【完結】ぼくたちの適切な距離【短編】

綴子

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「蓮、買って来たものドアの前に置いておくからね」

 ノックの後に聞こえた母の声で目が覚めた。口元に僅かに垂れていた涎を部屋着の袖でぐいっと拭ってベッドから降りた。
 どうやら、うたた寝をしていたらしい。
 階段を降りていく母の足音を聞きながら部屋のドアを開けて、母が買って来てくれたものを確認する。

 2つある袋には、片方には500ミリリットルのペットボトルが8本、もう1つの方にはゼリータイプやクッキーバータイプの携帯食が入っていた。
 発情期には生殖以外に関することはおそろかになりやすいというらしいので、食べやすいものを買って来てくれたのだろう。
 ぼくは階下にいる母に「ありがとう」と声をかけた。
 すると母は階段の上り口から少し顔を出して「いいから、大人しく寝てなさい」と言った。ぼくの顔色がいつもとそれほど違わないことに安堵している様子が見てとれた。

 床に置かれていた買い物袋を持って部屋に入る。
 ペットボトルの入っている方は特に重くて、持ち上げるときに一瞬よろけた。母はこんなに重いものをぼくのためにここまで運んでくれたのかと思うと、感謝しかない。

 ぼくがオメガであることが発覚した時、両親はかなり落ち込んでいた。
 別にオメガという性に対して差別的な意識があるからというわけではなかったが、自分たちの子供が人より多くの苦労を抱える人生を憂いてのことであった。
 しかも、自分たちの二次性はベータなのでオメガの苦労を知識として知ることはできてもそれ以上のことができないことがもどかしいと思っていることも、ぼくは知っている。

 そう考えるとぼくはかなり恵まれたオメガなんだと思う。

 母が買って来てくれたものを、勉強机の上に並べて取りやすいようにしておいた。これでいつ、発情期が来ても大丈夫と表面的には安心したが、やはり不安で仕方がなかった。

 今までは、オメガとしての発育が不十分だったからベータのように過ごせたが、これからは違うのだと思うと怖くてたまらない。
 もう今までのように拓人の隣にいる権利がなくなってしまったと思うと、悲しくて悲しくてたまらなかった。

 ベッドに戻ろうとすると、インターホンの音が微かに聞こえた。
 階下からパタパタと小走りする母の足音がして、玄関が開けられた。

「あら、拓人くん。どうしたの?」

 母の口から聞こえてきた名前に、心臓が大きく飛び跳ねた。
 拓人がこんなに心配してくれてるのが嬉しくてたまらなかった。
 けれど、今部屋に来られたら困るという理性と本能がせめぎ合う。

「こんにちは。蓮が早退したって聞いたのでお見舞いに来ました。蓮の様子はどうですか?」

「わざわざありがとうね、そこまで酷くはないけど疲れてたみたいなの。今は寝てるわ」

「少し顔を見れたらと思ったのですが……」

「拓人くんに蓮の風邪をうつしたら申し訳ないわ」

 食い下がる拓人に母がやんわりと断る。

「わかりました。食べやすいものを買って来たので蓮に渡してください」

 流石に母に断られたらそれ以上粘ることもできなかったのか、拓人は引き下がった。
 玄関のドアが閉まった音を聞いたぼくは窓の方に行ってカーテンの隙間から玄関を見下ろした。
 拓人は門扉から出た後、ぼくの部屋の方を見上げた。多分気が付かれなかっただろうけど、目があったような気がして体温が上がるのがわかった。
 彼のオメガになることはできなくても、彼にこんなにも大事にされているのだと思うとどうしようもない嬉しさが生まれた。
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