死神少女と社畜女

キノハタ

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6日目 死神失格

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 今日でまゆさんと旅に出て六日目になろうとしてる。

 つまり、まゆさんの残りの寿命はあと二日だ。

 まゆさんの頭上に浮かぶ数字は、期待を裏切らずに000002を示している。

 明日は自殺を行う当日だから、多分、何も考えずに幸せに過ごせるのは今日が最後になるのだろう。

 朝、目を覚まして、そこまで思考したところで、自分の頬をパチンと叩く。

 俯くな、決めただろう、最期まで笑いきると。

 どうせなら本当に忘れられない一週間にしてやるのだ。とっびきりの笑顔で終わりまで送ってやるのだ。

 その後、自分がどれだけ傷つくとか、そんなのはもうどうだっていいのだ。

 なあに大丈夫、言ってもあと二日なのだから。

 構わない。やりきるのだ、進み切るのだ。

 今度はラブじゃないホテルのベッドでまだ寝息を立てるあなたを見やって、笑顔のまま、にひひと頬をつついてみた。

 それからごろんと寝転がって、ガーゼを貼った首元を優しく撫でる。その下にある噛み跡を想いながら。

 それから感じ続ける。

 この人に遺した私の傷。この人の頬の柔らかさ。この人の髪の匂い。この人の寝息の音までも。

 何もかも、忘れないように刻み付ける。

 髪の毛にある傷も、身体にうっすらとついた傷も、何もかも愛おしさのままに脳裏に一つ一つ彫り込んでいく。

 ああ、忘れたくない。

 忘れないままに終わりたい。

 もし、それができるなら。



 ――――できるなら一緒に。



 思わず、胸の奥がぶるっと震えた。

 気づいたら少し息も乱れている。

 あれ、今、私、何を考えた?

 思わず、がばっとゆなさんから身体を離して息を落ち着ける。

 少し、落ち着いて胸に手を当てて、逸る心臓が戻るのを待つ。


 今、私、って考えなかったか。


 吐く息が震えるのを感じる。

 でもそれも、程なくして落ち着いた。

 はは、まるで、本当は存在しない選択肢に今更、気が付いてしまったみたいだね。

 『見届ける』しか選ぶものがなかったのに、その下に一緒に『心中する』なんてとんでもない選択肢が現れた。

 それで、心中って言うキーワードが出たからか、記憶が引きずられるみたいに、クソ上司との会話が思い起こされる。

 『死神が死んだどうなるんですか?』

 『普通に死ぬ』

 『ええ、神っぽさゼロじゃないっすか』

 『まあそもそも神じゃないからな、というか、死ぬってのも元の在り方に戻るってのが正しい』

 『元の在り方?』

 『お前らはもともと、死人みたいなもんだからな。自殺したやつの魂を捕まえて仕事させてんだ。だから死んだら元に戻るだけだ』

 『はあ、よくわからんすね。つまり私みたいなやつは、元はどっかで自殺した人間ってことっすか』

 『でなきゃお前は、身体も心もゼロ歳児のはずだろうが。そのスマホの使い方はどこで覚えた』

 『ま、確かに。…………死ぬ前のことって想いだせないんっすか?』

 『死神でいる限り想いだせん。知り合いを見つけても面倒だからな』

 『ふうん、ま、確かに』

 『まあ、まれに想いだすこともあるらしいが、頼むから知り合いと出会っても心中なんてしてくれるなよ』

 『はあ、なんでっすか』

 『俺の仕事が増える』

 『……そっすか』

 上司のクソさが際立つ会話だったが、確かに学べたこともある。

 それは、元が死人か何かわからないけど、この身体は確かにここにあるってこと。

 死神は見えないし触れられないけど、物は食べれる、お腹もすく、眠くもなるし、なんならえっちもできると、昨日証明したばかりだ。

 傷つけば血も出るし、息を止めれば苦しくもなる。

 そして、死ぬほどのことをすれば、普通に死ぬ。

 死のうと想えば死ねる。

 あの上司のいいぶりからして、昔、死神が誰かと心中したってこともあるのかもしれない。

 前例があるってことは、できるってことだ。

 そこまで考えて、ふと思考が止まる。

 この考えはまゆさんに伝えるべきだろうか?

