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鬼人の剣 6
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襲撃してきた剣士たち(名前すら聞いていない事に後で気付いた)を撃退したものの、王都への旅程では再度の襲撃が懸念されたから、ドルトンは途中の支店に寄ると護衛を増やし夜間は獣人による警戒網を敷く事にした。
店員達では手に余る場合はドルトンは自分も出るつもりだったが、警戒が功を奏したか、幸いにして平穏無事に王都に到着する事ができた。
五感の鋭いドルトンには、頭目が「自分が負けたら国外に逃げろ」と指示していたのが、かろうじて聞こえていた。そうしてくれればありがたいのだが……少なくとも頭目は意趣返しに来る可能性が高いと思っている。
彼らはそういう世界に生きているからだ。
人数が増えたせいで、夏の日差しの同中は日よけの天幕をかけた荷馬車に皆で乗っての旅だったが、最後の行程は商会の用意した箱馬車に乗り換えて王都に入った。ステレは目立つ。あまり姿を晒して動く訳にも行かなかった。
貴人用の入り口に現れた商会の馬車に眉を顰めた門衛は、しかし、身分証明の侯爵名の書面と帽子を取って顔を見せたステレに息をのんで通行を許可してくれた。何しろ、ステレはただ一人で王都の南門を制圧して開放してしまった実績がある。王都門衛の天敵だった。
ステレにとっては数年ぶりの王都だった。森で鬼人の闘争心は抑える事ができたが、初夏のみっともない姿を思えば王都にはもう来ることは無いと思っていた。賑わう王都の通りを、ステレは無表情で眺めている。只人だった頃から、あまり良い思い出の無い街なのだ。最後は出禁まで食らってしまったし。
ステレは馬車のまま商会の王都本店に入った。まだ婚約が発表された訳ではないから、王都でロイツェル侯爵邸に入る訳にもいかない(今更とか言わない)。王都にカンフレー男爵邸などはそもそも存在しない。歴代当主は滅多に王都には出てこないし、来た場合はいつも下宿暮らしだった。ステレもキブトの王の崩御以前は数度しか来ていないが、定宿にしていた安下宿の主も男爵一家を全然貴族扱いしていなかった(まぁ、そういう宿だから選んだのだろうが)。
「あ、辺境伯ともなると、王都に屋敷を構えなきゃならないのかしら?」
ステレは今更な事を思いついた。初夏のアレを思えば王都に常駐する訳にはいかないが、侯爵と同格の貴族が王都に屋敷も無いというのはいかがなものだろうか。とはいえ産業0、領民0の名ばかり辺境伯だから、借家の家賃さえ払えそうにないし、鬼人の主の下で働きたい酔狂はそうそう居ないだろう。
ちなみに実家の屋敷にも家令は居なかった。使用人は皆近隣住民のバイトである。
「ウィルムポット辺境伯兼ロイツェル侯爵夫人になるのですから、ご一緒に暮らせばよろしいでしょう。侯爵の屋敷に窓口でも設ければ済むと思います」
ドルトンが妙な事を言い出した。
「なに、窓口って…」
「いや多分、訪ねて来るのは剣士ばかりだと思いますので、ステレ様への立ち合いの希望の受付をする窓口があれば良いかと」
「そんな事になるかな?」
「なりますよ。当時から『ゴージを斬った鬼人の剣士』は有名でしたから」
「ふぅん……」
そう言われてもステレの心は浮き立たない。あれは自分の負けだったと今でも思っているからだ。
「それに、侯爵ももうステレ様と離れて暮らすおつもりは無いでしょう」
「相変わらず、好きにほっつき歩いても何も言われないけどね」
「ステレ様を屋敷に縛り付けたく無いとお思いなのでしょうね。それに今は必ず戻ってきてくれると判っておりますから」
愛する女性が放浪しても止めない…というのは、王国貴族の常識からしたら異端と言ってもいい。同僚たちはそれを残念な『オーウェンしぐさ』だと思っているが、それをステレを愛する故と考えるのは放浪暮らしの多い獣人ならではの思考だろうか。
いずれにしろ、ステレにはなんとも有り難い伴侶だった。
