従僕と柔撲

秋赤音

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番外「剣火に燃える」

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いつもの休日。
のどが渇いたので、と自分に言い訳しながら自室を出た。
自室にある小さな冷蔵庫は夜間に飲み食いしたい非常用、と半分事実の言い訳も加えて。
カーテン越しに明るい日が差す居間。
長椅子には、お気に入りの飲み物を机に置いて読書に集中する彼女がいる。
ちょうど読み終えたらしく、閉じられた本が机に置かれた。
あくまでついでの用事だから、台所に向かい飲み物を取り出して自室に戻る。
途中、長椅子に座る彼女に声をかける。
見下ろす彼女が自分に気づいていながら、肩を震わせ、息を殺し、知らないふりをしている。

「羅輝亜」

「…!」

こちらを向きそうになった顔が、瞬時にそらされた。
しかし、視線は持っている本にしっかり向いている。
裏表紙に書いてあるあらすじが気になるのか、首を傾けている。
習慣になってしまったやり取りは、一日限定の制約を忘れさせるらしい。
「返事はできないし受け取れないが、気になる」と解釈されても仕方ない行動。
我に返った彼女が慌てて顔を反らしたが、視線がほんと自分を行き来する。
期待で赤らむ頬と、憂いを示すように伏せられた瞼。
吐息のような音で葛藤する声。
もう実験は十分ということで、終わりにしてもいいだろう。

「そろそろ読み終わる頃かと思って。
よかったら、これ」

「…っ」

彼女の手が、読み終わった本を掴んだ。
いつもなら交換するが、今日はできない。
してはいけない。
彼女はやり場を失ったような手が抱えるように本を持ち、立ち上がる。
場を去ろうとしているのか、足は彼女の自室に向いている。
しかし、最短ルートを自分が立ち塞いでいるからか、困った表情を浮かべる。

「実験は終わりにする。
だから、いつも通りにしよう」

「はい。では、読み終わったのでお返ししますね。
いつもありがとうございます。凪都」

安堵したのか、細く息を吐いた後で可憐に微笑んだ彼女。
本を受け取り、机に置いて。
首をかしげる彼女を、空になった腕で掴み寄せて抱きしめ、その温かさに心和らぐ。
仕事の延長で始めた関係が、こんなにも安らかな時間をもたらすと思わなかった。
腰にある指先で、ゆっくりとくびれを撫でる。
隠されている温もりが恋しくてしかたない。
彼女の艶やかな吐息と悲鳴は、なぜか心地よい。
合わせてピンと反る背中を上になぞり、首筋を支える。
自然と目が合い、空いている手で赤らむ頬を撫でれば、目を細めて笑む彼女。
このまま致そうか。
あえて焦らすか。

「凪都…っ」

苦しそうに喘ぐような声と、押しつけられる体。
キスだけで絶頂もできるし我慢もできる彼女だが、今に相応しいのは。

「キスでイったら、もっと気持ちよくしてあげる」

「…っ!ぁ、…っ、…っっ!!」

絶頂連鎖が始まった彼女の腰が砕けた後、抱えて自室に向かった。


事の始まりは、また、担当者の気まぐれだった。
明日からは貴重な週末だからと、自室で楽しく過ごすために策をめぐらせていた月夜。
今夜は抱かないと約束した。
身体が敏感になりすぎて辛いと言ったので、互いに休息をとる。
静かに過ごそうと思った直後。
聞きたくない呼び出し音が鳴り、仕方なく出た。
同棲している恋人に別れを告げられる寸前の男というお題を一方的に言って音声連絡を切ったことが、悪夢の始まり。

まず、よくある別れの前兆と展開を調べた。
そして、自分が見聞きした事柄も思い出す。
より正確に知るためには実験がしたかった。
幸いにも相手はいるから、現状でできる方法を選ぶだけだった。
できるだけ大げさではなく、簡単で、物理的に怪我がなく安全な方法。
行きついたのは、やはり無視。
今回は自分が無視されることで、新しい実体験を得る。

翌日。
彼女に求めたのは、相手をいない存在と扱うくらいの無視。
同棲している恋人に別れを告げる役に合わせて、度合いを決めた。
相手を認識し、さらに絶対拒絶を前提で行う、最も最悪な無視だろう。
結果的に彼女は相手を認識していないから無視にならないが、された相手からすれば不快を極めるかもしれない。
前回にした無視をする経験と合わせれば、きっと胸やけがするような甘い物語になる。
別れたいと相手に思わせるくらいの悪行を考えながら、一人食べ終えた朝食を片付けた。


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