異世界は彼女を望まない

Ryo

文字の大きさ
上 下
2 / 5
世界を渡る少女

異世界へ渡る

しおりを挟む
 垂直に顔を上げなければ視界に頭が映らないほど高く、左右をよく見渡さなければ確認できないほど大きく、ドラゴンは悠然とそこに鎮座していた。
 真っ赤なウロコに覆われた巨躯の前に突然現れた小さな、ドラゴンから見ればほとんどの生物は小さくなるが、それでも小柄な方だと思われる人間に、ドラゴンはジロリと視線を落とした。

『何者だ。この私の領域に易々と侵入できるとは』

 周囲が岩で囲まれた洞窟であるからか、ドラゴンの声は大気を震わせ、洞窟までも波立たせるかのように響き渡った。
 ビリビリとした感覚が鼓膜を襲う。だが、ドラゴンの前に立った人間、それも少女は何も答えない。
 聞こえなかったわけではないだろう。しかし、その少女はドラゴンを見上げた体勢のまま微動だにしなかった。
 よく見てみると、その少女はドラゴンが見た事もない不思議な服装をしていた。それがドラゴンの警戒心を更に大きくさせる。

『人間の分際で私の言葉を無視しようとは、良い度胸だな、小娘が』

 そう唸るように発せられた言葉と共に、背に畳まれていた強靭な翼をバサリと広げ、口を開け牙を見せるように威嚇する。

『何か言ってみろ。でないと、今すぐ貴様を食い千切ってくれる』
「---ふぇ?」

 そんな謎な声を上げ、少女はバタリと後ろに倒れた。

『…………』

 確かに何か言ってみろとは言ったが、ここまで意味不明な言葉を発せられるとは思っていなかったドラゴンは、困惑気味に翼を再び閉じた。
 暫く待ってみるが一向に目を覚ます気配がない少女を前に、少し迷った末に、ドラゴンは自らの体を変化させた。
 一瞬、辺り覆うほどの光がドラゴンの体を包み込んだかと思えば、光が引いた後にその場にいたのは地面に倒れ込んでいる少女と、深紅の髪と瞳を持った青年だった。
 溜息をついて少女の体に腕を伸ばし、青年は彼女を抱き上げる。
 そして洞窟の奥、ドラゴンの巨体で塞がれていた岩壁の裂け目へと足を進めた。



 少女が薄っすらと瞼をあげると、見えて来たのは一面の岩。
 打ち付けたのか、後頭部がズキズキと痛む。それを避ける為なのか、体は横向きに横たえられていた。
 慣れない感触に地面を見ると、どうやら藁のような物を敷き詰めた物の上に寝かされてるようだ。
 まだ意識がはっきりしないのか不思議そうにそれを眺めていた少女は、ふと顔をあげた。

『起きたか』

 そこには、深紅の髪と瞳を持った青年がこちらをジッと見ていた。
 それも珍しそうな目で見返していた少女は、一言。

「…………変な、夢だなぁ」

 そう呟くと、また体を横たえた。ゴロリと青年に背を向けるように。

『寝るんじゃない』
「いたっ?!」

 向けられた背中を青年は遠慮なく蹴りつけた。
 これは夢のはず、と思っていた少女は蹴られた背中が痛い事に驚き、ようやく体を起こした。よくよく考えてみれば、夢であれば後頭部の痛みなどないはずなのだ。
 ということは、これは現実である。
 目の前のこの青年も、現実である。

「……凄い、カラーリングですね。カラコンも違和感ないし…」
『私には貴様が何を言っているのか微塵も理解できない』
「…? だってその髪、染めてるんですよね?」
『これは元々だ』
「…? その瞳もカラコンですよね?」
『からこん、という物が何かは知らないが、私の瞳の色は生来これだ』

 お互いにさっぱり分からないという顔を突き合わせ、少女と青年は暫く固まっていた。
 二人の心の声は若干の違いはあれど、意味を突き詰めれば「何言ってんだコイツ」である。

 少女は青年の事をよく観察してみた。
 見れば見るほど違和感のない深紅の髪と瞳に、顔立ちは何とも人間離れした整い方をしているように思えた。
 細身ではあるが逞しい身体つきなのが、服から出ている部分だけでも良く分かる。
 そして、何より身に着けている衣服が、少女の知る現代の物とは思えなかった。少女が普段着ている服の布とは違い、何やら貧相に感じる。
 どうやらここは洞窟のようだが、ここが彼の家なのだろうか。
 いろいろ考えて、最後に辿り着いた疑問は「日本人じゃなさそうだけど、日本語上手だな」だった。

 青年は少女の事をよく観察してみた。
 先程も怪訝に思ったが、少女が身に着けている衣服は青年の知る物とは違っていた。何より、をしていた。
 薄い生地であるから、貴族の物ではない。しかし、それにしては小奇麗ではあった。平民であれば、もっと目立たないくらいには汚れている。
 黒々とした髪もちゃんと艶があり、発育も問題なさそうだ。
 いろいろ考えて、最後に辿り着いた疑問は「そもそも誰なんだコイツは」だった。

