祓魔師 凛冴

来星馬玲

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鬼峰家の血筋

前哨戦

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 山間部に建てられている鬼峰きぼう家の館の裏側には、比較的緩やかな斜面上の雑木林が広がっており、黒ずんだ枯葉の堆積によって培われた天然の腐葉土で覆われていた。

 そこを歩いている凛冴と一匹の三毛猫の姿。長い髪が風を受け、微かに揺れている。凛冴は都会ではまず嗅ぐことのできない、深く濃い緑の香りを乗せた空気の流れを敏感に感じ取っていた。

 林の中をしばらく進んだところで、凛冴の前を歩いていた三毛猫が足を止めた。凛冴は不審げに三毛猫の後ろ姿を見つめる。

「アイネ。こんなところに連れてきて、どういうつもりなの?」

《魍魎どもの霊穴れいけつを見つけたよ。丁度この辺りのはずだけど》

「霊穴?」

 凛冴は眼を瞑り、山の空気の中に己の意識を埋没させる。霊穴は浮世に縛られている常人では感じ取ることのできない霊域の事象であるが、凛冴は自らの意識を一時的に肉体から解放させることで、その超自然の存在を知覚する能力を身につけていた。

 人間社会が時に共存し、時に駆逐する自然界の領域。その中で一際異彩を放っている魔的な力の出どころ。空間にぽっかりと空いた穴の周囲では、霊力の奔流によって渦が形成されていた。

(霊穴。確かに、ここには尋常ではないものたちが蠢き合っている)

 超自然的視界の中で深い穴の奥を見据える凛冴。まるで向こうから吸引してくるような感覚がする。その奥深くへ吸い込まれようとしているうちに、凛冴は不意に沸いた疑念によって己の異界への探究を中断させた。

(妙だ)

 凛冴が鬼峰家の屋敷を訪れてから、魍魎たちはその存在を匂わせてはいたものの、捜査に当たった刑事たちには何一つの手がかりを示さず、鬼峰家の息がかかっているその上層部は真実を隠蔽している。魍魎たちは常に人間の追求から遠ざかり続けており、現に契や肇慶に取りついている影も全貌を隠し通していた。

 それが今は、魍魎たち自らが凛冴を誘い込むようにして霊穴に呑み込もうとしている。

 向こうの方から誘いをかけている――凛冴は確信した。

 凛冴は危険から逃れるべく、自らの意識を肉体へと収束させた。魂が肉体に縛られている限りは、霊穴の奥へ呑み込まれることは早々ない。逆に言えば、霊体を肉体から分離させる技を備えているほどの強い霊力の持ち主は、霊穴に取り込まれる危険性が高くなるリスクを抱えていた。

 肉眼で前を見据える凛冴は、こちらをじいっと見つめている三毛猫と目が合った。

(アイネ?)

 思えば、アイネがこれほどまでに直接干渉してくることが過去にあっただろうか。いや、アイネは先祖が結んだ盟約に基づき御津國家の後継者である凛冴と行動を共にしているが、常に人間側に協力してくれているとは限らない。敵ではないが、多くの場合、中立的な立場を守っているのだ。

 凛冴の思考を察したのであろうか。三毛猫が人間じみたにやけ笑いを浮かべた。

(やっぱり……アイネじゃない)

 三毛猫の背中の毛が芋虫のようにもぞもぞと蠢き、全身が膨張し始めた。今や、人間の顔面の数倍に膨れ上がった笑い顔が空間に広がっていき、さながら不思議の国に迷い込んだアリスをあざ笑うチェシャ猫のような印象がある。

【ほう。冷静さを欠いていた割には、悪くない着眼点だな】

 感覚器官を通さず、直接脳内に反響してくる魍魎の声。粘っこい感触が意識下に直接潜り込んでくるような感覚を覚え、凛冴とて悪寒を禁じ得ない。

「冷静じゃないだって? 私が?」

 魍魎がほくそ笑む。

【そうであろう。雌雄の営みに触れただけで、我々の存在に気づけなくなっていたのだからな】

 図星だった。凛冴は、契と肇慶の性的な関係を目の当たりにしてからというもの、どこか心が落ち着かなくなっていた。思春期の少女である凛冴にとって、女と男の睦み合いというものは、それだけ意識下に深い爪痕を残していたのである。

【こちらの思惑どおり、だ。まんまと罠にはまってくれた】

 名状しがたい含み笑いが、三毛猫だった異形から響く。

【それでは、頂くとしよう】

 既に、猫の身体は原形をとどめてはいない。全長が六メートルほどにそびえる肉塊と化したそれは、全体が黒ずみ、腐って潰れかかった果実のようにグニャグニャに動き、人間の嫌悪感をかきたてる肉の花を開花させた。

 頭足類の触腕を思わせる物体が四方に伸ばされた。蛸の吸盤に相当する部分にはイソギンチャクに酷似した触手が連なっており、凛冴の神経を逆なでするかのように卑猥に蠢いている。

