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第二章 激震する七月

第一話 攫われたホイッスル

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 三年生が青春をかけた最後の夏の大会。
1回戦を勝ち抜き、2回戦も勝ち抜いた。この勢いに乗り3回戦も勝ち進もうと、生徒のモチベーションとポテンシャルも上がり、良い雰囲気ができている。
 主顧問の辻本も機嫌がよく、職員室で自慢話をしていた。勿論他の教師は尽力したのが福山だと知っている為、表上褒めるに過ぎなかった。
しかし、良いとこ取りをしたい辻本は3回戦でとうとう試合に足を運んだ。

「お前は下がってろ」

早朝、試合校まで向かう貸切バスに乗る前、辻本は福山にこう言った。

「今日のメンバーは俺が決める」
「しかし……」

部活に来ていない辻本が果たしてベストメンバーやフォーメーションを理解しているのか不明だった。

「そろそろ出ますよ~」

二人のいがみ合いに対し、脳天気な運転手の声。
福山は逸る気持ちを抑えてバスに乗り込んだ。

「点呼とるぞ」

選手達を見渡す。

(大丈夫。会場へ行けばこの子達の訴えもある。辻本先生なんかに崩されてたまるか)

最後の夏をこんな形では終わらせられないと、声を張り上げて点呼を行った。

 案の定、生徒からは非難轟々だった。容赦のない反抗が飛ぶが、辻本は意に返さず、スタンディングメンバーを次々に指名していく。

「おら、準備しろ」

数名の生徒は渋々身体を動かすが、その視線の先は本部テントを見ていた。
 諦めきれない部長の山下は未だに辻本に噛み付いていた。

「何で福山先生が本部テントにいるんですか?!」
「福山先生は審判の仕事があるから本部テントだ」

いやらしく口元を緩める辻本の視線の先には本部テントで震える福山の背中。

「第4審判ですか?」

審判の中でもほぼする事がない運営補佐だ。ロスタイムの数字を表示したりするのが主で、正直必要ではない。
公式試合で、自分の試合中に審判に入る事は、公平を期する為、避けねばならない事象だ。

「でも辻本先生が言うんじゃね……あの人、俺たちより年上だから」

相変わらずの体育会系精神に嫌気がさす。しかし今、審判交代を願い出れば周りは混乱する。最悪、試合開始時間がズレ、選手達のメンタルを悪い方へ刺激してしまう。

 不安気な眼差しが選手達から向けられているが、ここは彼らを信じるしかなかった。

──ピー!!

試合開始のホイッスルが震えて聞こえる。福山不在のまま試合は始まってしまった。

「……ああ、くそっ」

本部テントの長机の上で紙コップが倒れ、一口も飲まれていないお茶が溜まりを作る。

散々だった。前半で3点リードを許す。選手の士気は落ち、辻本も苛立ちを隠せず、ハーフタイムのほぼ9割を怒鳴り声で終わらせた。そこからは非難する言葉ばかりで、次に繋げるアプローチは一言も出ない。

「上田と大井は交代しろ」

ここでのふざけた選手交代に流石の選手たちも福山に助けを求めた。福山もその名前が出た瞬間、身体が勝手に動き、本部テントから飛び出してハーフタイム中の自校のテントへ飛び込んだ。

「辻本先生。上田はこのまま使ってください」
「こんなチビをMFミッドフィールダーにしてなんになる。こいつじゃ点数を入れられない」
「上田は後半に力を見せる。それで今までチームを救ってきました。変えるなら石田と山下のポジションを変えてください。これではいつもと違ってみんなも困惑します」
「とりあえず大井だ。背が高いから攻撃に向いてるだろ」

辻本は大井を出すと言って譲らない。

「大井は今、怪我をしています。試合に出すことはできません」

火花を散らす辻本と福山が残りの時間をどんどん削っていく。
 そしてここで主審がホイッスルを鳴らした。舌打ちをしてグラウンドに向き直る辻本の後ろで、福山は上田、石田、山下を始め選手に強く頷いた。
皆もそれに無言のジェスチャーで返す。

 始まった後半戦。辻本は苛立っていた。

「あいつら……」

石田と山下が勝手にポジションを変わっていたのだ。福山の思惑通り選手達は動いた。そして上田が後半にも衰えない精神力で突っ込み2点を獲得した。
 だが、3-2のまま、夏の空に三年生最後のホイッスルが虚しく鳴り響く。蝉の鳴き声にも負けぬその音に、選手たちは膝から崩れ落ちた。


         *


 学校へ帰校した後、福山から三年生に最後の言葉が送られた。円になり涙を流し合いながら振り返るそこに辻本の姿はない。
福山に教官室へ来るよう命令した後、バツの悪いそこからは直ぐに退散した。

