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戦友たち 1
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ステレは帰って来た、約束通りに。
グリフ王にとって、それはとても長い時間だった。
ステレは自らの力で帰って来た。グリフ王はそう思っている。
(自分には、ほんの僅か森で暮らすステレの生活を支援することしかできなかった)
それがグリフ王の偽らざる心だった。
オーウェンも同じだった。
(自分は最後の最後にようやく共に歩もうと決断できただけで、何もできなかった)
と思っている。
だが、ステレの想いは違った。
(自分は生かされている。いや…ずっとずっと生かされていた。それに気づかなかった)
それに気づいたからこそ、気づかされたからこそ…自暴自棄のような危険な状態を脱する事ができた。そして、だからこそ、それに気づく事が出来たきっかけ…オーウェンの「一緒に居てくれ」の一言は無上の喜びだった。
只人を超える力を手にした事で。人と異なる欲求を持ってしまったことで、ステレは孤独になってしまったと思っていた。だが、見方を変えればステレが全てから逃げていただけだった。グリフからもオーウェンからも、皆からも逃げていた。それはきっと、只人が自分にかなうはずも無い、鬼を理解することができるはずが無い…という傲慢の裏返しだった。
そうではなかった。自分の隣に立ち、もし自分が道を違えようとしたときに、殴り倒してでも引き戻してくれる人が居た。鬼になろうとステレに変わりは無いと言ってくれる人が居た。突然現れてステレを救ってくれた訳ではない。最初から隣に居たのにステレが見もせず逃げていただけだった。
グリフ王は、侍従役のオーウェンから差し出された長剣を受け取ると引き抜いた。漆黒で片刃の異国風の剣。だが、とても美しい剣だ。それは身に着けている甲冑と同じく、ステレにはとても相応しい物に思えた。
確かにステレの剣も甲冑も王国騎士の伝統からは程遠い。だが、それが似合っているならそれでいいではないか。今、伝統に則り騎士の叙任をするが、ステレは伝統を覆し、女性でありながら自らの力を証明した事によって騎士となるのだから。
「ステレ・カンフレーを王国騎士に叙す。誠実であれ、寛容であれ、貞節であれ、強靭であれ」
グリフ王は高らかにそう言いながら剣でステレの肩を打った。
「わが命の限り」
全く気負ったふうもなく静かな声でそう応じると、ステレは立ち上がり王から剣を受け取る。ノル・ヴァルレンが腰に剣帯を回して停め、腕にかけていたマントを広げるとステレの背にかけた。
諸卿や騎士の間の騒めきはまだ続いていたが、最後の一人…ステレが身支度を整え終えて一同を見渡すと、式典の進行を思い出したか、広間の声はようやく収まった。再び王を見たステレと共に、新しい騎士と貴族たちが一斉に跪いた。
「新しき騎士の誕生、誠に喜ばしい。諸君らだけでなく、我が国の各地で新しき騎士が誕生しているはずだ。彼らも諸君らも王国の未来である。今、王国は大きく変動すべき時期を迎えている。諸君らが王国のために力を尽くしてくれることを期待する」
「王と王国に弥栄あらん事を」
「王と王国に弥栄あらん事を!!」
王の祝辞に続き、オーウェンの言祝ぎの言葉に全員が唱和して式典は終わった。
立ち上がったステレは、「んーーー」とうなりながら背筋を伸ばした。王は既に退室しているが、広間を出るオーウェンと一瞬目が合った。オーウェンの口元は僅かに緩んでいた。
「さて、正体が明かされた訳ですが……」
従者役のノル・ヴァルレンが苦笑気味に言った。
見渡せば、ステレは相変わらず他の貴族や騎士からは遠巻きにされている。どう接していいのか戸惑っているのかもしれない。
「慣れました」
ステレも苦笑する。そんな人垣の中から怖気も無くカンヌがやってくると、ステレの前で頭を下げた。
「ステレ卿、ありがとうございます」
律儀なその姿に、思わずステレの頬が緩んでしまった。
「父君にそっくりですね」
「え?」
ステレは一歩遅れてこちらに向かってくるハイス卿とカンヌに似た少年をちらりと見ると、怪訝な顔のカンヌに向かって笑みを浮かべた。
「貴方の父君は…この際キッパリと言いますが、剣の腕で男爵になったのではありません」
「ブフッ…」
丁度、ハイス卿の耳に入るタイミングステレがそう言うと、ハイス卿が吹き出したあと、渋い顔でうめき声を上げた。