 まゆさんなら、なんて言うだろう。

 許さないかな。怒るかな。……なんとなく素直に一緒に、とはならない気がする。

 そういうとこはわがままだしなあ、まゆさん。

 自分は死ぬのはいいけど、私には意地でも生きろとか平気で言いそう。

 軽くため息をついて、私は未だに寝息を立てる。あなたの頬をぐりぐりといじめる。

 どうしよう、どうしようかなあ。

 あなたの柔らかな頬が曲がって、寝息もついでに若干苦しそうなそれに変わる。

 うん、面白い、そしてかわいい。

 軽く、笑いながら、そうして私は微笑んだ。

 あーあ、なんで、こんなわがままで、えっちで、理不尽な人を好きになってしまったのだろうか。

 「困ったねえ、まゆさん」

 思い通りにいかない、この現状すら愛しいと想えてしまうのは、私も大概バカになっているからかなあ。

 あはは、だって、まゆさんにおバカに変えられちゃったのだ、しかたねーや。


 たとえこの恋が一時の気の迷いでも。


 たとえこの愛がただの思い過ごしでも。


 たとえこの想いが誰かから見て、どれほど虚しいものだとしても。


 私の今の全てと残りの人生を賭け切ったものであるのなら。


 それはまあ、そこそこ納得のいくものになるんじゃない?


 「まゆさん、おーきて」

 「ん…………」

 「とうっ!」

 「ひゃぁ……。うう、ゆながえろいことばっかりしてくる……」

 「二日前までは無垢だったんですけどね? どこかの誰かさんに目覚めさせられたもので」

 「……素直に、ごめんなさい」

 「あはは、いいですけど、責任は取ってくださいねー」

 「……はあい、がんばります」

 「えへへ」


 ま、どうせ出来ることは一つだけ。


 積み重ねろ、今を。


 ただ全力で生き続けるんだ。


 そうすれば、答えはいずれ出るのだから。






 ※






 海岸沿いの旅もなんだか開けたところに辿り着いて、観光地みたいなところに来ていた。

 まゆさんが地名を教えてくれたけど、生前の記憶のない私でもさすがに聞いたことのある程度に有名な場所だった。なんだっけ、日本三景とかそんなんだっけ。

 もう土曜日だから結構、車通りも多くて、原付で動くのはちょっと不便そうだったので、私達は駐車場に原付を止めて歩くことにした。

 海岸線まで続いている道があるらしく、景観を楽しむために定期船まで出ているみたいだった。他にも上からの景色を一望できるロープウェイもあったりするらしい。

 まゆさんと軽く話をして、とりあえず海岸線を歩いてみようということになって、道路で信号待ちをしていた。

 そんなときだった。

 観光地で、休日、当然歩く人も多い。そして私に気づいていない人たちは遠慮なくぶつかってくる。なのでまゆさんにできるだけくっついて歩いていた。

 腕を絡ませるほどではないけど、肩をすり合わせる程度の距離で。

 ただ、多分、腕を絡ませておいた方がよかった。

 そんなことを思い知るのは、この後のことだけれど。

 
 ぼーっと歩行者用の信号が青になるのを待っている私たちの隣に、影がふっと差した。

 最初は何とも思っていなかった。人なんていっぱいいるし。

 最初、気になったのは、それが小学生くらいの女子だったこと、親と連れ立っているふうでもなく独りだったということ。

 もう一つは、私と少し距離を置いてそこに立ったということ。

 なんというか、私からすごく適切な距離感だった。

 普通の人は私が見えていないから、私との距離感なんて気にしない。人間は普通、人と近づきすぎないようそれぞれのパーソナルスペースを保っているけど。私の場合は見えてないから、顔が触れるほど近くにも平気でこられるし、歩くときに足が当たっても加減なんて一切されない。

