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一線の越え方
25...一喜一憂【Side:山端逸樹】
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渇望していたものが手に入ると、今度はそれを失うのが怖くて臆病になる。
直人と一線を越えてから一ケ月ちょっと。
元々、愛情という不確かなものに不慣れな俺は、初めて自ら望んで手に入れた恋人(それ)をどう扱ったらいいのか戸惑う毎日だ。
対して直人は、ああなるまではあんなにどっち付かずの態度だったくせに、今は吹っ切れたみたいに晴れやかな潔さで以前と何ら変わることのない毎日を繰り返している。
(いや、全く変わってないと言えば嘘になるか)
依然「逸樹」と呼ぶのには抵抗があるらしい彼は、いくら訂正してもなかなかそう呼んでくれない。たまに下の名で呼ぶことがあるとすれば、情事で熱に浮かされたときだけという有様。
でも、この頃俺の名を呼ぶ際に時折間が空くところをみると、恐らく彼の中で逡巡があるんだろう。それは俺のことを苗字ではなく名前で呼ばなければと努力している証拠なわけで。
そういうのを感じるたびに嬉しくなったり、焦れったくなったり……。俺も本当に忙しい男だと思う。
俺は俺で、今まであんなに倦厭していたゴムなしでの情交が、直人とだと当たり前に感じられるようになってしまった。
思えば無我夢中で彼を抱いた初めての時も、ゴムの存在なんて端から失念していたのだ。寧ろ、彼とするのにそんな邪魔なモノ付けていられるか、というのが正直なところで。
直人とは、いくら肌を重ねても満ち足りた気分になれないのも、ゴムを付けたくない理由のひとつだ。俺と直人は全く別々の存在だと知っているから、せめて繋がっている間ぐらい何の隔たりも感じたくないと思ってしまう。
今までは己の身を守る鎧のように心地良かったはずの「個々」という概念が、今はただひたすらに恐ろしい。
直人が相手だと、俺は調子が狂いまくりだ。
あの事故の後、社長から「今回だけは」と一切お咎めなしにしてもらった俺だったが、それだけに今まで以上に仕事に精を出さねばならなくなった。自然残業も多くなる。
直人は直人で週に三日はバイトが入っていたし、下手をすれば会えない週だって出てくるわけで。
(もう十日)
直人としていない日数を換算して溜め息をつく。
俺が感じている不安の、一番の原因はこれだと思う。
毎日毎日ベッタリくっ付いていなければいけないとは思わないけれど、三日以上温もりを感じられないのは正直辛い。
直人を疑うわけではないけれど、俺ばかりこんな風に悶々としているんじゃないかとか考えたりすると、本当に落ち着かなくなって――。
「雨、か……」
事務所を出たと同時に鼻先を水滴が掠めた。その冷たさに空を見上げて無意識にそう呟いてから、一層憂鬱な気分になる。
(いや、そうでもないか)
このまま本降りになってくれれば、外での仕事は幾分制限されるはずだ。とすれば、いつもよりも早く帰宅できる可能性が高くなる。
幸い今日は木曜で、直人もバイトは休みのはずだ。
ふと時計に視線を落とすと、十三時を回ったところだった。
俺の記憶が正しければ、直人が下校するのは大体十六時半過ぎだ。
その頃に彼の学校へ寄ってみるのも悪くねぇかも。
ふとそう考えてから、思わず笑みが漏れる。
急に顔を見に行ったら彼は驚くだろうか。
いつもなら電話で一報入れて待ち合わせたりするのが常になっている俺たちだが、たまにはサプライズも悪くない。
(そういや、あいつ、今日はどうやって学校行ったんだろ)
直人の移動手段が原付なのは承知していた。雨降りの日にはそれが徒歩になることも。
天気予報では午後から雨模様だと報じられていたが、直人はそれを知っていて策を講じただろうか。
ふとそんなことを思ってから、不安になる。
(また濡れたりして風邪でもひかれたら面倒だよな)
熱に潤んだ直人の表情も艶っぽくて悪くないが、彼が辛い思いをするのは本意ではない。
(もし濡れて帰らなきゃいけねぇようだったら送ってやるか)
直人の通う大学と、俺の住むアパートはそれ程離れちゃ居ないし。