「侯爵もだいぶ落ち着かれましたが、あんまり挑戦者が多いと、ステレ様と勝負したいのならまず自分を倒せ…とか言いそうですがね」
「あはははは」
…と笑ったステレだが、(あんまりシャレになっていないな…)とも思ったのは内緒だ。
本店に着くと、早速ドルトンは剣を仕上げに出した。仕上研ぎの後、拵と刀装が着く事になっている。その間に、ステレは式典用の衣装合わせである。
オーウェンの屋敷でのすったもんだの議論の末、お披露目の夜会の方は男性貴族の正装で出る事にした。貴族家当主になるので、その決意を示すためだ……ともっともらしい事を言ってみたが、ドレスは無理というのがステレの本音だ。あと、ダンスに誘われてもとても踊れる気がしない。男装していればさすがに躊躇されるだろう。
問題は、騎士叙任式用の衣装…というか、甲冑である。甲冑師の所で調整するのかと思ったら、鎧下の仮縫いと言われて引き続き女性店員と共に部屋に押し込まれてしまった。
(なんで鎧下に仮縫いが要るのだ?)と疑問に思ったステレだが、部屋から出るなり「アレ着るの?」と真顔で言ってきた。
「はい。お嬢の晴れ舞台ですので気合を入れて仕上げます」
お針子がドルトンの代わりに、自信たっぷりに頷く
「いや…いいの?アレ」
そもそもアレを鎧下と言ってはいけないと思う。普通なら要所に綿やフェルトが詰め込まれているものなのに、そういうものが一切無かった。
「あれは式典用ですので。念のため決まりや禁忌が無いか聞いた所、見苦しく無ければ良いとの事でした。大切に保管している先祖伝来の繕いだらけのサーコートをその日だけ羽織る家もあるとの事ですよ」
「いや、アレ防具というにはスカスカだよね?」
「大丈夫ですよ、あれだけではなくちゃんと上に着る鎧を用意していますので」
「えぇ?……いや……うん…」
納得したようなしてないような曖昧な返事だが、よくよく考えたら丸投げしてた自分に何か言える筋合いでも無かった。
「なにしろ女性の騎士は初めてですので、何を言われても『加減が判らなかったから仕方ない』で押し切れます。まぁ次回以降の女性騎士でステレ様の例が踏襲されるか、自重を求められるかは判りませんが」
ニヤリとするドルトンは『判ってやっている』らしい。ステレは諦めてため息をつく。
「でも、私には似合わないと思うな…」
「大丈夫です、お似合いになるよう磨き上げますので」
女中連中が両手をわきわきしながら言い切った。
「……それが問題なんだってば……」
ぼやいたが、そういうステレの意思はいつものようにスルーされるのだった。
そんな日々を送っていたら、ロイツェルからの馬車が到着したとの知らせがあった。あったというか、チェシヤとキリハが商会にやって来たのだが。侯爵とテンゲンは既に屋敷入っているとの事である。
「や、無事で何より……キリハはどしたの?」
ドルトンと迎えに出たら、キリハは虚ろな目で何かブツブツと呟いている。まぁ、とりあえず人外にはならずに済んだらしい。
「テンゲン様が容赦無いもので、毎日起きて食べて稽古して死んだように眠る生活だったのよ」
「ありゃまぁ」
「ロイツェルからの道中も、移動中以外は暇があればずっと。ま、テンゲン様も『見込みが無ければここまでやらない』とは言ってたけどね」
「まぁ、これを乗り越えればこいつも一皮剥けるだろう」
などと、娘の成長を喜ぶスパルタな父(ドルトン)を見て、ステレが(テンゲン様の同行を断れてよかった)とか酷い事を考えてしまったのは、許してもらえるだろうか。
「それにしても、うーん……」
ステレは腕組みをして考える。
ドルトンはキリハの奮起を疑っていないようだが、本当に大丈夫だろうか?ちょうど、グリフのサロンで暗闇の中でもがいていた自分を見るようで、他人事と思えない。
「どんな感じだったの?」
「最初のうちは木剣を合わせながら足の運びを指導したりしてたんだけど、後半はずっと立ち合い稽古。でも、何度打ち掛かっても、剣も合わせずに負かされるのばかり」
「そっか…。じゃまぁ、とりあえずはあれだな…」