 なのに、その子はすごく、位置で私達の隣に並んだ。

 ていうか、この子―――――。

 なんて考えていたら、その女の子はすっと道路に踏み出した。

 小学生だ。信号を待つ我慢が効かなくなったのかもしれない。

 車の隙間を抜けてやろうとしたのかもしれない。

 それくらいに想って、踏み出された足を見て、ふと想う。




 あ、やばい。





 、この子が踏み出したタイミングは車が来るドンピシャだった。

 狙ったんじゃないかってくらい綺麗に、車の前に飛び出していて、おもわず声も届かないのに叫ぼうとしてしまったら。




 
 



 は?



 そのまま、まゆは女の子をかばうように抱き着くと、うずくまって、ぎゅっと目を閉じた。





 音が鳴る。





 ブレーキの音だ。




 甲高くて神経を逆なでするような音が、車の姿と一緒に私の目の前を埋め尽くしていた。




 「まゆ!!!」




 
 叫んだ。





 訳が分からない、分からないけど走った。

 



 目の前の車のボンネットを踏み越える。





 息が荒れる。




 心臓が潰れる。




 身体中が千切れそうで、訳が分からなくなる。




 車を踏み越えた先にまゆはいた。



 生きてる?




 生きてる。




 女の子を抱きしめたまま、ぶるぶると震えている。




 
 撥ねられたわけじゃ、ない。





 そっか。車が、ぎりぎりでハンドルを切ってたんだ。





 安堵で息が抜けきる前に、私はまゆに走り寄った。

 





 とりあえず、この場から離れないと車道は危ない。







 周囲が騒ぎ始めるのを耳で聞きながら、私は急いでまゆの手を取って、ついでに女の子の手を取って走り出した。







 少女は不思議そうな顔で、私たちをじっと見ていた。






 ※




 「怪我無い?! 痛くない?! 大丈夫?!! 死んでない!!??」

 「だ、大丈夫だから、ゆな。車にも当たってないし、ぴんぴんしてるよ」

 「そっか! 本当によかったよ! でもバカ!!」

 「はい……」 

 「本当に死んでたらどうするつもりだったの!!?? もうバカ!! ほんっとバカ!!」

 「いや、私、寿命は明日だから、今日は無茶しても死なないかなって……」

 「そんなの関係ないから!! 死神はそんな風に絶対の運命を決めてるわけじゃないの! 予定外のことだって一杯あるし寿命も簡単に変わっちゃうの!! だからこんなの、もう二度としないでよ!!」

 「う、うん。大丈夫、もうこんなことする機会なんてないよ、きっと……」

 とりあえず、まゆさんを女の子から引きはがして物陰に隠れたところでお説教タイム。

 ただ、同時にちゃんと腕を取っておけばよかったと自分の甘さを呪う。

 この人にとっての自分自身の命の軽さを舐めていた。

 最悪、明日そうなるのはいい、いやよくはないけれど、覚悟ができた上での形だ。

 ただ、もし今日こんな形で死なれたりしたら、私はまだ何の心も準備できていない。

 そんな形でこの人を失うのだけは嫌だ。

 「もう……本当に止めてよ。こんな形でまゆさんと別れるのなんて、絶対嫌だからね……」

 「…………ごめん、ゆな」

 ふうと息を吐き出したところで、ぼろぼろと今更に涙が零れだした。

 息も荒れだして、吸った息と吐いた息のバランスがぐちゃぐちゃで訳分からなくなる。

 まゆさんの肩に手を当てて、そのままもう片方の手で胸を叩こうとした。でも顔を上げると、なんでかまゆさんまで泣いていたから止めた。

 「…………なんで心配かけた方が泣いてるの」

 「……ごめん、ごめんね」

 そのままぎゅっと抱きしめられて、泣きつかれる。ああ、もう、調子が狂う。これじゃあ、怒るに怒れない。

 仕方ないので、頭を思いっきりぐりぐりとまゆさんの顔に擦りつける。ちょっとまゆさんがのけぞるような形になるけれど、構わずぐりぐりと頭をこすりつけてやる。言葉にできなかった分の心配と安堵をこすりつけて、わからせてやるのだ。

