殺し屋さんと自殺少女

キノハタ

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殺し屋と老婆

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 その老婆と出会ったのは一昨年の秋ごろだった。

 いつも通り顔なじみの弁護士から「仕事の依頼だ」と告げられて、僕は面会に向かった。

 顔なじみからのは連絡は大体、2パターンで「カウンセリングだ」と言われれば、本当にカウンセリングの仕事。「仕事だ」と言われた時は、殺しの話だった。

 連絡を受けたその日は、食事、運動を最適なものに切り替えて、普段より激しめの運動と長時間の瞑想をした。

 そして早い時間に電気を消してベッドに横になった。

 翌朝起きると、体調の不良と思考の鈍りが少しマシになる。

 その日も同様に過ごす。起きる時間はアラームで固定化する。

 仕事の依頼はいつもきっかり一週間前に行われる。

 その一週間で、僕は脳と身体を最適な状態に持っていく。

 そして、食事の前に普段より長く祈った。

 それが僕が人を殺す前のお決まりの儀式だった。

 -----------

 通された場所は病室の割には大仰な場所で、老婆が裕福な立場にいることは想像に難くなかった。

 僕は看護師が何かあったらナースコールをと口添えして出ていくのを見送った。

 挨拶の前に口火を切ったのは老婆だった。

 「仕事の対象は三人です」

 「・・・・・・」

 唐突だな、と僕は少し閉口する。

 「加えて、私の孫娘の保護です」

 「・・・・そういった業務は管轄外ですが」

 「存じております。しかし私にはあまり時間がない、十分な報酬は支払います。どうか引き受けていただけないでしょうか」

 僕は改めて、老婆を見た。年老いたその身体は点滴が繋がれ、自力で動くことはかなわないのだろう。

 ただ視線だけはまっすぐと僕を凝視していた。その眼は奥の方でギラついていて、とても老婆とは思えない。ただ、僕はこういう眼をした依頼人をよく知っていた。皆一様に、何かに囚われ、そして焦っていた。

 「話を聞くだけ、聞かせてください。結論はその後で。もちろん断る場合、僕は一切口外しません。もし口外した場合はあなたは僕の仕事のことを誰かにばらせばいい」

 僕がそう言うと老婆の視線がふっと柔らかくなった。年相応の穏やかな表情。誰かを見つめ、慈しむそんな人に見えた。

 「お話に聞いた通りの人ですね、不思議な殺し屋さん」

 一体、誰が僕の話などしたというのだろう。顔なじみか、それ以外思いつくところがない。

 「ああ、私がお話を聞いたのはあなたの昔の依頼人さんですよ」

 僕は少し頭を抱えた。守秘義務というものはお互い課したはずなんだけどな・・・。

 -----------

 老婆の依頼の主軸は彼女の娘夫婦、そして孫娘をいじめている主犯格の殺害だった。

 「なんのために?」

 「孫娘の幸せのためです」

 老婆は言い切った。幸せ、か。

 「そのために、その子の両親と同級生を、ですか?」

 「はい、可能な限り時期と手段はばらけさせてください。誰も関連性に気付くことなどないように、加えて証拠や疑いの余地は一片たりとも残さないでください。あなたはそういう仕事をなさると聞き及んでいます」

 「・・・・」

 「順番は可能であれば、娘を、母親の方を最初にしてください。それを口実に私の保護下に置きます。虐待の件を裁判で明らかにして、あの子を父親から引き離します」

 老婆の話の主旨はこうだった。最愛の孫娘が両親から虐待を受け、学校でも虐めをうけている。

 それが苦で孫娘は何度も自殺を図っており、幾度となく老婆に泣きついていた。

 老婆は何度も手を打ったが、問題は解決を見ない。

 だから、この問題を孫娘を傷つけるものを殺すことで終わらせる。

 つまり、そういうことらしかった。

 「他に現実的な手はいくらでもあるのでは?」

 「そうですね、時間がかかる、という前提で在ればいくらでも手の打ちようはあるでしょう。孫の親権を奪うことも可能です。しかし、それでは

 「・・・・」

 「私もあまり長くありません、私が生きているうちに解決しなければいけない。そうしているうちに、知り合いの親切な方からあなたの話を聞きました。

 依頼人の話をしっかり聞いて、具体的な解決手段をたくさん模索して、最後まで仕事以外の手段で解決しようとする。そんなカウンセラーと兼業の優しくて変な方がいらっしゃると」