ステレはそう言って、ドルトンに『何をしても音が外に漏れない部屋』を用意して…と言って地下室の鍵を借りると、キリハ引っ張って行って鍵を握らせて、そのまま部屋に放り込んでしまった。
「後は放っておいていいわよ」
それだけ言ってさっさと引き上げてしまった。その手際の良さにドルトンが笑う。
「経験がおありで?」
「そりゃもう」
肩をすくめるしぐさで笑う。
只人の頃のステレは、男に負けない騎士になろうとして壁にぶつかってばかりだったのだ。
「私も、何度やっても男の騎士に勝てなかった。正直キリハは、あの頃の私より強いよ。でも相手がテンゲン様だからね」
そこに気付いて欲しいのだが、男の剣士と互角に勝負しようと思うなら、これは自分で乗り越えなければならない壁だ。だから自分は少しだけ背中を押す。あの時のグリフ王がしてくれたように。
そして、ドルトンが再起を疑わず、テンゲンが目をかけていただけの事はあったようだ。
翌日、ステレが地下室に様子を見に行くと、すっきりした表情のキリハの足許には、足捌きを繰り返した跡が床一面に残っていた。
「ご心配おかけしました」
そういってキリハが頭を下げる。
剣士に涙は不要だろうか?。ステレはそうは思わない。涙にも意味も役目もある。もう泣けなくなった自分が言っても説得力皆無だが…。部屋に足捌きの痕跡以外は何も残っていないが、キリハの涙はきちんとその役目を果たしてくれたようだ。
キリハの様子に一安心したステレは、じっと床に残る跡を見ていた。が、やおら身体が揺れると、一気にキリハとの間合いを詰める。だが、ステレの動きに即座に反応したキリハは瞬時にステレの側面を取っていた。最初の揺れで自分の動きを攪乱したが、キリハは引っかからなかった。
ステレはようやく笑みを見せた。
「ね、稽古を積み上げれば技は答えてくれる。相手がテンゲン様だから、全然強くなった気がしないでしょうけどね」
「はい」
最初にテンゲンが「駄目な場合は口に出す。それ以外は言わぬ」と言ったのは本当なのだ。テンゲンが何も言わずに容赦無い稽古をしている時点で、キリハが優秀な弟子であることは明らかだ。だが、テンゲンがあまりに強すぎるから、自分が強くなっている事に気付けない。それ故に自分の力が足りないと思い込んでしまうのだ。それに気づければ、キリハは大きく飛躍できるだろう。
「自信持ちなよ。私が只人だった時、今のキリハの動きはできなかったんだから」
「え…」
オーウェンやテンゲンに迫る剣技を見せるステレが、今の自分に及ばない腕前だったというのは信じられない話だった。
「なにしろ、女に教えてくれる剣士なんていなかったしね。皆の剣を見ながら我流で稽古しただけだった。身体が小さいのを補うのにトリッキーな動きに偏ってたし、最後は強化薬漬けで傭兵相手に斧振り回してたから剣どころじゃなかった。今の私は人間辞めたせいでズルできるだけ」
ステレは照れ隠しのように笑いながらそう告白した。
キリハは運が良い…などと言うつもりも無い。こんなものはただの巡り合わせだ。いかにテンゲンの教えを受けようと、すべてはキリハの天分あってのことなのだから。
それでも、キリハにとっては紛れもなくステレのもたらしてくれた幸運だ。ステレの繋いだ縁で諸侯国の無双の剣士に師事する事ができ、ステレの縁(ステレが不在のとばっちりともいう)で本気の稽古を受ける事ができたのは望外の幸運だった。
(私はこの人のおかげで強くなれた。この人は…無理解と偏見と不運の前に諦めるしかなかったというのに…まるで自分の事のように…。私は…一体何を返せるのだ…)
キリハが目頭を押さえる。昨夜、散々泣いた。両親を亡くした時もう涙が枯れるまで泣いたと思ったが、まだ泣くことができるのだと驚いた。そして、もう泣くまいと誓ったばかりのに…。
「ん、キリハが必死に頑張ったからだよ。そしてまだまだ強くなれる」
「はい…はい……」
肩を抱いてくれるステレにどうにか返事をする事ができたが、言葉が続かない。いや、言葉ではない。ステレがなろうとして諦めざるを得なかった、護衛剣士として大成して見せる事が恩返しだ。キリハはそう決心を固めた。
