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第五章 Japanese Culture
第三話 桜はまだ散らない
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春爛漫。
入社2年目を迎えた春人は今年もインテリア事業部だ。隣にはお決まりの松田 要、そして上司は村崎 和也。人事の移動が無かった部署で新しい1年をスタートさせた。
しかし他部署の移動に関する話題はちらほらと聞こえる。
「今年度は化学事業部だけか」「へえ、部署異動?」「いや、広島支社からの転勤らしい」という社員。春人は自分には無関係だと思ったが「凄い営業らしいぞ、田中部長が引き抜いたらしい」という発言に手が止まる。
(前に田中部長が言っていた人だ)
化学事業部の部長・田中が村崎や春人に自慢していた営業のエリートは本当に門司支社に来た。会話から本人の意志と関係していたかはともかく、春人としては気が重い。
「期待の新人」と呼ばれていた春人だが、自分ではその名は相応しくないと思っていた。「ただやる気があるだけ」この言葉に尽きる。仕事はそつなくこなし、飲み込みも早いが、彼からすれば本社の半年にも及ぶ基礎の定着を確固たるものにする研修と、優しい上司、そして行き届いた指導をしてくれた先輩のお陰だと思っている。
「松田さん」
「何だ?」
「化学事業部に来た人見ましたか?」
人事の書類に目を通す春人。
「佐久間さんって人」
「女?」
もう一度書類に視線を落とす。
———化学事業部 佐久間仁
「いえ、男性です」
「ふーん。その人がどうかしたのか?」
松田は人事の資料にすら目を通さない。
「凄い人らしいんですけど、見てみたくて」
「隣なんだから見に行けばいいだろ。」
「興味ないんですか?」
「ない」
きっぱりと言った松田の興味なさげな表情は最近やけに幸せそうだ。
「彼女出来ました?」
と聞くと、今まで話にちゃんと加わっていなかったのに、肩を寄せてきた。
「よく聞いてくれたな! おうよ、出来たんだよ!」
「良かったですね! おめでとうございます!」
ようやく春が訪れた先輩は本当に一途なようで、他の女性どころか新しい社員にすら興味が無くなっているようだ。
しかし春人はどうしても気になっていた。今年はひとまわりもふたまわりも成長したいと思っているからこそ、本物の逸材をこの目で見たかったのだ。
「別に今見なくても今日の飲み会で見られるだろ」
「それもそうですね」
今日は年に数回しかない会社全体の飲み会だった。部屋は部署ごとに分かれてしまうが、最終的にはみなあちこちの部屋でどんちゃん騒ぎをしている。
「そのなんちゃらさんが見たいならとりあえずこれ終わらせろよ」
コンテナ関連の資料を渡され、春人は「はい!」と気を引き締めた。
そして春人が待ち望んだ飲みの席。
インテリア事業部は挨拶の後、順番に村崎の元へ社員がビールを注ぎに行く。あまりこの文化が得意ではない彼は「気楽にしてくれ」というが、正直これは彼の人望あっての行動だ。
年齢、地位関係なくみな村崎が好きなのだ。
春人も尊敬する上司の元へと行く。
「ちょっとでいいぞ!」
「はい! いつもご指導ありがとうございます」
と、汗をかいたビール瓶を傾ける。1年目の頃とは違い、お酒を注ぐのも上手くなった。
「今年もよろしくな」
「僕の方こそよろしくお願いします!」
と、意味ありげに村崎に肩を叩かれる。
その後は、予想通り他部署の部屋を出入りする足音で騒がしくなった。
春人が化学事業部の個室へ行こうとしたその時、
「やあ、村崎部長!」
意気揚々と田中が現れた。その後ろには見知らぬ男性を連れている。
「月嶋君もお揃いで。丁度よかった、彼を紹介しようと思ってね」
「もう社員は酔ってそれどころじゃないですよ?」
既に顔を真っ赤にした社員たちは田中に見向きもしない。紹介するなら素面の時が良いと遠回しに忠告したのに、ウズウズする田中はもう待ちきれない。
「いや、君たち2人だけで十分だよ。……おいで」
前に躍り出て正座をした見知らぬ社員が名刺を丁寧に渡す。どこから出したのか、その流れる動作は洗礼されていて。気が付けば契約書まで出てきてしまいそうだ。
