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ブチギレの5秒前
ライナルト・エリックとロレッタ・ファンネルの婚約は、二人が五歳の時には決まっていた。
お互い伯爵家同士、領地も年齢も近いというだけでまとまった政略的な婚約である。
いや、もはや政略なんていうほどの複雑な意味合いもなく、いわば思い付きと成り行き、その場のノリだけで決まったという方が正しいかもしれない。
そんな経緯もあったからか、当初からライナルトとロレッタの仲はさほど上手くはいっていなかった。
お互い、子供心に相性の悪さを感じていたからである。
ロレッタは幼少期から活発な女の子だった。
伯爵令嬢でありながら、走り回ったり飛び跳ねたりは日常茶飯事。
そんなお転婆なロレッタを、ライナルトが快く思っていないことも理解していた。
両親の手前、月に一度は顔を合わせていたものの、ロレッタが庭で捕まえた虫を見せたことが決定打となり、二人の仲はより冷めたものとなってしまった。
まあ、これに関してはロレッタも少しは反省している。
まさかライナルトがあれほど怖がるとは思っていなかったのだ。
その後、年頃になるにつれてお転婆を隠し、淑女然と振舞うようになったロレッタだったが、時すでに遅し。
二人の仲は修復不可能なところまできていた。
いつか頃合いが来たら婚約を解消しようと、言葉に出さずともお互いに考えている――と、少なくともロレッタはそう思っていた。
それがなぜ、この場で婚約破棄などと言い出したのか。
ロレッタは腹立たしさを抑え付け、笑顔でライナルトへと話しかける。
「私はお二人の邪魔をする気など毛頭ありませんわ。イヴリン様でしたっけ? どうぞそちらの女性とお幸せに。お二人の為にも、私たちは早々に婚約解消の手続きを……」
「ほらな、相変わらず可愛いくない女だ。お前は何年も俺の婚約者だったのだから、縋り付くなり、泣いて引き留めるなりすればいいものを。お前が俺に捨てられないようにと、ガサツな態度を改めたことくらいお見通しなんだからな」
ハッと鼻で笑われたロレッタは、ライナルトの言い分に開いた口が塞がらない。
あまりの見当違いぶりに、今なら臍で茶を沸かせそうな気すらしてしまう。
はぁ!?
どうして私がライナルトに縋らなきゃいけないのよ?
まさか、私があなたの為にじゃじゃ馬をやめたと勘違いしているの?
なんておめでたい人……というか、いちいち言葉をかぶせてこないでよ。
ロレッタは決してライナルトの為に自分を変えたわけではないし、お転婆だってやめた覚えもない。
ただ、ある時から自分の令嬢としての立場を弁えるようになっただけのことだった。
憤りを精一杯飲み込み、笑顔で対応するロレッタに、見守る貴族たちの気遣わしげな視線が刺さるが、感情の機微に疎いライナルトには何も感じ取れないらしい。
彼はすでに盛大にやらかしているにも関わらず、この期に及んで更なる悪態をついてきた。
「そういえば、お前の家族も腑抜けたやつらばかりだもんな。地味で面白みもないし。特にひどいのが、そこにいるお前の兄の妻! あれは控えめというより、ただヘラヘラ笑っているだけのつまらない女だからな。もしかして頭が弱いのか? ほんと、あんな連中と身内にならずにすんでせいせいしたよ」
「もう、ライナルトったら。そんなことを言ったら元婚約者さんに失礼じゃないの」
「なに、事実を言ったまでさ」
ライナルトがイヴリンと意地悪くクスクス笑い合っているが、怒りで目の前が真っ赤に染まったロレッタにはどうでもいいことだった。
兄のマルティンの拳が、愛する妻を馬鹿にされた屈辱で震えているのが彼女の腕にも伝わってくる。
ロレッタも優しくていつも穏やかな兄嫁が大好きだったし、妊娠中で今は屋敷で過ごしている義姉を想うと、胸が張り裂けそうになった。
私を馬鹿にするだけでは飽き足らず、愛する家族と優しいお義姉様にまで暴言を吐くなんて!
許すまじ、ライナルト!!