 「・・・僕はカウンセラーが本業ですよ」

 「ふふ、それは失礼しました」

 老婆は優しく笑う。人の死を語りながら、この人の顔は孫娘を想う祖母そのものだった。優しくて恐ろしくて、ちぐはぐだ。

 「実の娘を手にかけることに躊躇いは?」

 「ない・・・・といえば、嘘になりますね。しかし、残り少ない人生で私の優先順位を考えた場合、孫娘の幸せの方が順位が高かったと、それだけです」

 言い切った割に、目線は逸らされた。表情は伺えない。

 「よく人を傷つける子でした。でも、その中に優しさがあって、そこが素敵な子だと思っていました。素直がゆえにそうあるのだと、そう思っていましたが、どうも違ったようです。あの子は本当に大切なものすら平気で傷つけてしまう子でした」

 「・・・孫娘さんに与える幸せも、人の死によって成り立っているといつか、彼女自身が気づいてしまうのでは?」

 「・・・隠すことはしません、全てが終わった暁には私から伝えるつもりです」

 「それは本当に幸せなんですか?ともすれば、彼女がずっと罪の意識に苛まれることになるかもしれませんよ?」

 「・・・」

 「・・・・僕の仕事は、人の可能性を奪うことです。もしかしたら、両親も変わるかもしれない。関係がよくなるかもしれない、クラスでなじめるようになるかもしれない。そういったものは全部切り捨てて。孫娘自身も傷つけて、ともすれば

 それでも、その選択肢をとると・・・そうおっしゃるんですね?」

 「・・・・はい」

 沈黙はあったが、返答に迷いはなかった。

 すでに多分、決めたことなのだろう。何度も何度も懊悩したことなのだろう。娘への想いを、孫娘への想いを、良心の呵責を、未来への不安も、何より自分自身が傷つくことを、全てを考え抜いたうえで結論をだしたのだろう。

 もう僕から言えることは、あまりない。

 「そこまで踏み切らせたものは何なんですか?」

 「・・・・あなたは大事な人はいますか?」

 老婆は静かに言葉を紡いだ。疑問形ではあるが、僕の返答は待っていなかった。

 「これは私の持論ですが、人は自分にとって大事なものを守るために生きているのです。

 私にとってそれが孫娘の亜衣です。

 私は何度もあの子の笑顔に救われてきました。あの子の言葉に救われて、あの子の想いに救われてきました

 とても、とてもやさしい子です。私と娘とあの父親と血が繋がってるなんてとても思えないほどに」

 老婆はじっとこちらを見た。焦りと、怒りと、悲しみと、慈しみと、優しさと。たくさんのものが混じった、不思議な表情だった。

 「そして、私は私の大事なものを傷つける者を許しません。私の亜衣を傷つける者は誰だって許しません。たとえーーー」

 それが、彼女の両親でも、そして彼女自身だったとしても。

 大事なものを守る心。それを傷つける者を排除する心。

 その気持ちはなんと名前を付けるのだろう。愛かな。亜衣。洒落が効いてるのか、皮肉なのか。

 「どうでしょう、引き受けていただけますか?」

 「あなたにそれ以外の結論がないのであれば」

 「・・・よろしくお願いします」

 僕が頷くと、老婆はほっと息を吐いた。少しだけ、頬に涙が伝っていた。

 -----------

 それから、僕は定期的にカウンセラーとして彼女の病室を訪れることになった。

 今後の動向を報告し、相談した。

 その間、僕は関係者の観察を続けた。

 亜衣と呼ばれる少女。

 その母親。

 父親。

 同級生。

 日常を観察する。そこに潜む危うさを、死を探す。



 まだ、だれ一人犠牲者が出ていない状況で、僕は老婆に質問を受けた。

 幾度か言葉を交わすうちに、老婆は最初の冷淡さはどこへやら、随分と優しい口調で話すようになった。

 時折、本当にカウンセラーみたいな会話も行っていたからだろうか、というより僕個人に対して慈しみを向けているようにも見えた。

 「そういえばカウンセラーさん、保護の方の依頼を受けてくれるということでいいのかしら?」

 「・・・・保留でお願いします。彼女のことを知らないことにはなんとも、・・・・僕が引き取れなくても、僕の知り合いのつてをたどって里親探しはしておきます」

 「あら、そうなの。ふふふ。保護の成否にかかわらず依頼料はちゃんとお渡ししますわ。ところで、あれ、私の財産のきっかり半分よね。調べたのかしら?」

 「・・・ええ、その人の財産の半分頂くと決めているので、勝手ですが調べました」

 「しっかりしていらっしゃること」

 「そういえば、聞き損ねましたが、どうして僕に保護を頼むんですか?もっと他に・・・・ちゃんとした仕事の方に頼んで方がいいのでは?」

 「・・・・そうね、知り合いの話を聞いていた時にあなたがとても素敵な方だと思ったのと・・・・あと、亜衣がこれから人生を歩いていくときに、大事な秘密を知ってくれている方が隣にいたら、歩きやすいかなって思ったの。ほら、秘密を知ってくれている人が近くに一人でもいれば、寂しくないじゃない?だから、もし保護しなくても、亜衣と時々、話をしてあげてほしいの」