「初めまして。今年度より広島支社から門司支社の化学事業部に転勤になりました佐久間仁です」
完璧な角度で下げられた頭は真っ黒。そしてその下には皺のない顔があった。
「若いな」
そう村崎が言ってしまう程だった。
エリートと言われるからにはそこそこ勤続年数のいった人物を想像していたが、シュッとした細身に、うけのよさそうな中世的な顔はどう見ても20代。
「今年で29になります。もう三十路ですよ」
優しく微笑むも春人には大打撃だった。
その苦し気な表情を佐久間は心配そうに見つめ、その後ろでは田中がしてやったりと気持ち悪い笑みを浮かべていた。
「いやあ、佐久間は凄いぞ!」
と始まる佐久間の自慢。まるでもう何年も自分の元で働いているかのような口ぶり。ようやくこの時を待ちわびていた田中は止まらない。その口が閉じたのは総務課からお開きの声が聞こえてからだった。
「では、また」
と手をひらひらさせて去っていく田中。その背中を追う様に「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げた佐久間はついていった。
「気にするな月嶋」
「……はい」
「慰めになるか分からないが、今年度もインテリア事業部に残ってくれてありがとう。期待しているぞ」
差し出された上司の手を力なく握り返す春人。
だが、深呼吸をして2度目は強く握った。
「もっと勉強して頑張ります!」
「その意気だ! よし、出るか。皆行ってしまう」
「はい!」
その後、二次会の声を掻い潜り、春人は村崎と駅に向かっていた。
「村崎部長、帰るんですか?」
「いや、今から赤澤と飲むんだ。お前は? アルバートのところか?」
「はい」
少し照れながら返事をする。
「上手くいっているようでよかったよ」
「ありがとうございます」
「アルバートによろしくな」
「はい! 伝えておきます!」
駅まで着いた時、改札の前で知っている顔に出会う。
「こんばんは、赤澤さん! 今年度もよろしくお願いします!」
「おう、よろしく! アルバートならあっちで煙草吸ってるぞ」
彼にも会うのはお見通しのようだ。
春人は2人に挨拶をして、喫煙スペースへと向かった。
そのスキップしてしまいそうな春人を村崎と赤澤は見送る。
「お前も物好きだよな」
「何が?」
「一度は、お前に好意を抱いた部下をまた自分の下で働かせるなんてよ」
「もうあいつは、大丈夫だよ。それに仕事はかなりできる。それはお前もわかってるだろ」
「確かにな。他の部署の奴らも欲しがってたもんな。あの会議は見ものだった」
人事の会議で必死に春人を死守したことは本人には秘密だ。
「あぁ、確保するのが大変だったよ。そっちはどうだ?」
「嫁か? ラブラブだぞ」
「違うよ。仕事だよ」
「冗談だよ。とりあえずいつもの所で飲むか。あっちの歓送迎会は堅苦しくてやってらんねえ」
門司支社を懐かしむ赤澤と行きつけの居酒屋の暖簾をくぐる。個室の席に案内してもらい、とりあえずビールやつまみを頼んだ。
「とりあえず、乾杯!」
「おう! おつかれさん! 今年も立派な部長職に励んでくださいませよ!」
皮肉を込めて赤澤が言う。
「お前こそ、今年度も研修生の面倒頑張れよ」
「あと少しだ!」
ジョッキに口を付けた赤澤が眉間に皺を寄せる。
「あいつらどうするんだろな」
「月嶋とアルバートか?」
冴えない赤澤の表情。無言でジョッキを置く。
「……」
「そんなに心配か?」
「お前が思っているのとは違う心配事だよ」
「?」
「お前はどうせ、月嶋とアルバートの遠距離の心配をしているんだろ?」
「そうだ。イギリスと日本じゃ離れすぎているだろ」
「確かにな」
「違うのか?」
「俺は……俺は、アルバートがイギリスに戻ったあと、月嶋がまたお前に何かしないか心配なんだよ」
「相変わらず赤澤は俺思いだな」
「別に、そんなんじゃねえよ。あいつらの距離はとんでもなく離れるだろ。アルバートはともかく、がきんちょの月嶋がそれに絶えられるかが心配なんだよ」
赤澤は消えかけている泡を眺めながら話を続ける。
「それであいつの心がまたお前に向いたらと思うと」
「大丈夫だよ。俺だって去年とは違う。もうそんなに甘くない。それにあいつは、もう俺の部下だよ」
「だったらいいけどよ。とりあえず、新年度に入って、研修終了の細かな日程も立ってきた。アルバートの帰国の書類も提出された。俺はてっきり……」
口ごもる赤澤はアルバートが簡単に書類を出した時、突き返してやろうかと思ったぐらいだ。
だが、自分に置き換えても同じことをしただろうと、キャリアを積もうとしている野心がそれを納得させてしまった。
「いや、何もない。とりあえずアルバートは8月に帰国する。そんだけだ。この話は終わり!」
それ以降2人はその話に触れなかった。その代わり赤澤の惚気話が延々と続いた。
◇ ◇ ◇
そんな心配をされているとも知らない2人。
春人が喫煙スペースに行くとアルバートは電話の最中だった。手で制されるがそれは電話の内容を聞かれたくないのではなく、不健康な煙から恋人を守る為。
だが、煙草を咥えていた口から洩れる「日本でお世話になっている人を紹介したい」という英語に春人はジリジリとその距離を詰めていた。
耳だけ伸びて欲しいと願っていると、アルバートが電話を終え、丁寧に煙草をすり潰した。そして少し強張った顔でやってくる。
「すまない。待たせただろ?」
「大丈夫! 電話、僕の事話していなかった?」
「ああ。ちょっとね」
「誰?」
「母だ」
「え?」
思いもよらない電話の相手。
「急にどうしたの?」
「急なのは向こうだよ。日本に来るならもっと早くに連絡してくれればいいのに」
溜息を漏らすが、それでもどこか嬉しそうな笑みを浮かべている。
「へぇ! イギリスから?」
「あぁ、だから会おうかと思っていて」
「いいね! 久しぶりの家族水入らず! いつ日本に来るの?」
「日本の大型連休に合わせてくるらしい」
「でも、アルバートも休みとは限らないよね?」
外国を相手にする貿易会社に日本の祝日は関係ない。
「だから連絡して欲しかったのだ」
「どうにか重なるといいね」
急に真面目な顔になったアルバートが春人と向き合う。
「春人」
「なに?」
「君を両親に紹介しようと思っている」
二人の間を春の残り香が駆け抜ける。
「え? え? ええええええええ?!」
叫び声は澄んだ夜空に消え、酸素がなくなるまで驚き続けた。
「まままま待って! アルの家族は、知ってるんだよね?」
「同性愛者ということをか?」
「うん!」
「知っているよ。前に話したと思うが。」
「だよね。……つまり僕が男って事も……」
「勿論伝えずとも分かっているだろう」
「そっか」
春人はアルバートの小指に自分の小指をこっそり絡めた。
「春人?」
「凄いな。僕はまだ、家族にアルバートの事をいう勇気がないんだ。ごめんなさい」
「謝る必要は無い。それが当然なのだ」
「でもアルは、それを乗り越えたんだよね。凄く大変な事なのに」
いつも、自分より大人のアルバートが羨ましかった。でもそれは、より多くの辛い経験も積んできたからなのだと気付かされる。
「本当に凄いよ」
「凄いのは、よく出来た両親だ。たぶん、私が同性愛者だということも気がついていたのに、私が告白するまで何も言わなかった。告白した時も、素敵な人が見つかるといいね、と励ましてくれたよ」
「いい両親だね」
「だからこそ悩んだ。子どもの顔を見せることができない、両親が後ろ指をさされるかもしれない。私は同性愛者であることを隠すべきなのではないかと。それが原因で悩んでいる時は恋人とも喧嘩が絶えなかった」
どこか遠い目をして話すアルバート。
「だから、恋人がいても両親には言わなかった。あと1歩が踏み出せなくてね。この関係に悩んでいるのに、紹介してもいいものかと。でも、やっと紹介できる人に出会えた——春人」
「僕?」
「ああ。だから君を両親に紹介したい。この人とならどんなことがあっても乗り越えられる、ずっと一緒にいたい人をみつけたって」
「アル……」
「君が嫌なら直接会う必要は無い。しかし、君のような存在がいることだけは伝えさせてくれないだろうか」
「嫌じゃないよ。僕もアルバートの両親に会いたいな!」
「ありがとう」
外で抱きしめ合うことは出来ない。だが、その気持ちだけは伝えようと、小指を絡めてきた春人の手を大きな手で包み込んだ。
入社2年目を迎えた春人は今年もインテリア事業部だ。隣にはお決まりの松田 要、そして上司は村崎 和也。人事の移動が無かった部署で新しい1年をスタートさせた。
しかし他部署の移動に関する話題はちらほらと聞こえる。
「今年度は化学事業部だけか」「へえ、部署異動?」「いや、広島支社からの転勤らしい」という社員。春人は自分には無関係だと思ったが「凄い営業らしいぞ、田中部長が引き抜いたらしい」という発言に手が止まる。
(前に田中部長が言っていた人だ)
化学事業部の部長・田中が村崎や春人に自慢していた営業のエリートは本当に門司支社に来た。会話から本人の意志と関係していたかはともかく、春人としては気が重い。
「期待の新人」と呼ばれていた春人だが、自分ではその名は相応しくないと思っていた。「ただやる気があるだけ」この言葉に尽きる。仕事はそつなくこなし、飲み込みも早いが、彼からすれば本社の半年にも及ぶ基礎の定着を確固たるものにする研修と、優しい上司、そして行き届いた指導をしてくれた先輩のお陰だと思っている。
「松田さん」
「何だ?」
「化学事業部に来た人見ましたか?」
人事の書類に目を通す春人。
「佐久間さんって人」
「女?」
もう一度書類に視線を落とす。
———化学事業部 佐久間仁
「いえ、男性です」
「ふーん。その人がどうかしたのか?」
松田は人事の資料にすら目を通さない。
「凄い人らしいんですけど、見てみたくて」
「隣なんだから見に行けばいいだろ。」
「興味ないんですか?」
「ない」
きっぱりと言った松田の興味なさげな表情は最近やけに幸せそうだ。
「彼女出来ました?」
と聞くと、今まで話にちゃんと加わっていなかったのに、肩を寄せてきた。
「よく聞いてくれたな! おうよ、出来たんだよ!」
「良かったですね! おめでとうございます!」
ようやく春が訪れた先輩は本当に一途なようで、他の女性どころか新しい社員にすら興味が無くなっているようだ。
しかし春人はどうしても気になっていた。今年はひとまわりもふたまわりも成長したいと思っているからこそ、本物の逸材をこの目で見たかったのだ。
「別に今見なくても今日の飲み会で見られるだろ」
「それもそうですね」
今日は年に数回しかない会社全体の飲み会だった。部屋は部署ごとに分かれてしまうが、最終的にはみなあちこちの部屋でどんちゃん騒ぎをしている。
「そのなんちゃらさんが見たいならとりあえずこれ終わらせろよ」
コンテナ関連の資料を渡され、春人は「はい!」と気を引き締めた。
そして春人が待ち望んだ飲みの席。
インテリア事業部は挨拶の後、順番に村崎の元へ社員がビールを注ぎに行く。あまりこの文化が得意ではない彼は「気楽にしてくれ」というが、正直これは彼の人望あっての行動だ。
年齢、地位関係なくみな村崎が好きなのだ。
春人も尊敬する上司の元へと行く。
「ちょっとでいいぞ!」
「はい! いつもご指導ありがとうございます」
と、汗をかいたビール瓶を傾ける。1年目の頃とは違い、お酒を注ぐのも上手くなった。
「今年もよろしくな」
「僕の方こそよろしくお願いします!」
と、意味ありげに村崎に肩を叩かれる。
その後は、予想通り他部署の部屋を出入りする足音で騒がしくなった。
春人が化学事業部の個室へ行こうとしたその時、
「やあ、村崎部長!」
意気揚々と田中が現れた。その後ろには見知らぬ男性を連れている。
「月嶋君もお揃いで。丁度よかった、彼を紹介しようと思ってね」
「もう社員は酔ってそれどころじゃないですよ?」
既に顔を真っ赤にした社員たちは田中に見向きもしない。紹介するなら素面の時が良いと遠回しに忠告したのに、ウズウズする田中はもう待ちきれない。
「いや、君たち2人だけで十分だよ。……おいで」
前に躍り出て正座をした見知らぬ社員が名刺を丁寧に渡す。どこから出したのか、その流れる動作は洗礼されていて。気が付けば契約書まで出てきてしまいそうだ。
「初めまして。今年度より広島支社から門司支社の化学事業部に転勤になりました佐久間仁です」
完璧な角度で下げられた頭は真っ黒。そしてその下には皺のない顔があった。
「若いな」
そう村崎が言ってしまう程だった。