「あー……とりあえず、ここは一体どこ…?」
『私の住処だ。貴様こそ、どうやってここへ入ったのだ』
「どうやってと言われても…………あれ? どうやったの?」
『私に聞くな』

 心底不思議そうに首を傾げる少女は、嘘をついているようには見えなかった。少なくとも、青年はそう感じた。
 少女は、何故自分がここに居るのか。というより、ここへ来るまでどこに居たのかを思い出そうとしていた。

(確か……家の自分の部屋で、いつもみたいに魔法陣書いてて……)
(でも上手くいかなくて……そしたら、あの人が帰って来た音に驚いて……)
(それで机にあったコーヒーを零して……)
(そう、魔法陣の上に零して……そしたら、いきなり目の前が真っ白になって……?)

「え?」
『なんだ』

 いきなり黙り込んだかと思えば、呆けた顔で声を漏らした少女を青年が訝し気に見る。
 かと思えば、バッと立ち上がり青年へと詰め寄ってきた。

「おぉぉぉぉお兄さん! ここはどこですか!!?」
『だから私の住処だと…』
「いえ! そうじゃなくて! えっと……ここは【日本】ですか?!」
『…? にほん?』

 首を傾げながら指を2本立たせてみせた青年。

「なんでやねん!」

 それに軽快な少女のツッコミが入った。

「そうじゃなくて! えーっとえっと、そうだ! ここは何という国ですか!?」
『何を言っているーーーここはラッツェリン王国、そしてカインバルト大陸最大の山脈マクスウェールだろう』
「やっっっっっったあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 何を当然の事を、と続こうとした青年の言葉は少女の絶叫によって掻き消えた。
 思わず体をビクつかせる青年は、気持ち悪いものを見るような視線を少女に向けているが当の少女は何かに興奮しているようで気付いていない。
 むしろ、別の何かに気付いたらしい。

『……何をそんなに喜んでいる』

 青年にとってはそれが大いに謎だった。
 ここはカインバルト大陸の中でも、最強で最恐と謳われるドラゴンが住む土地だ。そんな場所へ間違ってでも迷い込んだ日には、明日はないと絶望するところのはずだ。
 しかも、そのドラゴンである自分を目の前にして、この喜びよう。
 気でも触れたか、それとも殺されたくてここへ来たのか。

「だって! これが喜ばずにいられますか!? いや、無理!」
『知らん』

 全く理解できてない青年にはそう返すしかなかった。
 本当に嬉しいようで、何やら不思議な動きを始めた少女。狭いので、落ち着いてほしいと青年は思った。

『…それで、何なのだ』
「えへへへへ……聞いて驚け! です!」
『なんだ』
「なんと私! 異世界へ来れたみたいなんです!!!」

 余程、先の後頭部への衝撃が強かったらしい。もしくは、打ちどころが悪かったのだろう。
 青年は、可哀そうなものを見るような視線を少女に向けた。

「あ! 信じてませんね!?」
『……信じろ、と?』
「だってそれが事実なんですもん!」

 少女の中では、これまでの一連の謎が全て解けていた。
 長い事、異世界へ行く為の情報をかき集め、様々な方法を試し、試行錯誤を繰り返して。
 今回も失敗かと思われたが、どうやら最後のコーヒーが何かしらの効果を表したらしい。もしや贄にコーヒーが必要だった? と少女は考える。
 だが、まぁ、異世界へ来れたのだからいいか、と少女は深く考える事をやめた。

「あ、でも、さすがにさっきのは夢だよね」
『何がだ』
「いやぁ、さっきね、目の前にバカでかいドラゴン? ていうの? それが居た夢を見てたんだよねぇ。そうそう、お兄さんの髪と眼みたいに真っ赤な体だったなぁ」

 変な夢ー、と笑っている少女に黙りこくる青年。
 そして、徐に立ち上がった青年を少女が不思議そうに見上げる。立ってみると、少女よりもかなり背が高かった。

「どうかしました?」
『……着いてこい』

 そう言うと岩の裂け目の外へと歩いていく青年に、ちょこちょこと着いて行く少女。
 そして、裂け目が出たところで少女に立ち止まるように言い、青年は更に歩いて距離をとった。
 暫く歩いて距離ができた所で、青年はその場に立ち止まるとクルリと振り返る。
 すると、突然、青年の体から眩いばかりの光が沸き上がり、少女が思わず目を瞑った。
 光が落ち着いたと感じた少女が、薄っすらと眼を開ける。

『ーーー貴様が言っていたドラゴンとは、私の事だ』
「…………ふぇ?」

 少女は、その場に倒れ込んだ。
しおりを挟む

処理中です...