 凛冴は右足を踏み出した状態で身構え、相手の出方を伺う。魍魎はまるでこちらをからかっているように触手を蠢動させていた。

「お前が……つむぎという娘を殺したの?」

 凛冴が吐き捨てるように言った。

【答える義理などないわ】

 魍魎が哄笑する。
 
【が、教えてやろう。貴様ら人間が好む、冥途の土産というものだ。あれは我ではない。雑鬼のやったことだ】

 ざっ――魍魎の尖兵といったところか。

【彼奴等は数百年ぶりの下界の空気を吸い、興奮していた。人間の雌がどれほど脆いかも忘れるほどにな。まあ、取るに足らぬものだ。支障はない】

 凛冴は激しい怒りを覚え、眉間を震わせた。端正な顔立ちに憎悪の色が表れる。

(こいつは……ここで、祓わなければ)

 攻撃を仕掛けようとする凛冴の動きを察した魍魎が、先に動いた。

 丸太のように太い触腕が振り回される。凛冴は咄嗟に後ろへ飛びのき、宙返りをして数メートル後ろの地面に着地した。先ほどまで凛冴のいた位置に触腕が叩きつけられる。もし、回避が間に合わなければ、人間の身体などは一撃でひしゃげてしまっていただろう。

【愚カ者め。非力な小娘が、丸腰で何ができるというのだ】

 魍魎が全身を流動させながら変形し、柱状の肉塊が横倒しとなる。その状態で地面を這いずりながら凛冴に急接近していった。

 ドタドタと騒々しく暴れ狂う猛獣のように襲い掛かる魍魎。無数の触手が迫る。凛冴は膝を折り曲げ、全身をバネにして横へ飛んだ。頭上に迫っていた触腕が空を切り、幾重もの触手が豪雨のように降り注ぎ、地中深く突き刺さった。

【いづまでもつかな】

 敵の魍魎の体力は無尽蔵と言えたが、凛冴の方は訓練しているとはいえスタミナに限界がある。このまま逃げ回っていても到底勝ち目はない。

 しかし、凛冴には反撃の手段があった。

 凛冴は周囲の樹々に視線を走らせ、一際齢を得ている巨木に目を留めた。その刹那、接近してくる触手を寸でのところでかわし、巨木の幹から分かれている太い枝に飛び乗った。

 凛冴は手ごろな太さの枝に手を伸ばした。

(その命、お借りします)

 パキ。枝が音を立てて折られた。

【何の真似だ】

 凛冴の意図を測りかねた魍魎だったが、攻撃の手は緩めない。凛冴の肉体を貫こうとする触手が殺到する。

 凛冴が手にした枝を一閃させた。群がる触手が切断され、ぼとぼとと地上に落ちた。

【なんだと……?】

 予想外の反撃を前にして、魍魎の意識が僅かな困惑を見せる。
 
 凛冴は持ち前の身軽さで巨木から飛び降り、枝を振り上げた。枝はホタルが集まっているような燐光を帯びており、強い熱量を放っていた。

 凛冴は枝を剣のように操り、魍魎の触腕を切り裂いた。ぶよぶよと震えながら硫黄に似た悪臭を放つ切断面から、どす黒い液体が流れ落ちた。

【これが祓魔師の技か】

 凛冴は、強い生命力を持つ木の枝に自らの霊力をまとわせることで、魍魎の肉すらも断つ霊剣に変えていた。先祖から受け継いだ、魔を祓う者としての術である。

 樹木の霊剣の切っ先を構え、魍魎を相手に攻め込む姿勢で臨む凛冴。その頬を、一筋の汗が伝っていた。



 姫岸ひめぎし小夜子さよこは朝礼を終えたあと、館の廊下の雑巾がけをしていた。現在の鬼峰家には十数人のメイドが仕えているが、館の規模に対して十分な人数であるとは言い難い。現に、契の抜けた穴を小夜子が補うことになって、早朝の職務を終わらせるのにも大分手間取っていた。

 小夜子にとって、四つん這いになって床を磨くのは小学生の頃から得意だった。よく契と競争して、遊びのような感覚で、掃除の時間を過ごしたものだった。

 だが、今はどうしても契のことが気になって、どうにも仕事がはかどらない。先ほども館に通勤している調理師の男性と危うくぶつかりそうになり、床に這いつくばった姿勢のまま、まるで土下座でもしているかのような謝り方までしてしまった。

 台所の果物をわけてもらおうと思っていたのであるが、よりにもよってこれから厨房に入り浸る人物に対して無礼を働いてしまったのはまずかった。

(声、かけづらくなっちゃった……)

 それでも、仕事が終わらない以上は昼の休憩時間に買い出しへ出かけることも難しい。出来れば、メイドの朝食時間までには厨房の人に頼んで、契の好物のキウイを譲ってもらいたかった。

 一方、調理師と同様に鬼峰家に主治医として通勤している町医者には、メイド長の杏樹から伝えてもらうことになっていた。メイドの健康管理は館全体の問題でもあるとして、杏樹も契の病状を重く受け止めてくれていた。

(契、本当に辛そうだったな)

 小夜子は額の汗を手でぬぐいながら、一緒に働く親友を想った。
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