影に鳴く

秋赤音

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訪れた穏やさで

4.病めるときも、健やかなるときも

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「ミツヤさん。よかったら、明日の夜に食事を」

「イチルさん、お疲れ様です。
基本的に外食しないことにしています。
遠慮させていただきます。失礼します」

終業時間を知らせる鐘が響く廊下で、
帰路へ向かう男性の背へ女性が切ない視線を向けていた。



「ただいま。疲れましたよー」

「おかえりなさい。お疲れ様だよ」

先に帰っていたナナセを抱きしめると、
温かな手がそっと背に回り労わるように抱き返してくれた。
どんなに疲れても、ナナセがいれば元気になれる。
台所からは、空腹を刺激する香りが漂っている。

俺たちは、結婚という枠組みを選ばなかった。
安全や安定で未来を残そうとする法律は、合わない。
欲を言えば、彼らのように普通に家族として認められたい。
しかし、子供を成せない俺たちには、普通を曲げる勇気はなかった。
優遇してくれと、
普通の意識を変えて合わせてくれと、
多少の不都合が生まれても我慢してくれと言っている気がして。
多数派の両親たちは、
同性を愛する俺たちに優しかった。
巻き込むつもりもなかった。
仮面夫婦でいいから異性と結婚して、
子供を産んでくれれば後は育てると言ってくれた。
週末だけは体裁を考えて帰るなら、
浮気という形にはなるが、最愛と時間の大半を過ごしていいと。
それだと、俺が耐えられないので諦めた。

「ナナセ。今日の夕飯は?」

「ミツヤの好物」

俺の好物と上機嫌に言うナナセの頬へ口づける。
くすぐったそうに身をよじって逃げようとするので、
腕に力をこめる。
何度考えても、ナナセ以上に好きなものがない。

「ナナセ?」

「違うっ…て、…っ、んっ、ど、ぅして…っ」

「俺は、ナナセがいればいい」

「…!僕だって…ミツヤがいれば」

拗ねるナナセの唇を塞ぎ、その甘さを堪能する。
わずかに離せば上目づかいで可愛いことを言うので、
横抱きにして持ち上げて長椅子へ押し倒した。

「待って、ご飯冷めるから」

「ごめんな、早くするから」

「ミツヤ、お腹すいて…っ、ね、待っ…ぁ、やめ、…っ!」

服の上からそっと膨らみを撫でると腰がびくりと跳ねた。
すでに待ち望まれているところを空気に晒すと、
しっとりと濡れた昂ぶりが俺を誘う。

「このままだと辛いだろ」

「ミツヤのせい、だから」

「ああ。俺のせいだ」

甘く紡がれる言葉に思わず口角が上がる。
続きを強請るように足を開いて見せつけるナナセの唇を塞いだ。




たっぷりと愛された後、
服を正して冷めた夕食を温め直す。
出来立てよりは劣るはずの料理を美味しそうに食べるミツヤに、
思わず頬が緩む。
抱きしめられたときに、
わずかに感じた知らない香りへの違和感は脳裏に追いやった。

「今日の弁当も美味しかった。
俺、ナナセの料理でないと食べられない」

「そんなに?」

「ああ」

優しい熱を宿した瞳が僕を見ている。
ミツヤがくれるすべてが嬉しくて、
求めてくれることが嬉しくて全力で応える。
幸せだと、思う。


『D区へ行こう』

僕は、育った場所を去るミツヤの手を迷わずとった。
生まれ育った地の法律は、合わなかった。
合わせてほしいとも、思わなかった。
生きた証の継承と万が一の面会と平凡な暮らし。
望むのは、愛する人と普通に過ごす時間だけ。
仕事で社会貢献するなら独身者と同じ扱いでも叶うのだ。
遺書や後見人制度を使えば法的に欲しい権利も得られるので、
問題はなかった。
僕の居場所は、ミツヤの隣。
ミツヤが願うD区でも叶うなら、育った地でなくてもよかった。

