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鬼峰家の血筋
消えた契
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「きゃうぅ……んああああっ!」
ひと際大きな悲鳴にも似た嬌声を張り上げ、契は力尽きた。膣内での射精を終えた肇慶は、淫液でべとべとになっているペニスをぬっぷと引き抜く。
「さあ契、舐めて綺麗にしなさい」
ひたすらに従順なはずのメイドを見下ろしたまま亀頭を突き出し、命令する肇慶。しかし、契はぐったりと床に伏しており、立ち上がる気力も残っていないらしい。ビクビクと痙攣している小鹿のような生足の先の股間からは、精液と混じり合った淫水とは別に、黄色い小便が噴き出していた。
「ち、汚ねえな」
肇慶は粗暴な本性を隠すこともなく、吐き捨てた。契への興味を失った肇慶は、改めて己のペニスを見つめる。ペニスは逞しいくらいに屹立しており、まだ数回の行為に連続で耐えるだけの精力に満ちているのを実感できた。
(昨晩とはまるで違う。素晴らしいじゃないか)
肇慶は満足げに笑みを浮かべた。
(契の方は、もうついてこれない様子だがな)
つむぎだったら――肇慶の脳裡に、今は亡き女の姿が浮かぶ。
肇慶が最も溺愛していたのは、つむぎだった。それは今もなお変わらない。例え、目の前の契のように失禁している姿であっても、つむぎであればなお愛おしいと思えたくらいだった。
だから、肇慶は最初につむぎの死を知った際、顔面を鈍器で殴られたかのような衝撃を覚えた。
まさか最初に犠牲になるのがつむぎだとは――肇慶にとって想定外の出来事だったので、意思疎通のできる魍魎を相手に問い詰めたりもした。だが肇慶は、結局は魍魎に従う道を選ぶ決意を固めるに至ったのである。
(つむぎは確かに良い娘だった……だが、おれがこれから手にするものに比べたら)
己の求めている欲望を叶える道とつむぎへの未練を天秤にかけた時、優先されたのは欲望の方だった。死んだ娘のことを想っても何も始まらない――肇慶はそう考えた。もっとも、こうやってつむぎの面影が心の中に度々蘇っているのは、彼女への想いを捨てきれていないからであるとも言え、それは時として、肇慶を苛立たせた。
ノックの音が響いた。続けて、知っている女性の声。肇慶が「入って良い」と言うと、その人物は扉を開け、一室に足を踏み入れた。
佛木杏樹だった。杏樹は肇慶に頭を下げ、床に横たわっている契の裸体に冷たい眼差しを向けた。契は肇慶から受けた過剰な責めと、高熱で、息も絶え絶えといった有様だ。
「契はもう、無理みたいですね」
杏樹の声には、まるで感情が籠っていない。
「そうだな。だが、最後にまあまあ楽しめた。この娘にしては、上出来だろう」
肇慶はそう言ったが、既に契に対して全くの無関心であるのは、杏樹にも容易に察せられた。
「では……こちらの方で、処理しておきますね」
「ああ、頼む」
肇慶はそれだけ言うと、自らの衣服を正し、座椅子に腰を下ろした。
杏樹が両手で契の裸体を持ち上げる。まるでお姫様抱っこのような恰好であったが、姫君に相当する契はほぼ全裸のままであり、眼は虚ろで意識が欠落している。
その様子を横目で見ていた肇慶が、一言だけ口を挟む。
「……他の者に気取られぬようにな」
「大丈夫です、信頼できる部下にも協力させて、人払いをしておりますので」
(信頼できる部下か……よく言ったものだな)
杏樹の言うそれは、実際のところ、部下というよりも完全に洗脳された傀儡と呼んだ方が的を射ている。
契を抱えたまま、書斎から退出する杏樹。肇慶は早くも契との情事の記憶を意識の外に追いやり、眼前の書類に意識を向けていた。
そこに書かれているのは、鬼峰家の先代から受け継がれた鬼羅山に関する伝承や記録をまとめ、印刷した代物だった。古書の筆記体をそのままコピーした資料も散見される。
「ふうん。鬼羅山は近隣の鬼どもを束ねる総本山であったが、学者連には名のある大山賊と目されてもいたわけか」
……だが、魍魎と呼ばれる超自然的存在の関与は疑いようがない。現に、肇慶はその者たちと交渉する道を選んでいるのだから。
「見ようによっては、このおれが新しい時代の、山賊の棟梁になるわけか」
肇慶自身、自分がそれほど高尚な人柄でないのは自覚していた。本来、鬼の支配から人々を護る役目を担っていたとされる鬼峰家の次期当主が、鬼そのものと思しき魍魎と手を組むとは滑稽な話だ。
「欲しいものは何でも手に入れる。素晴らしいじゃないか」
くっくっく……と、含み笑いをする肇慶。それまで読んでいたプリントを机の隅に置き、次の一枚を手に取る。ふと、見覚えのある名前が目に留まる。
「ん……?」
未だ古い筆記には不慣れな肇慶は、訝し気にそれを見直す。
「みつくに……と、書いてあるのか?」
戦国時代の後期、千六百年頃の話。鬼峰家の先祖に協力した鬼を祓う者、御津國と名乗る巫女に関する記述があった。魍魎が御津國凛冴を欲していた件と関係がありそうだった。
(事前に目を通していた杏樹はこれを知っていたはずだ。何故、先に言っておかなかった?)