直人の帰宅先を勝手に自分の家、と決めてから俺は口の端に笑みを浮かべた。
久々に直人の温もりを感じられるかな。
そう、思って。
直人と一線を越えてから一ケ月ちょっと。
元々、愛情という不確かなものに不慣れな俺は、初めて自ら望んで手に入れた恋人(それ)をどう扱ったらいいのか戸惑う毎日だ。
対して直人は、ああなるまではあんなにどっち付かずの態度だったくせに、今は吹っ切れたみたいに晴れやかな潔さで以前と何ら変わることのない毎日を繰り返している。
(いや、全く変わってないと言えば嘘になるか)
依然「逸樹」と呼ぶのには抵抗があるらしい彼は、いくら訂正してもなかなかそう呼んでくれない。たまに下の名で呼ぶことがあるとすれば、情事で熱に浮かされたときだけという有様。
でも、この頃俺の名を呼ぶ際に時折間が空くところをみると、恐らく彼の中で逡巡があるんだろう。それは俺のことを苗字ではなく名前で呼ばなければと努力している証拠なわけで。
そういうのを感じるたびに嬉しくなったり、焦れったくなったり……。俺も本当に忙しい男だと思う。
俺は俺で、今まであんなに倦厭していたゴムなしでの情交が、直人とだと当たり前に感じられるようになってしまった。
思えば無我夢中で彼を抱いた初めての時も、ゴムの存在なんて端から失念していたのだ。寧ろ、彼とするのにそんな邪魔なモノ付けていられるか、というのが正直なところで。
直人とは、いくら肌を重ねても満ち足りた気分になれないのも、ゴムを付けたくない理由のひとつだ。俺と直人は全く別々の存在だと知っているから、せめて繋がっている間ぐらい何の隔たりも感じたくないと思ってしまう。
今までは己の身を守る鎧のように心地良かったはずの「個々」という概念が、今はただひたすらに恐ろしい。
直人が相手だと、俺は調子が狂いまくりだ。
あの事故の後、社長から「今回だけは」と一切お咎めなしにしてもらった俺だったが、それだけに今まで以上に仕事に精を出さねばならなくなった。自然残業も多くなる。
直人は直人で週に三日はバイトが入っていたし、下手をすれば会えない週だって出てくるわけで。
(もう十日)
直人としていない日数を換算して溜め息をつく。
俺が感じている不安の、一番の原因はこれだと思う。
毎日毎日ベッタリくっ付いていなければいけないとは思わないけれど、三日以上温もりを感じられないのは正直辛い。
直人を疑うわけではないけれど、俺ばかりこんな風に悶々としているんじゃないかとか考えたりすると、本当に落ち着かなくなって――。
「雨、か……」
事務所を出たと同時に鼻先を水滴が掠めた。その冷たさに空を見上げて無意識にそう呟いてから、一層憂鬱な気分になる。
(いや、そうでもないか)
このまま本降りになってくれれば、外での仕事は幾分制限されるはずだ。とすれば、いつもよりも早く帰宅できる可能性が高くなる。
幸い今日は木曜で、直人もバイトは休みのはずだ。
ふと時計に視線を落とすと、十三時を回ったところだった。
俺の記憶が正しければ、直人が下校するのは大体十六時半過ぎだ。
その頃に彼の学校へ寄ってみるのも悪くねぇかも。
ふとそう考えてから、思わず笑みが漏れる。
急に顔を見に行ったら彼は驚くだろうか。
いつもなら電話で一報入れて待ち合わせたりするのが常になっている俺たちだが、たまにはサプライズも悪くない。
(そういや、あいつ、今日はどうやって学校行ったんだろ)
直人の移動手段が原付なのは承知していた。雨降りの日にはそれが徒歩になることも。
天気予報では午後から雨模様だと報じられていたが、直人はそれを知っていて策を講じただろうか。
ふとそんなことを思ってから、不安になる。
(また濡れたりして風邪でもひかれたら面倒だよな)
熱に潤んだ直人の表情も艶っぽくて悪くないが、彼が辛い思いをするのは本意ではない。
(もし濡れて帰らなきゃいけねぇようだったら送ってやるか)
直人の通う大学と、俺の住むアパートはそれ程離れちゃ居ないし。
直人の帰宅先を勝手に自分の家、と決めてから俺は口の端に笑みを浮かべた。
久々に直人の温もりを感じられるかな。
そう、思って。
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