2 / 3
同期する二つの記憶
しおりを挟む
「ぐ、あ……ぁあ……ッ!」
脳漿が沸騰するような熱量だった。
河原綱家という男の三十余年の記憶――主君への忠誠、真田の郷の土の匂い、初陣の恐怖、そういった「生身のデータ」が、未知の奔流によって上書きされていく。
視界の裏側で、深紅の警告灯(アラート)が明滅していた。
[SYNC PROGRESS: 24%... 48%...]
[MEMORY FRAGMENTATION: DETECTED]
[WARNING: PERSONALITY OVERWRITE IN PROGRESS]
(やめろ……俺は、俺は……!)
抵抗しようとする綱家の自我は、冷徹な青い光の波にあっけなく飲み込まれた。
未来から転送された膨大な歴史データ、戦術理論、そしてこの時代には存在し得ない「観測者」としての使命。それらが、既存の神経回路を焼き切る勢いで強引に接続(コネクト)されていく 。
「……な家殿! しっかりくだされ!」
誰かが体を揺さぶっている。
綱家は、泥にまみれた手で地面を掴み、呼吸を整えようと喘いだ。
焦点の合わない瞳が、揺さぶる相手を捉える。
その瞬間、視界に青白いグリッドが走った。
[TARGET: SANADA SOLDIER / RANK: E / STATUS: PANIC / HR: 140bpm]
(なんだ、これは……文字が、浮かんで……?)
「目鏡がずれておりますぞ、綱家殿!」
兵の一人が、綱家の鼻先にかかっていた無骨な鉄縁の眼鏡を押し上げた 。
そのレンズを通すと、世界は一変した。
ただの足軽の顔に、ステータスが表示されている。周囲の木々の揺らぎが、風速と風向のベクトルとして可視化される。
これは幻覚ではない。高度に洗練された拡張現実(AR)が、網膜に直接投影されているのだ。
「……あ、あぁ。すまぬ」
口をついて出た言葉は、綱家のものだった。だが、その思考は氷のように冷え切っていた。
(現状把握完了。座標、信濃国小県郡。西暦1585年。……私は、この時代に『介入』してはならない。ただ『観測』し、ログを残すのみ)
二つの人格が混濁し、やがて奇妙な形で融合を果たす。
胃の腑が締め付けられるような吐き気と共に、綱家は「河原綱家」でありながら、「未来の観測者」としての視座を獲得していた。
その時だ。
周囲の兵たちが、波が引くようにざっと道を開けた。
喧騒が消え、重苦しい静寂が落ちる。
ARの音声センサーが、足音とは異なる、独特の「気配」を拾った。
[CAUTION: HIGH VALUE TARGET APPROACHING]
視界の端に警告が走る。
泥濘を踏みしめる音。そして、馬上の人ではなく、あえて徒歩で近づいてくる影。
綱家は、軋む首を上げてその人物を見た。
そこに立っていたのは、一見すればただの初老の武将だった。
だが、綱家のARは、その男を捉えた瞬間、処理落ちしたかのようなノイズを走らせた。
「……派手に転んだようだな、綱家」
真田安房守昌幸。
真田家の当主であり、この乱世を「表裏比興」の悪名と共に泳ぎ渡る男 。
昌幸は、倒れ伏す綱家を見下ろし、口の端をニヤリと吊り上げていた。その表情は、心配しているようにも、面白がっているようにも見える。
「と、殿……。お見苦しいところを」
綱家は身を起こし、平伏しようとした。
だが、昌幸の手がそれを制するように伸びてきた。昌幸は屈み込み、綱家の顔を覗き込む。
その距離、わずか数寸。
獣のような眼光が、綱家の瞳の奥――あるいは、その鼻にかかった「異界のレンズ」の奥底まで射抜いてくるようだった。
「……ふむ」
昌幸が短く唸る。
綱家の背筋に、冷たい汗が伝った。
バレたか?
