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奇妙な訪問者
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「ごめんくださーい」
玄関の引き戸の隣に後付けで備えられているチャイムを鳴らすだけでは飽き足らず、大きな声で呼びかける、一人の若い女性。
すぐに応対が無かったので、彼女は再度声をかけようかと逡巡するも、内部から「はいはーい、ただいま~」という返答が聞こえてきたので、踏み止まった。
引き戸がガラガラと音を立てて開かれ、和服の上にエプロンドレスを羽織った夜美子が、この唐突に現れた客人を出迎える。
「いらっしゃいませ……えーと……」
夜美子の眼前に居るのは、全く面識のない相手だった。
髪は肩にギリギリ届かない辺りで揃えられたミディアムヘア。衣装は機能性を重視したメンズ向けのワイシャツ姿であったが、その身体つきは幾分女らしさがあり、ふちの丸い眼鏡が微かな光沢を放っていた。
それに加えて、物の詰まっているリュックサックを背負っており、両脇にも二つのカバンが置かれている。何やら、わざわざ遠くから来たと思しき雰囲気があった。
「私は桐辺さまにお仕えしている、昏木夜美子と申します。……失礼ですが、お客様はどういったご用件で?」
夜美子から尋ねられ、客人は少し困惑気味に視線を彷徨わせる。夜美子は相手の出方を窺いながらも、自然な笑みで、それとなく催促していた。
「あのー。実は、宿を探しているんですけど」
「宿……でございますか」
客人の発言に、少し首をかしげて見せる夜美子。夜美子の様子を見て、相手が訝しむ。
「近所の人から聞いたんですけど、こちらが美玉旅館で、あっているんですよね?」
「旅館……ああ、なるほど、なるほど」
事情を理解したらしい夜美子であったが、両手をパンパンパンと打ち合わせるという大げさな仕草をしたため、客人は呆気にとられた様子で目を丸くしてしまう。
「こんなところで立ち話もなんですから。さささ、どうぞ、お上がりください」
「お客さん? 旅館の?」
素っ頓狂な声をあげた熙彦は、夜美子によって案内されるがままに部屋の中へ入ってきた相手の女性を、まじまじと見つめる。直視されたその女性が恥ずかしそうに視線を眼鏡の下に伏せたので、熙彦はどぎまぎとしてしまう。
「あのですね……ここは確かに、以前は旅館だったんですけど、今はやっていないんですよ」
熙彦から告げられた事実に、客人は「ええっ?」と驚きの声。
「でも、近くに住んでいる人が仕切りに勧めながら、こちらへ案内してくれたんですよ。それに、そっちの方も……」
客人が狐につままれたような面持ちで傍らにいる夜美子を見たが、夜美子は相変わらずの笑み。
「二年ほど前までは、この旅館も開いていました。でも、経営者だった私の祖父が体調を崩してからは続けられなくなりまして……その祖父も半年くらい前に亡くなって、それ以来、ここが旅館として使われたことはありません」
「はあ……そうなんですか」
熙彦の説明に対して、客人はあからさまに落胆した様子だった。
「どうやら、お客様が尋ねた方は、この旅館が続いていると思っていたみたいですね。それもこれも、旦那さまがご近所の方々とあまりお付き合いしていないから、皆様が、把握されていないのですよ」
夜美子が「むふふっ」と妙な含み笑いをする。
「よみちゃん……」
熙彦は呆れ顔だった。
「でも、困ったな。地図にも旅館はここしか載っていなかったし。……あの、それなら、どこか、他に宿を知りませんか?」
客人がそう聞いてきたが、熙彦はどう答えたら良いものかと思案する。
(ぼくもあまり知らないんだよなぁ……でも、アパートならどこかにあった気がするし、一緒に探してあげたら良いかな)
よし、と提案を口にしようとする熙彦であったが、これは思い通りにはいかず、ここで遮るのが夜美子。
「大丈夫ですよ。こちらにお泊めしても」
夜美子の発言の意図がすぐには呑み込めず、熙彦は口を半開きにしたまま、魚のように見開いた目で、このまるで掴みどころのない同居人を凝視した。
