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ここに書かれるのは、新しい物語ではありません。
斬新なアイデアやひらめきはありません。あるのは、私の中に蓄積した過去です。
過去を振り返るのは、物語の確実な終わりを見るためです。物語の死を知り、それを心に刻むためです。
過去は現在や未来よりも、ずっと確かなものです。確かな物語を書くためにも、そして物語の死を見るためにも、過去の振り返りは避けられないのです。
しかし、そもそも物語の死がなぜ必要なのかと、ふとそんな問いが浮かぶかもしれません。
物語の死は人を落胆させます。同時に、人の感覚を研ぎ澄ませ、本当に必要なものを教えてくれます。
だから、物語には死が必要なのです。別れが惜しいからと言ってだらだらと物語を書いていても、いつまで経っても本質を示せません。
それでは、物語の鮮やかさが削がれるばかりです。人が死んだように生きるのと同じことです。
人である以上、惜しい気持ちはそう簡単には拭えません。それでも物語を生かすためには、やはり物語には死を与えるべきなのです。
長い間文章によって自分を維持してきた者ほど、きっと物語の死は受け入れ難くつらいものです。
しかし、それでもしなければならないことはあるはずです。
私は過去を振り返りたいです。実際そうするのは想像よりも難しいのでしょうが、そうしてみたいです。
一つ一つのライブイベントを列挙すれば、きっと大した人生には思えません。だから、それは避けたい所です。
代わりに、それぞれのイベントではなく、もっと些細なことを振り返ろうと思います。
重々しいものを期待していたら、取るに足りぬ思い出ばかりが発掘されてしまったと、そんな拍子抜けするようなことばかりを。
やるせないものですね。何でもない日常を書くことに愛想が尽きていたのに、結局物語の終わりを告げてくれるのは何でもない日常なのですから。
一つだけ、手始めに書いてみましょう。
私の知り合いには、自分がものの数秒で眠りにつけることを豪語する者がいます。
睡眠薬も飲まず、深呼吸もせず、ただ横になるだけですぐに眠れるのだと、彼彼女はそう言います。
彼彼女ということは、一人ではないということです。妙なことに、何人もそのような人が知り合いにいるのです。
彼らは笑いながらそのことを話します。あまりにも朗らかな笑みなので、私は素直に才能や体質によるものだと思い込んだほどです。
しかし、それは間違いでした。冷静になれば、彼らは単に疲れているだけだと理解できるのですが、それが単なる疲労でもないようなのです。
彼らの表情をよく観察していると、みなが同じ笑みを浮かべていることがわかります。
にこにこと、無理に作っているわけでもない、むしろこちらの心を解していくような笑みです。
一切の疲労を見せず、ごく柔らかに表情筋を使ってみせる。
彼らの中で何が起こっているのか、詳しくはわかりません。ですが、何か尋常でない事実が手早く処理されていることだけは、こちらも把握できます。
普通、人間は疲労下に置かれていると、怒りや憂いによって疲労感を外に出すものですが、彼らの場合はそうはいかないようです。
ただ人前では笑顔を尽くす。それを繰り返し、ごく自然な振る舞いとして自分の中に吸収していく。
笑うことで、世界が正常であることを示す。儚く脆い世界が自分の手によって崩壊してしまわぬよう、その恐れを隠すようにして柔らかな笑みに徹する。
彼らの生活を慎重に振り返ってみると、何処か追われていることが多いように見えました。
彼らは外部から、あまりにも多くのものを求められすぎているようでした。一人では到底対処しきれそうにない要求が、いくつも彼らに投げつけられていました。
それでも、彼らはその要求に応えようとしていました。全ての責任を自分が背負い、その身を世界の維持のためにひたすら捧げているようでした。
この出来事について、私は針小棒大に語りすぎているのでしょうか。
わかりません。ですが、「自分はこんなにも早く眠れるのだ」という、彼らの屈託のない笑みを見ていると、私は彼らからこの自己犠牲を垣間見たような気がしてしまいます。
何か笑みだけでは説明しきれないような、暗く淀んだ背景を想像せずにはいられないのです。
だから、私は素直に笑い返せません。冗談のように彼らに笑い返した時には、のちに罪悪感を覚え、次第に曇りがかった気持ちにのまれてしまうのです。
私は、この話が本当に悲劇的なのか、あるいはただ自分が悲観的であるだけなのか、わかりません。
ただ、彼らの笑みが記憶に残り続けていることは確かです。
忘れられない記憶として、時々眠る前や考え事をしている時などに、その表情がふと私のもとに現れるのです。
つらい思い出です。非常に些細ではありますが、私にとってはつらい表情です。
こちらがどうにかしてやりたいと思っても、彼らは自分の使命に徹し、その願いをやんわりと断るだけです。
なおさらつらいことですね。彼らは世界を懸命に守ろうとしているのに、実際の世界では力関係が破綻し、肝心の安らげる環境は崩壊寸前なのですから。
想像がやや行き過ぎていることは自覚しています。それでも、私の見てきた限りでは、彼らの置かれた環境は不安定で不条理なものでした。
あまりにも余暇がなさすぎるのです。彼らには、自分がため息をついたり怒りを表したりする暇もないのです。
この物語について一貫して言えるのは、余暇のなさです。忙殺がいかに不自然に人を微笑ませるかを知ってしまった以上、私は最早笑みというものに絶対的な信頼を置けません。
笑みというのは、甘美で安らぎを保証するものではありません。場合によっては、非常に厄介で心苦しい表情なのです。