 愛情表現が過剰なペットに構われたみたいに、のけぞったまゆさんに涙も鼻水も全部こすりつけてやる勢いで、抱き着いて全身全部擦りつける。さすがに泣いていられなくなったのか、ちょっと困ったような顔になっているが、構うもんか。絶対に構うもんか。

 「ううーー! うー!」

 「ゆな、えと、もうわかったから……」

 「だめ! まゆはわかってない!」

 気が済むまで、擦りつけて、ぐっと抱き着いて。心臓の音をじっと聞く。

 どくどくと動いてる。まだ動いてる。ちゃんと動いてる。そのまま動いてて。

 ダメなんだから、止まるのなんて許さないんだから。

 そんな念をじっと込めて、最後に頭をもう一度こすりつけてから顔を上げた。

 目が合ったまゆさんは、ちょっと困ったように笑いながら、涙目のまま額を私の額に突き合わせてくる。

 「私がどれだけ心配したか、わかった?!」

 「うん、もうしない。ごめん、あとありがとうね」

 本当はそのまま二時間でも三時間でも言いたいことは言えてしまうのだけど、ふうと息を吐いてとりあえず気持ちを切り替える。気づけば身体は少し落ち着いている。しばらく抱き着いてたら安心してきたのかもしれない。

 まゆさんが泣いていたのも、よく考えれば、もしかしたら単純に轢かれるのが怖かったのかもしれない。

 そう想うと怒ってばかりは、ちょっと可哀そうだったので、今度はまゆさんの頭を私の胸に抱き寄せて改めて愛で直す。

 まゆさんは困ったように笑いながら、そのまま素直に抱きしめられてくれた。抱きしめていると、少しだけまゆさんの震えが感じ取れて、それが治まるように必死に愛情を込めて抱きしめる。愛情の込め方なんて分からないから、ひたらすらにぎゅって力を込めて抱きしめるくらいしかできないけれど。

 「……怖かった?」

 「……うーん、ちょっとだけ。でも正直、夢中でそんなのわかんなかったかな」

 「そか……代わりに私が一杯怖がったからね」

 「あはは、そうかも。ごめんね」

 「むー……ゆるす!」

 そのまま、ぎゅっとしていたかった気もするけれど、とつとつと足音が近づいてきた。

 私もまゆもそれとなく顔を上げて、そちらを見た。

 そこに立っていたのはさっきの女の子で、どことなく暢気なもので、ぼけーっとした様子で、私達を見ていた。


 「おねえちゃん、なにしてるの?」


 そう、忘れていたけれど、こっちの処理もあるんだよなあ。

 私は軽く息を吐くと、まゆさんからちょっと離れて、その子の目の前でしゃがんでそっと目線を合わせた。

 同時にその子は、ちょっと姿勢をのけぞらせて、

 ま、距離感が目と鼻の先で、そのまま進んでいれば、私と額がハイタッチをかましてしまいそうだったからね。自然な反応だ。

 

 「あ、えっとね。ちょっと怖くて泣いちゃってて……」

 「そっか……ごめんなさい。わたしがわるいの」 

 その子は何かを怖がって俯いたような顔でまゆさんを見上げる。ふむ、視線はあくまでそちらと。私をスルーする意味はないから、そもそも認識があやふやだと、そう見るべきかな。

