぐには斬り掛かってこないのを見ると、ステレは血にまみれた帽子と眼鏡を脱ぎ去ったのだ。少し視界が怪しくなっている。この状態であの剣士とやり合うのは分が悪すぎる。袖で額の血をぬぐうと、二本の角が露わになった。

 「鬼人か!」

 それまで無言だった<鴉>が思わず声を出した。エイレンでの非常識な暴れ方から森人かもしれないと予想していたが、鬼人は想定外だった。

 「あぁ。…それでも闘るんだろ?」
 「……こちらから仕掛けておいて、正体を知ったからと言って引く訳にもいかないだろう」

 <鴉>はそう言いながらも考えを巡らせる。
 損得で言えば、鬼人と闘う一利も無い。
 <鴉>も王都の芝居の噂は聞いている。それが実話らしいという事も。王国に新しく鬼人が現れたという噂も聞かないから、この鬼人は元王国貴族の娘であり、王の忠臣で、しかもあのゴージを斬ったという手練れだ。戦うには手強いし、勝とうが負けようが王を敵に回しかねない。どうりでトレハンがあっさりと手を引く訳だ。
 だが…それでも引く訳にはいかなくなったのだ、つい今しがた。

  「やっぱりそうなるよなぁ」

 ステレは口の端を上げながら剣をかかげる。頭目の剣士はかなりの腕前だと思えるが、この剣ならやり合えるという自信がある。
 血塗れの鬼が魔金属の剣をかかげて微笑む姿は、美しくさえあったが<鴉>は眉を顰める。エイレンで見た時も確かに楽しそうに暴れていた。あれは鬼人の娯楽だったのだ。だが、チンピラを殺す気は無かった、見ているこちらに気付いていながらそれ以上暴れようとはしなかった。街に迷惑をかけぬように振る舞っていた。
 殺気だけでなはい、今の鬼人からは歪みを感じる。鬼人の美しい笑みに狂気は混じっていないだろうか…。

 「俺がやる、手は出すな。俺が負けたら引け、国外に逃げてしばらく戻るな」

 小声で三人に指示を出す。三人は顔を見合わせた。この期に及んで一対一に拘る必要も無いはずだ。

 「後ろの獣人もただの商人じゃない、魔の森に何度も出入りしていた奴だ。四人で掛かるとあいつも出てくる」

 獣人は、一対一の勝負は静観していたが、四人がかりの気配には介入する構えを見せた。自ら魔の森に入っていたというからただの商人とは思えない、こちらと同格とみるべきだ。四対二になれば勝負は判らなくなる。
 ……最初から五対二で掛かるべきだったが、今更だ。間違っても全滅する訳にはいかない以上、一対一で戦うつもりの鬼人の思惑に乗る方がリスクが少ない。

 「承知」

 一瞬の逡巡の後、狐目の男がそう答えると後の二人も頷いた。<狐>は小隊の中で一番対抗心の激しい男だ。とりあえずは頭目に逆らわないと気が済まない。その男が異を唱えず引くというのなら、同意するしかない。

 「一対一か?」
 「おぅ。判ってるな、あんた」

 獣人の手出しを牽制するために念押しすると、鬼人はあっさり同意した。
 <鴉>は抜いた片手半剣を諸手で握ると正眼に構える。相手は怪力の鬼人のうえ魔金属の剣を両手持ちで振るっている。受け損ねれば、剣毎真っ二つにされかねない。息を整え、ゆっくりと鬼人に向かって間合いを詰めて行く。

 (『笑顔は凶暴』と言うような意味の言葉を言ったのは誰だったろう…)笑いながら剣を構える鬼人との間合いが狭まる間、ふと<鴉>はそんな事を考えていた。

 (いや、違うな…『微笑みの爆弾』?違う…『笑顔とは本来攻撃的なもの』…だったか?)