気配を感じるギリギリの距離から二人の様子を窺っていたドルトンは、ステレが娘の恩人になった事を知ったのだった。
店員達では手に余る場合はドルトンは自分も出るつもりだったが、警戒が功を奏したか、幸いにして平穏無事に王都に到着する事ができた。
五感の鋭いドルトンには、頭目が「自分が負けたら国外に逃げろ」と指示していたのが、かろうじて聞こえていた。そうしてくれればありがたいのだが……少なくとも頭目は意趣返しに来る可能性が高いと思っている。
彼らはそういう世界に生きているからだ。
人数が増えたせいで、夏の日差しの同中は日よけの天幕をかけた荷馬車に皆で乗っての旅だったが、最後の行程は商会の用意した箱馬車に乗り換えて王都に入った。ステレは目立つ。あまり姿を晒して動く訳にも行かなかった。
貴人用の入り口に現れた商会の馬車に眉を顰めた門衛は、しかし、身分証明の侯爵名の書面と帽子を取って顔を見せたステレに息をのんで通行を許可してくれた。何しろ、ステレはただ一人で王都の南門を制圧して開放してしまった実績がある。王都門衛の天敵だった。
ステレにとっては数年ぶりの王都だった。森で鬼人の闘争心は抑える事ができたが、初夏のみっともない姿を思えば王都にはもう来ることは無いと思っていた。賑わう王都の通りを、ステレは無表情で眺めている。只人だった頃から、あまり良い思い出の無い街なのだ。最後は出禁まで食らってしまったし。
ステレは馬車のまま商会の王都本店に入った。まだ婚約が発表された訳ではないから、王都でロイツェル侯爵邸に入る訳にもいかない(今更とか言わない)。王都にカンフレー男爵邸などはそもそも存在しない。歴代当主は滅多に王都には出てこないし、来た場合はいつも下宿暮らしだった。ステレもキブトの王の崩御以前は数度しか来ていないが、定宿にしていた安下宿の主も男爵一家を全然貴族扱いしていなかった(まぁ、そういう宿だから選んだのだろうが)。
「あ、辺境伯ともなると、王都に屋敷を構えなきゃならないのかしら?」
ステレは今更な事を思いついた。初夏のアレを思えば王都に常駐する訳にはいかないが、侯爵と同格の貴族が王都に屋敷も無いというのはいかがなものだろうか。とはいえ産業0、領民0の名ばかり辺境伯だから、借家の家賃さえ払えそうにないし、鬼人の主の下で働きたい酔狂はそうそう居ないだろう。
ちなみに実家の屋敷にも家令は居なかった。使用人は皆近隣住民のバイトである。
「ウィルムポット辺境伯兼ロイツェル侯爵夫人になるのですから、ご一緒に暮らせばよろしいでしょう。侯爵の屋敷に窓口でも設ければ済むと思います」
ドルトンが妙な事を言い出した。
「なに、窓口って…」
「いや多分、訪ねて来るのは剣士ばかりだと思いますので、ステレ様への立ち合いの希望の受付をする窓口があれば良いかと」
「そんな事になるかな?」
「なりますよ。当時から『ゴージを斬った鬼人の剣士』は有名でしたから」
「ふぅん……」
そう言われてもステレの心は浮き立たない。あれは自分の負けだったと今でも思っているからだ。
「それに、侯爵ももうステレ様と離れて暮らすおつもりは無いでしょう」
「相変わらず、好きにほっつき歩いても何も言われないけどね」
「ステレ様を屋敷に縛り付けたく無いとお思いなのでしょうね。それに今は必ず戻ってきてくれると判っておりますから」
愛する女性が放浪しても止めない…というのは、王国貴族の常識からしたら異端と言ってもいい。同僚たちはそれを残念な『オーウェンしぐさ』だと思っているが、それをステレを愛する故と考えるのは放浪暮らしの多い獣人ならではの思考だろうか。
いずれにしろ、ステレにはなんとも有り難い伴侶だった。
「侯爵もだいぶ落ち着かれましたが、あんまり挑戦者が多いと、ステレ様と勝負したいのならまず自分を倒せ…とか言いそうですがね」
「あはははは」
…と笑ったステレだが、(あんまりシャレになっていないな…)とも思ったのは内緒だ。
本店に着くと、早速ドルトンは剣を仕上げに出した。仕上研ぎの後、拵と刀装が着く事になっている。その間に、ステレは式典用の衣装合わせである。