肇慶は軽い憤りを覚えたが、さしたる問題ではないだろうと、すぐに考えを改める。
(……最初に御津國凛冴を呼び寄せるように言ったのは、杏樹だったな)
杏樹は肇慶にとって、最も従順な人物であると言える。館の事情に関して無知だった肇慶に当主の権限とそれに必要な知識を提供してくれたのは杏樹であり、現在、肇慶のあらゆる意志を代行しているのも杏樹だ。
杏樹が魍魎に関する隠し事をしているとなると穏やかな話ではないが、杏樹が居なければ、今の肇慶の立場もない。あまり憶測するのには、抵抗があった。
ただ、肇慶は強い色欲の持ち主であるが、杏樹を性的対象としては見ていない。若い娘を嗜好する肇慶にとって、杏樹は歳を取り過ぎていた。
(顔は綺麗だし、肉付きも良過ぎるくらいだ。目つきはキツイが……若いころはさぞ可愛かっただろうな)
自分よりも年上である杏樹のより若い頃の姿を想像していた肇慶は、不意に苦笑する。
(おそらく、死んだ親父なら若いころの杏樹をよく知っていたのだろう。……女としてな)
杏樹は先代の当主、即ち、肇慶の実父とは特別親しかったらしい。父は今の自分と同じ立場だったのだから、当然、従者である杏樹とも同じような行為をしていたのだろう――肇慶はそう考えていた。
息を切らしながら廊下を走る、メイド服を着た一人の女性の姿。結わえられたつやつやの髪がせわしなく、ぱたぱたと揺れている。
姫岸小夜子だった。小夜子の表情には焦りの色がありありと浮かんでいる。
正面から、畳んだ毛布を運んでいる別のメイドが歩いてくる。小夜子はそのメイドとぶつかりそうになり、慌てて横に避けようとした。だが、相手の方も同じ方向にかわそうとしたために、両者は衝突してしまった。
「きゃあ!」
お互いに何とか踏み止まったので転ぶことはなかったが、毛布が床に転げ落ちてしまった。幾つもの分厚い布のかたまりが、床一面に転がる。
「小夜子、何やっているの!」
相手のメイドは顔を怒らせて、大きな声で小夜子を叱りつける。
「す、すみません……」
小夜子はおどおどとした声で答え、相手のメイドが毛布を畳み始めたのを見て、慌ててそれを手伝う。
「もう。いつまでも新人気分でいたら、また杏樹さんから仕置きされるよ」
「は、はい……本当に、ごめんなさい」
毛布を畳み終えると、先を急いでいるそのメイドは、すぐに立ち去る。
「……急がなきゃ」
今度は周囲に気を付けながらも、早歩きで廊下を進む小夜子。程なくして、紫色の縁取りが成された扉の前に辿り着く。
(杏樹さんは先に仕事を中断してここで休憩中だったって、実月は言っていたけど)
実月というのは、小夜子の同僚の掛山実月という名の人物。小夜子よりも一つ年上で、メイドとしては小夜子よりも先に館で働いていた契と同期だった。
なるべく失礼の無いようにと、扉を軽くノックする。返事はない。待ちきれなくなり、恐る恐る扉を開ける小夜子。
「あ……」
テーブルの前の椅子に腰を下ろし、ティーカップを口に運んでいる、一人のメイドの姿。それは杏樹ではなく、杏樹の部下であり、小夜子たちの上司に当たる侭田真久だった。
真久は小夜子の方を横目でちらりと見やると、口にしていたティーカップを皿の上に置いた。アールグレイの香りが部屋の中を漂っている。