 じりじりと間合いが狭まり、<鴉>からステレの間合いに入った。刹那、「ヒュッ!」という息吹と共にステレの剣が振り下ろされる。だが、<鴉>の剣がすっと動くと、『シャリン』というほんのわずかの擦過音と共にステレの剣の軌道が逸れた。ステレの剣を逸らして流した<鴉>の剣はそのまま弧を描き、振り下ろされる。

 「ひゃっ…」

 体の流れかけたステレは、すんでの所で<鴉>の剣を躱した。

 「ん……なろっ!」
 言いながら、さっきより一段力を込めて剣を振るが、それも『シャリン』と逸らされた。その隙を<鴉>の剣が襲うが、これもかろうじて躱す。
 これでは迂闊に攻撃できない。ステレは後退して間合いを取った。<鴉>は畳みかけようとしたが、ステレは瞬時に剣を向ける。打ち込む隙が無いと見て<鴉>は追撃を思い止まった。

 「危っぶなー。……スゴイな!」

 斬られてもおかしくない局面だったのに、ステレの声は喜色に満ちている。腕が立つとは思っていたが、予想以上だった。実際、かつてのステレなら危なかった。テンゲンとの稽古で、ステレの腕前はだいぶ上がっている。攻防一体のテンゲンの切り落としと違い、<鴉>の剣はステレの剣を逸らしてからの打ち込みだから、初見でもかろうじて躱す事ができた。
 一方の<鴉>は優位に立ちながらも僅かに焦りを感じている。この剣を躱されたのは初めてだ。初見で仕留められなかった以上、時間が経つほど分が悪くなってくると感じる。その証拠に…鬼人はまだ笑っている。
 その笑みが次第に大きくなって来た。

 「くくく……」

 突然、ステレは声に出して笑いだした。<鴉>が怪訝な目で見ると、ステレは妙に芝居がかった態度で、思い切り上から目線の見栄を切った。

 「くくくははははは…素晴らしい。人の身で……よくぞここまで練り上げた……」
 「………」

 しん……と空気が固まる。

 --何を言ってるんだこいつは--そう言わんばかりの<鴉>を意に介さず、ステレはやり遂げた顔をしていた。わざわざ低音のイケボを出して、傲慢に見えるように頑張ったのだ。

 (混乱させるためか?)<鴉>はそう思ったが、違った。

 「鬼人になってからいっぺん言ってみたかったんだよねぇ。っても私より強い剣士にこれ言っても様にならないからね。互角の剣士と出会えてようやく言えた。今まで戦った只人の剣士って、私より強いか弱いかで互角が居なかったんだよねぇ」

 鬼人が悦に入っている。小声だが丸聞こえで台無しだ。どうも本気で「一度言ってみたかっただけ」らしい。鬼人の笑顔に歪みを感じたのは、どうやら見間違いでは無いようだった。

 (…黒づくめの男と同じだ。こいつはイカレてやがる)

 呆れながらそう思ったところで<鴉>は笑いそうになった。自分も仕事で躊躇なく人を殺している。両手の指で足りないほどなのに、とんだお笑い草だ。

 (他人から見たらコイツも俺も変わらん。これは人殺しのキチ〇イ同士の対決だ)

 だが<鴉>にも譲れない一線はある。

 「もういいか?」
 「あれ?反応なし??」
 「ふざけながら人を殺すほどには人間ができていないんでな…」

 (気の利いた返しはできただろうか?)そう思いながら剣を構える。<鴉>は、笑いながら人を殺した事は無い。仕事を楽しんだこととてない。<鴉>は言うなれば『クソ真面目な人殺し』だった。食い詰め者が集まった組織の中でのし上がり、仲間の生活と命を守る立場になった結果、そうならざるを得なくなったのだ。他の連中は気の趣くままに生きているが、自分は死ぬまで無理だろうと思っていた。
 だが、……どうやらそんな先の心配をしなくても済みそうだ。

 (ヤツは互角と言ったが……勝ち目はどれくらいだろうな…)

 さっきのふざけたセリフが『互角の腕前だが勝てる相手』に言うセリフだというのは、<鴉>にも判った。鬼人は自分を倒す自信があるのだ。だが、この鬼人より強い只人の剣士が居るらしい。只人の自分に全く勝ち目が無いという訳でも無いだろう。

