優しい時間

ouka

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新しいライフスタイル その1

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 パチン。
 イタ~イ~
 「そう感じるなら早くその癖をどうにかしなさい」
 パチン、パチンと20畳ほどある舞踏練習室に扇を打ち付ける音が響くたびに顔を顰めるサクラに、叱咤する声が飛ぶ。
 「ほれ、その指先。あなたの手は少々指が短いのですから少しでも気を抜いてしまえば子供のお遊戯のように見えてしまいますよ。それではヨンハ様のパートナーとして見劣りして、鍛えられた天界の貴女達に侮られてしまいます」
 顔立ちが普通なのも、体のラインに凹凸が無いのも気にはならないのだが、サクラの一番のコンプレックスは指の短い丸い手。
 お茶を点てても祖母のように美しくないし、ダンスをしても表現が優美じゃない、楽器を弾いても指が届かない。
 密かな劣等感を突かれて、心が折れた。
 「マチルダ様。もうやめませんか」
 サクラが恐る恐る声をかけると、彼女ははあ~と息を吐いた。
 「外に行けなくてもよろしいのですか」
 「それは、困ります!」
 焦って慌てて返事をすると、では少し休憩を入れましょうと譲歩してくれた。
 それを聴いた侍女2人がすぐさま駆け寄って氷水に浸したタオルでマチルダの手足を冷やす。
 先ほどから響く扇子の音はサクラを打ち据えたものではなく、祇家の女官長がサクラがステップを踏み間違えれば自身の足を、腕上げを間違えれば自身の手を打ち据える音なのだ。
 これは自分のせいで他人が傷つくことを何より嫌がるサクラの気性を一目で見抜いたマチルダが成果を上げるために取った手法らしかった。
 どうして、こんなことになったのか。
 サクラは頭の中でそれまでの経過をリプレイする。
 天界に連れてこられて、することもなく1週間をボケーっと過ごしたサクラの下に祇家の女官長と名乗る妙齢の女性がやって来た。
 「初めてお目にかかります。わたくしは祇家の女官長をしておりますマチルダと申します。どうぞお見知りおき下さい」
 そう言ってしたお辞儀は、つま先、視線、首の位置、腰の傾斜、どれをとっても完璧なものだった。
 神経の行き届いた流れるような所作にほれぼれし、キラッキラの目で眺めると彼女がにこやかに笑ってこう宣もうた。
 「ヨンハ様の婚約者ですもの、サクラ様もこれくらいは出来るように頑張りましょうね」
 へ?それ誤解ですよ。
 「今は自覚がないとお伺いしていますが、綺麗な所作を身に付けて損はありませんよ」
 さあ、さあ、さあ、と急かされて、天界で特にすることも無く暇を持て余していたサクラは気分転換のつもりで出された課題に挑んでみたのだが。
 こちらの世界の仕組みやしきたり、天界人の特徴、階級や身分制度などの知識の習得や、礼儀作法やダンスの実技練習など出された課題はてんこ盛り。
 これらをマチルダに天界の一流教師陣達に勝るとも劣らない厳しさでここぞとばかりにしごかれた。
 いただけないのは、昔祖母にしごかれた礼儀作法や所作を体が覚えていて、何かで気が散ったり疲れてくるとその癖がチラリと顔を覗かせるのだ。
 するとすぐさまバシンと扇の音が鳴る。
 例えば皇宮で目上の人に会ったとしよう。
 その人が10メートル先に来た時点で姿勢を正し廊下の端により決められた姿勢で構える。
 そして前を通り過ぎるタイミングを計り祇家の者は右足を半歩引くことが天界での決まり。
 そのタイミングが難しく、おそい!と何度もダメ出しが飛んでくるので、顔を上げ済みません、と謝ること数知れず。
 「いいですか、サクラ様。皇宮で自分より位の高い人に会った時は壁際に寄って道を開けなければなりません。 その際、当家は指先を合わせて手を組む位置は床から30度。相手が真正面に来たタイミングで右足を半歩引くのが決まりです。もちろん許しなく顔を上げてはいけませんよ」
 お辞儀の仕方一つとってもそれぞれの家のしきたりがあり、祇家と嶺家の丸太を抱えたような形の手を上げる角度は30度、祇家は右足を引くが嶺家は左足を引く。琉家と炎家の手の位置は45度でそれぞれ右足と左足の違いがある。
 桜家は手の位置が90度で両膝を軽く曲げ、5族以外は両膝を着いて手を顔の前で構えるしきたりだそうだ。
 それは暗殺者や不審者が皇宮に紛れ込まないよう、またその人物が一目でどこの一族かわかるためなのだそうで。
 「サクラ様より身分の高い方はゼウス様、ヨンハ様、5族の当主様5名、それぞれの家宝に次期当主様と認められた方4名と家督を譲って皇家にお仕えしている長老方が5名、それらの方々の正妃様は8名おられますから計24名です。お渡しした肖像画を見て、そのお顔の特徴をしっかり覚えておかなければ無作法につながりますよ。そうそう、侮られることのないように5族当主の3親等ぐらいの顔と名前も覚えなければなりませんよ」
 それ、いったい何人?になるの?
 「それから、5族が治める5州の主要産業ぐらいは頭に叩き込んでないと振られた会話についていけませんよ」
 あんぐりと口を開けたサクラを見たマチルダが言いにくそうにコホンと咳ばらいをした。
 まだあるの?もう勘弁して!
 「あなたにはリズム感と反射神経に少々難がありますからね。今以上にダンスの練習に励まないとヨンハ様の足を引っ張ってしまいますよ」
 出た!私のコンプレックス第2位をグサリと突く鬼畜ぶり。
 皇宮でヨンハ様とダンスなんてダイヤと石ころを組み合わせた装飾品を陳列ケースに並べるようなものです。
 そんな人様をシラケさせるような大それたことはしたくありません。 
 断固拒否させていただきますいというサクラの思いとは裏腹に、ここ数日のマチルダのしごきには鬼気迫るものがあった。
 昼間、ヨンハが出かけるのを待っていたかのように祇家から女官長のマチルダが瞬間移動でやって来て、サクラに課題を申しつけてくる。
 そして、時々やって来るのが祇家の女主人のマルチナさん。
 彼女たちの愛称は共にマチィー、ややこしいことこの上ないが、それが縁で大親友となったようだ。
 「マチィー、サクラちゃんをそんなにしごいてるのがばれるとヨンハに睨まれるわよ」
 10代の乙女のようにコロコロと笑う可愛らしいこの方は今のサクラの清涼剤。
 「頑張ってるのね。サクラちゃん」
 「はい。ですから約束は絶対に守って下さいね」
 サクラは課題を習得する見返りに条件を一つ出した。
だってご褒美がある方が俄然やる気が出るでしょ。
 そのご褒美とは、きちんと祇家の作法が身に付いたら璃波宮の外に遊びに行くというものだ。
 まず行きたいのは皇宮の近くにある十日市場。
 ヨンハへのプレゼントを買いたいといえば何とか許可がでた。
 十日市場は天界一の巨大ショッピングモールで、中東のバザールのようにずらりと並んだ露店に高級品から日用品や食料品にいたるありとあらゆるものが並んでいるブースやマンハッタンの5番街の様な洗練された店が並ぶストリート街もあってとても賑わっている市場だというから、ぜひ見てみたい。
 元気よく返事をするサクラに対しマチルダは渋い顔だ。
 「ですが奥様。もしもカナン殿での所作が出てしまえばあちらも黙ってはおりませんでしょ。あれは皇家の妃の所作だったとか」
 「それは、まあそうね。でもそうなったらそうなったで、何とかするのはヨンハの仕事。わたくしたちにはどうする事も出来ないわ」
 何のことやらさっぱりわからないが、外に出してくれるなら文句はない。
 