斬新なアイデアやひらめきはありません。あるのは、私の中に蓄積した過去です。
過去を振り返るのは、物語の確実な終わりを見るためです。物語の死を知り、それを心に刻むためです。
過去は現在や未来よりも、ずっと確かなものです。確かな物語を書くためにも、そして物語の死を見るためにも、過去の振り返りは避けられないのです。
しかし、そもそも物語の死がなぜ必要なのかと、ふとそんな問いが浮かぶかもしれません。
物語の死は人を落胆させます。同時に、人の感覚を研ぎ澄ませ、本当に必要なものを教えてくれます。
だから、物語には死が必要なのです。別れが惜しいからと言ってだらだらと物語を書いていても、いつまで経っても本質を示せません。
それでは、物語の鮮やかさが削がれるばかりです。人が死んだように生きるのと同じことです。
人である以上、惜しい気持ちはそう簡単には拭えません。それでも物語を生かすためには、やはり物語には死を与えるべきなのです。
長い間文章によって自分を維持してきた者ほど、きっと物語の死は受け入れ難くつらいものです。
しかし、それでもしなければならないことはあるはずです。
私は過去を振り返りたいです。実際そうするのは想像よりも難しいのでしょうが、そうしてみたいです。
一つ一つのライブイベントを列挙すれば、きっと大した人生には思えません。だから、それは避けたい所です。
代わりに、それぞれのイベントではなく、もっと些細なことを振り返ろうと思います。
重々しいものを期待していたら、取るに足りぬ思い出ばかりが発掘されてしまったと、そんな拍子抜けするようなことばかりを。
やるせないものですね。何でもない日常を書くことに愛想が尽きていたのに、結局物語の終わりを告げてくれるのは何でもない日常なのですから。
一つだけ、手始めに書いてみましょう。
私の知り合いには、自分がものの数秒で眠りにつけることを豪語する者がいます。
睡眠薬も飲まず、深呼吸もせず、ただ横になるだけですぐに眠れるのだと、彼彼女はそう言います。
彼彼女ということは、一人ではないということです。妙なことに、何人もそのような人が知り合いにいるのです。
彼らは笑いながらそのことを話します。あまりにも朗らかな笑みなので、私は素直に才能や体質によるものだと思い込んだほどです。
しかし、それは間違いでした。冷静になれば、彼らは単に疲れているだけだと理解できるのですが、それが単なる疲労でもないようなのです。
彼らの表情をよく観察していると、みなが同じ笑みを浮かべていることがわかります。
にこにこと、無理に作っているわけでもない、むしろこちらの心を解していくような笑みです。
一切の疲労を見せず、ごく柔らかに表情筋を使ってみせる。
彼らの中で何が起こっているのか、詳しくはわかりません。ですが、何か尋常でない事実が手早く処理されていることだけは、こちらも把握できます。
普通、人間は疲労下に置かれていると、怒りや憂いによって疲労感を外に出すものですが、彼らの場合はそうはいかないようです。
ただ人前では笑顔を尽くす。それを繰り返し、ごく自然な振る舞いとして自分の中に吸収していく。
笑うことで、世界が正常であることを示す。儚く脆い世界が自分の手によって崩壊してしまわぬよう、その恐れを隠すようにして柔らかな笑みに徹する。
彼らの生活を慎重に振り返ってみると、何処か追われていることが多いように見えました。
彼らは外部から、あまりにも多くのものを求められすぎているようでした。一人では到底対処しきれそうにない要求が、いくつも彼らに投げつけられていました。
それでも、彼らはその要求に応えようとしていました。全ての責任を自分が背負い、その身を世界の維持のためにひたすら捧げているようでした。
この出来事について、私は針小棒大に語りすぎているのでしょうか。
わかりません。ですが、「自分はこんなにも早く眠れるのだ」という、彼らの屈託のない笑みを見ていると、私は彼らからこの自己犠牲を垣間見たような気がしてしまいます。
何か笑みだけでは説明しきれないような、暗く淀んだ背景を想像せずにはいられないのです。
だから、私は素直に笑い返せません。冗談のように彼らに笑い返した時には、のちに罪悪感を覚え、次第に曇りがかった気持ちにのまれてしまうのです。
私は、この話が本当に悲劇的なのか、あるいはただ自分が悲観的であるだけなのか、わかりません。
ただ、彼らの笑みが記憶に残り続けていることは確かです。
忘れられない記憶として、時々眠る前や考え事をしている時などに、その表情がふと私のもとに現れるのです。
つらい思い出です。非常に些細ではありますが、私にとってはつらい表情です。
こちらがどうにかしてやりたいと思っても、彼らは自分の使命に徹し、その願いをやんわりと断るだけです。
なおさらつらいことですね。彼らは世界を懸命に守ろうとしているのに、実際の世界では力関係が破綻し、肝心の安らげる環境は崩壊寸前なのですから。
想像がやや行き過ぎていることは自覚しています。それでも、私の見てきた限りでは、彼らの置かれた環境は不安定で不条理なものでした。
あまりにも余暇がなさすぎるのです。彼らには、自分がため息をついたり怒りを表したりする暇もないのです。
この物語について一貫して言えるのは、余暇のなさです。忙殺がいかに不自然に人を微笑ませるかを知ってしまった以上、私は最早笑みというものに絶対的な信頼を置けません。
笑みというのは、甘美で安らぎを保証するものではありません。場合によっては、非常に厄介で心苦しい表情なのです。
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