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第ハ章 Invite
第四話 懐かしい男
しおりを挟む招かざる客に、2人はお互いを射殺さんばかりの目で睨み付けた。
佐久間はその場で春人を支えたまま硬直し、アルバートは春人への不信感を募らせた。
(田中部長と食事だったのではないのか?)
「日本に来てたんですか?」
「不服そうな顔だな」
「ミラーさんもね。どいてくれますか? 月嶋君を寝かせたいんで」
「私がする」
「今の状態で身体が固定されているんですよ」
そう言って無理矢理押し入る佐久間に、アルバートは眉間の皺を深くした。
春人をベッドに寝かせると「ううう」と苦しそうに寝返りをうつ。佐久間は布団に沈むふわふわの黒髪を撫でようと手を伸ばした。
「触るな」
しかし手首を掴まれそれは叶わなかった。そして見なくても分かる殺気まがいの視線が背中に降ってくる。
「頭痛が悪化するんで止めて貰えますか? 説教されている気分なんですけど」
「されたくないなら早く春人から離れてもらおうか」
掴んだ手首を玄関の方へ向け催促するが佐久間は動かない。ベッドサイドに膝をついて座ったままだ。上げた視線は、威勢のいい声とは逆に力が籠っていない。
薬のお陰で頭痛が緩和していた佐久間も、流石に大の大人を支えたせいで限界が来ていた。「はあ……」と細くアルバートに対して溜息を吐いたように見せかける。
しかし、アルバートはそれが本当に体調不良であると気付き、佐久間の手首を離した。
そして春人の為に買っていたミネラルウォーターの1本を佐久間に渡す。
「春人を送ってくれた事は礼を言う」
「いりません」
「君も強情だな」
無理矢理佐久間の手にペットボトルを押し付けようとする。佐久間はそれをすかさず弾いたが、予想以上の弾力に負けてしまい身体がグラつく。
「あっ」
知らない家では何かを掴むことも出来ず、身体が後ろに倒れる。
アルバートは反射的にペットボトルを弾いて空を掻いた手をとり、もう片方の腕を佐久間の腰に回した。
「危なっかしいな」
恋人の家で怪我人が出ず安堵の溜息を漏らす。
佐久間にはそれが余裕の態度に見えて、アルコールと共に頭に血を上らせた。
覆い被さっているイギリス人に礼より先に悪態が出る。
「敵に塩でも送ったつもりですか?」
「まさか。君に怪我でもされたら春人が悲しむ。恋人として紳士として当然の事をしたまでだ」
相変わらずの余裕っぷり。佐久間はフイッと顔を逸らした。
「?!」
その時、絶対に合うはずのない視線とぶつかる。
恋敵に身体を支えられた屈辱的な格好。しかし2人の体勢は、壁際に倒れた佐久間の腰をアルバートが抱え込み、自分の元へ引き寄せようとしている様に見える。
——春人から見れば特に……。
「アルバート、何してるの?」
全員の血の気が引いた。
勢いよく振り向いたアルバートの前には、震えながら立ち上がる春人。その姿に今の自分たちの格好があってはならないものだと気が付きアルバートは必死に弁明しようとする。
「なんで佐久間さんを押し倒してるの?」
「違う、これは!」
「違うって……どこが違うの?」
目の前の光景をダイレクトに受け取った春人は冷たく言い放つ。
「……最低」
怒りが止まらない。
「最低……本当に最低‼ 日本人なら誰でもいいの?! それとも、男なら誰でもいいの?!」
酷い言葉をアルバートに浴びせ続け、アルバートは何も言えず固まってしまう。
春人は鼻をすすり、いまだに佐久間と重なる恋人のふざけた体勢から視線を逸らす。
「……僕じゃなくてもいいんだ」
泣きそうな声で漏らし、踵を返す。そしてジャケットも持たず、勢いのまま部屋を飛び出した。
「春人! ……?!」
追いかけようとするアルバートの腕を今度は佐久間が掴む。
「俺も性格の悪さが反射的に出たみたいで、すみません」
勘違いをさせたアルバートの紳士的な行動に似せた佐久間の言動。
「離してもらいたい」
「みすみす仲直りのチャンスを与えるとでも?」
こんな状況でもよく頭が回ると感心するアルバートだったが、全く聞こえなくなった足音を捕まえに行きたくて佐久間の手を振りほどこうとする。
しかし、佐久間は離さない。
「それに追いかけてどうするんですか? こんな場面見たら信頼なんてなくなったも同然ですよ」
「きちんと話し合う」
「そんな子どもの仲直りみたいな……」
「春人に気持ちを伝えられない君に言われたくはない……まだ告白していないのだろ?」
はっきりと言われ、今度は佐久間の表情が変わる。だが、それも一瞬で直ぐに「しているかもしれませんよ?」と挑発する。
その挑発を佐久間の手を振り払ったアルバートは背中で受け流した。そして春人のジャケットを拾う。
「春人は真っ直ぐな男だ。背後から狙ったところでは振り向かない。私は真正面から彼を口説き落とした」
春人を口説いた日々が走馬灯のように駆け巡る。春人からすれば赤面してしまう思い出だが、アルバートにとっては気の抜けない必死の片想いだった。まどろっこしく「押して駄目なら引いてみろ」などという駆け引きをする余裕もない全てをかけた恋。
佐久間の様に外堀を埋めていく策略とは真逆の、最初から相手の懐に飛び込む特攻だった。
「そういう点では君と私は同じ土俵にすら立っていない」
佐久間が弾いたペットボトルをもう一度彼の前に差し出す。
悔しそうな表情をしながらも、佐久間も今度はそれを受け取った。
「佐久間さんに月嶋春人は奪えない。勿論、奪わせる気もない。では、失礼するよ」
もう春人の気配がない外へ向かう。
「どこへ行ったのだ」
見渡す限り夜の景色。
冬の気配を感じる寒さが肌に刺さり、背筋に悪寒が走る。
1時間ほどあたりを探したが全く春人の姿は見当たらない。
威勢よく佐久間を諭したアルバートだったが、流石に押し込んでいた不安が顔を出し始める。
(田中部長と食事だったのでは? 嘘をついた? もしくは他の何か?)