 一足一刀の間合いで再び対峙した二人だが、鬼人は構えたまま動こうとしない。<鴉>は舌打ちしそうになるのをこらえる。<鴉>はカウンターを得意とする剣士だ。だが、手の内を見られ警戒された以上は仕掛けて仕留めるしか無い。もちろん攻め手はあるが、相手は受け流しの剣を初見で躱した怪物だ、最初の一撃で倒せなければ自分が死ぬだろう。
 覚悟を決めた<鴉>は仕掛ける機を測り、じりじりと間合いを詰める。

 ……だが、対峙はそこまでだった。
 ステレは我に返ったかのように二、三度瞬きをすると、<鴉>から視線を外した。そのまま溜息のような息を吐いたステレは、剣を降ろすと馬車の側まで下がる。
 ステレの動きに戸惑い、暫くは警戒を緩めなかった<鴉>も、ステレの殺気が急速に萎んで行くのと感じると、やがて大きく息を吐き出して剣を納めた。そのまま用心深く<熊>の亡骸に近づき巨体を軽々と担ぎ上げると、他の三人共々無言のまま引き上げて行った。
 <鴉>達を見もしないステレに、ドルトンは困惑していた。いったいどうしたというのだ。魔人の剣を手にしたステレは恐るべき強さだった。あのままなら、ステレ一人で全員を倒す事もできたのではないか。彼らを見逃す理由も、情をかける理由もないはずなのに。

 ステレは無言のまま手拭いで剣を拭うと、仮鞘を腰から引き抜いて納めた。ふと気が付いて右手の掌を見たが、斬れてはいなかった。意識して棟を掴んだとはいえ、鉄さえ斬る剣だから最悪自分の指が落ちるのも覚悟していた。単に運が良かったか、まさか持ち主を傷つけない加護でもあるのだろうか。

 「皆殺しにできたのでは?」
 「そうかもね」

 不満そうに言うドルトンだが、ステレの返事には他人事のように淡々としていた。

 「恨みを買いました、見逃せば更にしつこく付け狙われるのでは?」
 「そうかもね」

 今襲ってきた連中は、他人を巻き添えにすることを厭わない。そんな連中の恨みを買えば、街中でも、侯爵の屋敷でも襲ってくる可能性がある。

 「では……」
 「この剣……」
 「…はい」

 理由を問おうとするドルトンを遮るように、ステレがいつになく真剣な表情で言った。

 「怖い」
 「え?」

 予想外の事を言われドルトンは更に困惑した。諸侯国一の名家から送られた、魔人の鍛冶が鍛えた剣。商人を長く続けたドルトンですら目にした事のない、多重付与の魔法剣である。そして、王都一の職人の手により、見事に砥ぎあげられた。準備している刀装も含め、辺境伯に自信を持って送れるものだと自負していた。その威力の一端は、今目の前で見た通りだ。

 「軽くて速く振れる。あんな巨大な棍棒を受けてもびくともしないし、鋼鉄を斬っても刃こぼれ一つしない。物凄い剣だ。そして……高揚する。戦うのが楽しくなる。………すごく怖い」

 ドルトンが目を見開いて絶句する。刀身の古代文字の効果だろうか。剣に刻まれたた文字は未だにその正体が判っていない。荒砥ぎの後、カルガリは剣に魔力を通して確認していたが、そこまでの効果までは見極められなかった

 「だから、これ以上戦いたくなかった。あの頭目は相討ち覚悟で戦って、あの大男の亡骸を取り返すつもりだった。そんな相手を笑いながら斬りたくなかった。ようやく抑え込んだ鬼に戻りたくなかった」

 ステレが唇を噛む。ようやく鬼の心を抑え込み、過去の記憶を受け入れ、アルカレルにもそれを認めてもらえた矢先だったからこそ、戦いを愉しんでいた自分に全く気付かなかった事が悔しかった。

 「……鬼人に生まれ変わるとき、破壊の衝動が怖くて、そのまま死のうかとも思ったのよ。でも、陛下が私を忘れず、私が陛下を忘れなければ、きっと同じステレでいられる…そう思って鬼人になった。でも同じでは居られなかった。私は…戦いを愉しむ鬼人になってしまった。だから森に逃げて…どうにか人を斬らずに済む鬼になれたのよ。それなのに…あいつに、『ふざけながら人を殺すほどには人間ができていない』と言われるまで、有頂天になっていた自分に気が付かなかった」