 私は確認を終えると、まゆを危ない目に合わせた鬱憤も込めて女の子の額を軽く弾いた。

 その子は額を抑えると、何とも言えないような驚いた表情で自分の額を押さえてる。

 まゆさんもそこで、少し不思議そうに首を傾げる。

 立ち上がった私は、少し迷ってから、言葉を選びながら口を開いた。



 「



 「え、どういうこと……それ」


 「もうすぐ……死神が憑くってことですね」



 その女の子の頭上に浮いた数字は『000029』。つまり、この子の寿命はあと29日。


 その日になれば、この子は自ら命を絶つ。


 何も知らない女の子は、不思議そうな顔のまま自分の額を押さえていた。



 ※



 まゆさんと女の子の両方が、呆けている間に人ごみの中から二つの人影が駆け出してきた。若い男女の二人組、私達の前にいた少女を見つけると、慌てたような表情でこっちに走ってくる。

 多分、まあ、両親だろう。話を聞くまでもなく、表情を見れば察しがついた。

 その姿は子を心配する親そのものだ。

 私は、見られないのをいいことに、女の子の服をちらちらと捲ってみる。

 まゆさんは慌てたように私を止めようとした。だけど、声を出すと不自然だと想ったみたいで、ぱたぱたと可愛らしくジェスチャーをしてるだけだった。女の子はなんとなく触られている感覚だけはあるのか、なんだか気持ち悪そうに身をよじらせている。でも、両親がこっちに来ていることに気が付くと、ぱぁっと顔を明るくした。

 明るくした、か、まあ、そうなんだよねえ。そうなんだよねえ……。

 私は軽くため息をつきながら、そっとまゆさんの隣に戻ると、そっと耳打ちをするように告げた。


 「多分、虐待されてます。服の中、結構、痣がありました」


 まゆさんの眼が見開かれて、わかりやすく顔も青ざめる。うーん、素直な反応、周りから見て不自然じゃないといいんだけど。

 まゆさんは視線を前に向けたまま、小声で私と会話してくる。

 「え、すごい良い人そうだよ、あの両親?」

 「根っからの悪人が虐待してる方が実は少ないですよ?」

 両親は少女の近くまで来ると、泣きそうな顔で、まあ実際泣きそうなのだろうけれど、少女を抱きしめる。少女も劇的な生還と言わんばかりに泣きながら、両親の胸へ飛び込んでいく。

 周囲にいた人も微笑ましい視線で、それを見ていた。多分私とお姉さんだけが、どこかうすら寒い内心でそれを見ていた。

 「でも……」

 「あの子、寿命があと29日しかないです。そもそも、よく考えてみてください。さっき車の前に飛び出した時、

 「…………え」

 家族が涙を呼ぶ感動の抱擁は続いている。

 「あの年で、自殺っていうものが想像つくかはわかりませんが。なんで車の前に飛び出したかはなんとなく想像がつきますよ。

 思考が挟まらないまま、不思議と私の口はするすると動いていく。

 「実はね、本当に悪意を子どもに向けて虐待してる人なんて、ほとんどいないんです。

 大概の親は、子どものため、子どもの幸せのためを想って行動してるんです。本気で、子どものためだと信じてやってる。信じてやってるから歯止めが効かない。

 それで、どうして上手くいかないかわからないから、とりあえずの解決策の暴力ばかりが積み重ねるんです」

 脳裏に、私を殴る人の姿が映った。殴った後に、そのことを後悔して謝る姿まで、異様に鮮明に。

 その人が誰だったかは上手く想いだせないけれど。

 「なんていうか、歯車が噛み合ってないんですよ。子ども自身が必要なことと望んでることが、その親がこうした方がいい、こうしてあげないとって考えてることと、凄いずれちゃってるんです。

 それでどう見ても、めちゃくちゃなんだけど。不思議と家族としての繋がりみたいなのは、ちゃんと機能してるんです。だから余計がんじがらめになって、わけわかんなくなるんですけど」