オーウェンの屋敷でのすったもんだの議論の末、お披露目の夜会の方は男性貴族の正装で出る事にした。貴族家当主になるので、その決意を示すためだ……ともっともらしい事を言ってみたが、ドレスは無理というのがステレの本音だ。あと、ダンスに誘われてもとても踊れる気がしない。男装していればさすがに躊躇されるだろう。
問題は、騎士叙任式用の衣装…というか、甲冑である。甲冑師の所で調整するのかと思ったら、鎧下の仮縫いと言われて引き続き女性店員と共に部屋に押し込まれてしまった。
(なんで鎧下に仮縫いが要るのだ?)と疑問に思ったステレだが、部屋から出るなり「アレ着るの?」と真顔で言ってきた。
「はい。お嬢の晴れ舞台ですので気合を入れて仕上げます」
お針子がドルトンの代わりに、自信たっぷりに頷く
「いや…いいの?アレ」
そもそもアレを鎧下と言ってはいけないと思う。普通なら要所に綿やフェルトが詰め込まれているものなのに、そういうものが一切無かった。
「あれは式典用ですので。念のため決まりや禁忌が無いか聞いた所、見苦しく無ければ良いとの事でした。大切に保管している先祖伝来の繕いだらけのサーコートをその日だけ羽織る家もあるとの事ですよ」
「いや、アレ防具というにはスカスカだよね?」
「大丈夫ですよ、あれだけではなくちゃんと上に着る鎧を用意していますので」
「えぇ?……いや……うん…」
納得したようなしてないような曖昧な返事だが、よくよく考えたら丸投げしてた自分に何か言える筋合いでも無かった。
「なにしろ女性の騎士は初めてですので、何を言われても『加減が判らなかったから仕方ない』で押し切れます。まぁ次回以降の女性騎士でステレ様の例が踏襲されるか、自重を求められるかは判りませんが」
ニヤリとするドルトンは『判ってやっている』らしい。ステレは諦めてため息をつく。
「でも、私には似合わないと思うな…」
「大丈夫です、お似合いになるよう磨き上げますので」
女中連中が両手をわきわきしながら言い切った。
「……それが問題なんだってば……」
ぼやいたが、そういうステレの意思はいつものようにスルーされるのだった。
そんな日々を送っていたら、ロイツェルからの馬車が到着したとの知らせがあった。あったというか、チェシヤとキリハが商会にやって来たのだが。侯爵とテンゲンは既に屋敷入っているとの事である。
「や、無事で何より……キリハはどしたの?」
ドルトンと迎えに出たら、キリハは虚ろな目で何かブツブツと呟いている。まぁ、とりあえず人外にはならずに済んだらしい。
「テンゲン様が容赦無いもので、毎日起きて食べて稽古して死んだように眠る生活だったのよ」
「ありゃまぁ」
「ロイツェルからの道中も、移動中以外は暇があればずっと。ま、テンゲン様も『見込みが無ければここまでやらない』とは言ってたけどね」
「まぁ、これを乗り越えればこいつも一皮剥けるだろう」
などと、娘の成長を喜ぶスパルタな父(ドルトン)を見て、ステレが(テンゲン様の同行を断れてよかった)とか酷い事を考えてしまったのは、許してもらえるだろうか。
「それにしても、うーん……」
ステレは腕組みをして考える。
ドルトンはキリハの奮起を疑っていないようだが、本当に大丈夫だろうか?ちょうど、グリフのサロンで暗闇の中でもがいていた自分を見るようで、他人事と思えない。
「どんな感じだったの?」
「最初のうちは木剣を合わせながら足の運びを指導したりしてたんだけど、後半はずっと立ち合い稽古。でも、何度打ち掛かっても、剣も合わせずに負かされるのばかり」
「そっか…。じゃまぁ、とりあえずはあれだな…」
ステレはそう言って、ドルトンに『何をしても音が外に漏れない部屋』を用意して…と言って地下室の鍵を借りると、キリハ引っ張って行って鍵を握らせて、そのまま部屋に放り込んでしまった。
「後は放っておいていいわよ」
それだけ言ってさっさと引き上げてしまった。その手際の良さにドルトンが笑う。
「経験がおありで?」
「そりゃもう」
肩をすくめるしぐさで笑う。