そして自身の失態が招いた春人の家出のせいで罪悪感にまで襲われる。
「すまない春人。君ときちんと話がしたい。だから……電話に出てくれ」
天にそう願いながらスマートフォンを耳に当てる。
——プルルル、プルルル
電源は切れていないが、呼び出し音だけが鼓膜を震わせる。
「出ないか」
電話を切ろうとしたその時……
『もしもし?』
「?!」
電話口に反応があった。しかし、その声は春人より低く、大人びている。
『もしもし?』
再び電話の主が不思議そうな声で問いかける。
(この声は……)
「村崎さん」
春人の上司・村崎和也だった。
村崎の声がした瞬間、アルバートは久しぶりに悔しい記憶を刺激された。
——春人が真っ直ぐに見つめていた男のことを。
『久しぶりだなアルバート、どうしたんだ?』
「ご無沙汰している。すまないが、春人は?」
『寝ているよ。』
(寝ている? どういうことだ?)
アルバートは失念していた。佐久間に傾かなければ大丈夫だと思っていたが、他の人物に春人が傾く、もしくは再燃する可能性もあるのだ。
『もしもし、アルバート? 大丈夫か?』
相手に聞こえないように深呼吸をする。
「問題ない」
『もしかして日本にいるのか?』
「ああ」
『今どこにいるんだ? もう門司にいるなら月嶋を迎えに来てくれないか? 酔い潰れていて困ってるんだ』
勢い任せに出て行った春人の身体は途中で力尽きていた。
『会社の前で見つけたんだ。今は会社のロビーにいる。直ぐが無理なら今日は俺の家に連れて帰ろうか?』
「いや、直ぐに行く」
電話を終わらせ急いで会社へ向かう。
もう電灯の消えた真っ暗なビル、しかし自動ドアの奥に人がいるのが見えた。
「おっ、きたきた」
「夜遅くにすまない」
手招きする人影に近づく。
受付前の柔らかいソファーに座る村崎と、その横でスヤスヤと眠る春人がいた。見た限りケガもなく、アルバートは安堵した。
「ありがとう」
「気にするな。いつ帰ってきてたんだ? 仕事か?」
「木曜日だ。仕事できている。」
「仕事か。大変だけど、月嶋にあえるなら苦じゃないな……月嶋も早く帰りたかっただろうな。こんなになるまで可哀想に」
非常階段の緑の光に照らされた横顔が春人を心配そうに見下ろす。
「相手が悪かった」
「どういうことだ?」
「月嶋の飲みの相手は、化学事業部の田中部長だ。さすがに断れなかったんだろう」
村崎が春人を見つけた時、彼は職場の前をフラフラと歩いていた。田中部長との食事の後に体調が悪くなり、必死に帰宅途中だと思い声をかけた瞬間に倒れた。
そして困っていると春人のスマートフォンが震えだし、画面にはアルバートの名前が表示され助けを求める事ができたのだ。
(本当に田中部長だったのか……)
本当に相手は田中であった事と、村崎が春人を拾ったのが偶然であった事にアルバートの不安の霧が晴れる。
「どうかしたのか?」
「いや、何でもない。春人が世話になったありがとう」
アルバートが春人を抱えようとする。それを村崎も手伝い、無事におんぶする形で収まった。
「親子みたいだな」
そう笑う村崎の顔は影が落ちている。
「なあ」
「どうした?」
「月嶋、俺の事何か言っていたか?」
「……春人からは村崎さんの良い話しか聞かないよ」
「それはそれで照れるな」
後頭部を掻く村崎は、何かを迷う様に視線を泳がせる。
「例えば……化学事業部に行きたいとか」
「聞いた事がないな」
「そうか」
「もしや今日の食事会というのは」
「言っとくけど俺の仮定だからな! ただ、もしそうなら、かつ月嶋が行きたいというのなら俺はどうするべきなのかなって」
アルバートはこんな弱々しい村崎を初めてみた。若くして管理職になった男は優しく、部下思いだ。部下の気持ちを尊重したい反面、離しがたい気持ちも持ち合わせている。
「いや、今の話は忘れてくれ。とりあえず今は2人の時間を大切にしてくれ」
必死に踏ん切りをつけ、村崎は春人を一瞥し、アルバートにあとを託して会社をあとにした。
それを見送り、アルバートもぐっすり眠る春人を背中に感じながら家路を行く。
家にはもう佐久間はいなかった。丁寧にポストに鍵が入れられ、施錠までしてあった。
まだ眠る春人の衣服を楽にし、その横に潜り込む。今はまだ誤解をしたままの春人が更なる悪夢にうなされないよう、アルバートは抱きしめようと広げた腕を引っ込めた。
そして背を向け「すまない」と最後にもう一度謝りゆっくりと目を閉じた。
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