自分でそうと判っていても、やはりハイス卿も騎士だ。面と向かって言われれば堪えるのである。
「ですが」とステレは続けた。周りの貴族にも聞こえるように、少し声を高めた。
「私もそうです。私は、女だてらに剣で身を立てようとする、その心意気を買われて陛下の元に加えていただきました。鬼人になる前の私は、男の騎士や剣士には全く歯が立たない、世を何もしらない無謀なだけの小娘でした。それでも陛下は私の忠誠を受け取ってくださいました。同じようにハイス卿は、強靭さではなく「誠実」、「寛容」という騎士の徳目をもって多くの騎士の心を救いました……私も救われた一人です。ハイス卿はその功で男爵になられました。どうかそれを誇りに思ってください」
「はい。……はいっ」
ステレが目を向けると、従者の少年も目を輝かせ大きく頷いた。
「ステレ卿…」
誇らしげに答える息子の声に顔をくしゃくしゃにしたハイス卿は、手巾で目を抑えた。
鬼人卿は高位の貴族になるというのに、領地も無い男爵の家まで来て『自分から抱かれた』とまで言ってくれた。今また、息子に「父親を誇りにしろ」とまで声をかけてくれたのだ。武の権化であり、王に忠節を尽くして人外でありながら王国貴族となった鬼人卿の称賛を受けたのだ、ハイス卿には大きな箔が付いたと言っていい。ここまでしてくれた鬼人卿に返せる事はないだろうか?自分にできる事は何かないか?鬼人の功績を知るはずの王家派で占められたこの席でさえ、なお遠巻きにされる鬼人の騎士に…嬢ちゃんに何かできる事は無いのだろうか…。彼女は今でこそ人外ではあるが、男ですら心折れる決死の旅で悩み苦しみ必死に生きる只人の娘だったのだ、自分はそれをずっと見てきた。
ハイス卿は、周りにも聞こえる大きな声を上げた。いつもの彼の態度とは全く異なる、ハイス卿一世一代の口上だった。
「ステレ卿!私は領地を持たぬ男爵に過ぎないが、旅を共にした騎士としてどうか最初に卿の綬爵を言祝ぐ言葉をかける事をお許しいただきたい!」
辺境伯となるステレに最初に声をかけるべきは、もっと高位の爵位が相応しいのかもしれない。ハイス卿も僭越だと知っている……知った事か。誰も祝わないのなら自分が真っ先に祝ってやる。そして思い出せ!。
「頂戴します」
突然の声に驚いたものの、ステレは即座にそう応えた。地位や爵位など関係ない。誠実だけが取り柄のこの法服男爵は、ステレの紛れもない戦友の一人だったのだから。
取り巻いた貴族たちも、ハイス卿の言葉にシンとして耳をそばだてていた。
「あなたがカンフレー家のステレ嬢として、ご家来衆を全て失った上に自らの命尽きるまで戦ったこと。鬼人卿として蘇り敵を討ち続けたこと。にもかかわらず只人と同じ栄誉を望まず王都を去った事。私はそれをずっと目にしてきました。だからこそ、卿が王国騎士の栄誉を得られた事、誠に喜ばしい!今日の良き日を心より祝福申し上げる!」
ステレにとって、共に戦った戦友の…旅の間に世話になったおじさんの言葉は、何よりの祝辞だった。
「丁寧な祝辞痛み入ります」
ステレはそう答礼すると、鎧の草刷りを摘まんで膝を折り淑女の礼を取った。似合わない事は判っているが、ずっと我が娘のように気にかけてくれたハイス卿にはこの方が相応しいと思えたのだ。
そして、ハイス卿の堂々とした口上が耳目を集め、ステレの思わぬ女性的な仕草は、周囲の貴族に演劇のヒロインをの姿を思い起こさせるのに十分だった。
これこそが、ハイス卿の狙いだった。
実際の旅は、演劇のようなものではなかった。泥と血と異臭にまみれ、飢えと死が隣を歩く旅だった。そして鬼人卿は一たび斧を振れば、幾人もの只人の命が瞬時に消える、歩く『死』そのものだった。だが、物語の主人公なら何でも許される。物語を事実にしてしまえばいいのだ。その御膳立てはできていた、後は『演劇のヒロインがここに実在する』。それを思いださせればいい。そしてステレは(偶然にだが)それに応えてくれた。
ここにいるのは、決して人食いの鬼ではない。男たちに股を開いた娼婦まがいの娘でもない。美しく礼節を知る元只人の鬼人、ただ王への愛のために人としての生を捨ててまで戦った娘なのだ。
我に返った貴族たちが一人二人とステレの周りに来ては、叙爵を祝う言葉をかけてきた。
人外である事を『元貴族の娘の只人である』という事実で差し引いてみれば、鬼人卿は紛れもなく王国貴族の当主であり、しかも王が自ら叙爵をするほど信頼されているのだ。それに、剣の腕前はゴージを倒すほどであり、背丈は高いが十分すぎる美女だ。(縁を結んで損は無い)そう思えば本音はどうであれ、彼らに『貴族的な付き合い』をするのに嫌は無い。
