【R18】逆さの砂時計(完結)

梅見月ふたよ

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おまけ

合縁奇縁のコンサート 61

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vol.68 【想いのカタチ 2】

「目が、ほとんど見えてない?」

 息を飲むリースリンデの横で、眉根を寄せた母さんの首が傾いた。
 思い返すような表情で、そんな風には見えなかったけれど、と訝しむ。

「厳密に言うと、物体の形とか文字とかはそれなりに見えてるらしいんだ。でも、全体的に薄暗いんだって」
「全体的に……夜間の屋内みたいに、周りが暗く見えているということ?」
「うん。全体的に薄暗くて、色も総じて灰色っぽい。だから、形とか輪郭は見えてるんだけど、奥行きとか距離感なんかが掴みにくい、って言ってた。質感も、実際に手で触るまでは確信が持てないらしい」
「そんな状態で、あんなにも白く開けていた雪原を歩いてきたの?」
「ずっと、曇ってると思ってたんだ、あいつ」

 右腕をまっすぐ上に伸ばし、人差し指を立てて頭上を示す。
 母さんの薄い水色の目に、曇りなく突き抜ける青色の空が映り込む。

「晴れてたんだよ。私達が旅に出てから、ずっと。空は、晴れてたんだ」
「……そう……」
「明るかったし、なんなら眩しいくらいだった。本当に、眩しかったんだ。でも、あいつは……途中からずっと、曇り空だと、思ってたんだよ……っ」

 いつからだったのか、私も、クロスツェル自身も分かってない。
 気持ちいいくらいの晴天下で、前の居住地を出て。
 昼を過ぎた頃に、どんどん暗くなってますね、とか言い始めて。
 青空を見上げながら、雪でも降るのかなとか、あり得ないことを呟いて。

 そこでやっと……そこまで来てやっと、視界の異変に気付いたんだ。
 ずっと前からそれらしい兆候はあったのに、見過ごした。
 二階寝室への移動すら躊躇うほど重症化するまで、見過ごしてしまってた。
 あいつを何度もつまずかせたのは、私がちゃんと見てなかったせいだ。

「…………だから、私を呼んだのね? 

 私の顔に目線を移した母さんが、腕を下ろした私に「屈んで」と言った。
 少し深めの呼吸をしてから、言われた通り、その場で地面に片膝を突く。
 
「目を閉じて」
「……ん」

 母さんと同じか、ちょっと下くらいの位置で顔を見合わせ、目を閉じる。
 直後、焼きたてのパンみたくふにっとした感触が、私の顔を包み込んだ。
 変化しない作り物の体だって言ってたのに、母さんの手は熱を持ってる。
 力を形をしただけの器なのに、生物と変わらない温かさを感じる。
 決して体温を下げたりはしない強風を体で受け止めながら。
 母さんに触られてる頬だけが温かくて、少しだけ、息が抜けた気がした。

「怖かったわね」
「……うん」
「気付いた時、貴女のほうこそ目の前が真っ暗になりそうだったでしょう」
「自分の時間が止まるって、ああいう感じなんだなって……今は、思う」
「今も、怖いわよね」
「怖くて、痛い。でも、あいつのほうが怖い筈だ。なのに、何も言わない」
「そう」
「私にはなんでも言えって言うのに、あいつ自身は私に何も言わないんだ」
「そうね」
「何度も言えって言ってるのに。あいつは、辛いとか言わないんだよ」
「うん」

 額と鼻先に気配を感じる。
 母さんが私と額を合わせてる。
 目を開かなくても、伝わる。
 翼の内側に我が子を抱く親鳥のような、そんな大きさを、感じる。
 
「……私には、何もできないって、分かってるから……」
「そうなの?」
「私は、あいつに、何もできない。何かしちゃ、ダメだから」
「……そうね。でも」

 私から少しだけ離れた母さんの手が、私の両手を掬い上げる。
 自身の口元に運んで、固く握ってる拳をそっと包み込む。

「見えるものがすべてじゃないわ。そうでしょう?」

 閉ざされていく世界で、確かなもの。
 失われても、残るもの。

「貴女の手は、奪うことも、与えることもできるけれど」

 指を開きかけた私の手に、母さんが頬をすり寄せる。
 くすぐったいような、むず痒いような、微妙な感覚に目を開けば。
 五歳前後の幼児とは思えないほど大人びた静かな瞳が、そこにあった。

「貴女達は、この手で何を、どうしたい?」

 穏やかな微笑みで離された自分の両手をじぃっと見つめて。
 胸の奥から聴こえてきたコトンって音に、口角が自然と上がっていく。

 うん。
 叱るでも、突き放すでも、押し付けるでもなく。
 私達に問いかける母さんは、やっぱり強くて優しくて、温かい。

「……ありがとう、母さん」

 クロスツェルがいつか消え去るってことは、ずっと前から分かってた。
 今、その時が来ようとしてるってだけ。今更動揺する理由なんかない。
 私はただ、あいつの人生を最後の瞬間まで見届けるだけだ。

 ……『私』に許されてるのはそれだけ……かもしれない、から。

「クロスツェルのところに戻るよ。心細くて泣いてるかもしれないし」
「そう。夕食は何が良い?」
「特にこれってものはないけど、手掴みで食べれるやつが良いかな」
「それなら、ちょうどいい料理があるわ。一時間後に持っていくわね」
「うん、お願い」

