向日葵と恋文

ベンジャミン・スミス

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第三話

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 出兵の日の朝。
港まで向かう汽車の駅のホームで徹司と待ち合わせる。
「昌!」
 出兵前だというのに朗らかに笑いながら近づいてくる徹司に胸が締め付けられる。向き合って二言三言挨拶をしたところで、急に徹司の顔が引き締まった。
「お前に伝えておきたいことがあるんだ。絶対に忘れないで欲しい」
「……」
「今年も庭に向日葵を二輪、咲かせたい。種は、卓袱台の上に置いてきた。頼まれてくれるか?」
「わかった。毎年、よく続ける男だな。そろそろ教えてくれてもいいだろ。形見なのか?」
 撤司は、毎年庭に向日葵の種を撒く。沢山ではなく2つだけ。寄り添うように咲く向日葵を大切に育てていた。死んだ両親の形見なのか、夏になると愛おしげに水をやっている。
「秘密だ。それと、もう1つ。この戦争から帰国したら……俺と……」
「徹司」
 徹司の言葉をさえぎる昌。そして昌の後ろからゆっくりと千代が近寄ってくる姿が徹司の視界に入る。
「千代さん」
「こんにちは徹司様」
 深く頭を下げる千代の手は一世一代の告白を前に震えていた。
「妹を頼まれてくれ」
「どういうことだ」
 何故ここに千代がいるのか。二人きりで別れを惜しむことになると思っていた徹司の頭は混乱していた。
「私が兄様に頼んだのです」
 もうどうにでもなれと、昌は千代に応援の言葉を投げかけ、見送りの人をぬって早足で駅の出口に向かった。うしろから徹司の「昌!」と呼ぶ声が追いかけてきていたが、すぐ千代に捕まりその声も聞こえなくなった。
「これでよかったんだ」
 曇天の空に呟く。今の気持ちを表したような灰色の空。虚しすぎて涙が溢れてこないところまでそっくりだ。いっそ天からもこの乾ききった瞳からも大粒の雫が零れてしまえばいいのに。そう思わずにはいられなかった。
 足取り重く撤司の家に行くと、種が二つ卓袱台の上に転がっていた。
「撤司、これは、お前の父と母なのだろう」
 まだ撒くには早いそれを、昌は大切に紙に包んだ。

***

 徹司が出兵してから数か月が経ったある日、千代が縁側に座る昌へ一枚の紙を差し出してきた。差出人の字に見覚えがある。
「千代宛だろうに」
「はい。しかし兄様宛でもあります」
 手紙。それはきっと戦地の徹司から千代へと送られた恋文だ。
 あの日、結局千代の告白が上手くいったかは分からないが、帰宅した彼女の凛とした表情にすべて上手くいったのだと悟った。
「いらぬ」
「読んでくださいまし」
 千代が手紙を昌の胸に押し付ける。
実の妹と、愛する男の恋文に目を通すなどしたくもない。手紙を突き返そうとしたが、千代は頑なに受け取らず「兄様が適任です。」と言って台所へと消えた。何が「適任」なのかと手紙を恐る恐る覗けば全て納得した。見覚えのある歪んだ字が並んでいるのを見て胸が締め付けられる。


ーーーーーーーーーーーーーー
暑い日が続いていますね。
今、満州にいます。
しばらく帰国できません。
手を煩わせるのは本意ではありませんが
今しばらく家の管理をお願いします。
留守の間だけで構いませんので。

追伸
昌、最後に君と別れを惜しめず無念だった。下を向くお前の姿が最後だなんてとても悔しい。だから上を向いてくれ。君だけは上を向いて歩いてほしいのだ。
それと、もうすぐ向日葵の種蒔の時期だ。今年も綺麗に咲かせて欲しい。
ーーーーーーーーーーーーーーー

「……」
 全く色気のない恋文。しかし、水やりと家の管理に関しては、昌が適任だった。身体を重ねる為に通っていただけの家だが何が何処にあるのか目を瞑れば浮かんでくるほどに把握している。今後嫁に行くことを考えれば千代が最も適任だと思ったが、これを口実に彼の家に入りたいとその考えを飲み込んだ。
「上を向いて……」
 ゆっくりと手紙を置き、空を見上げる。あの日は──徹司を見送った日は曇天だった。今日は快晴だ。空襲がなければきっとこのまま満天の星を拝むことが出来るだろう。
「徹司。君もこの空の下にいるのだな」
 満州の空は何色なのだろうか。
 それからも定期的に戦地からの恋文は届いた。だが、追伸や昌宛は最初の一通目のみ。しかし千代は昌に必ず手紙を読ませた。相変わらず色気のない手紙は、千代への恋文という事を忘れ、いつのまにか彼が生きている証だと待ち遠しくてたまらなくなっていた。
「私宛ではない」
とは一応言うが、手紙を押し付けられる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー
だいぶ生活に慣れてきました。
厳しくも逞しい上官には参ります。
しばらく運動しなかった罰でしょう。
面目ない事に体力がかなり落ちて
隊員に迷惑をかけてしまっています。
いつも怒られてばかりです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 しばらく手紙に目を通していると
「兄様、上を向いてくださいませ。」
と千代が言う。一通目の追伸の事だろうか。そんなに自分は徹司の出兵を悲しんでいる事が顔に出てしまっているのかと腕で何度も顔を拭った。


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