 白衣の医者が、親切そうな壮年の女性が、教師みたいな女が。いつかの私に丁寧に教えてくれた。

 「たとえば、親はたくさん子どもに幸せになって欲しいとするでしょ。そしたら一杯期待する。こんな習い事をさせよう。こんないい学校に行かせよう。こういうことができるといい。あれも、これもって。この子のためだから、この子の幸せのためだから、上手くいかなくて手を上げるのも子どものため。

 子どももそれは分かってるから応えようと躍起になって、でも子どもが本心で望んでることは別だから、上手くいかない。そうやって親は暴力を振るう罪悪感に押し潰されて、子どもも期待に応えられない罪悪感に擦り潰される」

 その家族はまゆさんの所まで近寄ると、三人そろって泣きながら頭を下げた。まゆさんは笑顔すら浮かべられず、告げられる感謝の言葉をただ呆然と聞いていた。

 少なくとも、今、女の子は幸せそうだった。

 多分だけど、この子はこうやって無意識のうちに、両親の愛を確認しているんだ。

 まだ自殺どころか、死ぬという言葉すら上手く理解できていない年ごろだろう。

 だから、きっと本人すら気付かないままに。

 家族は好きだけど、気付けば、掛けられる言葉やプレッシャーばかりが重く積み重なっていく。

 『幸せになって』、『あなたのためだから』、『もっと、もっと』。

 その言葉が子どもを傷つけていると、親はついぞ知らないままに。

 子どもの心は積み重ねられた重荷を背負って、傷つけられる苦痛に暗闇の中で人知れず喘いでる。

 そうして、知らぬ間に気付いてしまったのだろう。

 自分が危ない目に会った時にだけ、本当の愛を確認できることに。

 だから、その危うさを理解しないままに、愛欲しさに自分を命の境界に放り投げる。

 さっきの交通事故も、実は自分自身で轢かれにいったことを自覚してるかどうかすら怪しいものだ。

 こういっては何だけれど、29日後の行く末も簡単に想像がついてしまう。

 きっと、今日みたいに、自分自身でも気付かぬうちに命を危険に晒して、そのまま死んでしまうのだ。道路に飛び出すとか、高いところから身を乗り出すとか、そんな些細なきっかけで。

 誰も彼もが、幸せに向かおうとしているのに、どうにもならない。

 むしろ、幸せに向かおうとしてるからこそ誰も止まれないまま、歯車はひび割れて壊れてしまう。

 きっと、そういう運命の子なんだろう。

 女の子は、目一杯の笑顔でまゆさんの膝近くまで歩いて行って、そのまま足に抱き着いた。偽りのない感謝をその顔に浮かべながら。

 両親はあらあらと微笑んだけど、まゆさんは青ざめたままで、震えた手でそっと女の子の手を取った。

 「どうにかできないの……? この子の親に期待がずれていることを教えるとか」

 「まゆさんは、知らない人間に、自分たちの親子関係が間違ってるって急に言われて、受け容れられますか?」

 あの人も、そうだった。

 だって、医者も、カウンセラーも、教師も、何かも分かっていた。分かっているのに、変えることはあまりに難しかった。

 自分が正しいと信じていたことを、間違えていると受け容れるのは、信じているからこそ、きっと難しいんだろう。

 だから、多分、この親子もどうにもならない。

 なにせ、私達がこの親子と言葉を交わせる時間はあまりに少ない。宙に舞った蜘蛛の糸が、空中で一瞬触れた程度の、そんな交流。何も変わるはずもなく、何を変えられるはずもない。