 よいしょっと立ち上がって。
 私の邪魔にならないように一歩下がった母さんを、ぎゅっと抱きしめる。
 母さんは意表を突かれたって感じの口調で「ロザリア?」と首を傾げた。

「何度も甘えちゃって、ごめん」
「……今の気持ちを、正直に言っても良い?」
「うん」
「世に言う『お母さん』になれたみたいで、ちょっと誇らしい気分です」
「ふはっ……! そっか……こんな甘ったれが相手でも、誇らしいんだな」
「ええ。産みの親にはなったけど、育ての親にはなれないと思ってたから」
「私は、母さんが母さんで良いなあ~、うらやましいなあ~と思ったよ」
「…………え?」

 きょとんと瞬く母さんを離して、水平線の彼方に顔を向ける。
 偽物だから、当然あの先には何もない。けど、行き着く限りもない。
 夢や幻と変わりない結界の中で浴びる潮風は、ただただ強いだけだ。
 気が重くなりそうな匂いも湿気も無くて、それが心地好い。

「じゃ、また後で。リースリンデもな」
「え、ええ……」
「はい、ロザリア様。また後で伺います」

 腑に落ちないって顔してる母さんに向き直って、手を振る。
 それを合図に、周りの景色が明るい海岸線から夜の屋内へと変わった。

「クロスツェル……は、寝てるのか?」

 食卓に突っ伏してた寝坊助大王は、頭を両腕に預けてぐっすり寝てる。
 顔が横を向いてるのは、単に伏せてると息苦しかったから、だろうな。
 私はクロスツェルの左横の椅子に座って、立てた左手に顎を乗せた。

「まだ、二ヶ月も経ってないのになあ……。慣れって怖いわ」

 両肩を浅く上下させてるクロスツェルの寝顔をジーッと眺めて。
 変態菌だなんだと騒いでた少し前の自分に、苦笑いが浮かんでくる。
 今は、指先で鼻の頭を突いても、短い黒髪を撫でても、何も感じない。

 いや。
 健康状態は悪いクセに肌も髪も潤ってるのが解せなくて、苛つきはする。
 なんなんだ、この長旅でも一切ガビつかない髪って。
 旅なんかしてたら、肌も髪も、大なり小なり傷んだりするもんだろ?
 それなのにこいつの髪は、撫でつけるまでもなく艶々でサラサラだぞ。

「かつらも結構な頻度で掻き回してんのに、手触り良いし。納得いかねー」

 昔のアリアも艶々サラサラだったが、あれは力を使ってたからだ。
 まだ人間の子供として育てられてた頃は、ボロボロのバサバサだった。
 こいつも、浮浪児してた頃はさすがにズタボロだったみたいだけど。
 後頭部を撫でても、上質な絹糸を束ねたらこんなんかなって感じだし。 
 輪郭をなぞっても引っ掛かりがない頬は、サラッとしてて気持ちがいい。

「この外形を保つ為に残りの生命力を使ってる、とか言わんだろうな?」

 そんなわけあるかと、自分の言葉に内心で突っ込みを入れつつ。
 いつかの自分もこうなってるんだろうかと、想像してしまった。
 艶々でサラサラで、ツルツルでスベスベな、長い髪と白い肌。
 どこかクロスツェルを連想させる容姿だったら、それはそれで……

「なんか、ヤダ」

 クロスツェルの頭部を撫で回してた右手のひらを引き戻して見つめる。
 この手はアリアのもので、同時に、私のものでもある。
 今は、まだ。
 あるいは、何かが原因で私達の命が尽きる、その時まで。

 いつかの先がどうなるかは、まだ判らないし、決まってない。
 だから、今なら、まだ。

「……起きなくて良いからな。絶対、起きるんじゃないぞ」

 物音を立てないように、そお~っと立ち上がって。
 クロスツェルの左肩に右手を置いて。

 白い頬に、口付けた。

 軽く押し付けた唇をすぐに離して、ガバッと背を伸ばす。

「~~っ、私は! なにやってんだかなあ、もおっ!」

 寝顔を眺めたり触ったりするのは慣れたけど。
 自分から誰かに口付けるなんて、自我を持って初めてのことだから。
 正気に戻ると、やっぱりなんか恥ずかしいっつーか、全身が沸騰する。
 頭は破裂しそうだし、心臓は過活動で窒息寸前だ。
 寝てるやつにやらかした後ろめたさも相俟って、無意味に叫びたくなる。

 母さんは一時間後に来るって言ってたし!
 私も仮眠しよ、仮眠!

 なんて、頭の中で言い訳っぽく大騒ぎしながら。
 クロスツェルの正面の席に座り直して、私も突っ伏した。
 卓面の端に両腕を敷いてそこに額を乗せれば、ひとまず息苦しさはない。
 クロスツェルの顔を見ないように、だけど放置はしないように。
 何かあったらすぐ手を貸せる位置で、湧き立つ意識を無理矢理黙らせる。
 雪が積もる平原を歩いてきたおかげか、わりとすぐ眠りに就けた、けど。
 
「え、と……私の外形が嫌だってことではない、ですよね?」

 耳まで真っ赤に染めたクロスツェルが、上半身を起こし。
 頬に手を当てて、私の寝姿を茫然と見てる。
 その、豆を顔に叩き付けられた鳩みたいな目に気付かなくて済んだのは、『私』の短い過去の中で一番の幸運だったと言える……かもしれない。

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