エリートと言われるからにはそこそこ勤続年数のいった人物を想像していたが、シュッとした細身に、うけのよさそうな中世的な顔はどう見ても20代。
「今年で29になります。もう三十路ですよ」
優しく微笑むも春人には大打撃だった。
その苦し気な表情を佐久間は心配そうに見つめ、その後ろでは田中がしてやったりと気持ち悪い笑みを浮かべていた。
「いやあ、佐久間は凄いぞ!」
と始まる佐久間の自慢。まるでもう何年も自分の元で働いているかのような口ぶり。ようやくこの時を待ちわびていた田中は止まらない。その口が閉じたのは総務課からお開きの声が聞こえてからだった。
「では、また」
と手をひらひらさせて去っていく田中。その背中を追う様に「すみません」と申し訳なさそうに頭を下げた佐久間はついていった。
「気にするな月嶋」
「……はい」
「慰めになるか分からないが、今年度もインテリア事業部に残ってくれてありがとう。期待しているぞ」
差し出された上司の手を力なく握り返す春人。
だが、深呼吸をして2度目は強く握った。
「もっと勉強して頑張ります!」
「その意気だ! よし、出るか。皆行ってしまう」
「はい!」
その後、二次会の声を掻い潜り、春人は村崎と駅に向かっていた。
「村崎部長、帰るんですか?」
「いや、今から赤澤と飲むんだ。お前は? アルバートのところか?」
「はい」
少し照れながら返事をする。
「上手くいっているようでよかったよ」
「ありがとうございます」
「アルバートによろしくな」
「はい! 伝えておきます!」
駅まで着いた時、改札の前で知っている顔に出会う。
「こんばんは、赤澤さん! 今年度もよろしくお願いします!」
「おう、よろしく! アルバートならあっちで煙草吸ってるぞ」
彼にも会うのはお見通しのようだ。
春人は2人に挨拶をして、喫煙スペースへと向かった。
そのスキップしてしまいそうな春人を村崎と赤澤は見送る。
「お前も物好きだよな」
「何が?」
「一度は、お前に好意を抱いた部下をまた自分の下で働かせるなんてよ」
「もうあいつは、大丈夫だよ。それに仕事はかなりできる。それはお前もわかってるだろ」
「確かにな。他の部署の奴らも欲しがってたもんな。あの会議は見ものだった」
人事の会議で必死に春人を死守したことは本人には秘密だ。
「あぁ、確保するのが大変だったよ。そっちはどうだ?」
「嫁か? ラブラブだぞ」
「違うよ。仕事だよ」
「冗談だよ。とりあえずいつもの所で飲むか。あっちの歓送迎会は堅苦しくてやってらんねえ」
門司支社を懐かしむ赤澤と行きつけの居酒屋の暖簾をくぐる。個室の席に案内してもらい、とりあえずビールやつまみを頼んだ。
「とりあえず、乾杯!」
「おう! おつかれさん! 今年も立派な部長職に励んでくださいませよ!」
皮肉を込めて赤澤が言う。
「お前こそ、今年度も研修生の面倒頑張れよ」
「あと少しだ!」
ジョッキに口を付けた赤澤が眉間に皺を寄せる。
「あいつらどうするんだろな」
「月嶋とアルバートか?」
冴えない赤澤の表情。無言でジョッキを置く。
「……」
「そんなに心配か?」
「お前が思っているのとは違う心配事だよ」
「?」
「お前はどうせ、月嶋とアルバートの遠距離の心配をしているんだろ?」
「そうだ。イギリスと日本じゃ離れすぎているだろ」
「確かにな」
「違うのか?」
「俺は……俺は、アルバートがイギリスに戻ったあと、月嶋がまたお前に何かしないか心配なんだよ」
「相変わらず赤澤は俺思いだな」
「別に、そんなんじゃねえよ。あいつらの距離はとんでもなく離れるだろ。アルバートはともかく、がきんちょの月嶋がそれに絶えられるかが心配なんだよ」
赤澤は消えかけている泡を眺めながら話を続ける。
「それであいつの心がまたお前に向いたらと思うと」
「大丈夫だよ。俺だって去年とは違う。もうそんなに甘くない。それにあいつは、もう俺の部下だよ」
「だったらいいけどよ。とりあえず、新年度に入って、研修終了の細かな日程も立ってきた。アルバートの帰国の書類も提出された。俺はてっきり……」
口ごもる赤澤はアルバートが簡単に書類を出した時、突き返してやろうかと思ったぐらいだ。
だが、自分に置き換えても同じことをしただろうと、キャリアを積もうとしている野心がそれを納得させてしまった。
