向日葵と恋文

ベンジャミン・スミス

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第四話

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 春がすぎ、昌は約束通り、種を撒きに赴いた。庭の草を抜き、いつもの場所に撒く。
「咲くといいな、君のご両親」
 水をやり、部屋の掃除をする。いつもは箒ではいたり、雑巾で水拭きをするだけ。水拭きをする手が押し入れの前で止まる。
「湿気が酷くなる前に、一度衣類も洗おうか」
 ゆっくりと押し入れを開くと、微かに撤司の香りがする。不埒な考えが一瞬頭をよぎる。周りを見渡し、衣類の1枚に手を伸ばす。それは、撤司の寝巻きだった。藍染されたそれを抱きしめ、鼻を押し付けると、懐かしい香りがした。
「てつ……じ……」
 身体中の血管が破裂しそうなほど熱くなる。小さく「すまない」と呟いたあと、大きく息を吸い込み、肺に撤司の匂いを溜め、片方の手を反り勃った自分のそれにあてがう。上下に扱き、頭の中が一気に真っ白になる。
「あっ……ああ……だめだ……君が欲しい」
 一瞬で畳を汚してしまう。寝巻きを抱えたまま白濁色の溜まりの横に倒れ込み、自分の欲の塊を恨めしそうに眺めた。
「……掃除、やり直しだな」
 昌は、必要以上に畳を掃除した。


 ある日また手紙が来た。千代はいつもの様にそれを昌に渡す。
「相も変わらず色気のない内容だ。」
「いいえ、何ともお熱い気持ちの籠った文でございます。」
 眉を顰めながら読み終えた手紙を千代に返せば呆れたようにため息をつかれた。
「そろそろ水やりに行かれては?」
「そうだな、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
 日課をこなすため家を出て、今日の手紙の内容を思い返す。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
朝晩冷え込む日がまだ続きますが
いかがお過ごしでしょうか。
体調を崩されていないか心配です。
今まで以上にご自愛ください。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

 やはりどこに熱い気持ちが籠っているのかが分からない。「ご自愛」という気遣い、それだけで千代は心を熱くしているのだったらなかなか初心だと思う。
 そして、千代の様に初心さのない、欲を知っている昌は、徹司の家に着いてまずは水やりをこなす。畳に箒をかけ窓を拭き、埃一つない部屋へと仕上げる。最後に襖をゆっくりと開け、そこから徹司の衣類を一枚取り出す。
「……てつ……じ」
 徹司の浴衣を顔に擦りつけ名を呼ぶ。
勃起し始めた性器を扱き、あの熱い夜を思いそして徹司を想う。水やりを始めた日から、この習慣は続いている。届かぬ思いを、冷めぬ熱を、吐き出すのが日課になっていた。
「くっ、んんっ……あッ……」
 折角綺麗にしたというのに、白濁色の染みがまだらに飛散する。もう一度掃除せねばと頭の隅に浮かぶものの、顔に押し付けた浴衣からする徹司の体臭をまた深く吸い込む。
「私も……しょうのない男になったものだ……」
 また激しく脈打ちだした性器へ手を伸ばした。ちらりと庭を見ると、すらりと高くなった向日葵が、太陽の方を向いていた。半分咲きかけの向日葵は、黄色い花弁を少しだけ覗かせている。
 それから数日後、今年も二輪の向日葵が大輪の花を咲かせた。しかし、日が経つにつれ、重たそうに首を垂れ始める。そろそろ見納めかと、残念な気持ちになっていたその日、ラジオ放送から永遠に語られることとなる悲報が聴こえてきた。「ゲンシバクダン」「ヒロシマ」遠い地で多くの犠牲が生まれてしまった。
 それから数日後、悲劇と惨状を伝えたラジオから天皇陛下のお言葉が流れる―玉音放送だ。床に泣き崩れる人、言葉を失い抜け殻になる人、国民が各々の表現で敗戦を悲しんだ。
「負けたのですね」
「ああ、全て終わったよ」
 千代と昌もラジオ放送の前で深く悲しむ様に項垂れた。だがどうしても胸のうちで小躍りすることを止められない。
「徹司様も帰って来られるのですね」
 つい先日届いた手紙を昌に手渡しながら千代は微笑んだ。
「そうだな」

ーーーーーーーーーーーーーーー
厳しい暑さが続いております。
水やりはどうなっていますか。
我慢比べですね、日差しと向日葵の。
本当は横で応援したいのに
しばらくはまだ満州です。
いつか君と水やりできる日が楽しみだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー

「いつも思うが、改行の場所がいささか不自然じゃないか」
「いいえ。それであっております」
「……まあ、この手紙もこれで終わりだろうな」
 水やりも掃除ももうすぐ終わるその日が待ち遠しくなる。きっとこの手紙を書いたときは戦争中、しかし今日、日本は終戦を迎えた。敗戦国という汚名を被って。だが、こう言わずにはいられなかった……
──君の勝ちだよ、徹司
 昌がもう一度手紙に目を通しながら細く微笑む。
 だが、いつまで待っても徹司は日本へ戻ってこなかった。

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