 そう吐き捨てる悔しそうな声を聞けば、ドルトンには何も言えなくなってしまった。
 確かにステレは闘争を欲していた。そして楽しそうにチンピラを蹂躙していた。殺さないという自信があったからだ。そうやって適度に発散させないと、却って闘争心が増大してしまう。
 だが、只人のステレの心は闘う相手を選んだし、手加減できる限りは殺そうとも思わなかった。そして、手加減無用の相手…<夜明けの雲>と本気で戦うとき、殺し合いを愉しむような意識は無かった。
 もちろん魔人とは軽口を叩き合って戦った。テンゲンが想像以上の剣士だと知った時、歓喜に心が震えた。だがそれは、闘いを欲し戦いを愉しむ鬼の心ではない、剣を極めようとする只人ステレの心だ。

 <鴉>達はいずれも手加減できない相手だったが、<熊>の腕を斬り飛ばしたとき、ステレは確かに笑っていた。敵を無力化した剣に歓喜していた。そして、次の強敵の剣士<鴉>を斬る期待に震えていた。それは間違いなく鬼の心だった。

 「お使いになるのは諦めますか?」

 ステレの最も忌避する「鬼の闘争心」を呼び覚ます剣だ。もしステレがそれを拒否するのなら、いかな強力な加護の剣といえど、お蔵入りにするしかない。
 だが、以外にもステレは首を振った。

 「これは、剣士を狂わせる呪いの剣だと思う?」

 問われて思案するが、テンゲンの話した来歴が本当ならば、それはあり得ない話だと考えるしかない。

 「違うと思います。……おそらくは、剣士を奮い立たせる、どんな戦場でも戦意を喪失させない、そんな加護があるのでは?。それが、鬼人の心を過剰に刺激してしまったのではないかと」
 「だよね。呪いの剣を礼に送るわけがない。テンゲン様に送り返す訳にも行かないみたいだし、私が人の心を無くさないように使うしか無いわね」
 「ままならないものですな、この剣を抜かざるを得ない相手こそ、この剣を抜いてはまずい事になる相手とは」
 「強い敵ほど加護が強まり、私が我を忘れる事になるって訳か…。この剣を抜いたとき、鍛冶も研ぎ師も良い物を作ろうと思いを籠めた剣だって判った。私が相応しい剣士になるまで、むやみに抜かない事にするわ」
 「ステレ様なら、大概の敵ならあの木剣で倒せるでしょう。闘いで抜かなければ、加護が発動する事はありますまい」
 「そうね、これを抜かずに済むくらい鍛えるとしましょう」

 今の所、この剣が必要になりそうな敵はそうそう居ない。ステレは<夜明けの雲>との勝負でこの剣を使うつもりは無かった。ステレがしたい勝負は『試合』だからだ。

 「いずれにしろ、この剣を佩刀とされるお心に変り無いなら、王都で急ぎ仕上げさせます」
 「うん、お願い」

 手渡された剣を、ドルトンは両手でしっかりと受け取った。ステレは、剣を拒絶しなかった。剣の魔力を怖いと思いながら、それを乗り越える覚悟を示した。これもステレの成長の証だろう。
 …時々、妙に子供っぽい事をするのだが。


 「それにしても……」

 思い出し笑いをこらえながらドルトンが言った。

 「あの大見栄は剣のせいでやってしまっただけで、狙ってやったのではなかったのですね」

 言われた瞬間、ステレは耳まで真っ赤になった。そのままがっくりと膝をつく。良い感じにスルーできたかと思ったが、ダメだったらしい。
 あの時、剣の魔力で高揚していろいろタガが吹っ飛んでいた。羞恥心も。「一度言ってみたかった」のは本当なのだ。だが、冷静になった今、さすがに『あれは無い』と自分でも判る。
  ステレはそのまま土下座する勢いでドルトンに懇願した。

 「お願い、全部忘れて……」

 ステレの黒歴史が、また1ページ…
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