 「なる・・・ほど?」

 そんなにうまくいくのだろうかと、僕は首を傾げた。老婆はくすくすと笑った。

 「そんなに真剣に悩んでくれている時点で、私としては合格なのですよ。あなたなら、亜衣を任せられる。なんなら、伴侶になっていただいてもいいですよ」

 「僕、男じゃないですよ」

 「・・・あら、そうなの?そういえば、お聞きしていませんでしたが。男性、女性どちらでいらっしゃるの?」

 「戸籍的には女性です。ただ、生まれつき生殖機能がなかったんです。ホルモンバランスが崩れているので、胸も生理もありません。主観としては、男でも女でもないんです」

 「なるほど、いわゆるえっくすじぇんだーという方ね」

 「お詳しいですね・・・」

 「知り合いにそういうのに詳しい方がいらっしゃるの、えるじーびーてぃーとか?自分の知らない価値観に触れるのはとても刺激的よ。

 そういえば、無学で申し訳ないのだけれど、あなたのような方は伴侶を求めるものなのかしら」

 流暢に横文字を語る老婆が面白くて、僕は軽く笑った。

 「人によります」

 それもそうね、と老婆も笑った。

 ーーーーーーーーーーー

 その間、僕は老婆の紹介という形で亜衣と何度か接触した。

 個人的に雇ったカウンセラーという形で、彼女の悩みを聞き、希死念慮を可能な限り先延ばしにする。

 久しぶりの正式なカウンセラーの仕事に幾許か戸惑ったが、どうにか亜衣の話はうまく聞くことができた。

 もちろん、これが僕が殺し屋だとわかったころにどうなるのかはわからない。

 カウンセラーとしての報酬も老婆は払ってくれたから資金は潤沢で、他の仕事はシャットアウトして完全にこの仕事に集中できた。

 睡眠も充分とっていて、健康状態も良好だ。

 脳が回り、眼がよくものを捉える。

 そうして、日常に潜む落とし穴を探し続けた。

 僕が行うのは蓋然性の殺人だ。

 死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。そういった、可能性をつくる。

 でも、そういったことを繰り返せばいつか死ぬ。

 5パーセントの確率で死ぬ行いを毎日続ければ、いずれ人は死ぬのだ。

 僕はそうやって人を殺してきた。

 ーーーーーーーーーー

 母親の死因は転落死。

 建設のコンサルタントをしていた彼女は現場の視察で、建設用の階段を歩いているときに足を滑らせて死んだ。彼女は現場責任者と話しながら現場を行き来する癖があり、しかもそれにすぐ夢中になる。加えて、暑さが近づくころには安全用のヘルメットをよく外していた。

 