中身が入れ替わったことが? いや、そんな馬鹿な。現代の精神医学ですら説明不能な現象を、戦国の武将が理解できるはずがない。
綱家の論理的思考(ロジック)はそう結論づけた。
しかし、昌幸という男は、論理の枠外に生きる「バグ」のような存在だ。
昌幸の手が、綱家の顎に触れた。
指先が、綱家の脈動を探るように首筋を撫でる。
「死の淵を見てきたかのような顔だ」
昌幸の声は、低く、腹の底に響くような磁力を帯びていた。
ARが、昌幸のバイタルサインを解析しようと激しく明滅する。
[ANALYZING... / HEART RATE: STABLE / EMOTION: UNREADABLE]
「綱家。……目つきが変わったな」
心臓が跳ね上がった。
綱家は息を呑む。
昌幸の瞳は、笑っていた。だが、その笑みは決して温かいものではない。獲物の変化を敏感に感じ取り、それを玩具としてどう使うかを瞬時に計算する、捕食者の笑みだ。
「……面白い」
昌幸はそう呟くと、満足げに立ち上がった。
まるで、綱家の中に芽生えた「異物」の存在を、言葉ではなく直感で理解したかのように。
「立てるか? 立てぬなら置いていくぞ」
「は、はいッ! 直ちに!」
綱家は慌てて立ち上がる。
泥だらけの着物が重い。だが、それ以上に、脳内に常駐し始めた「システム」の重圧が彼を圧迫していた。
昌幸は背を向け、歩き出した。
その背中は、ARの予測演算ですら「次の動作」を読み取れないほど、自然体でありながら隙がなかった。
システムが、不穏なログを吐き出す。
[WARNING: SINGULARITY DETECTED near SANADA MASAYUKI]
[ADVISORY: MAINTAIN DISTANCE]
(距離を取れだと? 無理だ……俺は、この化け物の家臣なんだぞ)
綱家は、ずれた眼鏡を指で押し上げた。
レンズの向こうで、昌幸の背中が揺れている。
その背中は、これから始まる徳川との絶望的な戦いを前にしても、微塵の恐怖も感じさせていない。
むしろ、楽しんでいる。
「急げよ、綱家。……碁の続きをせねばならん」
昌幸が振り返らずに言った。
その言葉は、ただの遊戯への誘いではない。
この乱世という盤上で、新しく生まれ変わった「綱家」という駒を、どう動かしてやろうかという宣言に聞こえた。
綱家は、震える足を踏み出した。
その一歩が、史実というレールを外れる最初の一歩になるとは、まだ知る由もなかった。
脳漿が沸騰するような熱量だった。
河原綱家という男の三十余年の記憶――主君への忠誠、真田の郷の土の匂い、初陣の恐怖、そういった「生身のデータ」が、未知の奔流によって上書きされていく。
視界の裏側で、深紅の警告灯(アラート)が明滅していた。
[SYNC PROGRESS: 24%... 48%...]
[MEMORY FRAGMENTATION: DETECTED]
[WARNING: PERSONALITY OVERWRITE IN PROGRESS]
(やめろ……俺は、俺は……!)
抵抗しようとする綱家の自我は、冷徹な青い光の波にあっけなく飲み込まれた。
未来から転送された膨大な歴史データ、戦術理論、そしてこの時代には存在し得ない「観測者」としての使命。それらが、既存の神経回路を焼き切る勢いで強引に接続(コネクト)されていく 。
「……な家殿! しっかりくだされ!」
誰かが体を揺さぶっている。
綱家は、泥にまみれた手で地面を掴み、呼吸を整えようと喘いだ。
焦点の合わない瞳が、揺さぶる相手を捉える。
その瞬間、視界に青白いグリッドが走った。
[TARGET: SANADA SOLDIER / RANK: E / STATUS: PANIC / HR: 140bpm]
(なんだ、これは……文字が、浮かんで……?)