「いや、何もない。とりあえずアルバートは8月に帰国する。そんだけだ。この話は終わり!」
それ以降2人はその話に触れなかった。その代わり赤澤の惚気話が延々と続いた。
◇ ◇ ◇
そんな心配をされているとも知らない2人。
春人が喫煙スペースに行くとアルバートは電話の最中だった。手で制されるがそれは電話の内容を聞かれたくないのではなく、不健康な煙から恋人を守る為。
だが、煙草を咥えていた口から洩れる「日本でお世話になっている人を紹介したい」という英語に春人はジリジリとその距離を詰めていた。
耳だけ伸びて欲しいと願っていると、アルバートが電話を終え、丁寧に煙草をすり潰した。そして少し強張った顔でやってくる。
「すまない。待たせただろ?」
「大丈夫! 電話、僕の事話していなかった?」
「ああ。ちょっとね」
「誰?」
「母だ」
「え?」
思いもよらない電話の相手。
「急にどうしたの?」
「急なのは向こうだよ。日本に来るならもっと早くに連絡してくれればいいのに」
溜息を漏らすが、それでもどこか嬉しそうな笑みを浮かべている。
「へぇ! イギリスから?」
「あぁ、だから会おうかと思っていて」
「いいね! 久しぶりの家族水入らず! いつ日本に来るの?」
「日本の大型連休に合わせてくるらしい」
「でも、アルバートも休みとは限らないよね?」
外国を相手にする貿易会社に日本の祝日は関係ない。
「だから連絡して欲しかったのだ」
「どうにか重なるといいね」
急に真面目な顔になったアルバートが春人と向き合う。
「春人」
「なに?」
「君を両親に紹介しようと思っている」
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「え? え? ええええええええ?!」
叫び声は澄んだ夜空に消え、酸素がなくなるまで驚き続けた。
「まままま待って! アルの家族は、知ってるんだよね?」
「同性愛者ということをか?」
「うん!」
「知っているよ。前に話したと思うが。」
「だよね。……つまり僕が男って事も……」
「勿論伝えずとも分かっているだろう」
「そっか」
春人はアルバートの小指に自分の小指をこっそり絡めた。
「春人?」
「凄いな。僕はまだ、家族にアルバートの事をいう勇気がないんだ。ごめんなさい」
「謝る必要は無い。それが当然なのだ」
「でもアルは、それを乗り越えたんだよね。凄く大変な事なのに」
いつも、自分より大人のアルバートが羨ましかった。でもそれは、より多くの辛い経験も積んできたからなのだと気付かされる。
「本当に凄いよ」
「凄いのは、よく出来た両親だ。たぶん、私が同性愛者だということも気がついていたのに、私が告白するまで何も言わなかった。告白した時も、素敵な人が見つかるといいね、と励ましてくれたよ」
「いい両親だね」
「だからこそ悩んだ。子どもの顔を見せることができない、両親が後ろ指をさされるかもしれない。私は同性愛者であることを隠すべきなのではないかと。それが原因で悩んでいる時は恋人とも喧嘩が絶えなかった」
どこか遠い目をして話すアルバート。
「だから、恋人がいても両親には言わなかった。あと1歩が踏み出せなくてね。この関係に悩んでいるのに、紹介してもいいものかと。でも、やっと紹介できる人に出会えた——春人」
「僕?」
「ああ。だから君を両親に紹介したい。この人とならどんなことがあっても乗り越えられる、ずっと一緒にいたい人をみつけたって」
「アル……」
「君が嫌なら直接会う必要は無い。しかし、君のような存在がいることだけは伝えさせてくれないだろうか」
「嫌じゃないよ。僕もアルバートの両親に会いたいな!」
「ありがとう」
外で抱きしめ合うことは出来ない。だが、その気持ちだけは伝えようと、小指を絡めてきた春人の手を大きな手で包み込んだ。
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「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
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