(遠巻にしてしまうという無礼をしてしまったがステレ卿も貴族だ、今後の付き合いも考えれば社交の妨げになるほど臍は曲げまい)
などと都合の良い事まで考えてはいたが、実際のところステレはそれどころではなかった。
貴族でありながらド田舎すぎて王国の社交界に出入りしていなかったステレは、貴族の家名もほとんど覚えていなかった。戸惑って助けを求めたが、末席にすぎないハイス卿もそもそも只人でないノル・ヴァルレンもどうにもしようが無い。
「貴族らしい言い回しもできるではないですか。その調子で頑張ってください」
森人の偉丈夫は、そう笑ってさっさと輪の外に逃げてしまっていた。
ステレはもう何年も前の貴族教育を必死に思い出して、あたふたと挨拶を返す。だがもう限界だ。パニくってるせいで、王に恥をかかせる訳にいかないと必死に被っていた猫も今や出奔しようとしている。当たり前だが、いかに外見でヒロインらしくしたって、中身はそうそう変わらないのだ。
(くっそー遠巻きにされてるほうがマシだったよ、これじゃ…)ステレの心の声は、とても周りの人々に聞かせられるものでは無かった。
◇◇◇
短いですが、一年ぶりの正月更新。
グリフ王にとって、それはとても長い時間だった。
ステレは自らの力で帰って来た。グリフ王はそう思っている。
(自分には、ほんの僅か森で暮らすステレの生活を支援することしかできなかった)
それがグリフ王の偽らざる心だった。
オーウェンも同じだった。
(自分は最後の最後にようやく共に歩もうと決断できただけで、何もできなかった)
と思っている。
だが、ステレの想いは違った。
(自分は生かされている。いや…ずっとずっと生かされていた。それに気づかなかった)
それに気づいたからこそ、気づかされたからこそ…自暴自棄のような危険な状態を脱する事ができた。そして、だからこそ、それに気づく事が出来たきっかけ…オーウェンの「一緒に居てくれ」の一言は無上の喜びだった。
只人を超える力を手にした事で。人と異なる欲求を持ってしまったことで、ステレは孤独になってしまったと思っていた。だが、見方を変えればステレが全てから逃げていただけだった。グリフからもオーウェンからも、皆からも逃げていた。それはきっと、只人が自分にかなうはずも無い、鬼を理解することができるはずが無い…という傲慢の裏返しだった。
そうではなかった。自分の隣に立ち、もし自分が道を違えようとしたときに、殴り倒してでも引き戻してくれる人が居た。鬼になろうとステレに変わりは無いと言ってくれる人が居た。突然現れてステレを救ってくれた訳ではない。最初から隣に居たのにステレが見もせず逃げていただけだった。
グリフ王は、侍従役のオーウェンから差し出された長剣を受け取ると引き抜いた。漆黒で片刃の異国風の剣。だが、とても美しい剣だ。それは身に着けている甲冑と同じく、ステレにはとても相応しい物に思えた。
確かにステレの剣も甲冑も王国騎士の伝統からは程遠い。だが、それが似合っているならそれでいいではないか。今、伝統に則り騎士の叙任をするが、ステレは伝統を覆し、女性でありながら自らの力を証明した事によって騎士となるのだから。
「ステレ・カンフレーを王国騎士に叙す。誠実であれ、寛容であれ、貞節であれ、強靭であれ」
グリフ王は高らかにそう言いながら剣でステレの肩を打った。
「わが命の限り」
全く気負ったふうもなく静かな声でそう応じると、ステレは立ち上がり王から剣を受け取る。ノル・ヴァルレンが腰に剣帯を回して停め、腕にかけていたマントを広げるとステレの背にかけた。
諸卿や騎士の間の騒めきはまだ続いていたが、最後の一人…ステレが身支度を整え終えて一同を見渡すと、式典の進行を思い出したか、広間の声はようやく収まった。再び王を見たステレと共に、新しい騎士と貴族たちが一斉に跪いた。
「新しき騎士の誕生、誠に喜ばしい。諸君らだけでなく、我が国の各地で新しき騎士が誕生しているはずだ。彼らも諸君らも王国の未来である。今、王国は大きく変動すべき時期を迎えている。諸君らが王国のために力を尽くしてくれることを期待する」
「王と王国に弥栄あらん事を」
「王と王国に弥栄あらん事を!!」
王の祝辞に続き、オーウェンの言祝ぎの言葉に全員が唱和して式典は終わった。