「えっ。本当ですか」
客人の顔がぱっと明るくなった。
「ええ。お見受けしたところ、お客様は大分遠方からおいでなさったご様子。玄関に置いてあるお荷物もたくさんありましたし、今から他所まで運ぶのも大変でございましょう。それなら、こちらへお泊めした方が良いかと存じます。幸い、部屋ならいくらでも余っておりますゆえ……」
「それは助かります! 是非、泊めさせてください」
「え……いや、でも」
客人が子供のように肩をブンブン震わせてまで嬉しさを表現してきたので、熙彦は断ろうにも断れず、途方に暮れてしまう。
そんな熙彦の耳元で、夜美子が小声でそっと語り掛けてくる。
「どうかご安心を。当館はいつでもお客様が宿泊できるよう、私がちゃんと管理しておりましたので」
「そう言われてもなぁ……」
「決して、旦那さまに恥をかかせたりなどは致しませぬ」
両者のやり取りを知ってか知らずか、客人はにこにこしながら手を差し出してきた。
「どうかよろしくお願いしますね」
妙なくらいなれなれしい女性に対する接し方が分からずにいた熙彦であったが、相手に促されるままに、握手を返していた。
「じゃあ、まあ……宜しくお願いします。えーと……」
熙彦の口ごもる様子に、はっとなる客人。
「あっ。申し遅れました。わたし、ひのきたくみ、と申します。はい、こちら名刺」
客人はそう言うと、懐から一枚の名刺を取り出し、熙彦に渡す。
(檜田久水……学者?)
名刺の肩書と、眼前の若くはつらつとした女性を交互に見比べる熙彦。
(とてもそうは見えないけどなぁ……)
敢えて言及するとしたら、眼鏡が多少の知性を感じさせたりはするが、雰囲気で言えば、女子学生のそれに近いものだった。
「では、改めまして宜しくお願い致します、久水様」
「はい、夜美子さん」
手を取り合う、夜美子と久水。そのままランランランと踊り出しはしないかと思わせる雰囲気。
(何で、こんなに仲良くなってるんだ……?)
両者の距離の近さに理解が及ばず、熙彦は口をぽかんと開けたまま、二人を見守っていた。
玄関の引き戸の隣に後付けで備えられているチャイムを鳴らすだけでは飽き足らず、大きな声で呼びかける、一人の若い女性。
すぐに応対が無かったので、彼女は再度声をかけようかと逡巡するも、内部から「はいはーい、ただいま~」という返答が聞こえてきたので、踏み止まった。
引き戸がガラガラと音を立てて開かれ、和服の上にエプロンドレスを羽織った夜美子が、この唐突に現れた客人を出迎える。
「いらっしゃいませ……えーと……」
夜美子の眼前に居るのは、全く面識のない相手だった。
髪は肩にギリギリ届かない辺りで揃えられたミディアムヘア。衣装は機能性を重視したメンズ向けのワイシャツ姿であったが、その身体つきは幾分女らしさがあり、ふちの丸い眼鏡が微かな光沢を放っていた。
それに加えて、物の詰まっているリュックサックを背負っており、両脇にも二つのカバンが置かれている。何やら、わざわざ遠くから来たと思しき雰囲気があった。
「私は桐辺さまにお仕えしている、昏木夜美子と申します。……失礼ですが、お客様はどういったご用件で?」
夜美子から尋ねられ、客人は少し困惑気味に視線を彷徨わせる。夜美子は相手の出方を窺いながらも、自然な笑みで、それとなく催促していた。
「あのー。実は、宿を探しているんですけど」
「宿……でございますか」
客人の発言に、少し首をかしげて見せる夜美子。夜美子の様子を見て、相手が訝しむ。
「近所の人から聞いたんですけど、こちらが美玉旅館で、あっているんですよね?」
「旅館……ああ、なるほど、なるほど」
事情を理解したらしい夜美子であったが、両手をパンパンパンと打ち合わせるという大げさな仕草をしたため、客人は呆気にとられた様子で目を丸くしてしまう。
「こんなところで立ち話もなんですから。さささ、どうぞ、お上がりください」
「お客さん? 旅館の?」