翌日。
終業時間になり帰ろうとすると、迷惑な音が聞こえた。
聞こえるだけで不快な存在の足音は、願ったようには遠ざからない。

「ナナセー。
誰でもいいんなら、俺とも遊んでくれよ」

強引に僕の肩へ腕を回そうとする同僚の手を避けた。
すると、不快そうに眉をよせる。

同じ光景を思い出す。
結果的に他の誰かを不安にさせたり虐げたこともあるが、
望んでやったのではない。
誰だって秘密の打ち明け話はあるだろう。
同性も好きだからと言っても、好みはある。
誰でもいいわけではないのに、
彼らは勝手に思い込んでは怖がった。
手間のない捌け口にされるのも怖かった。
完全異性愛者でないからと、
変な油断をする異性も迷惑だった。
その気になると急に被害者ぶるのはやめてほしい。
告白したのを言いふらすのも、やめてほしい。
嫌だと言えば、これくらい普通だと、言われる。
俺たちにも我慢している嫌なこともあると、言う。
誰かを傷つけるのはよくない。
異性愛者が嫌だと主張しないのが悪いのだ。

「僕は、誰とも遊びません。
失礼します」

「気が向いたら声かけてなー。
ミツヤさん、新しい連れと仲良くやってるらしいし」

背後から聞こえる声に違和感を覚えた。
らしい、というわりには確信があるような声色に体が冷える。
今は、待ち合わせ場所に急ぐことにする。

しかし、ミツヤはいつまで経っても来ない。
探しに行こうとも思ったが、すれ違ってはいけないので待つ。

「トイレでヤるのはやめてほしいよなー」

「そうそう。しかも、一番使いやすいところでさ。
せめて完全時間外でしてほしい」

「残業してる人、大変だろうなー」

目の前を通り過ぎた人の言葉に、嫌な予感がする。
当たらなければいいと思い、足を動かす。


「…ぁ、あああっ!…んっ、嬉しい、気持ちよかった?」

「拘束を解いてください」

「いいよ。体は女に抗えないのよね。
わかるよ。どっちになっても、苦労するところね。
できても私一人で育てるから安心して。
私は、トバリとは違う。
ミツヤさんの子供がほしくて、手術をしたんだよ。
男のまま愛し合えて、
男のままで生んだ後も健康に授かるならよかったけど…。
でも、私は、幸せ。
ミツヤさんも、愛する人と幸せにね。
さようなら」

声がする方へ入るのをためらっていると、
肌艶のいいイチルさんが出てきた。

「あ…聞いてました?」

「いいえ」

「よかったです。
恋人にはあんなところ、見られたくないと思いますから。
私は二人の邪魔をする気はないので、安心してください。
お幸せに」

危険が少ないことを確認すると、
軽い足取りで去るイチルさんが出てきた男性用トイレへ入る。

「ナナセ」

「ミツヤ。何があったの」

「俺の子種がほしいと、無理やり奪っていった」

扉が開いたままの個室に座り、呆然としているミツヤ。
乱れた衣服や気配から、濃厚な男女の交わりがあったことが分かる。
わずかだが、薬品の匂いもした。

「薬を使われた?匂う」

「ああ。体の力が上手く入らない」

歯を食いしばるミツヤの手に触れると、
ためらいながら繋がれた。

「許して、くれるか?」

「何を許すの?
強姦は、犯罪。ミツヤは被害者。
生きていてよかった。
ここには法律がないけど、
泣き寝入りも報復も話し合いも自由だよ」

ミツヤは静かに首を横に振る。

「俺は、ナナセがいればいい」

「僕も、ミツヤがいればいい」

ミツヤの身なりを整えていると、
少しだけ生気が戻った瞳が僕を見た。

「一緒に、帰ろう」

「うん。今日の夕飯もミツヤの好物だよ」

「そうか」

不安が漂う儚い笑みを浮かべたミツヤが少しでも安心するように、
隣を歩くその手を強く握った。
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