こいじまい。 -Ep.the British-

ベンジャミン・スミス

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第七章 Break Time

第四話 不発の花火

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 お盆休みに入った初日、春人はあるチラシをアルバートに見せた。

「花火大会?」
「うん! 人混み苦手じゃなかったら行かない?」

 昨日、最後の出勤日。
松田が「関門海峡の花火大会には行くのか?」と聞いてきたのが事の発端だった。
福岡県と山口県を繋ぐ関門海峡。そこで花火大会がある。
アルバートの帰国で浮足立って歩く通勤路にも花火大会の看板は立ててあった。しかし言われるまで気付かず、いざ街をみるとあちこちにあった。その中には車の交通規制をするものまで——かなりの一大イベントであることが分かる。

「行こうか。いつ?」
「今日なんだ。でも誰かに見つかるとやばいかな? ちょっと離れたところから見る?」

残念ながら春人の家からは見る事ができない。かといって会場で万が一会社の人間にでもあえば言い訳のしようがない。アルバートが帰国する前ならいざ知らず、既に帰国した今、わざわざ日本に来て花火を見ているなど噂がたつに決まっている。

「悪い事してるわけじゃないのに、ごめんね」
「きちんと理解している。君の社会的な立場を揺るがすのは私の本意ではない。どこか見つからないところで楽しもう。その代わり……」
「ん?」

アルバートの口角がいつもより上がる。

◇         ◇        ◇

「どう?」

春人はグルリと身体を一周させる。

「おお」

本を読んでいたアルバートが感嘆の声を漏らし、春人を引き寄せた。

「綺麗だ。生成色きなりいろが君の黒髪を引き立てている。帯の色は臙脂えんじで正解だったな。元気な性格が浴衣にも表れているようだ」

共衿を二本の指でなぞり、前髪をさらりとかき上げる。照れた春人の額にキスを落とし。「もっとよく見せて」と浴衣姿の恋人を視覚と感触で堪能する。

「アル、くすぐったい」

太腿の上を撫でるアルバート。本人は生地の感触を確かめているだけだが、春人はゾクゾクと背筋を強張らせていた。

「それに浴衣姿を見るの初めてじゃないじゃん」

5月の連休の時、温泉で見ている。

「あの時は両親もいたし、何より私が緊張していた。今日は気兼ねなく君だけを堪能できそうだ」
「……脱がすの?」
「脱がされたい? でもまずは花火大会に行こうか。このまま抱くと、花火ではなく朝陽が空に上がってしまう」

と、とんでもない事を言いながら、ついさっき一緒に買ったもう一つの浴衣の包装を丁寧に外す。
 中からは墨の様に黒色の浴衣。よく見ると生地より濃い黒色の縦縞が入っていて紳士らしさを醸し出している。
 それを手際よく着替えて戻ってきたアルバートを見て春人は言葉を失った。
違和感がない。むしろプラチナブロンドと墨色は相性がいいのではと思うほど似合っている。和装の渋く独特な格好良さと端正な顔が、見た人を酔わせるほどの色香を放っている。

「どう?」

追い打ちをかける微笑みは花火より大音量で春人の心臓を鳴らし、強く頷く事しかできなかった。
 太い腰回りに抱き着き匂いを吸い込むと、真新しい生地の香りとアルバートの体臭に頬を擦りつける。
眼下でスリスリと動く黒髪を撫で「本当に花火が見られなくなってしまいそうだ」と名残惜しそうな声を出したところで2人とも苦笑いをし、ようやく家を出た。

「浴衣がいっぱいいるね」

キョロキョロする春人の視界には浴衣姿の若者や家族連れが沢山。
会場に向かう者や、遠くで見ようとその流れに逆らう者様々だ。春人達も流れに逆らい会場を背にする。
 途中、人混みを避けた見物客用に屋台が集中している場所があり、春人はそこへアルバートを引っ張った。

「ねえねえ! 何食べる?」
「私はお腹が空いていないから大丈夫だ。君の好きな所へ行こう」
「じゃ、一緒に分けっこしようよ! そしたら少しは食べられるでしょ? 折角来たんだから楽しまなきゃ!」

はしゃぐ姿は近くの子どもたちと重なり、思わず親のような気分になってしまう。そのせいで危なっかしい春人に何度も手を延ばしかけるが、直ぐに引っ込める。
 腰に手を回すぐらいならと考えたが、やはりここが異文化の地であるという事に躊躇いが出てしまう。
しかしそんな葛藤を他所に、興奮しきった春人がアルバートの袖を引っ張り、自分の方へ引き寄せようとする。

「アルは何が食べたい?」

と袖をツンツン引っ張りながら見上げる顔は頬が紅潮していて、目は提灯に負けず光り輝いている。彼自身が一つの出店のようだ。

「春人はリンゴ飴の出店みたいだね」
「リンゴ飴が食べたいの?」
「そうではない」
「……小さいって事?」
「君は身長をかなり気にしているな」
「だって僕、小さいもん。ていうかアルバートが大きすぎなの!」