「何の用? 小夜子さん」
耳に刺さってくるような鋭い声。小夜子は、背筋に冷たいものが奔るのを感じた。
「あ、あの……杏樹さんは、どちらへ?」
「杏樹様なら、用事で席を外しています」
「そうですか……」
落胆した様子の小夜子。
「杏樹様に用があるなら、私が代わりに聞いておきますが?」
「あ、はい。……えっと、実は」
小夜子が真久に話した内容は、契に関するものだった。
今朝、小夜子は高熱を出した契を看病し、相部屋に寝かせたまま部屋を出た。その後、午前の仕事を続けている間も、契のことがずっと気がかりだった。
小夜子は何度か様子を見に戻ろうと思ったものの、中々タイミングがつかめず、先ほどになってようやく時間が取れたところだったが。
「契が部屋からいなくなっていて……あんなに熱を出していたのに」
契が今日の仕事を休む件に関しては、杏樹からの了承も得ている。だから、契が部屋を抜け出して仕事場に向かったのなら、杏樹に止められるはずだった。
「……もう熱が下がったからではないんですか?」
「いや、そうは思えません……。それに、何人かに聞いたけど、誰も契の姿を見ていないって。だから、契を探す許可を頂こうと、杏樹さんに」
「…………」
真久は黙していた。
「さっき、也貝さんにも聞いたんです。もしかしたら、契、急に具合が悪くなって、一人で医務室に向かったんじゃないかと思って。でも、也貝さんは会っていないって」
館に通っている壮年の町医者、也貝専介。彼はメイドの健康管理を担っており、小夜子や契にとっても馴染みのある人物だ。
「あの……真久さん?」
黙ったままの真久を不審に思い、再度声をかける小夜子。
やがて、真久はゆっくりと口を開く。
「私の方から杏樹様に伝えておきます。小夜子さんは心配しなくても大丈夫です」
「は、はあ……」
小夜子は納得していない様子だ。
「さあ、早く持ち場に戻ってください」
まるで、近寄ってきた野良猫を追い返すような態度。小夜子は反論することもできず、そのまま引き返さざるを得なかった。
館に帰還した凛冴。この時点で、凛冴は異変に気づいていた。
(妙だ……鬼峰家の空気が変わった?)
真っ先に思ったのは、契の安否。
(アイネの話によると、契さんは熱を出して休んでいた。相部屋で寝泊まりしているもう一人のメイドが彼女の世話をしていたとも、アイネは言っていたけど)
アイネは館につく前に姿をくらましていた。凛冴とアイネは既に短くない付き合いだったが、アイネは相変わらず神出鬼没で捉えどころがなく、アイネの行先については凛冴にも見当がつかなかった。
凛冴は身を翻して、疾走する。途中、庭を行き来している数人のメイドと、一人の刑事とすれ違ったが、誰も凛冴の存在に気付けなかった。
契のいる部屋は、一階の北側にある。そこへたどり着いた凛冴は、カーテンが開け放されたままになっている窓から中を覗き見た。やはり、契の姿はない。
(契さんの気配が感じられない。館のどこかにいるはずだけど……)
凛冴は軽い身のこなしで二階の屋根に飛び乗り、屋根伝いに館の周囲を探った。程なくして、肇慶の利用している書斎を見つける。魍魎によって見せつけられた、契と肇慶の情交が行われた部屋に間違いない。
(鬼峰は……いない?)
肇慶の姿も確認できない。机の上には書類が乱雑に積み重なっており、何らかの作業の途中で部屋を出たらしい。
《おや、そんなとこにいたのかい》
階下から響いてきた、アイネの声。それを聞いた凛冴は、屋根からするりと飛び降り、芝生の上に着地した。
「アイネ、どこへ行っていたの?」
凛冴の言葉は、不意に姿をくらました相手に対する詰問に近い。
《ちょっとね》
アイネはそのままそっぽを向いて、短い足でてくてくと歩いていく。
「待って、アイネ」
何とかアイネを引き留めようと追いかける凛冴。アイネなら、何か手がかりを知っている――凛冴はそう確信していた。
ひと際大きな悲鳴にも似た嬌声を張り上げ、契は力尽きた。膣内での射精を終えた肇慶は、淫液でべとべとになっているペニスをぬっぷと引き抜く。
「さあ契、舐めて綺麗にしなさい」
ひたすらに従順なはずのメイドを見下ろしたまま亀頭を突き出し、命令する肇慶。しかし、契はぐったりと床に伏しており、立ち上がる気力も残っていないらしい。ビクビクと痙攣している小鹿のような生足の先の股間からは、精液と混じり合った淫水とは別に、黄色い小便が噴き出していた。
「ち、汚ねえな」
肇慶は粗暴な本性を隠すこともなく、吐き捨てた。契への興味を失った肇慶は、改めて己のペニスを見つめる。ペニスは逞しいくらいに屹立しており、まだ数回の行為に連続で耐えるだけの精力に満ちているのを実感できた。
(昨晩とはまるで違う。素晴らしいじゃないか)
肇慶は満足げに笑みを浮かべた。
(契の方は、もうついてこれない様子だがな)
つむぎだったら――肇慶の脳裡に、今は亡き女の姿が浮かぶ。
肇慶が最も溺愛していたのは、つむぎだった。それは今もなお変わらない。例え、目の前の契のように失禁している姿であっても、つむぎであればなお愛おしいと思えたくらいだった。
だから、肇慶は最初につむぎの死を知った際、顔面を鈍器で殴られたかのような衝撃を覚えた。
まさか最初に犠牲になるのがつむぎだとは――肇慶にとって想定外の出来事だったので、意思疎通のできる魍魎を相手に問い詰めたりもした。だが肇慶は、結局は魍魎に従う道を選ぶ決意を固めるに至ったのである。
(つむぎは確かに良い娘だった……だが、おれがこれから手にするものに比べたら)
己の求めている欲望を叶える道とつむぎへの未練を天秤にかけた時、優先されたのは欲望の方だった。死んだ娘のことを想っても何も始まらない――肇慶はそう考えた。もっとも、こうやってつむぎの面影が心の中に度々蘇っているのは、彼女への想いを捨てきれていないからであるとも言え、それは時として、肇慶を苛立たせた。
ノックの音が響いた。続けて、知っている女性の声。肇慶が「入って良い」と言うと、その人物は扉を開け、一室に足を踏み入れた。
佛木杏樹だった。杏樹は肇慶に頭を下げ、床に横たわっている契の裸体に冷たい眼差しを向けた。契は肇慶から受けた過剰な責めと、高熱で、息も絶え絶えといった有様だ。
「契はもう、無理みたいですね」
杏樹の声には、まるで感情が籠っていない。
「そうだな。だが、最後にまあまあ楽しめた。この娘にしては、上出来だろう」
肇慶はそう言ったが、既に契に対して全くの無関心であるのは、杏樹にも容易に察せられた。
「では……こちらの方で、処理しておきますね」
「ああ、頼む」
肇慶はそれだけ言うと、自らの衣服を正し、座椅子に腰を下ろした。
杏樹が両手で契の裸体を持ち上げる。まるでお姫様抱っこのような恰好であったが、姫君に相当する契はほぼ全裸のままであり、眼は虚ろで意識が欠落している。
その様子を横目で見ていた肇慶が、一言だけ口を挟む。
「……他の者に気取られぬようにな」
「大丈夫です、信頼できる部下にも協力させて、人払いをしておりますので」
(信頼できる部下か……よく言ったものだな)
杏樹の言うそれは、実際のところ、部下というよりも完全に洗脳された傀儡と呼んだ方が的を射ている。
契を抱えたまま、書斎から退出する杏樹。肇慶は早くも契との情事の記憶を意識の外に追いやり、眼前の書類に意識を向けていた。
そこに書かれているのは、鬼峰家の先代から受け継がれた鬼羅山に関する伝承や記録をまとめ、印刷した代物だった。古書の筆記体をそのままコピーした資料も散見される。
「ふうん。鬼羅山は近隣の鬼どもを束ねる総本山であったが、学者連には名のある大山賊と目されてもいたわけか」
……だが、魍魎と呼ばれる超自然的存在の関与は疑いようがない。現に、肇慶はその者たちと交渉する道を選んでいるのだから。
「見ようによっては、このおれが新しい時代の、山賊の棟梁になるわけか」
肇慶自身、自分がそれほど高尚な人柄でないのは自覚していた。本来、鬼の支配から人々を護る役目を担っていたとされる鬼峰家の次期当主が、鬼そのものと思しき魍魎と手を組むとは滑稽な話だ。
「欲しいものは何でも手に入れる。素晴らしいじゃないか」
くっくっく……と、含み笑いをする肇慶。それまで読んでいたプリントを机の隅に置き、次の一枚を手に取る。ふと、見覚えのある名前が目に留まる。
「ん……?」
未だ古い筆記には不慣れな肇慶は、訝し気にそれを見直す。
「みつくに……と、書いてあるのか?」
戦国時代の後期、千六百年頃の話。鬼峰家の先祖に協力した鬼を祓う者、御津國と名乗る巫女に関する記述があった。魍魎が御津國凛冴を欲していた件と関係がありそうだった。
(事前に目を通していた杏樹はこれを知っていたはずだ。何故、先に言っておかなかった?)