只人の頃のステレは、男に負けない騎士になろうとして壁にぶつかってばかりだったのだ。
「私も、何度やっても男の騎士に勝てなかった。正直キリハは、あの頃の私より強いよ。でも相手がテンゲン様だからね」
そこに気付いて欲しいのだが、男の剣士と互角に勝負しようと思うなら、これは自分で乗り越えなければならない壁だ。だから自分は少しだけ背中を押す。あの時のグリフ王がしてくれたように。
そして、ドルトンが再起を疑わず、テンゲンが目をかけていただけの事はあったようだ。
翌日、ステレが地下室に様子を見に行くと、すっきりした表情のキリハの足許には、足捌きを繰り返した跡が床一面に残っていた。
「ご心配おかけしました」
そういってキリハが頭を下げる。
剣士に涙は不要だろうか?。ステレはそうは思わない。涙にも意味も役目もある。もう泣けなくなった自分が言っても説得力皆無だが…。部屋に足捌きの痕跡以外は何も残っていないが、キリハの涙はきちんとその役目を果たしてくれたようだ。
キリハの様子に一安心したステレは、じっと床に残る跡を見ていた。が、やおら身体が揺れると、一気にキリハとの間合いを詰める。だが、ステレの動きに即座に反応したキリハは瞬時にステレの側面を取っていた。最初の揺れで自分の動きを攪乱したが、キリハは引っかからなかった。
ステレはようやく笑みを見せた。
「ね、稽古を積み上げれば技は答えてくれる。相手がテンゲン様だから、全然強くなった気がしないでしょうけどね」
「はい」
最初にテンゲンが「駄目な場合は口に出す。それ以外は言わぬ」と言ったのは本当なのだ。テンゲンが何も言わずに容赦無い稽古をしている時点で、キリハが優秀な弟子であることは明らかだ。だが、テンゲンがあまりに強すぎるから、自分が強くなっている事に気付けない。それ故に自分の力が足りないと思い込んでしまうのだ。それに気づければ、キリハは大きく飛躍できるだろう。
「自信持ちなよ。私が只人だった時、今のキリハの動きはできなかったんだから」
「え…」
オーウェンやテンゲンに迫る剣技を見せるステレが、今の自分に及ばない腕前だったというのは信じられない話だった。
「なにしろ、女に教えてくれる剣士なんていなかったしね。皆の剣を見ながら我流で稽古しただけだった。身体が小さいのを補うのにトリッキーな動きに偏ってたし、最後は強化薬漬けで傭兵相手に斧振り回してたから剣どころじゃなかった。今の私は人間辞めたせいでズルできるだけ」
ステレは照れ隠しのように笑いながらそう告白した。
キリハは運が良い…などと言うつもりも無い。こんなものはただの巡り合わせだ。いかにテンゲンの教えを受けようと、すべてはキリハの天分あってのことなのだから。
それでも、キリハにとっては紛れもなくステレのもたらしてくれた幸運だ。ステレの繋いだ縁で諸侯国の無双の剣士に師事する事ができ、ステレの縁(ステレが不在のとばっちりともいう)で本気の稽古を受ける事ができたのは望外の幸運だった。
(私はこの人のおかげで強くなれた。この人は…無理解と偏見と不運の前に諦めるしかなかったというのに…まるで自分の事のように…。私は…一体何を返せるのだ…)
キリハが目頭を押さえる。昨夜、散々泣いた。両親を亡くした時もう涙が枯れるまで泣いたと思ったが、まだ泣くことができるのだと驚いた。そして、もう泣くまいと誓ったばかりのに…。
「ん、キリハが必死に頑張ったからだよ。そしてまだまだ強くなれる」
「はい…はい……」
肩を抱いてくれるステレにどうにか返事をする事ができたが、言葉が続かない。いや、言葉ではない。ステレがなろうとして諦めざるを得なかった、護衛剣士として大成して見せる事が恩返しだ。キリハはそう決心を固めた。
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今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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