 望む意味すらありはしない。なにせ、この後、関わることすらない人たちなんだから。



 だというのに。



 「どうにかしたいよ」


 あなたはそうやって、泣きそうな顔でわがままをいうのだ。


 ほんと、しかたないなあ。


 ちょっと、そんな気はしてたけれど。


 私は軽く微笑むと、そっとまゆさんの耳元に囁きかけながら、少女に指を向けた。


 「それじゃあ、『変える』ならこの子です」


 まゆさんは少し驚いたように私を見るけど、私は構わず言葉を紡ぐ。細かく説明している時間はない。

 「大人を変えるのは時間がかかります。だから変えるならこの子です。まだ、子どもは変わりやすいから。

 どうにか、生きる意志を、自分を守る意思を、今、植え付けないと。

 ほら、まゆさん、話しかけて。あまりぼーっとしていると、不自然だから」

 まゆさんは慌てたように、しゃがんで女の子の所まで目線を落とすと、ぎゅっと抱きしめた。周囲は命の恩人と救われた命の熱い抱擁に感嘆している。事実そうだし、それ以上のことには見えないだろう。

 でも、けしかけてみたけれど、ここから一体何を告げればいいのだろう。

 私はなにを告げてもらえたら、ちゃんと生きていけたのかな。

 ……いや、それがなかったから、私はこうなってしまったわけで。そんな私に答えなんて、出せるわけがないのだろうか。

 もう伝えられることもなくなって、私はそっと空を見上げた。

 遠く広がった秋空は、どこにも答えを浮かべてなんてくれていない。


 一体、どんな言葉をもらっていたら、私は――――。





 「




 ―――――――――。




 「ねえ、あなた、名前は?」


 「ゆあ、だよ。おねえちゃん」


 「そっか、ゆあ。大丈夫? いたくなかった?」


 「うん、おねえちゃんがまもってくれたから、いたくないよ。ありがとう!」


 「うん、どういたしまして。私もゆあが生きててくれてよかったよ」


 「え、うーん。ありがと………」


 「ねえ、ゆあ。お姉ちゃんにゆあを助けさせてくれて、ありがとね?」


 「え? どうして?」


 「へへ、お姉ちゃんね、実はとっても弱虫なの。お父さんとお母さんに折角、会社に入れてもらったんだけど、上手く頑張れなくてね。私なんか生きてていいのかなって、ずっとずっと不安に想ってたの」


 「おねえちゃん……?」


 「でも、今日、ゆあを助けさせてもらえたらね。こんな私だけど、生きててよかったなって想えたの。だからありがとう」


 「…………わたしも……ありが……とう?」


 「うん。ねえ、ゆあ。一つだけ、お願いしていい?」


 「…………うん、なに?」


 「できないことも、怒られることもいっぱいあると思うけど、生きてね? 出来たら、お姉ちゃんより長生きしてね?」


 「……」


 「。ゆあに会えて本当に良かったよ」


 「……ねえ、おねえちゃん」


 「なに?」


 「


 「……うん、そうだよ」


 「おべんきょうできないよ? ともだちもできないよ? てつぼうもへただし、かけこだっていつもビリだよ。それでもいいの?」


 「うん、そうなんだよ」


 「うまれてきてよかったの? もっと『えらいこ』にならなくてもいいの?」


 「うん、そうだよ。そうなんだよ。君はえらくなくても生きてていいんだよ」


 「……そっか……あれ?」


 「ありがとう、ゆあ」


 「……うん」


 「ありがとう」


 「うん……うん」



 ぼろぼろと泣くあなたの傍で、女の子も不思議そうに泣いていた。


 自分がなんで泣いているのか、きっとそれすらわからないまま。


 傍に立っている女の子の両親や周囲に群がった野次馬達も、どことなく感動の雰囲気に当てられて涙を滲ませている。まゆさんが伝えようとした意志を本質的に理解している人は、きっと誰もいないだろうけど。


 そんな様を眺めながら、私は少し離れたところで、スマホを耳にあてていた。


 「ってなわけで、匿名で虐待の通告を入れてもらえます? はい、はい、住所は伏見の2の5の、え、どうやって調べたかって? 免許証抜き取っただけです。大丈夫、後で返しますよ」