肇慶は軽い憤りを覚えたが、さしたる問題ではないだろうと、すぐに考えを改める。
(……最初に御津國凛冴を呼び寄せるように言ったのは、杏樹だったな)
杏樹は肇慶にとって、最も従順な人物であると言える。館の事情に関して無知だった肇慶に当主の権限とそれに必要な知識を提供してくれたのは杏樹であり、現在、肇慶のあらゆる意志を代行しているのも杏樹だ。
杏樹が魍魎に関する隠し事をしているとなると穏やかな話ではないが、杏樹が居なければ、今の肇慶の立場もない。あまり憶測するのには、抵抗があった。
ただ、肇慶は強い色欲の持ち主であるが、杏樹を性的対象としては見ていない。若い娘を嗜好する肇慶にとって、杏樹は歳を取り過ぎていた。
(顔は綺麗だし、肉付きも良過ぎるくらいだ。目つきはキツイが……若いころはさぞ可愛かっただろうな)
自分よりも年上である杏樹のより若い頃の姿を想像していた肇慶は、不意に苦笑する。
(おそらく、死んだ親父なら若いころの杏樹をよく知っていたのだろう。……女としてな)
杏樹は先代の当主、即ち、肇慶の実父とは特別親しかったらしい。父は今の自分と同じ立場だったのだから、当然、従者である杏樹とも同じような行為をしていたのだろう――肇慶はそう考えていた。
息を切らしながら廊下を走る、メイド服を着た一人の女性の姿。結わえられたつやつやの髪がせわしなく、ぱたぱたと揺れている。
姫岸小夜子だった。小夜子の表情には焦りの色がありありと浮かんでいる。
正面から、畳んだ毛布を運んでいる別のメイドが歩いてくる。小夜子はそのメイドとぶつかりそうになり、慌てて横に避けようとした。だが、相手の方も同じ方向にかわそうとしたために、両者は衝突してしまった。
「きゃあ!」
お互いに何とか踏み止まったので転ぶことはなかったが、毛布が床に転げ落ちてしまった。幾つもの分厚い布のかたまりが、床一面に転がる。
「小夜子、何やっているの!」
相手のメイドは顔を怒らせて、大きな声で小夜子を叱りつける。
「す、すみません……」
小夜子はおどおどとした声で答え、相手のメイドが毛布を畳み始めたのを見て、慌ててそれを手伝う。
「もう。いつまでも新人気分でいたら、また杏樹さんから仕置きされるよ」
「は、はい……本当に、ごめんなさい」
毛布を畳み終えると、先を急いでいるそのメイドは、すぐに立ち去る。
「……急がなきゃ」
今度は周囲に気を付けながらも、早歩きで廊下を進む小夜子。程なくして、紫色の縁取りが成された扉の前に辿り着く。
(杏樹さんは先に仕事を中断してここで休憩中だったって、実月は言っていたけど)
実月というのは、小夜子の同僚の掛山実月という名の人物。小夜子よりも一つ年上で、メイドとしては小夜子よりも先に館で働いていた契と同期だった。
なるべく失礼の無いようにと、扉を軽くノックする。返事はない。待ちきれなくなり、恐る恐る扉を開ける小夜子。
「あ……」
テーブルの前の椅子に腰を下ろし、ティーカップを口に運んでいる、一人のメイドの姿。それは杏樹ではなく、杏樹の部下であり、小夜子たちの上司に当たる侭田真久だった。
真久は小夜子の方を横目でちらりと見やると、口にしていたティーカップを皿の上に置いた。アールグレイの香りが部屋の中を漂っている。
「何の用? 小夜子さん」
耳に刺さってくるような鋭い声。小夜子は、背筋に冷たいものが奔るのを感じた。
「あ、あの……杏樹さんは、どちらへ?」
「杏樹様なら、用事で席を外しています」
「そうですか……」
落胆した様子の小夜子。
「杏樹様に用があるなら、私が代わりに聞いておきますが?」