「目鏡がずれておりますぞ、綱家殿!」
兵の一人が、綱家の鼻先にかかっていた無骨な鉄縁の眼鏡を押し上げた 。
そのレンズを通すと、世界は一変した。
ただの足軽の顔に、ステータスが表示されている。周囲の木々の揺らぎが、風速と風向のベクトルとして可視化される。
これは幻覚ではない。高度に洗練された拡張現実(AR)が、網膜に直接投影されているのだ。
「……あ、あぁ。すまぬ」
口をついて出た言葉は、綱家のものだった。だが、その思考は氷のように冷え切っていた。
(現状把握完了。座標、信濃国小県郡。西暦1585年。……私は、この時代に『介入』してはならない。ただ『観測』し、ログを残すのみ)
二つの人格が混濁し、やがて奇妙な形で融合を果たす。
胃の腑が締め付けられるような吐き気と共に、綱家は「河原綱家」でありながら、「未来の観測者」としての視座を獲得していた。
その時だ。
周囲の兵たちが、波が引くようにざっと道を開けた。
喧騒が消え、重苦しい静寂が落ちる。
ARの音声センサーが、足音とは異なる、独特の「気配」を拾った。
[CAUTION: HIGH VALUE TARGET APPROACHING]
視界の端に警告が走る。
泥濘を踏みしめる音。そして、馬上の人ではなく、あえて徒歩で近づいてくる影。
綱家は、軋む首を上げてその人物を見た。
そこに立っていたのは、一見すればただの初老の武将だった。
だが、綱家のARは、その男を捉えた瞬間、処理落ちしたかのようなノイズを走らせた。
「……派手に転んだようだな、綱家」
真田安房守昌幸。
真田家の当主であり、この乱世を「表裏比興」の悪名と共に泳ぎ渡る男 。
昌幸は、倒れ伏す綱家を見下ろし、口の端をニヤリと吊り上げていた。その表情は、心配しているようにも、面白がっているようにも見える。
「と、殿……。お見苦しいところを」
綱家は身を起こし、平伏しようとした。
だが、昌幸の手がそれを制するように伸びてきた。昌幸は屈み込み、綱家の顔を覗き込む。
その距離、わずか数寸。
獣のような眼光が、綱家の瞳の奥――あるいは、その鼻にかかった「異界のレンズ」の奥底まで射抜いてくるようだった。
「……ふむ」
昌幸が短く唸る。
綱家の背筋に、冷たい汗が伝った。
バレたか?
中身が入れ替わったことが? いや、そんな馬鹿な。現代の精神医学ですら説明不能な現象を、戦国の武将が理解できるはずがない。
綱家の論理的思考(ロジック)はそう結論づけた。
しかし、昌幸という男は、論理の枠外に生きる「バグ」のような存在だ。
昌幸の手が、綱家の顎に触れた。
指先が、綱家の脈動を探るように首筋を撫でる。
「死の淵を見てきたかのような顔だ」
昌幸の声は、低く、腹の底に響くような磁力を帯びていた。
ARが、昌幸のバイタルサインを解析しようと激しく明滅する。
[ANALYZING... / HEART RATE: STABLE / EMOTION: UNREADABLE]
「綱家。……目つきが変わったな」
心臓が跳ね上がった。
綱家は息を呑む。
昌幸の瞳は、笑っていた。だが、その笑みは決して温かいものではない。獲物の変化を敏感に感じ取り、それを玩具としてどう使うかを瞬時に計算する、捕食者の笑みだ。
「……面白い」
昌幸はそう呟くと、満足げに立ち上がった。
まるで、綱家の中に芽生えた「異物」の存在を、言葉ではなく直感で理解したかのように。
「立てるか? 立てぬなら置いていくぞ」
「は、はいッ! 直ちに!」
綱家は慌てて立ち上がる。
泥だらけの着物が重い。だが、それ以上に、脳内に常駐し始めた「システム」の重圧が彼を圧迫していた。
昌幸は背を向け、歩き出した。
その背中は、ARの予測演算ですら「次の動作」を読み取れないほど、自然体でありながら隙がなかった。
システムが、不穏なログを吐き出す。
[WARNING: SINGULARITY DETECTED near SANADA MASAYUKI]
[ADVISORY: MAINTAIN DISTANCE]
(距離を取れだと? 無理だ……俺は、この化け物の家臣なんだぞ)
綱家は、ずれた眼鏡を指で押し上げた。
レンズの向こうで、昌幸の背中が揺れている。
その背中は、これから始まる徳川との絶望的な戦いを前にしても、微塵の恐怖も感じさせていない。
むしろ、楽しんでいる。
「急げよ、綱家。……碁の続きをせねばならん」
昌幸が振り返らずに言った。
その言葉は、ただの遊戯への誘いではない。
この乱世という盤上で、新しく生まれ変わった「綱家」という駒を、どう動かしてやろうかという宣言に聞こえた。
綱家は、震える足を踏み出した。
その一歩が、史実というレールを外れる最初の一歩になるとは、まだ知る由もなかった。
0
あなたにおすすめの小説
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
ねえ、今どんな気持ち?
かぜかおる
ファンタジー
アンナという1人の少女によって、私は第三王子の婚約者という地位も聖女の称号も奪われた
彼女はこの世界がゲームの世界と知っていて、裏ルートの攻略のために第三王子とその側近達を落としたみたい。
でも、あなたは真実を知らないみたいね
ふんわり設定、口調迷子は許してください・・・
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる