殺し屋さんと自殺少女

キノハタ

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母と娘

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 二人が帰って、しばらくした後、ふと思い立って、ベッドのわきに置かれた引き出しを開けました。

 先日、遺品整理業者の方が届けてくれたものを引っ張り出します。

 どことなく恐ろしく、今まで開封に至っていませんでしたが、今なら開けられる気がしたのです。

 「お母さんへ」と書かれた手紙は娘の部屋から出てきたものだそうです。

 仰々しい封筒を開けて、中身の便箋を取り出しました。

 息が少し詰まります。先ほどまで震えていた涙腺が、また震え始めます。

 少し息を吸ってから、その紙に眼を通し始めました。

 「お母さんへ

 恥の多い人生を送ってきました。

 あれ、なんか違う気がしますね、こんな書き出しじゃなかった気がする」

 ・・・・・・・。

 一瞬、思考が停止します。

 少し息を吐きなおして、続きに眼を通します。


 「私、太宰治が好きなのですよ。なんというか、あのどうしようもなくダメ人間な感じが。共感?できてしまうのです。

 恐らく、お母さんには言ったことなどなかったように思いますが。

 そもそもお母さんへの手紙など、小学校の宿題以来です。懐かしい。ちなみにあれは同級生の文章をより集めて書いた、心ない合体文章だったりします。感謝の気持ちも労りも小匙一杯だってこめていませんでした。ショックでしょうか?ま、私はそういう奴だったのです。

 昔から、人の心がない奴でした。

 他人など正直、どうでもよかったし。私さえ幸せであればいいと本気で思っていました。

 綺麗ごとをのたまう教師を軽蔑していました。

 友情をほざく同級生を蔑んでいました。

 愛情を語るあなたを見下していました。

 でもまあ、私、賢かったので、そんなことおくびにも出しませんでした。

 だって、そんなこと言っても排斥されるだけでしょう?

 試さなくても分かりきってるのですから、誰にも感づかれないように私はその在り方を保ち続けました。

 ばれないように、いじめをしたりもしましたし、私にとって邪魔なものを徹底的につぶしたりもしました。

 今、思うと、この賢かったというのがいけなかったのでしょう。

 私はその本性を誰に悟られることもなく、誰に諭されることもなく、幼少期を、思春期を、青年期を越えてしまったのですから。

 人に優しくすれば、あなたは喜びましたね。

 私はそう言った成果をよくあなたに見せたと思います。

 そうすることで、あなたが私をなんだかんだ信用すると知っていたのですから。

 時折、そんな自分が気味悪くなりましたが、まあ、そういうものだと割り切っていました。割り切ったつもりでした。

 そこらへん、そっくりだったから人間失格の話は好きでした。

 あの話もどうしようもない人間のまま、変わる機会もなく、気づいた時には手遅れだったという話なのですから。

 あれは、私が共感できる数少ない小説だったのです」

 便箋をめくりました。

 「何故、こんな手紙を書いたのか疑問だと思います。

 理由は簡単で、私が亜依を殴って亜依がそのことをあなたに伝えたからです。

 いやあ、鬱陶しかったですね、あなた。

 そもそもあなたの時代的には、殴られるのは普通だったではありませんか。

 ま、私は賢かったし、女手一つで会社を経営し私を育てたあなたにそんな暇はなかったのでしょうが。

 非常にめんどくさかったので、亜依は無理矢理連れ帰りましたし、あなたの言葉も聞きませんでした。

 ま、ここはご存知ですか、目の前でやりましたしね。

 で、いい機会だしおよそ30年以上ひた隠しにしていた私の本心でも書いてあなたに送りつけてやろうと考えたわけです。

 醜くて醜悪な私の本心でも知ってもらおうというわけです。

 で、あなたが私のせいで…とか悩めば最高ですね。愚かにも頭を抱えればいいのです。

 それを見たらきっとスッとするのでしょうね。長年の溜飲も下がるというものです。

 ま、その後、きっと自己嫌悪で死にたくなるんでしょうけど。

 まあ、いいや。とりあえず亜依の話をします。

 あの子が生まれたことが、それまで楽しくやっていた私の人生をめちゃくちゃにしてくれたのですから。

 そもそも子どもを作ったのは、それがステータスだったからです。しょうもない理由ですね、我ながら。

 産休という、時間的アドバンテージを放棄してでも、子を持つ親というのは社会的信用として魅力的でした。

 ま、人を扱うのは会社を経営していて慣れていましたし。なんとかなるだろうと、高を括っていたわけです。

 甘い。黒糖キャラメルより甘い。あ、ちなみに黒糖キャラメルは私の好物です。知らなかったでしょ。

 もし過去に戻れるなら、無理矢理、腹を殴って堕胎させることでしょう。残念ながらできませんが。

 私はまず、適当に結婚した男と子どもを作りました。私への敬愛と劣等感に支配された、従順な男。しょうもない男。

 そして、できた子ども腹にかかえ。産み落としました。大変でしたが、やりとげました。私、賢いので。

 亜依、という名前は自分でつけました。

 愛を知らぬ私の、紛い物の子ども。

 そんな皮肉をこめて付けたわけですが、不思議とこれが可愛いのです。

 子どものせいで仕事がうまく回らず、苛立ちも多くなりましたが。自分の血を分けた子というのはそれだけで可愛いのです。恐ろしいことに。

 そして、ちょっとだけ、期待がありました。

 もしかしたら、この子になら私も本当の愛を注げるかもしれない。

 ついぞ知ることのなかった、本当の愛情を知れるかもしれない。

 そんなささやかな期待を込め、私は出来る限りこの子を愛してみようと努めました。

 まあ、私は愛などさっぱりわからないので、可能な限り色々取り組んだだけです。

 この子の幸せのためにできることを、色々と試しました。

 食事を、世話を、よいメンタルを、読書の習慣を、人との付き合い方を、勉強法を、努力の継続の仕方を、たくさんたくさん、叩き込みました。それくらいしか、私は術をしらなかったのです。

 亜依は素直だったので、非常によく吸収しました。

 なんで私とあの男から、こんな素直な子が生まれたのだとよく訝しんだものです。あまりに、よく笑うこの子がどことなく気味悪い時すらありました。

 まあ、それはそれとして、私に愛する気持ちなどやはり湧いてこなかったのですが。

 というか、こんなもの愛な訳ないでしょう。愛とはもっと感情的で自然と湧いてきて、きっとこんな打算的で具体的なものじゃない。

 私なんかから生まれるはずのないものなのですから。よく考えればそもそも、私、愛なんて受け取ったことがないのです。

 あなたからもらった愛は全部、蹴り飛ばしてゴミ箱に捨ててしまいました。

 だから、きっとこれは愛ではないのです。

 だから、私から生まれる愛は紛れもなく紛い物なのです。

 まあなんやかんや、そんな愛してるごっこを、私は亜依が生まれて6年ほど頑張りました。

 6年ですよ?その間、ずっと無理をし通し続けたわけです。我ながらよくやったと思います。感心を通り越して、呆れてきます。

 でもまあ、無理なんて結局長く続かないわけで。

 ある時、限界がきました。

 亜依が小学校に上がってすぐの頃、あの子が学校で嫌なことがあったと泣きついてきました。

 抱きしめなければ、と思いました。愛しているなら、普通そうすると思いました。でも苛立ちが先にありました。そんなことで時間を取らせるなと。鬱陶しくもありました、真実の愛など知るはずのないこの子が私を信頼し切っていることが。いつも笑顔を振りまくこの子が汚く泣いているのも気味が悪く感じました。

 殴りました。

 亜依はしばらく自分にされたことが信じられなくて、呆然としていました。

 その後、すぐ抱きしめました。

 その時、私の心にあったのは、今まで散々人を操ってきた、技術、理論。

 もはや紛い物の愛ですらないもの。

 人を傷つけ、感情を揺さぶり、抵抗を諦めさせる。

 そういうもの。

 それと、そこはかとない、自己嫌悪。

 実の娘にすらそれを扱う醜悪さと、それができてしまうことの達成感。

 そんなことを感じながら、困惑して泣く亜依を見ていました。

 やはり私になど、母親はできなかったのだと。

 この時、私はようやく思い至りました。

  一度、堕ち始めてしまえばあとは簡単で。

 加速度的に、亜衣を扱うことを、操作することを覚えていきます。私、学習が早いので。

 なだめ、すかし、時に傷つけ、時に抱きしめ、私にどう思われるかということであの子の頭を一杯にしていきます。

 ただ、さすがは娘というか、私が仕込んだ分、聡かったのでしょうね。

 時折、私の意図に気付いているような節が見えます。心理学の本など与えたのがマズかったかな。

 私の背後にある悪意がこの子には時々、見えているのでしょう。

 ただ、その気付きすら無視しました。

 気付くなら、気付きなさい。でも、離してはあげない。

 きっと、私から離れたらこの子は幸せになってしまうでしょう?私を置いて。

 それはどうにも我慢ならなかったのです。

 嫉妬という奴でしょうか、私が手に入らないものをこの子が手に入れるのは、私の紛い物の亜依が本当の愛を手に入れるのは看過できませんでした。

 ああ、本当に私はなんと醜いのでしょうか。

 あなたの所まで逃げていった亜衣を見て、私にはふつふつと危機感が湧いてきました。

 このままではこの子は幸せになってしまう。

 私以外の手で幸せになってしまう。それはどうにも許せなかったのです。

 幸せにすらなら、私の 

 まあ、というのがあなたの娘なのです。お母さん。

 あなたのせいですよ。

 あなたが、私をこんな風にしたのです。

 あなたが叱らなかったから。

 

 なんてね、嘘ですよ。

 私は勝手にこんなふうになったのです。

 あなたにそんな余裕がなかったことも、あなたは現実的ながら最大限のことを私にしてくれたのだって知っています。

 ただ、結果的に私は幸せになれなかった。ただ、それだけの話ですよ。

 本物の愛を与えられる人間になりたかったけど、私はなれなかった。それだけの話です。

 そう、それだけの話。

 しかし、この手紙は困りましたね、とてもじゃないが送り付けれるものではありません。酷いものです。

 これを送り付けても、何一つ解決を見ません。

 あなたを傷つけても、何も解決しないではありませんか。

 あの子が幸せになれない。私も幸せになれない。

 どうすれば。

 どうすればよかったのでしょうか。

 どうすればあの子を幸せにできたのでしょうか。

 どうすればこんな醜い私でなかったのでしょうか。

 どうすれば私は変われたのでしょうか。

 おかあさん。

 ごめんなさい。

 たすけて」

 手紙の最後に滲んだ後がありました。

 涙でも流したのでしょうか、それともあの子のことだからこれも演技なのでしょうか。

 わかりません。真実は終ぞ消えてしまった後なのですから。

 「馬鹿な子・・・」

 小さい頃から、賢く聡い子でした。

 落ち着いて大人びて、失敗らしい失敗を聞いたことがない子でした。

 私も忙しさにかまけて、優秀な子だと喜んだものです。

 今、考えれば、おかしいでしょう。失敗するのが子どもなのですから。

 たくさん間違えて、泣いて、そこから学び取るのが子どもなのですから。

 この手紙も机などにしまっとかないで、出せばよかったのです。そしたら、子どもの頃の分まで叱りに行ってあげたのに。

 そうでなくても、誰かに助けを求めればよかったのです。

 正しく聞いてくれる人に真実をちゃんと言えばよかったのです。

 亜衣のこと、自分のこと。

 そうすれば、

 まあ、あの子のことですから、恥ずかしかったのでしょう。みっともない自分を人に見せた経験すらなかったのでしょう。加えて完璧主義だったのですから、誰にもいえっこありませんね。

 窓の外から聞きなれた声がしました。

 重い体を引きずって、点滴用の器具を杖代わりに窓辺に寄ります。

 「おばーちゃん、また来るねーーー!!」

 亜衣が篠原さんの横で手を振っています。

 私は笑って振り返しました。

 昔から、亜衣の主張で変わらないことが一つありました。

 あの子は私が何度説き伏せても、母親のもとを離れたがりませんでした。

 娘に言わせれば、そういうふうに仕込んだということなのでしょうけれど。

 亜衣はずっと言っていたのです。

 、と。

 

 娘が勝手に紛い物だと決めつけた愛が、亜衣にとっては紛れもない本物だったのです。

 その確かな幸せな記憶が、あの子を今日まで立たせているのですから。

 本をよく読むところも、努力家なところも、芯が強いところも、人の気持ちに敏感なところも。

 まぎれもなく娘から亜衣が受け継いだものなのですから。

 正解には、一番最初に辿り着いていたのです。

 ただ、それでいいのか不安だったことを誰にも告げられなかっただけ。

 終わってしまったことは変わりません。過ぎ去ってしまったものは戻りません。

 だから最後に涙を一つ流して。

 頬が自然と綻びます。向こうに行ったときに娘と話すことが増えてしまいました。これは少し、楽しみですらありますね。

 後ろでドアの開く音がしました。

 「すいません、一応、昼食のお時間なんですが・・・あら、どうしたんですか?」

 珍しく、立っている私を見て看護師さんが首を傾げます。私はそれに笑顔で応えました。

 「ありがとう、いただけるかしら」

 「・・・え、召し上がられるんですか?」

 「ええ、ちょっと心境の変化がありまして、聞いていただけるかしら」

 「は、はい!いやあ、よかったです。最近、本当に心配で、心配で。で、どういった変化なんですか?」

 「もう、老い先短いからね、実はこんな私じゃご飯になってくれる生き物に申し訳ないって思ってたの。でもねつい今しがた、孫娘に諭されてしまったの。最期の時まで、犠牲になったものに感謝して、目一杯生きてねって」

 「ふふふ、素敵なお孫さんですね」

 「そうね、にはもったいないくらい。幸せになってほしいわ」

 「そんなお孫さんなら、きっと幸せになりますよ」

 「ええ、そうね。きっと、そうね」

 ベッドに戻って、手を合わせました。

 皿に並べれるのは、たくさんの生き物たち。

 私のために、犠牲になってくれた命。

 たとえ、明日、死んでしまうとしても。

 今日の命を繋げるために。

 精一杯、今を生きるために。

 「ありがとう、いただきますね」

 たくさんの命にそう、祈った。
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