 現場作業員は簡単に気が付く、現場監督も何度かその光景を目撃していたのでひょいとその場を避けた。

 でも彼女の母親は話に夢中で気づかなかった。

 いくつか張っておいた、可能性にその日ようやくヒットした。日差しが少し暑くなる五月の頃だった。

 次の面談で亜衣はただひたすらに泣いていた。そして、身体のあざが少し増えていた。

 ーーーーーーーーーーー
 
 父親の死因は急性アルコール中毒だった。

 亜衣の親権裁判は早々に終わりを見せ、というか父親側が裁判に出てこなかったので、裁判自体が起こらなかった。

 そうして、彼女の祖母に親権が移ってしばらくがたったころだった。

 母親が死亡して、次第に父親のアルコール量が増えていたことを亜衣から聞いていた僕は、色々と手を使って彼のアルコール量をさらに増やした。

 アルコールを認識させる暗示を日常に仕込んだり、亜衣を経由できつめのアルコールをプレゼントしたり、睡眠や健康を徐々に妨害したりもした。

 少しずつ、少しずつ、自制心や注意力が失われるように。

 飲酒運転で事故を起こすのが早いかと思ったが、亜衣が家を出て程なくしたころに、飲みすぎから急性アルコール中毒を引き起こした。

 苦しんでも、助けてくれる人は誰もいなくなってしまったのだ。

 殴っていた亜衣がいなくなって、溜まったストレスからアルコールに逃げたのかもしれない。

 まあ、僕の知ったことではないけれど。

 どちらにせよ仕事は達成された。

 ----------

 同級生、亜衣を虐めていた主犯格の死因は自殺だった。

 はじまりは彼女の盗撮された痴態がネット上にアップロードされ、それが同級生内で拡散したことだった。

 亜衣が学校を離れてしばらくしてそれは起こり、虐めの対象を失っていた集団は簡単にその子に見切りをつけた。

 もともと虐めの主犯だったこともあり、教師も味方に付かず、あっという間に引きこもることになった。

 程なくして、自分の部屋で首を吊っているところが発見された。

 この件に関しては、色々と手段を考えていたのだが、ほぼほぼ無駄に終わってしまった。

 僕がやったのはネットにアップロードして、それを彼女の同級生に気付かせるところまでで、あとは勝手に事が引き起った。

 集団の恐ろしい部分が垣間見えて、もしかすると一番、おぞましい死に方だったかもしれない。

 -----------

 全てが終わったのは去年のクリスマスに近い頃だった。

 その日、僕は亜衣の部屋を訪れた。祖母に親権は移ったが、彼女は養育ができないので亜衣は支援を受けて一人暮らしをしていた。

 理由は、時期的に最後になった彼女の父親の死と僕が殺し屋であることを告げるためだ。

 ただ、僕が部屋のドアを開けた時点で、異変があった。

 部屋のいたるところに包丁の切り傷と家具が散乱していた。

 睡眠導入剤と思しき箱も結構な数散乱していた。

 リビングに向かうと亜衣が立っていた。手には包丁があった。

 この惨状が彼女によって作られたことは簡単に想像できた。

 彼女の腹部に小さな刺し傷があった。

 自分で自分を刺したのだろう。ただうまくいかなくて血が滲む程度のものになっている。

 泣きながら僕に頼んできた、殺してください、って。

 わかった、と答えた。嘘だけど。

 僕は彼女にゆっくり近づくと、足を払ってそのまま包丁を奪い取った。

 呆けたまま床に転がった彼女に馬乗りになって、首を絞める。

 死にはしないが、意識は失うギリギリの範囲。

 その時の彼女はどんな表情をしていたっけ、少し笑っていたように思う。

 僕が本当に殺してくれるとでも思ったのだろうか。

 結局、僕は彼女の希望は叶えなかったのだけれど。

 

 意識を失くした彼女の隣で僕は老婆に電話をかけた。

 「全部、終わりました。あと、この子は僕が面倒を見ます」

 老婆は電話の向こうで泣きながら礼を言った。

 僕はそんな老婆に一つ質問をした。

 「これでこの子は幸せになれますか?」

 「わかりません、これから、どうなるのかも。それでもありがとうございます。あなたがその子を不幸せから守ってくれました。たくさんの人を亜衣や私自身をも傷つけましたが、それでも、それでもあなたは守ってくれました」

 「・・・・」

 「そして、手前勝手なお願いではありますが、どうかその子と一緒にあなたも幸せになってください。私たちを守る過程であなた自身もたくさん傷ついたのでしょうから。どうか、どうかあなたの幸せを、亜衣の幸せを、祈っております」

 老婆の泣き声が電話越しに響いた。

 殺し屋がどうすれば、幸せになれるというのだ。

 そんな言葉が喉から出かかったが、じっと呑み込んだ。

 その日、僕は亜衣を自分の家に連れ帰って、ベッドに寝かせた後、独り小さなライトをつけて本を読んだ。

 仕事はすべて終わった。もう、長く眠る必要もない、眠ってはいけない。

 長く眠れば、幸せになってしまうから。

 永い夜を本を辿りながら過ごす。

 殺し屋がどうすれば幸せになれるというのだ。自分の言葉が反芻される。

 ふと、身体を眺めた。

 男でも女でもない身体。

 何者でもない身体。

 殺し屋で、カウンセラー。

 人を殺めるのか、人を救うのかよくわからない仕事。

 何のために続けているのか。

 亜衣を見た。

 救われたのか、傷つけられたのか、よくわからない少女。

 「君は幸せになれるのかな」

 そんなつぶやきが眠らない夜に流れていった。

 答えは、まだ、出ない。

 これからいつか君が笑える日が来るんだろうか。

 そんなことを考えた。
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