殺し屋さんと自殺少女

キノハタ

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自殺少女とカウンセラー

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 キッチンから音がする。

 お母さんがまだ優しかったころは、リビングでよくこの音を聞いていた。

 誰かが私のために料理を作っていてそれを私はまだかな、まだかなと待っている。

 出来上がって笑顔で手渡されるそれを、みんなは愛情と呼ぶらしくて。

 小さな小さな、その時の記憶を頼りに私はお母さんを信じていたんだっけ。

 あの時、確かに私は愛されていた。

 でも、いつからかそうじゃなくなった。

 お母さんは、気まぐれで他人を傷つけることをためらわず。優しさを用いて他人を操る人だった。

 私はお母さんのそういうところをずっと見てきて、その他人には私も含まれているのだと知った。

 つい最近まで、お母さんは私をよく抱きしめた。私を殴った後に。

 ネットや本で調べて、そうやって人を操るすべがあるのだとしってしまってからは、抱きしめられても私の心は暖かくならない。

 知識を得るたび、疑うことばかりが増えた。

 おばあちゃんだけは信じられたけれど、いくら泣きついても、おばあちゃんがいくら手を打ってもことはよくならない。お母さんがすべて、跳ねのけてしまう。

 そんなことが続くと、そうじゃないってわかってるのに、もしかしたら、私が悪いんじゃないかって思えてくる。

 私がもっといい子だったら、お母さんもお父さんも優しくしてくれたんじゃないか。

 小さなころ貰っていた愛は本物だったけど、私がどこかで道を間違えたからそれを失ってしまったんじゃないか。

 そんなことを想ってしまう。

 本を読み漁った。人の心が折れた時、どうなるかを必死に勉強する。自分は厳しい状況にあるから、心が折れかかってるだけ、本当に本当に私が悪いわけじゃない。必死に、必死に自分を信じた。

 おばあちゃんに泣きつく機会が増えた。

 学校でいじめが始まった。居場所がなくなっていった。

 包丁やカッター、はさみを見つめる時間が増えた。

 お父さんはアルコールが入ると私を殴る。

 心が強くなる本を情報をたくさんため込んだ。

 お母さんは殴られる私を冷めた目で見ていた。

 高い場所に来ると、足を止めることが多くなった。

 死んじゃだめだよ、って頭の中で私が言っていた。

 おばあちゃんはある日、泣きながら私の手を握った。理由は言わなかった。

 あきらめるな。あきらめるな。小さな私の心を引っ張るのは、皮肉にも小さなころの優しいお母さんの記憶。

 おばあちゃんがカウンセラーの人を紹介してくれた。男性か女性かよくわからない人。たくさん喋った、つらいこと、悲しいこと。聞いてもらえるだけで楽になった。みっともないくらい泣いてしまって、ちょっと恥ずかしかった。人に話せば楽になると本に書いてあったのは本当だったのだとなんだか嬉しくなった。 

 お母さんが死んだ。

 「え?」

 学校で先生に呼び出されて、そんな話を聞かされた。

 すぐに家に帰されて、程なくして通夜が行われた。

 お父さんは泣きながら立派に喪主を務めた。

 私はその様を茫然としながら眺めた。悲しくはなかった。感情は何一つ追いついてこなかった。

 どうしてだろう。もしかしたら、私の中のお母さんは、抱きしめる手が嘘だと知った時にもう死んでしまっていたのだろうか。

 お父さんは全てが終わったころにたくさんお酒を飲んで私を殴った。たくさん、たくさん泣きながら殴った。

 私は面談の予定日じゃなかったけど、カウンセラーさんに電話して泣きついた。カウンセラーさんはおばあちゃんに連絡してくれて、その日は家に帰らなくて済むようにしてくれた。

 その日の夜は独りでいると不安だったから、カウンセラーさんに泣きついてそばにいてもらった。

 カウンセラーさんは傍にいながら、業務外なんだけどなあ、と苦笑いしていたっけ。

 学校にもしばらく通わなくていいからと言われて、おばあちゃんの用意した小さなワンルームに引きこもった。

 不安になると、本を読んだ。強くなる本、心が強くなる本。ネットで探してカウンセラーさんに持ってきてもらったりした。

 程なくして、私の親権がおばあちゃんに移ったと聞かされた。

 ぼーっとして聞いていた。何も感じなかった。

 私をいじめていた奴が自殺したと聞いた。

 ネットに動画が上がって、それが拡散して学校でいじめられるようになったらしい。

 18禁サイトにそいつの名前をいれると一発でヒットした。

 タグ付でそいつの住所や電話番号まで書いてある。

 ただ、ベッドで嬌声をあげるそいつを見ても何も思わなかった。この人が死んだのだと言われても何も思えなかった。

 感受性が高い子ですと小学校の教師に言われたんだけどな。死んじゃったのかな、感受性。

 可哀そうとも悲しいとも思わない。ざまあみろという感情すらわいてこない。心はただただ、冷えていた。

 タブを閉じて、カウンセラーさんにもらったタブレットを投げ出した。

 そんなふうに一人で過ごした。本はいっぱい読んだ。

 たまにご飯をカウンセラーさんが作ってくれた。私はそれを食べながらなんだか意味もなく泣いてしまった。

 急に泣いたけど、カウンセラーさんは優しい目で私を見ていた。

 カウンセラーさんが来てくれた日はよかったけど、そうじゃない日は眠れなかったから。睡眠導入剤をネットで頼んだ。

 なんとなく、後ろめたかったから別の買い物だと言って、お金だけもらって頼んだ。

 飲まなかった。

 でも睡眠導入剤は買った。何個も何個も。

 棚の奥にこっそり隠した。

 部屋にあったのはセラミック製の丸い包丁だった。

 だから金属製の包丁を買った。できるだけ、安くてチープな奴。

 ずっと思っていたのに、今は、あまり死にたくはなかった。そう思い込んでた。

 嘘だった。

 お母さんが死んでから、私はずっと心に嘘をついていたのだ。

 死にたくて、死にたくてたまらなかったのだ。

 ただ、たくさんの感情が溢れすぎて見えなかったからそれに蓋をした。

 ある日、なんとなくシャワーを浴びているときにそんなことに気が付いてしまった。

 自殺というのは回復しかけが一番危ないらしい。

 死んだ心では人は死ねない。心が欲求を、活力を取り戻した、その瞬間が最も危ないらしい。死にたいという欲求が溢れてくるから。

 そんな知識を反芻しながら、私は睡眠導入剤を飲んだ。

 何個も、何個も。

 意識が明滅する。感情が爆発する。薬のカプセルが何個か口ではじけて激痛を催す。

 吐きそうになるのを必死に我慢する。吐いてはならない。

 お母さんが死んだ。私を傷つけていた人が死んだ。かつてあった愛はもう戻らない。だというのに、だというのに。

 


 その事実が耐えられなかった。

 自分の醜さが耐えられなかった。

 お母さんが死んだことより、殴られずに済んだことにほっとしている自分がおぞましかった。

 それなのに、お母さんが死んで悲しいという心も両立している。小さなころ私に愛を、亜衣という名前をくれたあの人には会えないのだと思うと寂しい。悲しい。でも、それでよかったと思ってる。

 訳が分からない。叫びをあげる声が、自分のものに思えない。

 聞いたことのない誰かの声。誰かみたいな私の声。

 ダメだ。

 壊したくて、壊したくてたまらない。

 全部全部、なくなってしまえばいいのに。

 こんなの、こんなの、こんなの。

 こんな私なんて。なくなってしまえばいい。

 包丁を持った。

 壁を傷つけた。木の感触がする。

 床を傷つけた。同じ。

 家具を傷つけた。同じ。

 息が荒い。熱に頭が浮かされる。

 包丁を両手でもって切っ先を自分に向けた。

 手が震える。

 でも、でも、でも、でも、でも、でも、今なら。きっと今なら。

 リストカットはうまくいったことがなかった。何度も何度も失敗した。他の自殺でも同じ。

 でも、今なら。

 いける、と思った。

 だから思いっきり自分に突き立てた。

 え・・・・・?

 勢いのあった包丁は私の服と皮膚を少し貫いた。おなかのあたり数センチほど、でもたった数センチ。

 血は滲むけど、当然、そんなので死ねなくて、なにより。

 痛みを感じて反射的に手が止まった。

 

 ・・・・・・・・・・。

 叫んだ。

 死ぬことすらできない自分を、死ぬことに恐怖を感じてしまった自分を、叫んだ。泣いた。

 いったい、いったいこんな自分の何が惜しいっていうんだ。どこに価値があるのだ、なのに失うことは死ぬことは怖くて怖くて堪らない。

 泣くことしかできなかった。

 ドアが開いた。

 カウンセラーさんがいた。

 殺してください、ってそう言った気がする。

 カウンセラーさんはわかったっていった。

 え?

 予想外の返答に戸惑っている間に、気づけば床に寝かされて馬乗りになられた。包丁も奪われている。

 首を絞められる。意識が遠のく。

 ああ、ああ。この人になら           殺されても     い                       い

 --------------------

 「おはよう、気分はどう」

 「・・・・悪いです。私・・・・あの・・・ここは?」

 「僕の部屋だ。ご飯を食べたら、外に出よう。君のおばあさんが待ってる」

 「おばあちゃんが?」

 「ああ、全部、あの人が教えてくれるよ」

 ぼーっとしたまま、記憶の整理もつかぬまま、カウンセラーさんに連れられて食卓につく。

 キッチンから音が響く。

 私は座ってそれをただ聞いていた。

 出された朝食をみてなぜだか涙がこぼれた。

 カウンセラーさんはそんな私をただじっと黙ってみていた。
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