迷子の天使の話~王子妃セスから冒険者レノになった話 シリーズ第4弾~

氷室 裕

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37 黒い瞳のノア

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 涙がぱたぱたと落ちていく。
 胸が締め付けられる。
 だけど、いったいこれが誰の痛みなのか分からない・・

 俺・・?ノア・・?それとも亡くなった人間のノアの痛みか・・

 苦しみが流れ込んでくる、俺の中に。
 それが俺の深く柔らかい場所をえぐって、ずっと解放してくれない。

「ユージーン、苦しいだろ?」
「・・これは、誰の苦しみなんだ・・?」
「お前の愛するこの子は、お前たち兄弟が随分と癒したみたいだからね。その苦しみは、人間のノアのものだよ」
「もうこの世に存在しない者なのに、思念が残ってまだ苦しみ続けているのか・・?人間のノアは、いつになったら魂が解き放たれる・・!?」

 まさか死んでもなお苦しみは続き、永久に囚われ続けるのか・・

 天使のノアが俺を心配そうに見つめて、寄り添うように腕に触れてくる。

 俺はこの子を、どうしてあげたら良いか分からなくなってしまった。

 人生には自分の思い通りにならない苦しみが伴うというのが真実、喜びの裏にも必ず苦しみが隠れている。どんな苦しみからも逃れ、安らかに生きるためには、きっとロキ神と共に天使の楽園で過ごす方がいいんだ。

 そう思うのに、ノアを失いたくないと思ってしまう俺は、きっと勝手な男なんだろうな。

「お前はこの子を愛してる。だけど人間のノアにも同情して、郁々とした気分になれず、鬱々が続く・・ユージーン、お前という男は全くもって庇護欲の高い男だな」
「哀れに思えて仕方がないんだ・・心が苦しい・・こいつの容姿も声も、人間のノアそのものだからだろうか・・ノアの生い立ちを知っている・・亡くなるまでの最後の苦しみも、多少だがドーガから聞いた・・人間のノアは、浮かばれて安らかになり、魂が慰められる日がくるのか?」
「ユージーン、お前に癒せるか?あの子の人生は苦しみに包まれたまま止まったっきりなんだ。癒してやれ、そうしない限り、お前も囚われたままだ。会わせてやる」

 ロキ神は「ノア、体を借りるよ?少しだけ眠っていて」と言って指をパチンと鳴らす。すると腕に纏わりついていたノアの力が抜け、倒れ込んでしまった。俺はその身体を抱いて強く抱き締めた。

「しばらくふたりで過ごせるようにしてあげるから。その人間のノアをしっかりと癒して愛してやれ。頼んだよ?ユージーン」

 ロキ神がそう言って笑う。
 また空間が歪む。

 楽園だった場所が一斉に消えて、神殿にあるような白い部屋になった。俺たちが飛ばされたのか、空間が現れたのかは分からない。

 俺はノアを抱いたまま広いソファーに腰掛ける。膝の上に横に抱いたまま、俺はノアの瞳が開くのを待つことにした。

 会わせてやるとロキ神が言ったように、きっと目を覚ましたノアは、俺の知っているノアじゃない。

 大丈夫なのか・・?突然で、驚いてしまうんじゃないのか?この子は俺の事を知らないだろうから・・

 人間のノアは、どんな子なんだろう。
 俺の愛したノアとは別人格なんだよな・・容姿が同じでも、全く別の存在だ・・

 ロキ神は俺にノアを癒してやれと言っていたが、俺にそんな事が出来るのだろうか・・
 どうやって・・?何をしてあげたらいい?

「んん・・」

 ノアが俺の腕の中で身じろぐ。
 俺はノアの髪をそっと撫でてやる・・柔らかい髪、美しい白い金髪・・

「え・・?」

 俺は髪を撫でる手を止めて、見る間に茶色に変わるノアの髪を見ていた・・

 コリン家の者はみな、茶髪の血筋だと言っていた。これが人間のノアの色か・・

 ノアの瞼がゆっくりと開いて、黒く濡れた瞳が俺を見つめた。大きな黒い虹彩が、何かを悟るみたいにして揺れる。

 ノアは身体を起こして俺の隣に座る。とても静かで落ち着いている。

「貴方様は・・ユージーン殿下・・」
「ノア・・」
「はい・・神様の言葉は、僕の妄想じゃなかったんですね・・」
「ロキ神は、ノアに何を?」
「僕に、ほんの少しの時間、神様の神殿で過ごすようにって・・」
「俺の事は?」
「僕と、一緒に過ごして下さる、方だと・・」
「そうか」

 ノアが喉を抑えたり、身体を触ったりしながら少しだけ驚いている。

「ユージーン殿下、僕は何才になりましたか?声変わりして、身体もとても大きくなりました」
「お前は今、18才だよ」
「18才・・5年・・僕の代わりに生きてくれた人は、苦しんでいませんか・・?泣いて、いませんか・・?」
「ノア・・お前を、抱き締めてもいいだろうか・・抱き締めたいんだ!」

 そんなに悲しそうに泣かないでくれよ。
 死んで苦しみから解放されたというのに、また呼び戻されて辛い記憶を思い出して・・
 こんな思いをさせてまで、この子を癒す必要なんてあるのかよ・・

 悲しみを握り潰してやりたい。
 苦しみの記憶を消してやりたい。

 俺の胸に抱き込むようにノアを包み込む。温もりが移ればいい・・俺の体温を感じて、今だけは独りじゃないと思ってくれたらいいのに。

「う、ううっ・・ふ、く・・あたたかい、ですね・・とても温かくて、優しい匂い・・ユージーン殿下」
「ノア・・!ノア、悲しかっただろ・・苦しかったな。頼むから・・今だけお前に寄り添う事を許してくれ」
「悲しかった・・苦しかったです・・家族だったから。毒がすごく辛いのに、なかなか死ねなくて・・だけど死ぬ瞬間、天使が僕を迎えに来てくれました。嬉しいって思いました・・やっと、母上の側に行けるって思ったから」
「なんて事・・お前を助けてやれなくて、ごめんな・・」

 また無責任な言葉が出る。
 ノアの生きていた世界に俺が交わる事なんて不可能だった。すれ違いもしない、目も合わない・・だから助ける事なんて出来るはずがないのにな。

 それでもどうしても、ノアにそうやって言いたくてたまらなかったんだ。







 





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