「あ、はい。……えっと、実は」
小夜子が真久に話した内容は、契に関するものだった。
今朝、小夜子は高熱を出した契を看病し、相部屋に寝かせたまま部屋を出た。その後、午前の仕事を続けている間も、契のことがずっと気がかりだった。
小夜子は何度か様子を見に戻ろうと思ったものの、中々タイミングがつかめず、先ほどになってようやく時間が取れたところだったが。
「契が部屋からいなくなっていて……あんなに熱を出していたのに」
契が今日の仕事を休む件に関しては、杏樹からの了承も得ている。だから、契が部屋を抜け出して仕事場に向かったのなら、杏樹に止められるはずだった。
「……もう熱が下がったからではないんですか?」
「いや、そうは思えません……。それに、何人かに聞いたけど、誰も契の姿を見ていないって。だから、契を探す許可を頂こうと、杏樹さんに」
「…………」
真久は黙していた。
「さっき、也貝さんにも聞いたんです。もしかしたら、契、急に具合が悪くなって、一人で医務室に向かったんじゃないかと思って。でも、也貝さんは会っていないって」
館に通っている壮年の町医者、也貝専介。彼はメイドの健康管理を担っており、小夜子や契にとっても馴染みのある人物だ。
「あの……真久さん?」
黙ったままの真久を不審に思い、再度声をかける小夜子。
やがて、真久はゆっくりと口を開く。
「私の方から杏樹様に伝えておきます。小夜子さんは心配しなくても大丈夫です」
「は、はあ……」
小夜子は納得していない様子だ。
「さあ、早く持ち場に戻ってください」
まるで、近寄ってきた野良猫を追い返すような態度。小夜子は反論することもできず、そのまま引き返さざるを得なかった。
館に帰還した凛冴。この時点で、凛冴は異変に気づいていた。
(妙だ……鬼峰家の空気が変わった?)
真っ先に思ったのは、契の安否。
(アイネの話によると、契さんは熱を出して休んでいた。相部屋で寝泊まりしているもう一人のメイドが彼女の世話をしていたとも、アイネは言っていたけど)
アイネは館につく前に姿をくらましていた。凛冴とアイネは既に短くない付き合いだったが、アイネは相変わらず神出鬼没で捉えどころがなく、アイネの行先については凛冴にも見当がつかなかった。
凛冴は身を翻して、疾走する。途中、庭を行き来している数人のメイドと、一人の刑事とすれ違ったが、誰も凛冴の存在に気付けなかった。
契のいる部屋は、一階の北側にある。そこへたどり着いた凛冴は、カーテンが開け放されたままになっている窓から中を覗き見た。やはり、契の姿はない。
(契さんの気配が感じられない。館のどこかにいるはずだけど……)
凛冴は軽い身のこなしで二階の屋根に飛び乗り、屋根伝いに館の周囲を探った。程なくして、肇慶の利用している書斎を見つける。魍魎によって見せつけられた、契と肇慶の情交が行われた部屋に間違いない。
(鬼峰は……いない?)
肇慶の姿も確認できない。机の上には書類が乱雑に積み重なっており、何らかの作業の途中で部屋を出たらしい。
《おや、そんなとこにいたのかい》
階下から響いてきた、アイネの声。それを聞いた凛冴は、屋根からするりと飛び降り、芝生の上に着地した。
「アイネ、どこへ行っていたの?」
凛冴の言葉は、不意に姿をくらました相手に対する詰問に近い。
《ちょっとね》
アイネはそのままそっぽを向いて、短い足でてくてくと歩いていく。
「待って、アイネ」
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