アルバートを下から上まで見た春人が「余計に小さく見えちゃう」と距離を取った。

「離れると危ないよ」
「危なくなくなッあっ、ごめんなさい」

プイッと顔を逸らしながら歩き出した春人が通りすがりの男性と衝突する。
直ぐに謝ったものの、不服そうな目つきの悪い男。何か言いたそうに口を開きかけたが「すみません」とアルバートが春人を引き寄せれば、あっという間に何処かへ行ってしまった。

「ほら、大きいとやっぱり有利だ」
「たまたまだ。それに身長が大きいからといって魅力的であるというわけではない」
「でもモテる。僕はアルがいなかったらずっと独りだったかもしれないのに。実際、アル以外に告白された事ないしね」
「……されたいのかい?」
「アルだけでいいかな。というよりアルで良かった! さっ、行こう! 僕、かき氷食べたい!」

駆けだした春人は一軒の出店の前で止まる。「かきごおり」と書かれた店で楽しそうに赤いシロップをかけ、さらに練乳を大量にトッピングしている姿を遠目で見ながら、アルバートは腕を組み、気を落ち着かせた。

「お待たせ!」

と戻ってきた春人は「イチゴでよかった?」とニコニコしている。一つを一緒に分ける気のようでストローは二本刺さっていた。
 それをもって場所を探しているうちに後ろでは花火が上がり始めていた。
 花火の大きさは小さくなったが、人気の少ない公園を見つけ、ベンチに2人で腰かける。
 手が収まるくらいの距離だけを開け、夜空に咲く大輪の花々を見つめる。

「綺麗だね」
「ああ」

うっとり眺める春人の横顔を盗み見る。
少し遅れて聞こえる音はアルバートのモヤモヤを閉じ込めた扉を叩く。
今なら最悪花火の音でごまかせるかもしれないと、アルバートはずっと心に引っかかっている事を口にした。

「春人」
「何?」

上を見上げたままの春人が心ここにあらずで返事をする。

「……さきほどの告白の話だが、君に告白したのは本当に私だけなのだろうか?」
「本当にアルバートだけだよ」
「君は女性に人気がある。それはあの合コンでも分かっているだろう。バレンタインデーでチョコレートも貰っていた。もし……」

ストローを咥え「そんな事もあったね。でもあれは違うよ」と軽く言いながら溶けだしたかき氷を吸い上げる。

「もしこれから先、私以外の人物が君に想いを告げたらどうする」
「そんなことあるわけがない!」

ケラケラと笑い、カップの中でストローをかき回しシャクシャクと鳴らす春人。その手首を掴み、アルバートはグッと顔を寄せた。

「質問の答えになっていない」

切羽詰まった表情に春人も固まってしまう。

「アル?」

キスしてしまいそうな距離にある顔は、花火の明かりで色を変える。だが、照らされても影が落ちている表情に、春人はただならぬ何かを感じ取った。

「答えて」
「ありえないし。もしあったとしてもアルバート以外と付き合う気はないよ。だから大丈夫だよ」

 ベンチにカップを置く。
 周りに人はいない。
そして顔を傾け、目を閉じ——2人の世界から爆音を轟かせる花火は消えた。

目の前の唇が直ぐに重なり、何度か啄んでくる。
人の気配がすれば離れ、消えれば無言で顔を寄せ、冷えた唇を熱くする。春人の甘いイチゴ味の口内を吸い、唇も飴でも剥がす様にアルバートは舐めた。

「んっ、はあ……んんッ。花火……見ないの?」
「見ているよ。君の瞳の中でね」

春人の瞳の隅に微かに映る花火。それを見つめながら、アルバートは春人の本心を探ろうとする。何度「大丈夫」と言われても収まらない焦燥感。それは彼が今まさに一人の男佐久間に狙われているから。
それに微塵も気づいていない男は、いつも通りのアルバートのキザな台詞に今日は不信感を抱いた。

「急にどうしたの? 不安?」
「……そうではない」

(君には私の不安そうな姿は見せたくない)

だから最低限の牽制で済ませたはずなのに、暗闇で気を抜き、春人に不安な表情を見られてしまったと内心焦る。

「本当に?」
「本当だよ。少し気になっただけだ。さっき衝突した男性はもしかしたら春人を口説く気だったのかなと」

話しの流れを変える。
そのせいでさっきまでの淫靡な雰囲気は消え、花火の音が戻ってきた。

「もしかしてそれをずっと気にしてたの?それだけは絶対にない! アルは僕を過大評価しすぎ。本当にモテないから安心してよ」

そして跳ねながら「ちゅっ」と春人からキスをする。
 いつの間にか花火はクライマックスを迎えていて、この話は終わる。
春人はアルバートの不安に気が付く事なく、アルバートも不安を消すことが出来ず、勿論見せる事もせず、夜空の花は白い煙を残して消え去った。風が吹いていないせいか、不気味なくらい煙は空に留まり続けた。

そしてふとアルバートは思い出す。

(帰国の日が近づいている)
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