素っ頓狂な声をあげた熙彦は、夜美子によって案内されるがままに部屋の中へ入ってきた相手の女性を、まじまじと見つめる。直視されたその女性が恥ずかしそうに視線を眼鏡の下に伏せたので、熙彦はどぎまぎとしてしまう。
「あのですね……ここは確かに、以前は旅館だったんですけど、今はやっていないんですよ」
熙彦から告げられた事実に、客人は「ええっ?」と驚きの声。
「でも、近くに住んでいる人が仕切りに勧めながら、こちらへ案内してくれたんですよ。それに、そっちの方も……」
客人が狐につままれたような面持ちで傍らにいる夜美子を見たが、夜美子は相変わらずの笑み。
「二年ほど前までは、この旅館も開いていました。でも、経営者だった私の祖父が体調を崩してからは続けられなくなりまして……その祖父も半年くらい前に亡くなって、それ以来、ここが旅館として使われたことはありません」
「はあ……そうなんですか」
熙彦の説明に対して、客人はあからさまに落胆した様子だった。
「どうやら、お客様が尋ねた方は、この旅館が続いていると思っていたみたいですね。それもこれも、旦那さまがご近所の方々とあまりお付き合いしていないから、皆様が、把握されていないのですよ」
夜美子が「むふふっ」と妙な含み笑いをする。
「よみちゃん……」
熙彦は呆れ顔だった。
「でも、困ったな。地図にも旅館はここしか載っていなかったし。……あの、それなら、どこか、他に宿を知りませんか?」
客人がそう聞いてきたが、熙彦はどう答えたら良いものかと思案する。
(ぼくもあまり知らないんだよなぁ……でも、アパートならどこかにあった気がするし、一緒に探してあげたら良いかな)
よし、と提案を口にしようとする熙彦であったが、これは思い通りにはいかず、ここで遮るのが夜美子。
「大丈夫ですよ。こちらにお泊めしても」
夜美子の発言の意図がすぐには呑み込めず、熙彦は口を半開きにしたまま、魚のように見開いた目で、このまるで掴みどころのない同居人を凝視した。
「えっ。本当ですか」
客人の顔がぱっと明るくなった。
「ええ。お見受けしたところ、お客様は大分遠方からおいでなさったご様子。玄関に置いてあるお荷物もたくさんありましたし、今から他所まで運ぶのも大変でございましょう。それなら、こちらへお泊めした方が良いかと存じます。幸い、部屋ならいくらでも余っておりますゆえ……」
「それは助かります! 是非、泊めさせてください」
「え……いや、でも」
客人が子供のように肩をブンブン震わせてまで嬉しさを表現してきたので、熙彦は断ろうにも断れず、途方に暮れてしまう。
そんな熙彦の耳元で、夜美子が小声でそっと語り掛けてくる。
「どうかご安心を。当館はいつでもお客様が宿泊できるよう、私がちゃんと管理しておりましたので」
「そう言われてもなぁ……」
「決して、旦那さまに恥をかかせたりなどは致しませぬ」
両者のやり取りを知ってか知らずか、客人はにこにこしながら手を差し出してきた。
「どうかよろしくお願いしますね」
妙なくらいなれなれしい女性に対する接し方が分からずにいた熙彦であったが、相手に促されるままに、握手を返していた。
「じゃあ、まあ……宜しくお願いします。えーと……」
熙彦の口ごもる様子に、はっとなる客人。
「あっ。申し遅れました。わたし、ひのきたくみ、と申します。はい、こちら名刺」
客人はそう言うと、懐から一枚の名刺を取り出し、熙彦に渡す。
(檜田久水……学者?)
名刺の肩書と、眼前の若くはつらつとした女性を交互に見比べる熙彦。
(とてもそうは見えないけどなぁ……)
敢えて言及するとしたら、眼鏡が多少の知性を感じさせたりはするが、雰囲気で言えば、女子学生のそれに近いものだった。
「では、改めまして宜しくお願い致します、久水様」
「はい、夜美子さん」
手を取り合う、夜美子と久水。そのままランランランと踊り出しはしないかと思わせる雰囲気。
(何で、こんなに仲良くなってるんだ……?)
両者の距離の近さに理解が及ばず、熙彦は口をぽかんと開けたまま、二人を見守っていた。
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