 『あいよ……っふあぁ』

 電話口の向こうでクソ上司は、寝不足っぽい欠伸をかましながら、適当に返事をしていた。だいじょうぶかなあ、これ。

 「ちゃんとやってくださいよ。未来のクライアント削減のためなんだから」

 『わかってる。無駄な案件が一つ減るなら、俺も文句はないさ』

 そういうと上司は、電話の向こうで、カタカタと音を鳴らしている。通報のメールでも打っているんだろうか。こういう時は無駄に仕事が早いみたいだ。

 『にしても、珍しいな。ゆながそこまで肩入れするのは』

 上司の言葉に私は苦笑いしながら、私は肩をすくめた。

 「クライアントの意向なので。……あと、ちょっと想う所もありまして」

 『……?』

 私は少しだけ、語調を変えると、ふっと軽く息を吐いた。

 自分の声が低く、どことなく冷たい響きになるのを感じる。


 「


 『……』

 先ほどとは少し、意味合いの違う沈黙が受話器の向こうから流れてくる。否定も肯定も期待していなかったけれど、その沈黙が私にとって何よりの答えだった。

 「多分、境遇が似てたんでしょうね。なんか知らないはずのことが、ぼろぼろ口から出てくるんですよ。そういうことってあるもんなんですね」

 『そうか……』

 私の問いかけとは少しずれた、何かを納得したような言葉がスマホの向こうから響いた。

 「まあ、だからといって。どうって話じゃないんですけど。親の名前とか想いだしたわけじゃないし。あ、そうだったんだなーってくらいのもんです」

 『……ゆな』

 受話器の向こうで何かを告げられるのは気配で感じ取れたけど、私はあえてそれを無視することにした。それから、一方的な通告に近い形で言葉を紡ぐ。

 「でも、まあ、お陰で覚悟は決まりました。別に何が変わったわけでもないけど、やっぱ実感って大事ですね」

 『…………』

 「じゃ、おつかれさまです」

 上司の返事がくる前に通話を切った。

 それから持っていたスマホをしばらく眺めてから、背後の道路にぽいっと投げ飛ばした。


 べきっ。


 という音の後スマホの残骸が地面に散らばっていた。

 だけど、どうせ誰も気づくことはないだろう。

 私は父親に免許証を返しながら、女の子の両親とすれ違った。

 それから手を振って別れているまゆさんに向かって歩いていく。途中で両親に向かって歩く女の子の額を軽く小突いたけれど、よろめくことも驚くこともせずに、

 泣いているんだか、笑っているんだかよくわからない顔のまま、両親の元へ返っていく。

 私は未だに涙に濡れたあなたの隣に立って、かるく頬擦りつけた。

 触れあう頬に涙が滲んで、私の頬も少し塗れる。

 それを少し喜びながら、あなたと心を分け合いながら、私はぎゅっと抱き着いた。

 「大丈夫……かな、あの子」

 「うーん、よくわからないけど、大丈夫でしょう」

 「よくわからないけどって……」

 「だってわかりませんよ、未来のことなんて。

 結局、誰にも、神様にも、死神にも、分からないもんですよ。

 でも、あの子はきっと大丈夫です」



 ふと振り返った女の子の頭上に数字が浮かぶ。



 000030。



 ゆっくりと瞬きをして目を開けると、少しだけ数字が滲んで姿を変える。



 000031。



 私は笑ってまゆさんの手を取った。



 「それに、ここから先はあの子の人生なんですから」



 あの数字は一体どこまで増えるのだろう。



 彼女の人生は一体どこまで続くのだろう。



 楽しみだけれど、死神としてはもう二度と出会うことはないのだろう。



 それは少し寂しいけれど、それはきっと素敵なことだ。



 私は笑いながらあなたの手を取って、二人で揃って歩き出した。



 あの子の上に浮かぶ数字のことを教えたら、あなたも優しく笑ってくれた。



 最後に振り返るとゆあは、遠く向こうからまゆさんに向けて手を振っていて。




 その頭の上でまたゆっくりと数字が滲み始めていた。

















 死神ルールその6 『死神は自殺を行った子どもの魂から創られる』
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