町で噂のあの人は

秋赤音

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町の日常

13.残り時間~もし明日が終わりなら

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今日もいた。

「こんにちは」

返事は無い。
店主が愛想のいい返事をくれる。

「こんばんは」

今日もいた。
返事は無い。
店主が愛想のいい返事をくれる。
約束はしていないが待っているように手をあげて合図する友人は、
楽しそうに笑っていた。

「こんばんは」

今日も、いた。
返事は無い。
店主が愛想のいい返事をくれる。
互いに会話のない店主と女性。
しかし、なぜか食事はでてきて食べている。
女性が落とした物は拾えない。
重なった手に感触は無い。

いつも、いつも、ほぼ同じ。
分かったのは、会話が成り立たないことと、触れないことだけ
母親と言われている人とよく似ていること。
ここまでくると、気になってくる。
最近は友人まで気にしている。
何か分かれば言ってほしい、とも言われた。
死ぬ用意はできているのだから、少しくらい冒険をしてもいいと思った。
仮に、本当に幽霊ならば、いつかは成仏するのだろうから。


「こんばんは」

休日。
予約をして料理屋へ行く。
珍しく自分と店主だけの空間。
店主が愛想のいい返事をくれる。
今日は女性がいないので店主に聞く。

「お客様の隣はいつも空席でした」

どういうことだろう。
友人もそうだ。
これでは、やはり自分の頭がおかしくなったか。
あるいは幽霊ということになる。
戸惑いながら、女性の様子を話す。
すると、迷った素振りの後、重そうな口が動いた。

「心当たりはありますが、後日でよければ話します。
ご都合のいい日はありますか?
先にご注文をうかがいます」

都合のいい日を伝え、注文を済ませる。
頼んだ食事を食べていると、他の客が入った後ろに女性がいる。
そして、いつものように静かに座る。
やはり店主は女性が行う注文の所作に応じていない。
しかし、どこからともなく食事だけは出されている。

「美味しかったです。ごちそうさまです」

「ありがとうございます」

店主が愛想のいい声で言葉を返す。
いつの間にか女性はいなくなっていた。



後日。
昼食には過ぎた時刻。
貸切と札がある店の扉を開ける。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは」

互いの休日に会う約束をした店主は、見慣れた服装で待っていた。
女性はすでに食事を始めていた。

「朔夜 透様。今も、いますか?」

「います」

店主は目じりを下げ、女性を見る。
おそらくは空席のその場所。
それも一瞬。
一度の瞬き程度で、見慣れた愛想のいい表情がこちらへ向き直る。

「…よければ、甘味はいかがですか?」

その言葉に、食後向きの品があったことを思い出す。

「そうですね。おまかせで、いただきます」

「ありがとうございます」

店主は、やはり馴染みの表情で答えた。

手際よく作られた二つの甘味。
それを店主と隣合って黙々と食べる。
いつもなら友人がいる席で、
店主も言葉を発さず黙々と食べ終える。

「あの日も、そうでした。
掃除のために扉を開けて入り口にいると、
馴染みのお客様…朔夜 澄風様と会いました。
その女性は私の顔を見て、なぜか静かに泣き始めまして。
当時の私はどうしていいか分からず…
甘味を食べるか聞くと、うなずかれたので」

懐かしむように目を細めて、そこか遠くを見るように話す店主。
その女性は、おそらく母親だ。
顔は覚えがなくても、名前だけは覚えていた。

「その女性が?」

「はい。見る風景が本当なら、ご親族の方かもしれません。
よくご来店いただきました。
いつも、あの日も…そちらの席で話された通りに食事をしていました。
あの日が最後のご来店でしたが」

「何か、言っていましたか」

「私から言っていいことかは、分かりませんが。
素行も学歴も問題のない恋人を両親が認めてくれない。
子供ができたが、生んで押しつけて別れろと言われた…と。
親から認めらないので未婚で、追い回されるかもしれないことに不安だと…。
それと…」

憂いの表情で語られた事柄は、『世間でよく聞く話』。
だが、単純に、驚いた。
母親がここにきていたことも、
繊細な部類に入りそうなことを誰かに話をしていたことも。
養父母からは、
『「良い人」を用意していたのに、ずっと無視をして、
あげく出ていった。
戻ってきたのは骨とコブだった』
としか聞かされていなかった事柄の新たな一面。

「他に、何か?」

「恋人の心配をしていました。
私もよく知っているので、
話をしてくださったのかもしれませんが」

ふと、扉が動く音がした。
同時に、隣にいた女性が扉へ振り向いた。

「剛さん。貸切のところ悪い。
祖父がどうしても持っていけと野菜を…澄風?
いや、澄風は」

大きな袋を手に持っている男性が現れた。
視線をさ迷わせている男性に驚いた店主は、
席を立ち調理場から何かを持って入り口へ向かった。

「秀一様。お久しぶりです。
お礼にこちらをどうぞ。
よく召し上がっていただきましたから」

「剛さん。あのお客は?
実は澄風が生きていたのか?」

「あの方は澄風様ではありません。まず、男性です」

店主の言葉も聞かず、
母親の名を呼びながら慌てている男性。
どこかで見たことのある印象の人。
その隣に立ち、甘えるように無邪気に微笑んでいる女性。
まるで待ち人と会えて嬉しいような様子だ。
もし、女性が母親で男性が関係者だとしたら。

「こんにちは。
朔夜 澄風を知っていますか?」

「あ…あ…はい。こんにちは。
お騒がせして申し訳ないです。
漬物、ありがとうございます。
俺、失礼しま…え?」

完全に動きが止まった男性。

「秀一様。
よろしければ、一緒にお茶しませんか?
久しぶりに思い出話をしたいと思いまして」

店主の言葉の後、男性が静かに泣き始めた。

「澄風の話を、して、いいんですか?」

「はい。ここには関係者しかいません」

「…お金は、払います」

「今日は、澄風様いわく『プライベート』というものですから、
お代は結構ですよ」

店主の言葉に何かを誤魔化すような湿った笑いを返した男性。
店内に足を踏み入れ、扉が閉まる。

「初めまして。
照月 秀一です。朔夜 澄風さんの恋人、です。
あ…でした、ですね」

涙で濡れた笑みで告げられた名前に覚えがあった。

「朔夜 透です。
照月さん?偶然ってあるんですね。
同じ苗字の友人がいます」

何でもいいから話をしなければ、と思った結果だった。
それがどうした、とも思える話をしたかもしれない。

「灯夜、ですか?
外見から見て心当たりはその一人だけです」

相手を困らせるかと焦っていたが、予想外の反応に驚く。
すんなりと出てきた友人の名前に安心した。
とりあえず何かは何とかなった。

「はい。朔夜 澄風は、僕の母親です。
よければ、知っていることを教えてください」

「はい。俺でよければ」

「まずは、お席へどうぞ」

「あ、はい。ありがとうございます」

男性は女性と共に席に座った。
女性は、左隣にいる男性を見上げて微笑んでいる。

秀一さん、今日は何を食べますか?

声がした。
明るい、楽しそうな声だった。
事の真相は、意外と悪いことばかりではないと。
後日に会う友人を脳裏に思い描いた。
仮に今夜が最後だとしても、後悔はない。
まずは、偶然の繰り返しで実現したこの瞬間と向き合うことだ。
次は、それから考えればいい。
店主は何かを作り始め、
男性との沈黙で考えを巡らせていると、女性と目が合った。
写真にあるよりも柔らかく楽しそうな笑みだった。
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