立ち上がったステレは、「んーーー」とうなりながら背筋を伸ばした。王は既に退室しているが、広間を出るオーウェンと一瞬目が合った。オーウェンの口元は僅かに緩んでいた。
「さて、正体が明かされた訳ですが……」
従者役のノル・ヴァルレンが苦笑気味に言った。
見渡せば、ステレは相変わらず他の貴族や騎士からは遠巻きにされている。どう接していいのか戸惑っているのかもしれない。
「慣れました」
ステレも苦笑する。そんな人垣の中から怖気も無くカンヌがやってくると、ステレの前で頭を下げた。
「ステレ卿、ありがとうございます」
律儀なその姿に、思わずステレの頬が緩んでしまった。
「父君にそっくりですね」
「え?」
ステレは一歩遅れてこちらに向かってくるハイス卿とカンヌに似た少年をちらりと見ると、怪訝な顔のカンヌに向かって笑みを浮かべた。
「貴方の父君は…この際キッパリと言いますが、剣の腕で男爵になったのではありません」
「ブフッ…」
丁度、ハイス卿の耳に入るタイミングステレがそう言うと、ハイス卿が吹き出したあと、渋い顔でうめき声を上げた。
自分でそうと判っていても、やはりハイス卿も騎士だ。面と向かって言われれば堪えるのである。
「ですが」とステレは続けた。周りの貴族にも聞こえるように、少し声を高めた。
「私もそうです。私は、女だてらに剣で身を立てようとする、その心意気を買われて陛下の元に加えていただきました。鬼人になる前の私は、男の騎士や剣士には全く歯が立たない、世を何もしらない無謀なだけの小娘でした。それでも陛下は私の忠誠を受け取ってくださいました。同じようにハイス卿は、強靭さではなく「誠実」、「寛容」という騎士の徳目をもって多くの騎士の心を救いました……私も救われた一人です。ハイス卿はその功で男爵になられました。どうかそれを誇りに思ってください」
「はい。……はいっ」
ステレが目を向けると、従者の少年も目を輝かせ大きく頷いた。
「ステレ卿…」
誇らしげに答える息子の声に顔をくしゃくしゃにしたハイス卿は、手巾で目を抑えた。
鬼人卿は高位の貴族になるというのに、領地も無い男爵の家まで来て『自分から抱かれた』とまで言ってくれた。今また、息子に「父親を誇りにしろ」とまで声をかけてくれたのだ。武の権化であり、王に忠節を尽くして人外でありながら王国貴族となった鬼人卿の称賛を受けたのだ、ハイス卿には大きな箔が付いたと言っていい。ここまでしてくれた鬼人卿に返せる事はないだろうか?自分にできる事は何かないか?鬼人の功績を知るはずの王家派で占められたこの席でさえ、なお遠巻きにされる鬼人の騎士に…嬢ちゃんに何かできる事は無いのだろうか…。彼女は今でこそ人外ではあるが、男ですら心折れる決死の旅で悩み苦しみ必死に生きる只人の娘だったのだ、自分はそれをずっと見てきた。
ハイス卿は、周りにも聞こえる大きな声を上げた。いつもの彼の態度とは全く異なる、ハイス卿一世一代の口上だった。
「ステレ卿!私は領地を持たぬ男爵に過ぎないが、旅を共にした騎士としてどうか最初に卿の綬爵を言祝ぐ言葉をかける事をお許しいただきたい!」
辺境伯となるステレに最初に声をかけるべきは、もっと高位の爵位が相応しいのかもしれない。ハイス卿も僭越だと知っている……知った事か。誰も祝わないのなら自分が真っ先に祝ってやる。そして思い出せ!。
「頂戴します」
突然の声に驚いたものの、ステレは即座にそう応えた。地位や爵位など関係ない。誠実だけが取り柄のこの法服男爵は、ステレの紛れもない戦友の一人だったのだから。
取り巻いた貴族たちも、ハイス卿の言葉にシンとして耳をそばだてていた。
「あなたがカンフレー家のステレ嬢として、ご家来衆を全て失った上に自らの命尽きるまで戦ったこと。鬼人卿として蘇り敵を討ち続けたこと。にもかかわらず只人と同じ栄誉を望まず王都を去った事。私はそれをずっと目にしてきました。だからこそ、卿が王国騎士の栄誉を得られた事、誠に喜ばしい!今日の良き日を心より祝福申し上げる!」
ステレにとって、共に戦った戦友の…旅の間に世話になったおじさんの言葉は、何よりの祝辞だった。
「丁寧な祝辞痛み入ります」
ステレはそう答礼すると、鎧の草刷りを摘まんで膝を折り淑女の礼を取った。似合わない事は判っているが、ずっと我が娘のように気にかけてくれたハイス卿にはこの方が相応しいと思えたのだ。
そして、ハイス卿の堂々とした口上が耳目を集め、ステレの思わぬ女性的な仕草は、周囲の貴族に演劇のヒロインをの姿を思い起こさせるのに十分だった。