 首を捻りながらももう一度祇家式跪拝の練習を始めると、舞踏室のドアがガチャリと開きヨンハが顔を覗かせる。
 「母上、そろそろサクラを返してもらいますよ」
 「あら、今までは家にも滅多に帰宅しなかったあなたが随分早いご帰宅だこと」
 「何とでも仰って下さい。サクラを開放してくれるのなら文句はありませんよ」
 澄ました顔でそういうとこちらを向いてニッコリと無駄な笑みを向ける。
 「サクラ、マチルダに虐められてない?」
 「若様、それはあんまりな言いぐさでございますよ。わたくしは若様のためにと思い頑張っておりますのに」
 サメザメと泣き真似をするマチルダに、笑顔で騙されないよと返すヨンハ。
 やっぱりばれましたかと舌を出したマチルダに、女優への道は遥か彼方みたいねと笑う祇家の女主人。
 祇家の家族や従者の信頼関係はバッチリで絆も強くの、彼らの作る空気は暖かく柔らかい。
 「サクラ、今日は何をしたの?辛かったら礼儀作法なんて覚えなくていいからね」
 「それって、ここから一歩も出られないってことですよね」
 「まあ、概ねそうかな。僕はここにサクラを閉じ込めたいと思っているからね。別に問題はないよ」
 「・・・マチルダ様にしごいていただきます」
 いつもこの調子で、帰宅から就寝までの時間をベッタリくっ付き虫のヨンハの口癖が、何か欲しい物は無い?あちらの世界の食べ物を取り寄せてみたんだけどと、周りが目を剥くことサラリとなさる。
 さすがは、次期ゼウス様。特殊能力が高くていらっしゃる。
 でも、その使い道、それでいいのかな? 
 
 天界に来てからのサクラは、毎日昼の間は、厳しくも頼もしいマチルダのしごきを受け、夜は帰宅したヨンハにデロデロに甘やかされて過ごした。
 そうして、サクラの外出許可が下りるまではもう少し。

                       ***

  天界に戻ったミセイエルは皇宮の後宮にはなを放り込むと、皇家の女官長に彼女の世話を一任した。
 「ミセイエル様。ハナ様付の侍女は何処の家の者から選びましょうか」
 「すべて、おまえに一任する。ただし、公正を期し5家の権力が偏らないことを第一に考えろ」
 「教養、素養、所作の習得はいかがいたしましょうか」
 「それは、彼女の望むものだけでよい。無理強いの無いようにいたせ」
 「それでは、天界人の皆様からはミセイエル様の正妃様として認められませんが」
 「それでよい」
 それっきり、ミセイエルが後宮にわたることはなく、はなは付けられた侍女に傅かれて過ごすことになった。

 寂しいと思う。
 まわりに傅かれて、思い通りにならないことはない。
 しかしこれと言ってしたいこともなく、勧められるままに習い事をしても達成感はなかった。
 あれほど憧れた天界の頂にいるのに満足感はわいてこない。
 愛おしい人に望まれてここにいるのにその人とは会えず、褒めてもくれない。
 「寂しい」
 胸に溜まった言葉が、口から零れると、侍女がそれを拾った。
 「外室でもされますか。十日市にでも出かけて、気分でも変えられませ。会いたい方に会えるチャンスがあるかもしれませんよ」
 「え?」
 ニッコリと頷いた琉家出身の侍女が許可を貰ってきますと言って出て行った。
 1時間、いいえ5分でもいい、顔が見たい。
 会って、よくやったと一言でいいから誉めて欲しい。
 はなの心はそんな思いに埋め尽くされた。
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