メラメラと憤怒するロレッタの隣で、いつもは温厚な兄が低い声を放った。
「私の大事な妻への中傷、訂正して詫びてもらおうか」
「は? 何を本気で怒っているんだ? あ、図星を指されたから腹が立ったのか。ははっ、このくらいの戯言も聞き流せないなんて興覚めだな。まあいい。伝えたいことは以上だ。イヴリン、帰るぞ」
肩をすくませ、イヴリンに帰宅を促し始めたライナルト。
彼は言いたいことを言い終えたからか、満足げな笑みさえ覗かせている。
ロレッタとマルティン兄妹の逆鱗に触れたことにも気付かず、夜会の招待客らの嫌悪に満ちた表情すら目に入っていないようだ。
「えーっ、まだダンスもしてないじゃない」
「今度ネックレスを買ってやるから」
「んー、じゃあ許してあげるわ」
謝罪すること無く、二人の世界に入ってしまったライナルトたちは、ロレッタとマルティンに背を向けた。
もう兄妹に用はないと言わんばかりに。
「待て!」
引き留める兄の言葉を無視して立ち去ろうとする二人に、ロレッタの中でとうとう何かがプツリと切れた。
「待ちなさいよ!」
ロレッタの令嬢とは思えぬドスの効いた声が響いたが、ある意味予想通りというべきか、それすらもライナルトの耳に届くことはなく――
かろうじて残っていたロレッタの理性が弾け飛んだ。
お互い伯爵家同士、領地も年齢も近いというだけでまとまった政略的な婚約である。
いや、もはや政略なんていうほどの複雑な意味合いもなく、いわば思い付きと成り行き、その場のノリだけで決まったという方が正しいかもしれない。
そんな経緯もあったからか、当初からライナルトとロレッタの仲はさほど上手くはいっていなかった。
お互い、子供心に相性の悪さを感じていたからである。
ロレッタは幼少期から活発な女の子だった。
伯爵令嬢でありながら、走り回ったり飛び跳ねたりは日常茶飯事。
そんなお転婆なロレッタを、ライナルトが快く思っていないことも理解していた。
両親の手前、月に一度は顔を合わせていたものの、ロレッタが庭で捕まえた虫を見せたことが決定打となり、二人の仲はより冷めたものとなってしまった。
まあ、これに関してはロレッタも少しは反省している。
まさかライナルトがあれほど怖がるとは思っていなかったのだ。
その後、年頃になるにつれてお転婆を隠し、淑女然と振舞うようになったロレッタだったが、時すでに遅し。
二人の仲は修復不可能なところまできていた。
いつか頃合いが来たら婚約を解消しようと、言葉に出さずともお互いに考えている――と、少なくともロレッタはそう思っていた。
それがなぜ、この場で婚約破棄などと言い出したのか。
ロレッタは腹立たしさを抑え付け、笑顔でライナルトへと話しかける。
「私はお二人の邪魔をする気など毛頭ありませんわ。イヴリン様でしたっけ? どうぞそちらの女性とお幸せに。お二人の為にも、私たちは早々に婚約解消の手続きを……」
「ほらな、相変わらず可愛いくない女だ。お前は何年も俺の婚約者だったのだから、縋り付くなり、泣いて引き留めるなりすればいいものを。お前が俺に捨てられないようにと、ガサツな態度を改めたことくらいお見通しなんだからな」
ハッと鼻で笑われたロレッタは、ライナルトの言い分に開いた口が塞がらない。
あまりの見当違いぶりに、今なら臍で茶を沸かせそうな気すらしてしまう。
はぁ!?
どうして私がライナルトに縋らなきゃいけないのよ?
まさか、私があなたの為にじゃじゃ馬をやめたと勘違いしているの?
なんておめでたい人……というか、いちいち言葉をかぶせてこないでよ。
ロレッタは決してライナルトの為に自分を変えたわけではないし、お転婆だってやめた覚えもない。
ただ、ある時から自分の令嬢としての立場を弁えるようになっただけのことだった。
憤りを精一杯飲み込み、笑顔で対応するロレッタに、見守る貴族たちの気遣わしげな視線が刺さるが、感情の機微に疎いライナルトには何も感じ取れないらしい。
彼はすでに盛大にやらかしているにも関わらず、この期に及んで更なる悪態をついてきた。
「そういえば、お前の家族も腑抜けたやつらばかりだもんな。地味で面白みもないし。特にひどいのが、そこにいるお前の兄の妻! あれは控えめというより、ただヘラヘラ笑っているだけのつまらない女だからな。もしかして頭が弱いのか? ほんと、あんな連中と身内にならずにすんでせいせいしたよ」
「もう、ライナルトったら。そんなことを言ったら元婚約者さんに失礼じゃないの」
「なに、事実を言ったまでさ」
ライナルトがイヴリンと意地悪くクスクス笑い合っているが、怒りで目の前が真っ赤に染まったロレッタにはどうでもいいことだった。
兄のマルティンの拳が、愛する妻を馬鹿にされた屈辱で震えているのが彼女の腕にも伝わってくる。
ロレッタも優しくていつも穏やかな兄嫁が大好きだったし、妊娠中で今は屋敷で過ごしている義姉を想うと、胸が張り裂けそうになった。
私を馬鹿にするだけでは飽き足らず、愛する家族と優しいお義姉様にまで暴言を吐くなんて!
許すまじ、ライナルト!!
メラメラと憤怒するロレッタの隣で、いつもは温厚な兄が低い声を放った。
「私の大事な妻への中傷、訂正して詫びてもらおうか」
「は? 何を本気で怒っているんだ? あ、図星を指されたから腹が立ったのか。ははっ、このくらいの戯言も聞き流せないなんて興覚めだな。まあいい。伝えたいことは以上だ。イヴリン、帰るぞ」
肩をすくませ、イヴリンに帰宅を促し始めたライナルト。
彼は言いたいことを言い終えたからか、満足げな笑みさえ覗かせている。
ロレッタとマルティン兄妹の逆鱗に触れたことにも気付かず、夜会の招待客らの嫌悪に満ちた表情すら目に入っていないようだ。
「えーっ、まだダンスもしてないじゃない」
「今度ネックレスを買ってやるから」
「んー、じゃあ許してあげるわ」
謝罪すること無く、二人の世界に入ってしまったライナルトたちは、ロレッタとマルティンに背を向けた。
もう兄妹に用はないと言わんばかりに。
「待て!」
引き留める兄の言葉を無視して立ち去ろうとする二人に、ロレッタの中でとうとう何かがプツリと切れた。
「待ちなさいよ!」
ロレッタの令嬢とは思えぬドスの効いた声が響いたが、ある意味予想通りというべきか、それすらもライナルトの耳に届くことはなく――
かろうじて残っていたロレッタの理性が弾け飛んだ。
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