これこそが、ハイス卿の狙いだった。
実際の旅は、演劇のようなものではなかった。泥と血と異臭にまみれ、飢えと死が隣を歩く旅だった。そして鬼人卿は一たび斧を振れば、幾人もの只人の命が瞬時に消える、歩く『死』そのものだった。だが、物語の主人公なら何でも許される。物語を事実にしてしまえばいいのだ。その御膳立てはできていた、後は『演劇のヒロインがここに実在する』。それを思いださせればいい。そしてステレは(偶然にだが)それに応えてくれた。
ここにいるのは、決して人食いの鬼ではない。男たちに股を開いた娼婦まがいの娘でもない。美しく礼節を知る元只人の鬼人、ただ王への愛のために人としての生を捨ててまで戦った娘なのだ。
我に返った貴族たちが一人二人とステレの周りに来ては、叙爵を祝う言葉をかけてきた。
人外である事を『元貴族の娘の只人である』という事実で差し引いてみれば、鬼人卿は紛れもなく王国貴族の当主であり、しかも王が自ら叙爵をするほど信頼されているのだ。それに、剣の腕前はゴージを倒すほどであり、背丈は高いが十分すぎる美女だ。(縁を結んで損は無い)そう思えば本音はどうであれ、彼らに『貴族的な付き合い』をするのに嫌は無い。
(遠巻にしてしまうという無礼をしてしまったがステレ卿も貴族だ、今後の付き合いも考えれば社交の妨げになるほど臍は曲げまい)
などと都合の良い事まで考えてはいたが、実際のところステレはそれどころではなかった。
貴族でありながらド田舎すぎて王国の社交界に出入りしていなかったステレは、貴族の家名もほとんど覚えていなかった。戸惑って助けを求めたが、末席にすぎないハイス卿もそもそも只人でないノル・ヴァルレンもどうにもしようが無い。
「貴族らしい言い回しもできるではないですか。その調子で頑張ってください」
森人の偉丈夫は、そう笑ってさっさと輪の外に逃げてしまっていた。
ステレはもう何年も前の貴族教育を必死に思い出して、あたふたと挨拶を返す。だがもう限界だ。パニくってるせいで、王に恥をかかせる訳にいかないと必死に被っていた猫も今や出奔しようとしている。当たり前だが、いかに外見でヒロインらしくしたって、中身はそうそう変わらないのだ。
(くっそー遠巻きにされてるほうがマシだったよ、これじゃ…)ステレの心の声は、とても周りの人々に聞かせられるものでは無かった。
◇◇◇
短いですが、一年ぶりの正月更新。
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---------
もし気に入っていただけたら、ブクマや評価、感想をいただけると大変励みになります!
#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
---
追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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感想ありがとうございます。
私は普通に「あかつきまる」です。全然気が付かなくて、だいぶ後で「あ、被ってら」となりました。今回から使い始めたペンネームなので、慣れてなかったんですね、たぶん。
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カリ城!我が人生でぶーーーっちぎり1位の映画です!
更新ありがとうございます!
「紫光錫十字章」のくだりでは涙ウルウルになってしまいました。マーシア、オーウェン、ソルメトロ・・・ここまで思いやり深い友や仲間に恵まれるのもステラが誰よりも思いやり深く信念のある人だからでしょう。それでもステラには色々いっぱいいっぱいだったのでしょう・・・時には全てを捨てて逃げ出すことも大事です。それを理解し見守ってくれている彼らには感謝です。
それにしても素敵すぎるキャラが揃いまくりです!
「(だったら引き留めろよ)」脇役同僚のツッコミも爆笑です。
次回更新、楽しみにしています!
花粉や年度末、慌ただしい時期ですが暁丸様お体ご自愛くださいませ!
超不定期掲載に感想ありがとうございます。
彼らも出世コースから外れたり、なにがしかの欠陥があったりで世話になっていたので、仲間には優しいのです
(要するにすみっコぐらしみたいな…)。
作品は完結させてなんぼと教えられていますので、頑張ります。「読者が信じてくれたら空だって飛べるさ」(cv:山田康夫)