新部長への引継ぎも終わり、これで本当に最後の夏は終わってしまった。
最後の最後まで涙が止まらなかった福山。ぼやけた視界では生徒の表情は分からない。だがきっと皆同じことを思っていたはずだ。

——勝手な辻本への怒り、直ぐに動かなかった福山への落胆

それを最後まで口にすることなく、それどころか「福山先生も無念ですよね」と労われてしまった。

(俺は、なんて情けない教師なんだ。もっと、もっと早く行動していれば……)

普段生徒へ伝えていることが、自分はできなかったのだ。
しかしどれほど悔やんでも、哀れんでも夏は終わった。
三年生は敗北の苦痛を抱えたまま、後輩へ全てを託しグラウンドを後にした。

「あいつらはあんなに強いのに俺は……くそっ」

生徒の強い心に押されるように福山は教官室へと向かった。

 体育館はまだバレーボール部などの室内競技部が部活をしていて、ここで犯される心配はないとホッとする。
しかし重たい扉を開けた教官室で待っていた辻本の表情はいつにもまして怒りに満ちていた。

「お前の指示が早ければ!」「お前が先にベストなポジションを言わないからだ!」理不尽な罵声に必死に耐える。文句を言わなかった生徒と、何もできなかった自分の不甲斐なさで、どんどん心が死んでいく。
 全てを吐き終えた時には、福山は脳が寝不足の様に麻痺していた。
そんな彼の前に1枚のプリントが出される。

「これで勘弁してやる」

それは出張案内書だった。

「俺の代わりに行ってこい。それで今日の件は許してやる。それとも乱暴にされたいか?」

いやらしく口元が上がる辻本を無視して、福山は内容に目を通した。
 生徒指導関係の研修で、机にかじりついた講習の為、辻本が最も嫌っていた。

「大阪ですか」
「そうだ。前入りしろ。朝は会場設営を手伝え。俺の名前を言うのを忘れるなよ」

ちゃっかりしている。
肉体的なバツが無かった事には驚いたが、確かにめんどくさい仕事を押し付けられてしまった。

だが反論の余地は与えられない。

「分かりました」
「それと出発前に必ず俺の所に来い。いいな」
「……はい」

辻本に不利な事を福山がしていなくても、この男は性欲が溜まれば抱くのだ。きっと泊まりで出張へ行く前に抱き潰しておきたいのだろう。

 しかし肉体的な罰が無かった事で、いつもより足取り軽く学校を出た。もう外は夕闇が迫り、それを見上げた瞬間、一つの夏が終わった事を途端に思い出す。頬を伝う涙は直ぐに乾いたが、やるせなさと怒りが沸きあがり、再び雫が溢れた。

(俺は教師として最悪な事をどんどん重ねている)

昇り始めた月から視線を逸らし、福山は車に乗り込んだ。
 ヘッドライトに照らされた道を進み、試合をエンドレスで脳が再生する。最後のホイッスルは毎年聞くが、今年の音は酷く頭に響いた。頭を振り、前を向く。そしてもう10年も住んでいるアパートの駐車場に車を滑り込ませる。
車のドアを閉める音までも重たく聞こえる。
ポストをチェックし、動きやすさ重視の為新調したスポーツメーカーのリュックを漁る。家の鍵が見つからない。今日の苛立ちを発散させるように中で手をかき回す。

「あった」

今度は暗くて鍵穴が見えない。
もう真っ暗で、アスファルトには月あかりと、自分の影しか映っていない。
 その影の足元からもう一つの影が伸びてくる。

「?!」

それは福山の足の陰から、腰、胸にどんどん重なる。似ている形のそれは無音で、同じ人間であることに気が付くのが遅れた。
気が付いた時には、福山の首元に冷たい無機物があてがわれていた。

呼吸も出来ない。

しかし心は穏やかだった。
むしろ……

「殺すなら殺せ」

と楽になろうとした。
どうにもならない辻本との肉体関係。最悪な最後の試合。生徒の心労や悲しみを背負えるほど福山は強くなかった。生徒の望む最後の為に駆け抜けてきたというのに……

(俺みたいな最低な教師はいない方が良い)

完璧に嫌われるでもなく中途半端な教師人生に終止符を打つチャンスだと思っていた。だが、刃物はピクリとも動かない。
それに妙だった。
後ろにいる人物は声も何も発さず、刃物も持ち、無言の脅迫を押し付けてくるが、不思議と背中に感じる温もりは心地よい。
それも生きている人間と言う証だが、それとは違った何か——そんな呑気な事を考えていた。

「うわッ、んぐッ?!」

目の前が急に真っ暗になり、口が1枚の何かで引っ張られる。腕も同じ何かで拘束される。

「んんんっ!」

(これは、ガムテープか?!)

前も後ろも分からず、それどころか足が地面から離れている気がした。
腰には逞しい腕が巻き付いている。

(抱えあげられている?)

この状況でも冷静な福山は、次の瞬間柔らかい何かの上に身体を落とされた。

——バタンッ‼

帰宅した時に自分も鳴らした音だ。

(車の中?)

 かけられたエンジン音は、滑らかに轟く。ナビの起動する音、オーディオから流れる音楽は福山の好きな曲。毎日最低2回は聞いているそれらから分かる。これは去年福山が購入したハイブリットカーだ。電子キーで稼働する型式で、鍵は福山のリュックに入っている。
意図も簡単に車は走り出し、福山と謎の人物をどこかへ運ぶ。
 どれほど走ったか分からない。車は停車し、エンジンも止まる。再び担がれた福山の頬がべたつく。外は湿気が立ち込めていて、雨の兆しなのか、それとも湿気の籠った室内系の駐車場なのか、もしかすると倉庫かもしれない。
必死に様子を伺うが、分からない。

——ガチャッ

鍵を開けるような音がする。
靴が脱がされ、転がる音がし、ギシッと何かが軋む。まだ地上から浮いている為、空気や音でしか分からない。
そしてようやく福山は解放された。

(ここはどこだ)

まだ目隠しはされたままで、口もガムテープが貼り付いている。
それでも足は地に着いた。
もう一度、冷たい鋭利な物が首元にあてがわれ、手の拘束は解かれた。

(変な動きをしたら殺すということか……)

怖いもの知らずで、つま先をそろりと動かし感触を確かめる。フローリングだ。
指先に力を入れる。何かやわらかい物に自分は座っている。

「?!」

リュックが引っ張られ、反動で身体がバランスを崩し倒れる。
探っているのがバレたかもしれないと冷や汗が伝い、あの刃物の鋭利な冷たさを身体が思い出す。

——ガサガサッ

物を物色する様な音。そして背中からリュックが消えている事に気付く。

(物取りか?)

それにしても手が込んでいる。
結局、しばらくの間、リュックをかき回す様な音が続いていた。
そして……

——バタンッ、ガチャッ

ドアが締まり、施錠の音がする。
仲間が来たのか? と耳をそば立てるが、人の気配すらしない。
先程の人物が出て行った音かもしれないと思ったが、様子を伺うには迂闊すぎる。
息を顰めていると、福山が乗っている柔らかい物が振動する。それは指の近くで、勝手に動いている。

——ブー、ブー、ブー

鳴りやまないそれ。
誰もとる気配がない。
福山は恐る恐る目隠しをずらした。ブラインドから覗く様に辺りを伺うが、目隠しの向こうは真っ暗だった。
口を覆っていたガムテープも取り払う。

暗闇を抜けても暗闇という状況に全く現状が飲み込めない。だが唯一の明かりが手元に転がっていた。

——ブー、ブー、ブー

スマートフォンだ。
画面には「非通知」の文字。背景画像から福山のものだと分かる。
どうしても出る勇気ができずに拒否ボタンを押してしまう。
そしてそのまま画面をスライドさせ、ライトを点灯させた。

「ベッドか……」

福山は折り畳み式のベッドの上にいた。マットレスも布団も何もない。

「アパートか?」

部屋をグルリと照らす。
何もないキッチンは水の気配もしない。天井は電灯がなく、プラグが剥き出し。唯一あるベッドの後ろの窓はカーテンもない。なのに月明りすら入って来ない。

「うわッ」

窓にライトが反射し、白色の球体の周りに自分の輪郭が浮き出る。
どうやら雨戸が締まっているようだ。
他にもクローゼットやトイレのドアもあったが、覗く気にはなれなかった。
フロアマットも引かれていない床にはリュックが転がっている。物色されていた割に丁寧な置き方は違和感がある。

目的はやはり窃盗か?

どちらにしても逃げるなら今がチャンスだと、玄関に向かう。
1Kの部屋は玄関まで直ぐ。外の様子を伺いながら脱出する。とあるアパートの一階の風景が広がっていた。玄関先には何かの鉢植え。蔓が上に伸び、夏休みの小学生が持ち歩いているそれに似ている。

「朝顔を育てている犯罪者か?」

全く意味不明な事柄ばかりで、犯人のやりたいことがいまいちわからない。

そして駐車場にはやはり自分の車が停まっていた。その他は、ここのアパートの住人のものだろうか、SUV車に、軽自動車が数台並んでいる。

(うかうか車を眺めている暇はない)

急いで乗り込みエンジンをかける。
一度外に降りて後部座席やトランクを確認したが怪しい人物はいない。自分の身に振りかかった奇怪な現象に混乱しながらナビを設定する。
 隣町だった。そう遠くはない。
しばらく走ると、勤務校を通り過ぎ、知っている道に出た。
いつもの帰り道を走っているのに、福山は知らない道を走らされている気分になる。

 帰宅後、いつもはかけないチェーンをかけ、風呂にも入らず布団に潜り込んだ。

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